鮮血の深層
声が聞こえる。
ワタシを呼ぶ声……誰? 誰なの? 何故ワタシを呼ぶの?
≪だいじょうぶだよ、リズ。わたしはここにいるかラ≫
周りを見回す……でも見当たらない。
誰もいない。そう、ここにはワタシ一人だけなんだ。
何故って――皆死んだから。死んじゃったんだ。
理由は分からない。
いつもだったら平気だったのに。そう、……これまでは何ともなかったのに。
ただ、
嫌な気分に耐えきれなくて思っただけなの。
――ミンナイナクナレ。
ただそれだけだったのに。皆、死んじゃったの。
何でこんな簡単に死んじゃうの?
何でこんなに簡単に独りになっちゃうの?
ワタシは頭を抱えて嗚咽する。
どうにかなっちゃいそうだった。
「……………!!」
声が聞こえる。誰の声だろう?
真っ赤な池、湖をワタシは歩いた。
チャポ、チャプ、という水の音。
歩きにくかったけど、底は浅いので助かった。
その湖の真ん中に誰かが浮かんでいた。
見覚えのあるその姿。
ワタシは叫んだ。
「ママ!!」
ママがいた。ママだけは動いている。
ワタシはママへと駆け寄る。
でも何かおかしい。
ママのワタシを見る目がおかしい。
「……ないで」
え、何?
ママの目は怯えていた。
「来ないでよ」
拒絶の言葉。誰に言ってるの?
ワタシの足が震える。あと一歩、それだけがとても遠い。
その一歩を踏み込んではいけない、とそう誰かが言ってくれている様だった。でもワタシはママを守りたい、だから踏み込む。
「来ないで――【バケモノ】ッッッッッ」
そうママは言った。ワタシを見てハッキリとそう言った。
ママの目を見てワタシは分かってしまった。もうワタシを子供だと思っていないんだって。
ママの二つの目からは、ワタシに対する恐れがありありと見える。もうママはワタシを許してはくれないんだ。
(そっか…………)
だからなのか、ワタシは言った。
「ママもいらない」
その言葉に呼応したように赤い湖がまるで一つの生き物の様に変化した。
へぇ、ワタシこんな事も出来るんだぁ。知らなかった。
赤い何かがママだった女を飲み込み、その呼吸を封じる。
まるでゼリー煮かこごりみたいな物の中央でゆっくりと酸素を吐き出していく。手足をばたつかせて……顔を苦悶に歪めて――動かなくなっていく。
いい気味だ、だってママが悪いんだから。
ワタシは何も悪くないのに、ワタシを拒絶したりするから。
≪いいの? ママが死んじゃうよ?≫
声がまた聴こえる。
うるさいよ。
だってママはワタシをバケモノだって言ったんだ。
ママなんてどうなったっていいんだ。
≪ホントにいいの? だってママだよ? リズのママだよ。
たった一人しかいないママなんだよ?≫
その言葉にワタシは気付いた。
とんでもない事をしているって……。
赤いゼリーからママを取り出す。ママは…………まだ生きていた。まだ死んでいない。
丁度、救急車のサイレンが聞こえてきた。
誰かが向かってくる。
これでママは大丈夫。そう思ったら何だか急に眠くなった。何だか疲れたよ、……とっても疲れたよ。
ワタシはまるで泥の様に眠った。何日も何日も。まるでおとぎ話のお姫様の様に眠った。ってメイド長が言っていた。
そう、……だ。
何で忘れてたんだろう?
ワタシは三年前の事を今の今まで何で忘れてたんだろう?
ワタシは三年前にイレギュラーを暴発させたんだ。
理由が何故かは分からない。
ワタシの家はイギリスの地方都市の郊外にあった。
ワタシのママの実家で、大きな屋敷。
ちょっとした町なら入っちゃう位の広大な敷地で、ワタシは生まれてからずっと外に出た事が無かった。
同年代の友達はいなかった。
家の外に大勢いるのは知っていたけど、ワタシは外に出る事体を禁じられていた。
理由は母の実家だ。
ワタシは子供の頃からイレギュラーを使えた。
よくよく思い返せばマイノリティであったワタシが、イレギュラーを異常な物だと認識したのは十歳位の頃だ。
それよりも小さな頃はこの異能はごく普通の皆が保持する物だとすら思っていた。
理由はお屋敷の中にはワタシ以外にもイレギュラーを使う人が何人もいたから。
母の家系はいつの頃からか不思議な力を持った女の子が生まれる様になったそう。
どうもその昔、遠い祖先の中に”魔女”と呼ばれた女性と結婚した人がいたらしくて、それが原因だと御先祖様は考えた。
だから女の子が生まれた時、その子がイレギュラーを持っているかをまず確認、もしもマイノリティだったならそれを世間に知られない様に、ゆっくりとイレギュラーの制御を段階を経て教えていくのが決まりだった。
ワタシの誕生日にパーティーをするのも、イレギュラーの制御訓練の一環でもあり、パーティー程度で暴発するようでは将来、外に出る事等無理だという事でずっと昔の、遠いお祖母ちゃんの頃から行っていたそうだ。
ワタシも、あと一回。それだけキチンとこなせば外に出れるって聞いていた。だからその事に期待して我慢したのだ。
なのに…………
ワタシは失敗したんだ。暴発どころか大勢の人が死んだのだから……ママがバケモノと言ったのも当然だよ。
パパは急いで帰ってきた。
ママは意識が混濁しているから、面会謝絶だって言われた。
パパは何も知らない。ワタシがやったって。何も知らない。
パパはただ、顔を真っ青にして立ち尽くしていた。
ワタシは何も言えなかった。
ママは幸いにして順調に回復していたそうだ。
ワタシは初日に行ったきり病院には一度も行っていない。
恐いからだ。
ママがワタシを見てまたあの時の様にバケモノ、と言ったら……そう思うと恐くて病院になんか行けなかった。
≪大丈夫よ≫
不安に苛まれるワタシを慰めてくれるのは、あの子だけ。
その子は昔からずっと側にいてくれた。
ワタシは血を使って、色々な物を作れる。
イメージはそう、……粘土みたいな感じだといえば通じるかも知れない。ワタシは血を一滴垂らし、そこから色々と作ってみた。
そうこうしている内にあの子がいた。
ワタシは色んな動物を作ったりした。でも、どうしても作れない物があった。人の形だけはどうしても上手くいかなかった。
何度も何度も失敗した。
その日はワタシは鏡をみながら作っていた。いつもは写真とか絵とかを見ながら失敗していた。
自分の姿を見ながら作ろうと思ったのはただの思い付き。
いつもは写真とか、絵本とかを見ながら作っていた。
でもその時、初めて自分の姿を見た。自分という入れ物に向き合ったのだと思う。
だからだろうか、ワタシはワタシを造る事が出来たのだ。
それは本当にワタシと瓜二つ。
鏡で見た自分そのもの。
もう一人のワタシは話しかけてきた。
≪ねぇ、何して遊ぶの?≫
そう、それがワタシに初めて【友達】が出来た瞬間だった。
◆◆◆
声が晴天の中で響き渡る。
「ははは……アハハはははハハハ」
金色の髪を振り乱しつつ、……少女は高らかに哄笑する。
何もかもを飲み込む様なその双眸には深紅の光が煌めく。
その深紅はまるでルビーの様に美しく、そして何処か不安を撒き散らす。
「くっ」
歌音は一歩前に進み出た。まるで自分を晶を隠す盾の様に扱う。
嫌な予感がしたのだ。
目の前にいる相手を今すぐに倒さなければいけない、さもなくばより”危険”な事態を招く、とそう確信した。
だから――口から音を発しようとしたその時。
パタ、パタタタ。
肌が濡れる感覚。ツツツ、と何かが肌を伝っていく。
雨が降ってきた。
だがおかしい、空には雲一つ無いのに何故雨が降るのか?
そして何故、その雨粒は鮮やかな赤色であるのか。
「……うっっ」
歌音が思わず呻く。皮膚が”焼かれる”様な感覚。
それが強酸性の血の雨だと気付いた時には雨足は強まっていた。
ジュウウウウウウ、皮膚が溶かされ、強い痛みも走る。
だが、晶の身は守らなければ、そう思い、音を発す。
雨粒が歌音から発した音の前に弾かれる。
一種のドーム、傘の様に音を放つ事で赤い酸性雨から免れる。
屋上のコンクリートが徐々に溶解していき、無数の小さな穴を穿っていく。
「アハハははハハハはは」
エリザベスはその赤い雨にその身を晒しているが、何の異常もない。それも当然だろう。この雨粒自体が彼女のイレギュラーなのだから。自分のイレギュラーに対する抵抗力は備えていてもおかしくはない。
「くっそ、……ヒカリちゃん、大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ。でも……」
晶の目には不安がありありと浮かんでいる。
無理もない、結果的に今の状況だけ見れば、一方的になりつつあったから。こちらはあの雨から身を守る事で精一杯。
雨足は一向に止まらない。このままだと間違いなく先に自分が力尽きるだろう。
(でもヒカリは絶対傷つけさせない)
ベルウェザーは最早勝利を確信しているのか、余裕すら伺える。
全身を赤く染め上げ、服が肌に張り付く様は妖艶そのもの。
「もう限界よね? いいわ、終わらせてあげる」
艶のある声でそう語りかけると、彼女は手首を切る。とくとく、と血が流れ落ちる。
するとみるみる内に血液はブクブクと泡立ち、何かの形を取り始める。
「さぁ、出てきなさい。ワタシのお人形さん」
浮き出るのは人のかたちをした人形。まるでフランス人形のようですらある。その色が鮮血で染まっていなければ。
その人形には”顔”がない。生き物ではない。それは人形なのだ。顔を持たない人形はゆっくりと歩み寄ってくるのが見える。
「さぁ、……何処まで耐えきれるかしらぁ」
唇を歪ませ、彼女は笑った。
歌音へと人形の拳が迫った。
歌音は目を閉じる。歯を食い縛り、耐えるべく。
だが、
ゴオオッッッッ。
炎が突如巻き上がる。
人形は炎に包まれ、瞬時に姿を崩す。
「何か分からないけれど――思い通りにはさせないわ」
反対側の屋上から美影が右手を翳していた。
「ファニーフェイス」
歌音は彼女のコードネームを口にする。
美影にはそれで充分だった。コードネームを知っているという事は、その少女が単なる”同類”ではなく、WGないし、WDのエージェントである可能性を示す。
そして少なくともあの少女はWG九頭龍支部の関係者ではない事から彼女が、高確率でWDエージェントだと判断した。
(でも……)
美影は歌音の後ろに晶の姿を認める。
その様子から察するに、少なくとも現在の敵ではない。
敵はあくまでもベルウェザー。
「せあっっ」
かけ声を一つ。
美影はいきなり屋上から飛ぶ。
距離にして軽く数十メートル。走り幅跳びでもするかの様に躊躇いもなく。
その光景を横目で見た晶の表情が一瞬凍り付き、――すぐに驚愕へと変わる。
美影は慣性の法則には従わずに飛んで来た。
その背中から炎の様な物が見えた。
「とっっ、危ない危ない」
美影はギリギリで手摺を掴むとひょい、と軽く飛び越える。
「邪魔するつもり?」
ベルウェザーは問いかける。
「当然でしょうが、アンタには指一本触れさせはしないわ」
美影は言葉こそ返すが、相手には一切振り向く事もなく、晶の側へと向かう。
「大丈夫だった晶?」
「うん、凛ちゃんのお陰だよ」
「そう、星城凛ちゃん。キヨの妹さんなの 」
美影は、晶の紹介で恐らくは敵であろうマイノリティへと視線を向ける。相手も同様に視線を交わす。
美影が口火を切る。
「アンタ、敵なの?」
「違うわ、……少なくとも今は」
凛が返す。時間に換算して二秒程度の問答。
だが、今の二人にはそれで充分だった。とりあえずこの場だけでも敵対しない、それだけで今は充分。
まるで初対面とは思えないスムーズさだった。
美影が右手で大きく半円を描く。その手を追いかける様に炎が円を描く。雨粒が蒸発していく。
そこに歌音が音を放つ。
水飛沫が巻き上がり、迫るのが分かる。
ベルウェザーは足元の血で壁を幾重にも造り上げる。
さっきもそうだったが、無数の壁により、音を遮断出来る。
(ムダよ……さっきと同じ)
だが、さっきとは違う。
赤い壁が砕け散る。幾重にも巡らせた壁が続々と。
何が起きたのかはすぐに理解した。
音使いの少女がさっきとは違い、目の前に迫っていたからだ。
至近距離からの音の砲弾はベルウェザーの赤い壁よりも速く、そしてより強烈な破壊力を誇っている。
(まずい――)
ベルウェザーが一歩後ろに飛び退く。
それは、赤い壁を屹立させる為の距離を用意する為だった。
「遅いのよ」
だが、歌音もまた同様に飛び込んでいた。
二人の距離はほんの数十センチ。
だが二人の距離は零になる。
何故なら、ベルウェザーは後ろに飛び退いたのに対して、歌音は大きく前へと踏み出していた。
些細な差違だがそれはこの場に於ては決定的とも云える。
キィィィィィン。
耳鳴りの様な音が聞こえた瞬間。
ベルウェザーの身体を音が通り抜けた。
全身から有り得ない程の夥しい出血、吐血、流血を噴水の様に噴き出して手摺から転げ落ちる。
彼女は何も言う暇もなく、そのまま地面へと落下。
ぐしゃ、という音が少し遅れて聞こえた。
◆◆◆
終わりは常に唐突だ。
そう教えてくれたのはママだった。
ママもまた魔女の血のせいかイレギュラーを持っていた。
前に聞いた事があって、確か”予知”能力だったと聞いた。
ただ、その力は微々たる物だったらしく、精度も、頻度も高い物ではなかったそう。
一度だけ役に立ったのはパパとの出会いの時だったそうだ。
見た瞬間に光景が浮かんだらしく、三人で仲良く道を歩く様が見えたのがきっかけだと言っていた。
――いい、リズ。力は恐いものよ。だからこそ強い気持ちを持って日々を過ごせる様にならなきゃ。
ママはそう言いながらワタシの頭を優しく撫でてくれた。
なのに、
そのママは今、目の前で昏々と眠り続けている。
お医者様の話ではもうあまり長くないかも知れないのだそう。
パパはもう行ってしまった。
どうしても外せない仕事の取引の為に。もう今頃は機上だろう。
ワタシは思う。
あなたにとって家族ってなに?
ママがどうなるかも分からないっていうのに。
何でそんなにも冷静で淡々としていられるの?
「ねぇ、もう一人のワタシ。どうしたらいいのかな?」
ワタシは誰も居ないはずの部屋でそう言葉を投げかける。
≪どうかしたの? わたしはここにいるよ≫
もう一人のワタシはいつもすぐ側にいてくれる。
今もそう、……まるで最初からそこにいたかの如くにワタシに似た姿をした彼女。
不思議な事に彼女だけはその身体は赤くない。他のお人形はみんな真っ赤なのに彼女だけは、もう一人のワタシだけは肌も白くて、髪もキレイな金色。こうして並ぶとワタシそのものがもう一人いるかのようだ。
彼女はワタシの顔を覗き込んで尋ねた。
≪ねぇ、困った事があったらわたしを頼っていいんだよ?≫
何処までも優しく、穏やかにそう言ってくれたんだ。
◆◆◆
「つっ……」
歌音が膝を付き、呻いた。その肩や足からはシュウウウ、という音と煙が上がっている。
倒す事には成功したものの、流石に無傷という訳にはいかなかったらしい。
「凛ちゃん」
晶が幼馴染みの妹の少女へ駆け寄る。その声からは本当に心配しているのが伝わり、歌音は思わず震えた。
「ゴメンね、守れなくて」
弱々しくそう、言うと俯く。
「守るって何が?」
晶は自分がマイノリティである事を知らない。だから困惑する。
「ねぇ、美影も凛ちゃんも何を隠しているの?」
その疑問は当然の事だ。だが、それに答えるべきかを、歌音は迷う。知らせた方がいいのかも知れない。そう思う一方で彼女が事実を知れば決定的に日常から乖離する事になる。それを自分が決めていいのか分からない。
だから押し黙った。
(……何かおかしい)
美影は胸騒ぎを覚えた。
ベルウェザーは倒れた。少なくともそう見えた。
にも関わらず、彼女の全身はこう訴えかけてくる。
油断するな、まだ終わっていないぞ、と。
そして振り向く。
あのマイノリティの少女は、確か星城凛だと晶は言った。その名は聖敬の妹だったはず。
何の資料も無かったはずだ、ましてマイノリティだとは。
そしてつい今、起きた事を思い返す。
(あの戦いっぷりは彼女が経験を積んでいる証拠ね)
間違いなく彼女は訓練を受けている。イレギュラーを用いた戦闘訓練を。
問題はWDが晶の事を何処まで把握しているのか?
その返答次第では即座に戦闘も有り得る。
晶はどうやら彼女を心底心配しているらしい。
離れてくれれば先制攻撃も容易いのだが。
「晶、悪いけど少し二人にしてくれないかな? 凛ちゃんだっけ、いいよね」
美影はそう静かに告げた。同時に姿勢を僅かに低くする。
晶には分からないだろうが、歌音には理解出来た。
場合によっては戦いを辞さない、そういう言外のメッセージを。
「美影さんでしたっけ? 良いんですか?」
歌音は立ち上がると、晶から離れる。
万が一に備えて少しでも距離を取る。
互いに互いを真っ直ぐに見据えたまま横並びで歩く。
「…………」
互いに言葉を発しないのは、もう戦いを既に覚悟しつつあるからだ。晶がマイノリティとして覚醒しつつある現状、もう個人的な感情だけでは動けない。少なくとも美影はそうだ。
WGは彼女を保護するだろう。
だが、WDは保護するとは思えない。
実験に駆り出される、最悪解剖される可能性すらある。
大袈裟な想像だとは思っていない。
現に美影はかつてそうした光景を見てきたのだから。
二人は晶からおよそ十メートル程離れた場所で足を止めた。
ここなら注意すれば晶に害をもたらす事なく戦う事も出来る。
口火を切ったのは歌音だった。
「ヒカリは私が守る、WGは引っ込んでくれない?」
すかさず美影も言い返す。
「冗談、WDに渡せるはずがない。あんなケダモノの集まりに」
殺気だった視線を向ける。
歌音は一瞬ゾワリとするのを覚えた。
目の前の相手は強い。資料は見たがそれ以上の強さを感じる。
本来なら戦うべきではない。距離を取るべきだ。
(でも何処に? そんな場所はここには存在しない)
そう思い、歌音もまた殺気を込めた視線を返す。
「いい度胸ね。覚悟はあるみたい」
「面倒くさいわ、さっさと片付けてやる」
剣呑な雰囲気を隠す事もなく二人の少女が互いにイレギュラーを行使しようとした瞬間。
バタン。
大きな音を立てて屋上のドアが開かれた。
思わず美影と歌音が振り向く。
「キヨ……」
晶が声をあげた。
そこにいたのは聖敬だった。
「な、なんだよこれは?」
聖敬は何が起きたのか分からなかった。
彼がここに来たのは漠然と晶がここにいると分かったからだ。
身体が重い理由が自分が井藤によって仮死状態にされたからであり、その為の際に用いられた毒のせいだとは知らない。
進士を気絶させたのは虫の知らせとでも言えばいいのか、晶に良くない事が起きると、そう思ったから。
普通に考えておかしい事にも今は気付いていた。
何故、進士を気絶させる必要があるというのか?
そう、だ。
何故、仲間に不意打ちをする必要があったのだ?
(何かがおかしい、でも一体何が?)
分からない。
≪……………………!!≫
何かが聴こえた。
ゾワリ、とした震えが全身を駆け巡る。
「………」
ゆらり、と無言で歩き出す。
「ちょっと星城」
「くそ兄貴……」
美影も歌音も共に違和感を覚えた。
自分の視線の先にいる人物は誰だ、思わずそう思ってしまう。
何を思っているのか、と思わずにはいられない。
目の前にいるのは紛れもなく美影にとってはWGの仲間であって、歌音にとっては家族であって、晶にとっては…………。
なのに、
「あなた誰なの?」
晶の声は弱々しく、今にも消え入りそうだった。
だというのに、今の彼は。
まるで別人に見えてしまう。
その目に宿す光がおかしい。
まるで目の前にいる自分達が観えていないかの様ですらある。
晶はもう一度言う。恐怖に慄きながら。
「あなた誰なの……!」
と。
◆◆◆
(誰だ? 僕を呼ぶのは?)
気が付くと聖敬は見た事もない場所に立っていた。
そこは見渡す限りの緑。
とは言っても深い深い深緑の森ではなく、
平原とでも言うべき風景。
淡い緑の草木は何処か心が穏やかになる。
≪…………こ……ちに≫
声がまた聴こえる。
足が勝手に動いていく。声のする方向へと、まるで引き寄せられるかの様に。
まるで誰かに導かれているかの様な感じだった。
歩くにつれ、景色が少しずつ変わっていくのが分かる。
どこまで続くのか分からなかった平原から、庭園へと。
そこは映画とかで見る様な王族やら貴族やらがいて、舞踏会でも行う様な大邸宅の、きちんと手入れされた庭園で、何人か庭師が作業をしている。
「こんにちは」
「…………」
聖敬は挨拶をしたが、庭師からは返事は来ない。
それどころか、こちらに振り向きもしない。
耳が悪いのかとも思ったが、後ろに誰かが立っている事は分かるはずだ、そう思った。
それでも無視されている事に流石に苛立ちを覚えた聖敬が庭師の肩に手をかけようとして気付いた。
信じられない光景だった。
肩に手をかけたはずなのに、庭師に触れる事が出来ない。
目測を誤ったのだろう、そう言い聞かせてもう一度試すが、結果は同じで、何度触れようと試みたが、そこにいる庭師には触れる事は出来ない。
それどころか、庭師はこれだけ聖敬が周りで動き回っているにも関わらず全く邪魔者に気付く様子はない。
それは無関心という感じではない。
そう、まるで今ここにいる聖敬は透明人間であるかの様に。空気かの様に、気づきはしないのだ。
聖敬は他の庭師にも接触を試みた。
だが結果は同じ。
誰も聖敬には気付かない。
この場所には他にも人がいた。それも大勢の人が。
誰もが着飾っていてパーティー会場の様にも見える。
「ここは何なんだ?」
聖敬はそう言うしかない。
ここにいても何も出来ない。感じるのは自分の無力さだけ。
「よく来たね」
声がまた聴こえる。どうせ姿が見えないに決まってる。
そう思った聖敬だったが今度は違った。
ザシャ、という足音。
誰かが横にいる。
人の気配。
聖敬が振り向くと、
「待ってたよ」
そこにいたのはエリザベスだった。