戦い終わって
その人物の姿に晶と聖敬は驚くしかなかった。
何故なら、彼は二人にとって身近な、ごく身近な人物だったから。
「え、兄さん」「じ、迅さん?」
その二人の声が聞こえたのか、その人物は振り向く。
「やぁ、お二人さん」
と、言いながら手を軽く振った。
まるでいつも通りの挨拶かの様に、気さくに。
ついさっきまでここは戦闘が起きた場所だった。
確かにもう戦うべき相手はいない。
だが、ここには気絶したままのクラスメイトが倒れたまま。
つまりはここはまだ非日常と日常の境目なのだ。
そんな場所に何故彼がいるのだろうか?
青年はあくまでも普段通りの穏やかな表情を浮かべている。
聖敬にとっては子供の頃から面倒を見てくれた兄の様な存在。
晶にとってはもうたった一人の家族。
西島迅とはそういう人物だった。
その彼が何故かここにいる。
いつも通りの穏やかさを漂わせながらそこに。
そこにいるのが、さも当然かの様に。
迅は井藤へと近付く。ふむふむ、と周囲を見回し、状況の把握に勤めているらしい。
そして、
「随分と派手な事になってしまいましたね」
やれやれ、とばかり肩を竦めてみせる。
それに対して、
「ええ、学舎全体が範囲ですから」
井藤はそんな第三者にまるで知人と話す様に相槌を打つ。
事態が全く飲み込めない晶と聖敬に進士が声をかける。
「そうか、君達は知らなかったんだな」
「知らなかったって……何をだよ?」
「あの人はずっと前から九頭龍支部の支援者なんだよ」
「進士君、それどういう事なの?」
「それは、俺の口からは…………」
言い淀む進士。するとそこに助け舟を出したのは、
「ああ、それなら説明するよ――」
当事者たる迅だった。
迅は「これから少し仕事なんだ、だから話は後でね」と言うとクラスメイト達に歩み寄っていった。進士曰く、人助けらしい。
緊張状態から脱した、という安堵からだろうか、聖敬も晶もあれからすぐにその場で倒れた。
「う、……」
疲労困憊であった聖敬が目を覚ますとそこは、見慣れた部屋。
大好きな少女の暮らす家、晶の家の居間のソファーだった。
壁にかけてあった時計の針は午後の六時を指している。
「ああ、気が付いたみたいだね」
声をかけられたので振り向く。ズキン、とした鈍痛に吐き気に思わず口を手で覆った。
殴られた様な痛みではないが、嫌な感じだ。
吐き気もそうだ。気分が悪い、何と形容したらいいのか、まるで中身が激しくシェイクされた様な感じとでも言えばいいのだろうか。ともかくも今は無理して身体を起こすのはやめた方はいいと、そう思えた。
「相当疲弊したみたいだね。でも、話を聞いた限りでは無理もないよ」
ほら、と言いながら迅はティーカップを聖敬の前に置いた。
「ハーブティーだよ、少しは気分が落ち着く」
その言葉に素直に従い、カップを手に取ると一口。
不思議な味わいだった。疲れた身体が楽になるような感覚。鈍痛は消えなかったものの、吐き気はスーッと引いていくのがよく分かった。
「どうだい? 少しは良くなっただろ」
「はい、有難うございます迅さん」
「よせよ、そんな他人行儀な、今更だぞ」
不思議だった。彼はあくまでも普段通りだった。
朗らかで、優しくて、まるでお兄さんの様ないつものまま。
「あの、そのヒカ……いや晶は大丈夫なんですか?」
「そうだね、思った以上に消耗していたらしくて、今日明日は入院らしいよ。
ああ、そんなに心配いらないよ。検査入院だから。怪我とかそういうのじゃないからね」
「そうですか」
聖敬はその言葉にようやく安心出来た。そして実感した。自分にとって、如何にあの隣人にして幼馴染の少女が大切な人なのかを。
その様子を見て、迅は穏やかに微笑みながら「でも、少し大変かもしれないよ。これからは」と言った。
聖敬は「え、?」としか言えなかった。
目の前の迅はあくまでも普段通りに穏やかだ。
なのに、どうしてそんな不安な事を冷静に言えるのだろうか?
「さて、まずは話しておかないと。色々とね」
ギィ、とドアが開いた。
そこに姿を見せたのは、美影とそれから聖敬の妹である凛。
「皆揃ったね、さぁ……何処から話そうかな」
◆◆◆
「さてと、これで後始末も終わりだよーーー」
ああ、つかれたーーー、と伸びをしながら手足をジタバタさせるのは林田由依。
彼女にとっての戦いが今、ようやく一段落したのだ。
通信や暗号等の解析が彼女の普段の仕事なのだが、戦闘が起きた場合はその後始末も受け持つ。
具体的には対外的な機関に対する情報操作だ。
どうも特に今回の件はよそのWG支部にさえもあまり知らせたくないらしくかなりの部分を修正し、隠匿していた結果が、今までの換算するとかれこれ十時間連続ものネットダイブだった。
「はい、お疲れさま」
そう言って差し出されたのは彼女が愛飲する炭酸飲料であるインカコーラだ。
それもきんきんになるまで冷やされた状態がもっとも好み。
「流石エミエミ、あんがとねーーー」
相変わらずのその口調に差し入れを持って来た家門恵美は思わず苦笑した。
彼女もまたもう一本のインカコーラを片手にしており、その場で軽く乾杯。そのまま一気に口へと運ぶ。
初めて目にした時こそ健康志向の強い炭酸飲料に強い抵抗感を覚えていた家門ではあったが、悪友とこうして何年も仕事をしている内に最低限の嗜好品としてこの炭酸飲料だけは定期的に飲む様になった。
「それで、どう情報を纏めたの?」
しばらくして家門が切り出す。
「んんーーー、ああ、えーとね。NWEによるテロっていうのが同業者への説明だよ。
それから、表向きには」
その説明は大分はしょられた部分があると家門は思ったが、だからといって彼女をそれで咎めるつもりは毛頭ない。
結局、表向きの口実は科学実験室にあった薬品による事故という形で収まった。
幸い、一般人の犠牲者はいなかったのが唯一の救いだろう。
「でも今回は運が良かっただけだねーーー」
林田の言葉には家門も頷くしかなかった。
もしも、ベルウェザーがもっと本格的な攻撃に訴えていれば、被害はもっと拡大したのは間違いなかったのだから。
「それに、今回の件で西島晶のイレギュラーの情報が間違いなく隠しきれなくなったわね」
寧ろ、こちら用件の方が深刻かも知れない。
長年もの間監視し続けてきた彼女のイレギュラーは彼女達の予想を遥かに越えた極めて強力な能力だったのだから。
これまでは晶は自分がマイノリティである事など知る由も無かった多くの組織。
だが、これからは間違いなく彼女という存在を狙うモノが現れる様になるだろう。
その事で今頃は井藤が菅原日本支部長と話し合っている事であろう。
普段であれば育ての親とも言える菅原であったが、彼も今回ばかりは不問には出来ない事だろう。
とは言え、あの晶のイレギュラーが引き起こした事態を考えるのであれば、もう九頭龍支部だけでの対応にも限界があるかも知れない。
「何にせよこれからが大変だねーーー」
相変わらず語尾が間延びした林田の言葉。だが、彼女の言葉は正しく今後の事態がより複雑になる事に対する憂慮であった。
「ええ、気を引き締めていかないとね」
だから、家門もそう言葉を返したのだった。
◆◆◆
すっかり日も暮れた学舎の屋上。
そこに一人佇むのは田島。
「…………」
彼は無言で立ち尽くしていた。
確かに皆無事だった。
ベルウェザーによって形を失った皆ではあったが、彼らが助かったのは医師曰く、彼らは正確には”死んでいなかった”からこそサルベージ出来たのではないか? という説明であった。
WGにせよ、WDにせよそういうサルベージ自体は可能ではあるそうだ。
だが、だからといって一度に数千もの人々を同時に救えるかと問われればそれは否、であろう。
何故なら一度形を喪失し、個の概念を失くしたモノに働きかけて元の形へと誘導するというのは精神感応能力、もしくは超感覚の領分ではあるが、そういったイレギュラーを使えるマイノリティであってさえ、一度に救えるのは一人が精一杯といった所だろう。然程に困難な事態だったのだ。
だからこそ田島も理解した。あのクラスメイトの少女が如何に規格外の存在であるかを。
確かにあれだけの事が可能であるなら、存在を隠すのも無理はない。
だが、それとて万能ではない。
今日起きた戦いで、死んだ者がいた。
本当に気に食わないヤツだった。
いつもいつも何もかもを見透かした様な言動で自分をおちょくってくるのが腹立たしかった。
こっちは真面目に不真面目をしたり、意図的にチャラいキャラを演じて来たというのに、あちらは素の状態でこっちがやろうとしていた事の全てを達成していた。
何よりもムカつくのは相手がモテモテだった事だ。
いつも学園の女子が近くに引っ付いていて、正直羨まし……いや不真面目だった。
だから、いつかギャフンと言わせてやろうと思っていた。
だけど、それはもう叶わない夢になってしまった。
高等部の生徒会長で、ドイツ出身で、ギルドの一員にしてここでの顔役であった青年はもうここにはいない。この世界にいない。
彼はあろう事か自分を庇って死んだのだ。
そしてあの自分勝手なあの男はもういなくなった。
死んだ者はもう帰っては来ない。
彼が眼下に収めているのは数時間前に戦場だった場所。
玄関前。既に修繕は済んでいて、事情を知らない者はそこで何が起きたのか知る由もないだろう。
だが、田島はそこで何が起きたのかその一部始終を覚えている。
決して忘れる事は出来ないし、そのつもりもない。
「ハァ、ったく最期まで自分勝手な野郎だったよ。あんたはさ。
仕方ないからよ、ゆっくり休んでいろよ」
田島はそう言うと空を見上げた。
いつもよりも空は澄んでいて、多くの星が煌めいて見える。
何故かは分からないけど、目頭が熱くなるのが分かった。
◆◆◆
時刻は夜の一〇時を回った所。井藤は九頭龍駅前にある商業ビル、そこの屋上に備え付けられているベンチに腰掛けていた。
彼はこれからある人物に会う。
それが誰かは彼も聞かされてはいない。
ただ、情報提供者が来ると聞かされていたのだ。
「…………ふぅ、」
思わずため息を付いた。
今日の事件は一大事だった。学園もそうだったが、支部のある病院の攻撃もまた、深刻だったのだ。
ベルウェザーの”仕込み”で操られた人員は数知れず、武装集団の撃退に身内との戦い。
死傷者も多数発生で、支部の機能は半減と言って差し支えない。
これで勝ったとは、到底言えない状況だった。
カツカツ、カツカツ。
誰かの足音が聞こえてきた。
どうやら件の情報提供者だろう。
「君が井藤謙二君だね」
相手の落ち着き払った声。何処かで聞いた事があった。
照明に照らされていない所に立っている為、まだ暗くて顔はハッキリとは見えない。
ただ相手のシルエットだけがぼんやりと見える。
中肉中背、いやどちらかと言えば小柄だろう。
「はじめまして、ではないはずだよ。以前、君とは会った事があってね……」
言いながら相手がこちらへ歩を進めてくる。
そして、その顔がハッキリと見える。
その相手に井藤は驚愕した。
「あ、あなたは――」
そこには死んだはずの人物がいた。