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変わった世界――The strange world  作者: 足利義光
第四話 The person whom I want to protect――守りたい人
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鮮血の虜囚

 

「くっっ」

 美影が舌打ち混じりに後ろへと飛び退く。

 そのすんでの所をぶうん、と風を切り裂き――爪が横切っていく。躱したはずにも関わらず、ブオッという風圧がまるで鈍器で殴られた様な衝撃を与えてくる。

 反撃に転じようにも敵の速度の前に圧倒されていく。

 狼はまさしく野生の獣の如き俊敏性を発揮し、美影は防戦一方になっている。

「あぐっ」

 美影の腹部に蹴りがめり込む。まるで鉄球を食らった様な重みの前に彼女の華奢な身体が抗えるはずもない。

 バシャ、バシャアッッ。

 赤い水飛沫を撒き散らしつつ、屋上のコンクリート製の地面を幾度も跳ねる。そうして手摺に強かに打ち付けてようやく止まる。

「う、ぐっっ」

 呻く美影をその狼は無表情に見下ろす。

 彼は、

 さっきまでとはまるで別人。いや別の生き物であった。

 全身から発するのはふー、ふー、という一定の呼吸音。

 息を切らしている訳ではない。あくまでも今の彼にはこれ位の呼気が一息につき必要なだけ、なのだろう。



 突然の変化であった。

 聖敬はいきなり”変異”した。

 目の前には彼が何があっても守ると誓っていた幼馴染みの隣人、想い人であるはずの西島晶の目前にて。

 変異は一瞬。

 そして不意打ちでまず星城凛――桜音次歌音が強烈な裏拳を叩き込まれた。彼女はその場で崩れ落ちた。

 同時に美影へも同様の裏拳が向かってきた。

 だが、美影はそれを回避していた。

 美影は決して接近戦を得手にしている訳ではないのだが、彼女のこれ迄の戦闘経験が告げていたのだ、危険だ、躱せ、身を翻せ、とだ。だから咄嗟に横へ飛び退いた。

 そうして戦いは始まった。


(くっ、正直言ってキッツいわ)

 至近距離での肉体操作能力、正確には肉体変異能力者の攻撃は暴虐の一言だった。

 その一撃一撃全てが致命打になり得る。

 その隆起した筋力から生じる破壊力は軽くコンクリートを粉砕。

 その四肢から伸びる爪は一つ一つがナイフの様な鋭利さを誇り、身体を掠めただけで皮肉を裂き、抉り取る。

 既に美影の全身は傷だらけだった。

 手足には無数の切り傷。致命打となるダメージは無い。

「うっ」

 思わず呻く。傷が痛む。

 特に痛むのは右肘。深々と抉られた傷を軽く左手で触れてみる。

「…………ちっ」

 思わず舌打ちする。

 動かない。腱を切られたのかも知れない。

 足の方は特に問題はないらしい。傷こそいくつも付いてはいたが、聖敬の爪で付けられた傷よりも散々っぱら地面を跳ねたり、擦った事で付いた傷の方が目立つ。


 リカバーを使えばこれらの傷は癒えるだろう。

 だが、確実に消耗してしまう。

 昨日からの傷、精神的疲労、ここに至るまでの連戦等の反動で美影の精神的な負荷はいよいよ限界に近い。

 炎を放つにしても生半可では通用しない。かといって、あの状態”スイッチ”を使うにしてもあれはまだまだ未完成。おまけにスイッチ自体がそもそも激しく消耗するのだ。

(つまりは絶対絶命ってコトかぁ、さてどうすればいい?)

 それでも逃げる、というのは選択肢に入らない。

 普段ならいざ知らず、今は晶がすぐ側にいるのだ。

(それにベルウェザーはまだ生きている、間違いなくね)

 それはもう確実だろう。

 その根拠はこの場を覆っている剣呑な雰囲気からだ。

 まるで檻の中に閉じ込められたかの様な妙な圧迫。

 そしてその圧迫感は今、自分が対峙している狼から発している物ではない。

「いつまで高みの見物と決め込むワケ? それとも怖いのかしら」

 美影は挑発的に言い放つ。

 何にせよ、今この場に於いて”彼女”は圧倒的に有利な立場だと言える。

 どういう理屈かは知らないが、彼女のイレギュラーで狼少年が襲いかかっているに違いない。


 今のままでは万が一にも勝ちの目はない。

 だからこその挑発だ。

 自分の優位を確信していれば、いや確信するがこそ、この挑発には意味があるのだ。

(他人任せってのはガラじゃないけれどね)

 だが仕方ない、今の美影はこれ以上なくボロボロだったのだ。


≪いいわよ、ウフフ。キヨ、……動かないで、ね≫


 声が聞こえた。同時に聖敬動きを止める。

 美影は賭けに勝った。

 同時にゾワリ、とした悪寒が全身を震わせる。

 鮮血がまるで生き物の様にうねり、そして形を作っていく。

 さっきまでの人形とは違い、目の前に姿を見せるのは白い肌でこそあれ、きちんと血色の通っているのが目に見える。

 ふぁさ、と豊かな金色の髪を振り乱す様はまるで今、そこで水浴びにでも興じていたかの様ですらある。

 彼女は、とても同年代の少女とは思えない妖艶さを醸している。


「ようやく出てきたわね? ……リズ」

 美影は油断なく相手の姿を観察している。

 彼女は全身を濡らしていた。滴を飛ばし、ゆらりと自分の敵を見据えている。

 鮮血に身を浸していたエリザベスの全身は赤く染まり、何処かこの世の者とは思えない雰囲気を放つ。

「…………」

 エリザベスは無言であった。

 一見すると隙だらけ、だがそれは間違いなく誘いだ。

 相手は血液操作能力ブラッドコントロール、それも自分が知る限りでもっとも強力なその使い手だ。

 血液を操る彼らの戦い方は搦め手のオンパレードと言える。

 彼女のこれ迄に見せた攻撃を思い返す。

 彼女の手の内は、まず人形を造りそれを炸裂させる。

 それから血の雨を降らせ、その酸性雨で敵を溶解させる。

 そして、恐らくは今、平静さを失った聖敬を見るに恐らくは相手の精神にも干渉出来るのかもしれない。

 とまぁ、その能力が多岐に渡る上にまだ”底”が見えない。

 それが分かっているからか、美影は自分から無理に仕掛けない。


「フフ、どうしたの? ……怒羅美影さん」

 パシャ、パシャと赤に彩られた飛沫を上げ、金色の髪を振り乱しながら彼女は美影へと歩み寄る。

 その顔には嬉々とした笑みが貼り付いている。

 だが、美影はその笑顔に違和感を覚えた。

 その笑みは一見すると本当に嬉しそうに見える、だが、……それだけだ。

 その笑みに伴うはずの様々な感情、思いや想いの色合いがそこからは一切汲み取れない。

 つまりは”空”。中身の伴わないただの表情。

 そう思ったから口をついた「アナタ…………誰よ?」……と。

 姿形は紛れもなくエリザベスその人だ。だが、目の前にいるのは全くの”別人”だ、そう感じた。

 特に親しくしていた訳ではないが、漠然としかしないイメージだが彼女は”違う”と思える。

 その問いかけに対する返答は……、


「アハハハハッッ」


 笑い声であった、それも美影を嘲笑するような声色。

 空だ、この声も空っぽだ。


「ファニーフェイス、鋭いのね――そうわた……」

 言い終わる前だった。

 キィィィン、という耳をつんざく音。

 バシャッッッ。

 エリザベスの姿をした”なにか”は瞬時に吹き散る。


「ごちゃごちゃ五月蝿いのよ、……面倒くさい」

 歌音が音を発したのだ。

「うがあああああ」

 聖敬がその場で崩れた。苦し気に悶え、頭を抱える。

 さっきまでとはまだ何かが違う、そんな感じだ。

「クソ兄貴」

 歌音が、凛に戻り、仮初めの兄に駆け寄る。


 ビュルルッッ。


 何かが伸びた。

「うぐあっっ」

 呻き声を洩らしたのは歌音。その腹部を何かが刺し貫いていた。

 それは槍の様にも見える。しかし、何かが違う。

 その何かが無数に地面から伸びてきた。

 美影がちっ、と舌打ちして後ろへと飛び退く。

 そして茫然自失とした様子の晶の前に立つ。

「…………ああ」

 晶はそう小さく呟くのみ、だ。ムリもない、と美影は思う。

 これ迄世界がどんなに残酷であったのかを知らずに今まで生きてきたのだ。

 それを一度に壊されたのだ。これ迄の人生で積み上げた常識等は木っ端微塵だろう。


 《ウフフフ、ヒドイわね。まだ話の途中だったというのに》


 エリザベスの声が聞こえる。

 どろり、という不快極まる液体が蠢く音。

 そして、

 まるで何事も無かったかの様に、……彼女はさも当然の様に立っている。

 ……貼り付けた様な空の笑顔を浮かべながら。


 激痛が走る。腹部を中心に……そう何かが蠢く様な感覚だ。

 口からは「けほっ、ごほっ」という咳と共に血も吹き出る。

 どうやら内臓も今ので負傷したらしい。

 酷い痛みに涙が浮かびそうだった。

 それも無理はない。

 星城凛、即ち桜音次歌音は決して痛みに強くないから。

 それは彼女がイレギュラーを用いる時の間合いが遠距離からの無知覚攻撃、つまりは近接戦闘を前提にしていない事に起因する。

 相棒である武藤零二の様に近接戦闘に特化していれば自然と負傷も多くなるし、結果として痛みにもそれなりの耐性も付くだろうが、彼女の場合はそういった機会など滅多にない。

 そういう意味では怒羅美影は丁度中間といった所だろうか。

 彼女の繰り出す炎はある程度の遠距離でも使う事は可能なのだが、命中精度が距離に応じて大幅に低下してしまうのだ。

 だから、美影の場合は中距離での戦闘がメインになる。

 そして中距離というのは少しの油断で近接戦闘に突入する事をも意味する。その為に美影もまた零二程ではないにせよ、痛みには多少の耐性もある。

 どう見ても限界寸前の死に体にも見えるファニーな少女が未だああして立っていられるのも、そうした耐性と無縁ではないだろう。

 あのベルウェザーもそういった歌音と美影の差異を見抜いているのか、さっきから歌音には見向きもしない。

(ば、ばかにするな……っっ)

 たった十メートルも離れていない、この距離で無防備に背中を曝け出している。

 だが、それはさっきも同じだ。

 さっきも同様の状況で”音”を叩き込んだのだ。

 狙いは寸分違わず相手に命中――その身体を吹き飛ばしたはず……だった。

 しかし、だ。

 金髪の少女は平然とした様子で、もうそこに立っていた。

 こんなのは初めての事だった。

 確かに血液操作能力者には、血液を用いて人形を作る事が可能だ。だが、それにもある程度の”限度”が存在する。

 例えばそれは数の制限、一定数以上の人形製作が出来ない。その理由は簡単で人形を作るのもイレギュラーによる効果であり、イレギュラーとはロールプレイングゲームでいう所のMP、つまりはマジックポイントの様な物だからだ。

 つまり、ヒットポイントHP同様に個人差こそ存在すれども、そこには使用限度があるのだ。

 強力な魔法が多発出来ない様に強力なイレギュラーもまた、そうそう多発出来ない。

 それを”人形”に当てはめるのならば、まずは純粋な戦闘能力。

 質の悪い人形の場合は然程の脅威ではない。

 次にその”完成度”。人形の場合はこれこそが最重要であり肝になる部分だ。

 その人形が特定の誰かや、何かに似せられて造られる際、その容姿の良し悪しは作り手の能力とほぼ同一である。

 つまり、力量の低い作り手によって造られた人形は見た目もその扱えるイレギュラーなどの能力もそのまま”粗悪品”だが、力量の高い作り手により造られた人形は、概して強力なイレギュラーをも扱える極めて危険な存在となる、という事だ。


 その観点から見て、あのベルウェザー、つまりエリザベスはどうか?


(あんなの論外よ……あんなのおかしい。嫌よ、認めたくない)

 歌音は震えた。

 あれはおかしい。

 いくら優れた人形を作れるからといっても、そうそうポンポンとあれだけの完成度の物を造り出すのはかなりの消耗を招く行為、自殺行為に他ならない。

(規格外過ぎる、あんなの面倒くさいとか、そんな次元じゃない)

 彼我の実力差を見せ付けられた様な物だった。

 だから、歌音は何も出来ない。

 心が折れつつあったから。


「ふうーーん、思ったよりも脆かったね」

 エリザベスは歌音の様子を振り向きもせずに理解していた。

 クスクス、という含み笑い。

「それであなたはどうするの……ファニーフェイスさん?」

 余裕綽々といった様子で尋ねてみせる。


「どうするのって、……アタシがハイそうですね、って降参するのを期待しちゃうワケ?」

 美影もまた笑う。バカにするな、と言わんばかりに笑う。

 だがその笑いには勿論何の根拠もない。

 美影のMPはもう限界寸前なのだから。

 手で押されるだけでも倒れてしまいそうな位の状態。それが今の彼女の容態だ。

 だが、それを悟られるワケにはいかない。

 相手が察しているならその認識を騙せ。

 無理をしてでも、少しでも時間を稼ぐ。

 イレギュラーを使える回数を、残弾を増やす為の時間を。

 そして、何かしらのチャンスを待つ為に。

「大丈夫よ、晶。アタシが守るよ」

 その言葉を自分の支えにして対峙する。



 ◆◆◆



 何だろう?

 ここは一体何だろう?

 とても暗くてジメジメした何かを感じる。

 これは……心だ。

 誰かの心が観える。

 そして声も聞こえる。

 何かを私に聴かせたいの? でも一体何を……?



 ◆◆◆



「ここは何なんだよ、リズ?」

 聖敬は尋ねる。目の前に座るエリザベスへと疑問を投げつける。周囲を見回すと、風景がまた少し変わっていた。

 ここはテラスだろうか?

 目の前のテーブルにはいつの間に用意されたのか紅茶が置いてある。まだ淹れたてらしく、仄かな香りがその鼻孔を刺激する。


「まあ、落ち着いてよ……聖敬君」

 エリザベスは苦笑しながらティーカップを手にする。

 そしてゆっくりと香りを楽しむようにカップを顔に近付けると、一口。笑顔を浮かべた、……ホッとしたような笑顔を。

 その様子に毒気を抜かれた聖敬も椅子に座ると、同様に紅茶を口にする。

「どうかしら?」

「――美味いよ、こんなの初めてだ」

 思わず聖敬も笑顔を浮かべた。

 だが、

「そう、……良かった」

 そう口にした目の前の金髪の少女は遠くを見るような視線をし、何処か物憂げな笑みを浮かべる。

「ワタシの【記憶】は大丈夫なのね……」

「記憶? 何の事だ」

 聖敬はじっ、とエリザベスを見た。

 彼女が何かを隠している、そう思えた。

 その何かを知ればここから出られる、何故かそう思えた。

「…………」「………………」

 沈黙が二人の間に流れていく。

 エリザベスが目の前に座る同級生に視線を向ける。

 聖敬はただ真っ直ぐに彼女を見据えていた。

 話してくれるまで待つ、という相手からの気持ちが伝わる、そんな静かながらも強い意思を感じさせる目だった。


 やがて沈黙は破られた。

「いいわ、ワタシの全部を話す。でも酷い話よ、……覚悟して聞いてね」

 ゆっくりと、エリザベスは口を開いた。



 その話は彼女の子供の頃から始まった。

 イギリスでの生活の日々。

 生まれたのが、古来から”魔女”の末裔として生きてきた一族だった事。

 能力に、魔女の力を持った事で人生が半ば定まった事。

 それから周囲からは隔絶されながらも穏やかに過ごした日々を。

 彼女はゆっくりとした、それでいて何処か覚めたように語った。


「何だよ、それ……」

 聖敬は絶句した。あまりにも酷い生い立ちだと思えた。

 マイノリティになった事が彼女の人生を日常から遠く離れた物へと変えた事がかほどに重い事だとは思ってもみなかった。

 そして自分が如何にこれ迄恵まれてきたのかを痛感した。

 WGの皆に会えたのが、自分を仲間だと思ってくれる人々がいた事の有り難みを知った。

「そんなの酷すぎる……」

 どんな顔をしていればいいのかが分からない。だから、目の前を見るのが憚れる。


 なのに「大丈夫だよ」と言った。

 金色の髪の少女はあっけらかんとした声をあげる。

 彼女は言う。

「確かに少し寂しかったけど、孤独じゃなかったよ。

 パパにはなかなか会えなかったけど、ママは側にいてくれたし、家政婦の皆は優しくしてくれた。

 それに、ね。ワタシにはいつも側にいてくれる【大事なお友だち】がいたから。……寂しくはあったかも知れないけれど、【孤独】じゃなかったよ」

 と。そしてエリザベスの傍らに立つ少女を聖敬は目にした。

 その少女は、エリザベスと酷似していた。いや、姿形はエリザベスそのものだと言えた。

 同じような金色の髪をなびかせ、同じように白い肌をしている。

 唯一差異があったのは瞳の色だろうか。

 本物の彼女の瞳が緑であるのに対して、傍らに立つ少女のそれは鮮やかな青だった。

 それ以外は服も同じ。何も知らない者であれば簡単に騙されるのは疑い無いだろう。


「彼女は子供の頃からずっと一緒だった。泣きたい時も、怒りたい時も、笑いたい時もずっと一緒。……ね?」

 エリザベスがそう声をかけると、人形たる少女は少しぎこちなくはあったが笑った。

「彼女がいたからワタシは心が壊れなかったの……でも」


 エリザベスに笑顔が曇った。そう、今、彼女は”思い出した”のだから。これ迄忘れていた”全て”の出来事を思い出していた。

 話す事が躊躇われる。

 話せば、もう目の間にいる同級生の少年はどういう顔をするだろうか?

 惨劇を引き起こした怪物フリークだと思うだろうか。

 でも、でも……話さなくてはいけない。

 何故ならそれが聖敬をこの場に”沈めさせた”自分の”罪科”なのだから。


 エリザベスは話を続けた。

 それは徐々に暗く、沈んでいく。

 寂しくとも、孤独とは無縁であったこれ迄の人生から、罪に塗れてしまったあの日を、話さなければいけない。


 あの誕生日、パーティが行われた邸宅で引き起こされた悲劇。

 あの鮮血に彩られた惨劇。

 多くの人が死んだ。殺したのはエリザベス自身。

 数百もの人の命を無意識にこの世界から断ち切った事を話した。


「…………」

 聖敬は黙ってその話を聞いていた。そうしながらも、目の前にいるエリザベスを見る。

 彼女は一見すると動揺した様を見せはしない。

 だが、その手は震えていた。

 テーブルの下でぎゅ、と握られた両の手は強く強く握られている。その爪が自分の手の平に食い込み、血が滲む程に。

 彼女は耐えていたのだ、と思った。

 その様子を見て聖敬は確信した。

 彼女は、色々な物に耐えていたのだ、と。

 だからこそ、彼女は傍らに立つ自分と瓜二つの人形に、自分の現し身たる少女にだけは心の中の様々な事を吐露したのだろう。

 その相手が例え、さしたる感情を持たないと言われる人形であっても。その人形にしか自分の本音を語れなかったのだろう。


 でも、違った。それは違ったのだ。


 その人形には感情が宿っていた。

 勿論、普通の人間に比すれば微々たる物だろう。

 だが、彼女は確かにエリザベスの話を聞いている時に、喜怒哀楽を見せた。

 ささやかな感情の波。でも確かに彼女にも感情はあった。

 だからこそ、聖敬は聞かなければいけない、と思えた。

 今、ここは一体何処なのかを。

 そうして、今、本当は何が起きているのか、と。

 その問いかけに対するエリザベスの答えは、


「ここはワタシの心の中の世界かな、ワタシの【血】を媒介にした心象世界。ワタシが昔暮らしていたあの家の風景」

「心の世界」

「そう、多分聖敬君はワタシかあの子の【血】を浴びた。だからこそこうしてワタシの心の中にまで潜ってこれたの」

「じゃあ、外にいるのは誰なんだ? 外にいるエリザベスは誰なんだ? ベルウェザーは一体……?」

 聖敬の頭はパンクしそうだった。

 あまりにも多くの事を聞き過ぎた、と思った。


「あの子は今、【外】にいるわ。ワタシの代わりに……」

「待ってくれ、じゃあ……皆は」

 聖敬の言葉にエリザベスは顔を背ける。

 それが意味する事は一つ。聖敬の顔が蒼白になった。


 ・・・


「ごめんなさい」

 ワタシはそれしか言えなかった。

 そう、今のワタシはあの子に身体を”奪われた”状態だった。

 今、表に出ているのは……あの子だ。

 三年前を境に分け隔てられた、ワタシの半身。

 今のあの子は、かつてのあの子ではない。

 祈るしかない。

 誰かがあの子を止めてくれる事を。


「冗談じゃない、早くここから出なきゃ!!」

 聖敬君が切羽詰まった様子で叫ぶ。

 気持ちは分かるわ、ワタシだって出来る事ならとっくにここから抜け出していた事だろうから。

 でもそれは無理なの。

 今、ワタシ達の精神はここに囚われてしまったのだから。

 今のワタシ達に出来るのは祈る事だ。

 皆が無事でいられますようにと。


 ・・・


「くうっっ、っっっ」

 美影が膝を付いた。

 全身に返り血を浴びていた。

 これで何体目だろうか? 途中からは数えるのも億劫になっていた。

 エリザベスの姿をした人形が続々と美影の目の前へと現れた。

 彼女達は無防備に大股に近付いた。

 隙だらけだった、勿論、”わざと”だ。

 彼女達はいずれもがわざと美影に倒された。

 彼女達は美影には一切手を出そうとはしなかった。

 その代わりに彼女の向こうにいる人物、つまり呆然としている晶へとその狙いを絞っていた。

 美影には選択肢が他に無かった。

 ”味方”がこうも来ないのは間違いなく”足止め”を喰らっている、そう考えるべきだろう。

 今、まともに動けるのは自分一人だけ。

 だから選択肢は無かった。

「はあああああ」

 美影が掌底を人形の顔面に叩き込む。そして瞬時に炎でその身体を燃やす。

 これが美影の最後の抵抗手段だった。

 接近状態からの相手の身体を燃料にしての”発火”。武藤零二の熱操作の応用に近い攻撃だ。違いといえば、零二のが自分自身の内部に宿った熱を相手に叩き込み沸騰させるか、美影が今行った様に直に相手に手を触れてからその内部に炎をつけて燃やしている、といった所だ。

 自分自身の消耗は最低限で、相手を燃やす事が可能。

 対集団戦、もしくは連戦を想定して身に付けた攻撃手段だ。

 しかし、それでもいずれは限度が来る。

 相手はあくまで晶を狙ってくるのは美影の消耗を誘う為だ。

(にしたって……何なのよコレは?)

 人形を作れるからってあまりにも制限がない。

 そんな事は有り得ない。


 人形が今度は二体、浮かび上がる。

 左右からピチャピチャと飛沫をあげながら挟み込む様に晶へと向かってくる。

 美影がくそっ、と悪態をつきながら飛び出す。

 その両の手に炎を纏わせ、徒手空拳を喰らわせる。

 人形はあっという間に燃えていく。だが、

「しまった――」

 人形二体は囮だった、美影の背後からもう一体の人形が浮かび上がり晶へと迫る。

 美影が反転しようにも左右の人形が燃えながらも相手のの手首を掴んで離さない。


 キィィィン。

 耳をつんざく音と共に三人目が吹き飛ばされた。


「……ったく、一人だけカッコつけるなよな」

 歌音が音を放っていた。

 その腹部には相も変わらず鮮血で出来た槍、いや蔦が突き通っていた。だが、四の五の言っていられない。

 正直、勝てる気がしないのは相変わらずだった。

 しかし、それでも晶にだけは触れさせない。

 これだけは譲れなかった。

(だから足掻いてやる、最後まで)

 それが歌音に残った最後の意地だ。


≪フフフ、頑張るのね二人とも≫


 ベルウェザーの嘲笑に満ちた声。

 完全に弄ばれていた。

「臆病者、出てこい」と叫ぶのは歌音。口から血が滲む。

「怖いの? やられるのが?」と挑発するのは美影。膝がもう笑っているらしく、震える。

 二人の声に相手は答えた。


 それはさっき迄とは明らかに存在感が違った。

 同じ容姿であるにも関わらず、彼女から漂うのは圧倒的な圧迫感。明白だった、彼女が”ベルウェザー”であると。

 そしてこの場にエリザベス本人、或いは聖敬がいれば気付いた事だろう、その瞳の色が青い事に。間違いなく彼女である、という事に。


「いいわ、もう遊びは終わりにしてあげる……」

 にかっ、とした笑みを浮かべると彼女は両手で円を描く。

 するとそれに応じて、血が湧き上がった。まるで、生き物の様に。うねうねと蠢く。

 その血は屋上だけではない。あちこちから、学舎中から屋上へと伸びていた。

「何よ、コレは?」

 歌音は殆ど絶望的な気分だった。

 美影も同様の思いだった。

 二人が顔を真っ青にしたのを見て、ベルウェザーは満足そうに頷く。

「ウフフフ、わかったかな? この学舎自体がワタシの庭であり、体内なのよ? だからワタシに燃料切れはない。だから……」

 諦めなさいな、と彼女は囁いた。


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