覚悟の時part2
「ぐ、…………がっは」
呻き声。
聖敬は地面に倒れ伏している。
全身が激しく痛みを放ち、警告していた。このままでは危険だと。だが、聖敬はその警告に従わない。従うつもりもない。
だって、何故なら、相手は妹なのだから。
「何をしているんだよ…………」
妹から聞こえるのは罵りの声。
彼女は、怒りを露にしている。
理解出来ない、何故ここまで、と。
フィールドで周辺から隔離した後、聖敬は何もしては来なかった。ただ、黙して凛からの”音”による攻撃に堪え忍ぶのみ。
幾度も幾度も音は聖敬を襲撃。
強烈な衝撃が全身に幾度も叩き付けられた。
だと言うのに、
聖敬は避ける素振りすら見せずに、ただ受けた。
普通であったなら、既に全身の粉砕骨折、もしくは失血死へと至っても何もおかしくなどない。それでも聖敬が立っていられるのは、一重にリカバーによる超回復の賜物。
それでもあまりのダメージの前に、全身から夥しい出血をしているのだが。
「いい……ら、来なよ」
凛は唖然とした表情で、消え入りそうな声でそう言った。
だが、聖敬はただ前に一歩動くのみ。
この場に誰かがいれば、もう既に決着は着いたと思うに違いない。それ程に聖敬の状態は悲惨であった。
半死半生、どころの様相ではない。
もう瀕死だとすら思える。
だのに、
「…………」
無言で一歩、また聖敬は歩む。
「やめろよ…………何、で」
圧倒しているはずの凛が寧ろ、じり、と後ずさる。
あと、たった一撃、それだけで片は付く。
聖敬の辛うじて動いているあの五体はあと、たった一撃で間違いなくもう動けなくなる。これは勘ではなく、事実だ。
◆◆◆
星城凛こと、桜音次歌音はこれまで数多くの相手を葬って来た。
まだ一三才の少女。だが、マイノリティという存在にとって年齢とは然程重要な要素ではない。
判断されるべきは、保持するその異能力であって保有者の資質はその次。
それが彼女が、歌音という名を与えられた少女への周囲の考えだった。
彼女は生まれながらにしてマイノリティであった。
代々、異能を持った者を輩出してきた由緒正しき”防人”の一家に生まれた事は考えようによっては幸いで、また考えようによっては不幸の始まりであった。
彼女の家は長い歴史を持った旧家であったが、徐々に防人としての力を弱まっていくのに伴い、衰退の一途を辿っていた。
それは歌音の父親をしても止める事は叶わず、だからこそ、次の子供に対する期待は大きかった。
そんな中で生まれたのが、歌音。
その名の由来は生まれた時に、まるで”歌っている”かの様な綺麗な音を発していたからだそう。
後に聞いたが、彼女の父親は待望の、それも生まれながらの異能力者の誕生に、破顔したそうだ。
マイノリティの大半は後天的にそのイレギュラーを覚醒させる。
原因は未だに不明だが、幾つか唱えられている説の中に、肉体と精神の成長が一定レベルに達する事が覚醒の大きな要因なのでは、という物がある。
だからこそ、覚醒者の半数は一〇代の少年少女なのである、と。
未だ、成人はしておらず、だが、確実に子供から脱しようと成長する彼らの、その瑞々しい精神と肉体。そこに何らか遺伝子レベルでの変異が影響し、一定確率で覚醒するのだと。
荒唐無稽で馬鹿馬鹿しい話だ、そう普通であれば思う事だろう。
(でも、それなら私は一体何なんだろう?)
その話を聞いた歌音は、まだ子供ながらにそう思った。
既に彼女は星城の家で暮らしていた。本当の名前である歌音ではなく、星城凛として。
幼いながらも彼女は、自分が表の世界ではなく、裏の世界に住まう存在なのだと理解していた。だって既にその手は血に塗れていたのだから。
そんな彼女には”役目”があった。
それは彼女を、ドン底に落ちていた彼女の、汚れたその手を取ってくれた人の”妹”を見守る、という物だった。
彼女の名前は西島晶。歌音よりも三才年上で、星城の家での”兄”である星城聖敬の隣人にして幼馴染みの少女。
とても、そう、とても明るくて、まるで昼のお日様のような暖かくて、優しい笑顔の少女。
恩人たる西島迅はこう言った。
――あの子を守ってくれ。あの子には裏側に来て欲しくはないんだ。
その言葉から感じ取れたのはとても、とても重くて、そして彼女が知る限り、これ迄に聴いた事のない程に悲しそうな声色であった。
何年もの時間が経過した。穏やかな時間が流れ、自分の手を汚さない日々は裏側で生きてきた歌音にとっては、とても心地のいいものだった。
やがて、歌音は迅の紹介により協力していたWD九頭龍支部の上司である九条羽鳥から、武藤零二という名の少年の監視兼首輪としての特殊任務を言い渡され、晶の監視役を解かれる。
そうして星城凛は、元の桜音次歌音として、裏側の世界へ引き戻されてる事となった。
武藤零二は、また風変わりな少年であった。
詳しい経歴にはアクセス出来ないし、知るつもりもなかった。
彼は、あまりに無防備であった。
彼とて、自分の置かれた境遇位は理解しているはず。
自分が命を狙われる賞金首にも近しい存在であるのは把握しているはず。
だと言うのに。
何であんなに開けっぴろげに居られるのだろう?
何であんなにも、日々を楽しそうに謳歌出来るのだろう?
理解出来ない、理解出来ない、到底理解出来ない。
やる事成す事がいちいち本当に腹立たしい、でも何故か放って置けない。そんな男だった。
一年間があっという間に過ぎ去っていく。怒濤の様な毎日が経過していく。
そして、あの日が訪れた。
それは四月。今から三ヶ月前の事。
その日、バスの事故が起こった。
それは何て事のないバスの事故に思えた。少なくとも世間一般では。乗客全員が死亡し、生存者ゼロだとしても、それは言い方は悪いがあくまでも表の世界での認識であった。
だが、それは違った。
そのバスには、WG支部長が乗っていた。
そして、…………彼も乗っていた。
ソシテカレハメザメタ。
それは凛としての、偽りの妹としての生活が、崩れ始めた日。
その日、新たなマイノリティが目覚めた。
◆◆◆
聖敬が裏側に入り込んだ事を知った。
その日、その時から、
いつかはこうなる様な気がしていた。
(だって、わたし達はそういう世界に生きているんだから)
本当の兄妹じゃなくても、本当の家族じゃなくても、一緒にいるだけで、それだけで良かった。
でも、それはもう叶わない願い。
「何で反撃してこないんだよ、クソ兄貴?」
だって、二人のいる足場はハッキリと分け隔てられている。
「出来る……訳ないじゃ、ないかよ」
なのに、まだ彼はそこに立っている。
もうボロボロだと言うのに。
あと、そう、あとほんの一押しで死んでしまうと言うのに。
「いつまで甘い事言ってるんだ、敵なんだよ……わた……」
「――お前は僕の妹だ」
その声に歌音は思わず身体を震わせた。
違う、そんなのは嘘。
そんな事は分かり切っている、そう分かり切って……。
「いい、か。お前は、何があって、も……僕のたった一人の妹なんだ、ぞ。WDとかそんなのは……関係無い――!!」
それは強い意志のこもった目だった。
さっきまで、今の今まで抱いていた感情が、一気に氷解するのが分かる。
ゆっくりと、本当にゆっくりとした重々しい歩みで聖敬が近付いてくる。
歌音は、いや、星城凛は動けない。ただ、肩を震わせながら音を出すのみ。
「聖敬兄ちゃん……」
それはそう、いつの頃からか使わなくなった呼び名。
一体いつからだろう? 彼に対して、本当の兄妹みたいに思えたのは。
一体いつからだろう? その思いを塞いだのは。
「ごめん、なざい……わだじ……」
もう抑え切れなかった。押さえ付けてきた感情が昂る。
涙が流れる、鼻水も出そうだ。
鏡を見たら、本当にみっともない顔をしているのだろう。
でももう、構わない。
「いいよ、お前は昔からお転婆だったもんな」
だって、今。
(わたし、やっぱり駄目だった。無理だよ)
凛の身体は聖敬に抱き締められていたのだから。
そして、「お前は無理しなくていいんだよ」と、聖敬はボロボロの顔で、優しく声をかけた。