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狂った蜘蛛――クレイジースパイダー

 

「いいか、まずは深呼吸しろ。そうそう、で次に身体をよ~~く伸ばしてまた深呼吸」

 田島の指導の元、聖敬はイレギュラーの使い方について学ぶ事にした。とにかく時間があんまり無いからっていう話を進士が言っていた。聖敬は、何故其処まで断言出来るのだろうか? と疑問を抱いたものの、田島はいいから早く、とせかしつけ、今の状況に至っている。

「いいか、まずはリラックスだ。変に力まずに自分をさらけ出すんだ!!」

 田島の指導というか言葉も正直、怪しい宗教案内の様で、疑問が浮かぶ内容だが、マイノリティについてもイレギュラーについても全然分からない現状では、この二人が唯一の頼み。やむを得ず、田島の号令に合わせて息を吐き出し、それから息を吸う。

 すると、不思議な事にさっきまでの酷い筋肉痛が和らいだ様な気がした。

「田島、何だか身体が少し楽になってきた」

「そうだろう、そうだろう。いいから呼吸だ。とりあえず、自分の体調を整えるんだ」

 嬉しそうにそう言う田島は、まるで体育指導の先生の様で少し滑稽だった。

「ま、一はアホだが、友達に嘘はつかないよ」

 進士は淡々とノートパソコンを操作している。聖敬が近付くとディスプレイを閉じた。見るな、という意思表示らしい。

「これは【仕事用】の連絡なんだ。聖敬が見ちゃいけない、すまないな」

 そう言うと進士は頭を下げた。

「何だよ改まって、いいよそんな気を使わなくても」

「いや、今の謝罪は【後】の事でだ」

「ん? 何だって」

「気にするな。ほら、一が呼んでるぞ」

 進士はそれだけ言うと、立ち上がって移動した。何でわざわざそんな事を? と聖敬が思っていると、いきなり田島が殴りかかってきた。いきなりの不意打ちを聖敬はまともに顔面に貰い、その場に倒れた。

「っつう、何すんだよいきなり」

「油断大敵ってヤツだって、訓練中は一切気を抜くんじゃないぜ。それに…………そんなに痛かったか?」

 そう言われて聖敬は自覚した。確かにゴツンとした衝撃が走ったのは事実だ。だけど、それだけだった。そもそも顔面にまともにパンチをもらったと云うのに、鼻血も何も出ていない。

 何が起きたのか分からずに困惑する聖敬に田島が説明する。


「いいかキヨちゃん。イレギュラーってのは人それぞれに違うんだ。でも、最近じゃ大まかには判別するようになった。

 キヨちゃんの場合は、肉体が変質していたから、【肉体変異能力ボディ】って系統だろうな」

「ボディ?」

「ま、簡単にいや、自分の肉体を強化するイレギュラーだな。

 人によりけりだけど、基本的にはタイマン向きの能力かな」

 聖敬が田島の説明をへぇー、と聞いていると今度は背後から進士が飛び蹴りをお見舞いした。

「どわっ」

 不意打ちに為す術もなく、そのまま顔面から派手に地面にキスをするか否かのタイミングで、咄嗟に両手を前に突き出す。バン。と地面を叩く。その反動でまるでバネでも付けているかの様に元の姿勢に戻る。そのまま進士の顔面に裏拳を喰らわせ、逆に地面に叩きつけた。

「ぐあっっ」

 進士の呻き声に聖敬はハッと我に帰る。気が付くと更に追い撃ちとして、進士の目の前に拳を突き出していた。

「ご、ごめん」

「何がだ?」

 進士は何事も無かったかの様に起き上がった。コンクリートの地面にヒビが入っていて、とても普通の人間の出来る事では無いと思えた。

「何だよ? 怖くなったのか?」

 田島の言葉が突き刺さる様だった。進士は平然としていたが無傷では無い。背中には血が滲んでいた。自分の力が怖い、少しでも我を忘れたら簡単に人を殺しかねない。

「怖いかだって? 当たり前じゃないか!! こんな力が何で僕にあるんだよ…………」

 思わず叫ぶと、下を向く。自分を抑えきれる自信が無かった。もしも、進士が自分と同じ”マイノリティ”じゃなかったら今頃殺していたに違いない。そう考えると、自分の事が怖くて仕方が無かった。

「何でこんな力があるのか、か。俺はそんな事考える間も無かったな」

 田島がボヤく。

「俺の場合は物心ついたらもうマイノリティだった。進士はどうだった?」

 田島の質問に、進士は少し間を置いた。嫌なことでも思い浮かんだのか表情には影があった。

「こっちの場合は、十年前の事だ。当時、住んでいた町で事故が起きてね。皆死んだよ、僕以外は」

 その言葉に田島はあっ、と言った。どうやら彼も初めて聞いた話だったらしい。気まずい空気が辺りを包んだ。

「ごめん、僕ばかり被害者ぶって」

「バカ、お前が謝んな。そりゃ俺の役目だっつうの」

「いや、気にするな。マイノリティになった人間には付き物だからな、こういうことは」

 進士はそれだけ言うと、またノートパソコンを開いて、操作を始めた。

「ま、仕切り直しだな。とにかく、キヨちゃんのイレギュラーを少しでもコントロール出来る様にしないとな、さ――かかってこいやぁ」

 田島は軽口を叩くと構えた。

(僕は僕が今出来ることをやるだけだ)

 聖敬は頷くと、田島へと向かっていった。




 ◆◆◆



 ――もしもし、一体何事なんだい? こんな夜に。

 いかにも眠そうな声を返すのはパペット。

「何事だと? ふざけるな! お前のせいで俺が今どういう状況だと思ってやがる」

 木島は声を荒げ、怒りのままに怒鳴り散らす。

 WDによる支援がない以上、あとはパペット位しか頼る相手がいなかった。


 そもそも、マイノリティになる前から暴力沙汰ばかり引き起こしていた木島には親しい友達はいなかった。一般的な不良や問題児と云われる連中も彼は打ち解ける事は無かった。

 理由は簡単で皆、木島の時折見せる暴力性に脅えたのだ。

 ある時、木島は通っていた高校の上級生達に袋叩きにされた。理由はもう忘れてしまったが、多分、目付きが悪いとかそんな感じだった。リーダー格のモヒカン頭が言った。

 ――てめぇ、舐めてんのか? 俺たちに敬意を払えや。

 そう怒鳴り散らし、木島を殴打した。相手の人数は六人。全員金属バット等を手にしていて、勝ち目は無さそうだ。そう判断した木島は特に抵抗もせず、殴られ続けた。

 やがて、木島は頭から血を流し、その場に倒れた。モヒカン頭が金属バットを振り下ろしたのだ。

 ――これからは、俺たちに従え。

 そう言うと満足そうにモヒカン頭はにやけた。クソ生意気な下級生もこれで二度と生意気な態度を取れないに違いない、そう思いその場を後にしようとした。

「待てよ」

 そう言ったのは木島だった。あれだけ痛めつけたはずなのに。それなのに、木島はまだ抵抗する気なのか? モヒカン頭は金属バットで木島の後頭部を叩き割ろうと上段に構えた。周囲の仲間が止めに入ったが彼は無視して振り下ろそうとした。

 ――死んじまえこのガキ!!

 だが、そのバットが振り下ろされる事は無かった。

 モヒカン頭は自分の腹部に熱いものを感じ、そこを見るとナイフが刺さっていた。ぐぎゃあ、と悲鳴をあげたモヒカン頭から金属バットを奪った木島は容赦なく殴打した。背中を、肩を、肋骨に足に顔面にもそれを見舞った。

 ――勘弁してくれ…………。

 身体中から血を流し、完全に戦意を失ったモヒカン頭の懇願にも耳を貸さず、木島は殴打を続けた。周囲にいた連中は止めに入らない、いや、止めに入れない。返り血を浴び、木島は笑顔すら浮かべていた。

 恐怖に駆られた一人が警察に電話し、木島が逮捕されたのはおよそ十分後の事。その時、モヒカン頭は瀕死の状態だった。

 少年院から木島が戻ってくると、事件の事を知る周囲に刃向かう人間はいなかった。モヒカン頭は未だ意識不明だそうだ。

(だから何だってんだ。殺してやればよかったかもな)

 木島はそう考えるとゾクゾクと全身が震えた。恐怖や孤独感からではない。

(殺したい、誰でもいいから殺してみたい)

 それは好奇心からだった。

 いつの間にかその衝動に駆られた木島は、気が付くと一人の女性を襲っていた。彼は思う存分にその女性を蹂躙し、それから殺してやると決めていたのだが…………。

 いつの間にか、木島は一人でそこにいた。殺すはずだった女性の姿もない。木島は慌てた。あの女が警察に駆け込んだらヤバイ、そう思いその場を離れた。

 だが、結果的に警察は来なかった。まるで夢でも見ていたかの様に。

 それから、木島には不思議な力が身に付いている事に気が付いた。自分の手足がまるで槍のように変化できる事に気が付いた。

 それから、木島の関心は自分の身体が何処まで変われるのかにベクトルが向いた。人気の無い山奥で、自分の限界を知ろうと思い 、色々と試した。やがて、木島は考えた。

 自分が昔から、周囲から浮いていたのは、妙な力のせいだったとかも知れない、と。

 例えば、小学生の時に、彼は友達数人とその親の運転する車で家に帰る途中――事故にあった。

 何があったのかは覚えてはいないが、結果的に木島一人を残して全員死に、彼がどうやって助かったのかは不明だそうだ。

 だが、木島はその時の事を少し思い出した。

 その時、木島は友達とケンカをしていた。どういう経緯かは思い出せなかったが、キッカケになった言葉があったのは確かだ。

「お前なんて死んじゃえ――」

 木島がそう叫ぶと手が槍の様になり、車内がパニックに陥った。ハンドル操作を誤り、信号無視をしてきたワゴン車と衝突した。

 グシャグシャに変わり果てた車内から引きずり出された時、木島は奇跡的に無傷で、当時新聞等ではこう書かれた――”奇跡の子”と。助かったはずの木島だったが、周囲からはバケモノ扱いされた。

 ――何で一人だけ助かったの?

 ――何だか気味が悪いな。

 そう囁かれ、次第に孤立していった。

 彼は徐々に荒れた。時折、怒りで我を忘れた後、自分の周囲がどうやってそうなるのか分からない位に破壊されていた事も幾度もあった。そしてその度に、木島から人が離れていく。


 そうしていつしか木島は家族からも見放された。一人で九頭龍に残され、音信不通となる。それでも生活費だけは残したので、金には困らなかった。もう、家族もどうでも良かった。色々と干渉してくる両親をその内に殺してやりたいとまで思ったのだから、寧ろ気が楽になったと思った位だ。


 世の中に必要ない人間。それが木島秀助という存在だった。

 だからこそ、その抱えた鬱憤を吐き出す為に時折、暴力に走った。相手は不良や、チンピラなど。死んでも誰も困らない連中なら問題ないだろうと思ってからだ。

 だが、結果は警察に捕まるっていうだけ。くだらねぇ、ゴミを片付けてやったってのに――!!


 気がつけば、木島の身体は人では無くなっていた。まるで巨大な蜘蛛の怪物の様な姿。足は八本で、口からは糸を吐き出せる。

 普通の神経なら気が触れてしまうだろう。だが、木島は違った。

 感じるのはこれ迄にない”開放感”。この姿こそが本来の自分では無いのかと思える程に気分が良かった。


 それからは、木島は予め目星を付けた人間を拐っては殺した。自分の力を試す為と、抑えきれない”本能”を紛らわす為に。

 いつしか連続猟奇殺人犯として、世の中から追われた彼にとってWDはなかなかに居心地が良かった。

 彼らは、自分達の様なバケモノを否定しない。その力を自由に行使していいと認めた。だが、それでも、木島は我慢出来なかった。

 支部長である九条羽鳥は、時に規律を求めたからだ。

 それは、人間を超越した自分には必要の無い枷でしかない。

 だからこそ、パペットというコーディネーターの存在は有り難かった。パペットは殺しを九条以上に肯定した。

 ――キミには力がある。それを行使して何が悪いんだい?

 そう、言ったのを今でもよく覚えている。


 だが、事情は変わった。今や、WDを放逐された彼に残されたのは、あの少年だけだ。星城聖敬というあの少年がすべての元凶であるかの様にすら思えてきた。

(憎い、あの小僧が憎くて憎くて仕方が無い。あのガキをバラバラにしてやる! そして、その肉を喰い千切ってやる)

 その一方的な考えは彼がもはや、欠片ほどの”人間性”おも失くした事を意味していた。


 ――で、キミはどうしたいんだ?

 パペットが聞いてきた。木島に残されたのはあの少年を殺す事だけ。そしてその前に苦しめてやりたいという事だけ。

「お前に頼みがある」

 そう言うと、木島は口元を歪め、クククと笑った。



 ◆◆◆



 ピピピ!!

 アラーム音が時間を告げる。

「さて、そろそろだな」

 進士はそう言うと、ノートパソコンを閉じて片付けた。すると、田島も今までの軽い雰囲気から一変した。今までに見たことがないその真剣な表情は、彼もまた普通の人間では無いのだと聖敬に感じさせるには充分だった。

「いいか、キヨちゃん。自分が何の為にイレギュラーを使うのかをよく考えろ、そして、自分を信じろ」

 頷く聖敬に進士は肩に手を置くと、言葉をかけた。

「いいか、これから戦う相手は木島秀助。WDというテロ組織に入る前は世間を騒がせた連続猟奇殺人犯だった男だ。

 奴に同情の余地は無い、だから変な期待はするな」

 殺人犯という言葉に聖敬は息を呑む。田島が続ける。

「そうだぜ、野郎は心のどっかぶっ壊れた奴なんだ。だからこそコードネームは【クレイジースパイダー】なんだぜ」

「ぶっ壊れてるとは随分な言い草じゃないか」

 声が聞こえ、いつの間にか、そこには一人の男が立っていた。

 その男――木島秀助は、何か鍛えているのか筋肉質な体つきをしている。

 月明かりに照らされたその肌の色は浅黒く、日焼けしている。

 だが、健康的な身体とは対照的に、その目にはおよそ生気が無かった。陳腐な言い方だが、腐った魚の様な、濁った――危険な光を放っていた。

「しかし、この病院は何なんだ? ここまで来るついでに何人か殺すのもいいかも知れないとか考えていたんだが、誰の姿もありやしねぇ。噂じゃ、この病院自体がWGの関連施設だって聞いていたが、ありゃマジだったって事か?」

 木島はゆっくりと三人を見回しながら問いかけ――それに田島が答える。

「あんたにゃ関係無いね、今から倒されるんだから」

 田島が姿勢を低く、いつでも動ける様に身構えた。

「ははボウズどもが、よく逃げなかったなぁ。今からお前らをぶっ殺してやるよぉ」

 木島は馬鹿にする様に言うと、ジャリ。と音を立てて一歩を踏み出す。そこに足元を弾丸が掠めた。

「動くな!」

 そう言いながら進士はグロックを構え「次は外さない」と言う。

「は? こんな豆鉄砲で俺が止まるとでも思ってんのか?」

 木島は無視して前に進む。進士がグロックから弾丸を放つ。狙いは眉間。命中すればそれなりにダメージを与えられる。

「なめんなっ」

 木島は歯を剥いて叫ぶと右手を振るう。まるで玩具の様に右手がみるみる変異し、槍状に。

 ガキン。

 弾丸は槍に弾かれ、木島はそのまま突進する。

 進士の身体は貫かれ――まるで人形の様に力無くぶら下がった。聖敬が「進士ッッッッ」と叫ぶ。

「バカがっ、次はテメェだよ、チャラ男」

 木島はそう吠えると左手で突き刺そうと突き出す。田島はその攻撃を横っ飛びして躱そうとした。だが、木島の左手が二つに分かれ、それぞれが相手の足と、肩を貫いた。

「ぬるいんだよ、んな動きで俺から逃げられるとでも?」

 はは、と笑いながら木島は悦に入ったのか口元を歪め、聖敬へと顔を向けた。

「お前は最後だからよ。逃げようなんて考えんな。このザコ二人をぶち殺してからゆっくり相手を……」

 そう言い終わる前だった。パパン、という音が耳元で響く。

 その音が銃声と気付いた瞬間、木島は身体がぐらつく。何が起きたのかよく分からない。だが、眉間に激痛が走った。そこに聖敬が勢いよく肩からぶつかり、姿勢を崩され後頭部からコンクリートの地面に直撃した。

「ぐががっっ」

 木島は呻きながら、何が起きたのかを確認しようとした。

 まず、眉間からは熱い物が流れていて、弾丸が貫通した事が確認できた。だが、あのグロックを構えたガキ――進士の身体は貫いた。恐らく同類マイノリティだろうから死ぬはずは無かったが、身体の自由は奪えたはずだった。だが、右手には手応えが無かった。温かい血のしたたりがない、あの肉を貫く甘美な感触も無くなっていた。

 それどころか左の二本の手にも感触が無い。確かに貫いたはずなのに。

「油断大敵、あんたにまさにピッタリだな」

 そう言ったのは田島。奴の身体には傷ひとつ無い――奴もまた確かに貫いたはずなのに、その手には相手の血の一滴も付いていない。ヨロヨロと木島は起き上がる。眉間の傷は超回復リカバーにより、塞がりつつあった。

「うわあああああ」

 そこに聖敬が再度、突っ込んできた。さっきもそうだったが、見たところその肉体はまだ獣に変異してはいないが、踏み込む速度は普通の人間のそれを越えている。基本的な筋力自体が強化されているのだろう。そのパンチは驚くほどに無駄な動きが多く、威力も大した事も無い事だろう。それはいかに彼がこれ迄の人生を平穏に暮らしてきたのかをこれ以上無く表していた。

 だが、マイノリティになった事で、そしてイレギュラーが肉体変異能力ボディである事の影響もあってか、その威力は常人のそれを大きく逸脱していた。

 何て事のないはずに見えたパンチは木島の腹部に命中、めり込んでいく。

「くぶおおっ」

 木島は後ろに大きく後退し、胃液が逆流しそうになるのを堪えた。

 聖敬がそのまま――相手の身体を押し倒すと、馬乗マウントポジションりになって「うわああっ」叫びながら殴りかかる。

 戦いの素人の攻撃には無駄が多い。だが、いくら素人とは云え、その一撃がハンマーの様な重さを持っていれば話は別だ。

 そのハンマーが一発、また一発と振り下ろされる度に木島の身体がビク、ビクッと震える。常人であれば確実に死に至るであろう凶器での殴打を喰らい続け――木島は狂気に満ちた笑顔を浮かべていた。

 聖敬はその様子に恐怖を感じ、振り下ろしに躊躇いが生じる。思わず田島が叫ぶ。

「バカッ、手を抜くんじゃない」

 木島は聖敬に生じた、その躊躇いを見逃さなかった。口を大きく開く。一気に口元を中心にその顔が変異し、蜘蛛のそれに変わる。大きく伸びた牙が聖敬を噛み砕こうと襲いかかる。

 聖敬はうわっ、と叫び、馬乗り態勢を外した。木島が逆に馬乗りとなり、槍の様に鋭く尖った四本の手で襲いかかる。

(所詮は素人だな)

 そう思いながら、四本の槍が突き刺さったはずだった。

 だが、その槍は何故か手応えが無い。相手の顔、両肩に、腹部に刺さったはずなのに。

 嫌な感じがし、木島が思わずその場から離れた。

 パパン。今度は弾丸が、肩を撃ち抜いた。離れなければまた頭部に命中していただろう。

 木島は自分の四本の手を確認した。すると、三本は血が付いていない。血が付着しているのは腹部に突き刺したものだろう。

「ケッッ、今ので俺を殺りきれなかったのはまずかったな」

 そう言いながら、三人の様子を確認した。さっきからの違和感は間違いなくイレギュラーだろう。聖敬はボディのはず。なら残りの二人のどちらかのはず――。

「クキャキャキャアアア」

 木島が突然叫び声をあげる。気が狂った様なその叫びに聖敬は怯え、田島と進士は表情を引き締め、こう考えた。

((何か仕掛けてくる))

 叫び終わった木島は再度、距離を詰めると三人へと襲いかかる。

 その突進は特におかしな事もなく、何の考えも無さそうに見える。

「クキャッッ」

 木島の四本の手が襲いかかってきた。それは寸分違わずに進士と田島へと襲いかかり、貫く――はずだった。

 ドスリ。

 気味の悪い音が聞こえた。一見するとそれは何も無いはずの場所。だが、そこには確かに肉の感触。何も無いはずの場所なのに血の滴り落ちる感触。

「もう、バレてんだよ。諦めな」

 木島は、不気味に変化させた口を不自由そうに動かしてそう言うと、手を抉るように動かす。

 すると、目の前の景色が一変していく。

 田島に進士がいたはずの場所には誰もいなく、誰もいなかったはずの、四本の手が伸びた先に腹を貫かれた二人の姿があった。

「ぐうっ」

 木島が見たところ、より深手を負ったらしく田島は気絶したように見えた。進士は、苦しげに表情を歪めながら藻掻きながら気付く。自分達の周囲を微かに光る何かが付いている事に。そして、それが木島へと繋がっている事に。そしてハッとした。

「【糸】を張り巡らしたのか?」

 進士の言葉に、木島はクキャキャと笑って肯定した。

「どうやら、その気絶した野郎のイレギュラーだったらしいな。さっきの【幻】 は」

 そう、さっきまで木島が見ていたのは田島のイレギュラーによる錯覚だった。田島のコードネームにしてイレギュラーの名称は”不可視インビジブル実体サブスタンス”。相手の視界を奪い、見えている物の位置をずらすイレギュラーで、空間操作能力エリアコントロールに該当するとされる。ごく狭い領域であれば、相手に痛覚を始めとした五感まで感じさせる事も出来る。

「で、もう一匹のイレギュラーは何なんだ? ま、何もしてこない所を見ると、戦闘向きのイレギュラーじゃねぇか。クキャキャ」

 余裕を見せる木島の背後にいた聖敬が何とかしようと一歩をふみだす。瞬時に木島は「動くな!」と叫び、牽制――動きを止める。

「やめとけよ、動けばお友達が死ぬぜ?」

 木島は追い撃ちの言葉をかけ、聖敬の動きを完全に遮断した。

「くそっ」その叫びに木島は満足そうに「そうだ」と言う。

「お前は最後なんだよ、【メインディッシュ】ってやつだ。だから……動くな。

 それにだ、お前には愉快なイベントが待ってるんだ。それをキチンと楽しんで貰わなきゃな、クキャキャ」

 木島は、異形の顔でもそうと判断出来る、歪みに満ちた笑顔を浮かべ、切り出した。

「これからお前が体験するのは【選択ゲーム】だ。簡単なルールだ、お前はこれから俺が言う選択肢の中から一つ選ぶだけ…………実に簡単だろ?」

 ピピピピ! ピピピピピッ!

 そこに携帯の着信音が鳴り響く。微妙に音が違うのは二台鳴っているかららしい。

「お、どうやら、イベントの開始の様だぜ?」

 木島は顔を元に戻すと、進士と田島からそれぞれが一本ずつ手を引き抜く。そしてポケットに入れていたプリペイド携帯を取り出し、何やら会話をしている。するとみるみる満足そうな表情に変わり、もう一台の携帯からも何かを聞くと「ちょっと待ってろ」と言い、プリペイド携帯を二台共に聖敬へと投げ渡す。

「ほら、出てみろよ。お前が出ないと始まらねぇ」

 その悪意に満ちた声に嫌な予感を感じつつ、左手の携帯に耳を当てると、もしもし、と話しかける。


 ――き、聖敬。何なのこの人達はっっ。

 声を聞いて全身が泡立つのを感じた。それは間違いなく母である政恵の声。何かに怯えているのがありありと伝わった。

 ――お兄ちゃん、何でこんな……。父さんが――!!

 妹の凛の声からは絶望を感じる。


「な、何をしたんだ?」

 聖敬の手が震える。

「ちなみに、親父さんはちょっとした手違いってやつらしいぜ、ま、諦めろ。不幸な事故みたいなもんだ。

 ほら、もう一台あんだろ? ――――早く出てやれよ」

 木島は一層愉快そうな声を出し、聖敬を促す。

 ゴクリと息を飲み、聖敬は右手の携帯を近付け、もしもしと声をかける。


 ――キヨなの?

 その声は紛れもなく幼馴染みの晶だった。いつもはつらつとしている彼女の声からは何が起きたのかを理解出来ず、ただ困惑の響きが込められている。

「晶、大丈夫なのか?」

 ――この人達は誰なの? いきなり私に……ああっ。

 突然、声が途切れて、別人の声に変わった。

 ――クレイジースパイダーにカワレ。二台トモダ。

 その声は、奇妙な響きで、恐らくは変声機ボイスチェンジャーでも使っている様だった。聖敬は為す術もなく指示に従い、携帯を木島――クレイジースパイダーに投げて寄越した。

「お疲れさん、趣旨は分かったか? これから一分間だけテメェに考える時間ってヤツをくれてやる。一分たったらテメェは選ぶんだ――【誰がいらない】かを、な。選ばれたヤツは死ぬぜ。

 さぁ、じっくりと必死に考えろよぉ、クキャキャキャキャハッ」

 悪意に満ち満ちた木島の笑い声が月夜の中で響き渡った。


















 

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