音使いと血液使い
頭の中が真っ白になる。
怖い、怖い、怖い、怖い、こわい。
ガチガチガチ、ガチガチ。
歯を鳴らし、震える。
≪ねぇ、何が怖いの?≫
彼女が優しく声をかけてきた。
そう、彼女はいつも優しい。
彼女だけが少女の昔からの唯一心を許せる存在。
周囲全てが血に染まり、誰も生きている者はいない。
ここには、死と血しかない。
そんな場所にいるのは今、自分と彼女の二人きり。
彼女は少女の横に座って話しかける。
≪ねぇ、どうしたの?≫
それはとても優しい笑顔でこう尋ねた。
≪…………ワタシが変わってアゲヨウか?≫
だからワタシは…………。
◆◆◆
「…………」
エリザベスは立ち尽くす。
その目の焦点は何処に向けられているのかは分からない。
ただ、何かをブツブツと呟いている様に見える。
「凛ちゃん、あなた一体?」
晶は状況が分からない。
殺戮が起きた事、エリザベスが普通じゃない何かを持っている事。それだけで頭がパンクしそうだった。
なのに、
ここへ来て自分の昔からの……幼馴染みの妹の少女が、今、こうして自分を守る様に立っているのだ。
何か一瞬爆発した様な衝撃が走ったが、それを起こしたのが彼女だという事だろうか、と何とかそこまでは理解が追い付く。
「ヒカリちゃん、……動かないでね」
凛はエリザベスから目を離さずに言う。
次の瞬間。
凛が何かを口にした。
だがそれは聞き取れない。
瞬時にブワッッとした赤い水飛沫が巻き上がる。
少し遅れてビリビリとした振動を感じる。
晶は一瞬、呆けた様な気分だったがすぐに我に返る。
今の水飛沫の起こった場所にエリザベスはいたはずだったから。
あんな衝撃を受けたら無事である筈がない。
「凛ちゃ――」
そう言いかけて言葉が止まる。信じられない。
赤い雨が降り注ぐ中、彼女は悠然と立っていた。
金色の髪を、纏っていた服を血で赤く染めながら。
「…………」
彼女は何も言わない。ただ呆然としている。
まるで夢遊病の様にユラユラとその身体を揺らしている。
(”フィールド”は展開した。でも…………)
星城凛こと桜音次歌音は、今の彼女の置かれた状況が極めて悪い物である事を認識していた。
西島晶、彼女が自分をマイノリティである、と”認識”させない事。それが”取り決め”だったのに。
今の彼女にはフィールドが通用していない。
つまり今の晶は自覚こそ無いものの、マイノリティとして目覚めつつあるのだ。
晶の持つイレギュラーを歌音は知らない。
ただ彼女が知っているのは、それが極めて危険な物であり、もしもそのイレギュラーの事が外部に洩れる事について懸念を抱く者がいる、という事実であり、そうした人物の一人がWD九頭龍支部のトップである九条羽鳥である、という事だ。
WGも知ってはいるが、その存在を秘匿する為に常に監視しているのだとも聞く。現に、あのファニーフェイスこと怒羅美影が彼女の云わば護衛をしていたのだ。
だというのに、
今や、彼女は覚醒目前である。
このまま時間をかける事はまさに愚策。
(だから――)
歌音は一気に相手を片付けるつもりだった。
迷う事もなく口から”音”を発し倒すべき相手へと叩きつける。
(わたし……一体どうしたの?)
エリザベスは混乱していた。
さっきの寿朱音の言葉が耳から離れない。
――化け物。
そうハッキリ彼女は言った。
そんな事はない、だってわたしは……、そう彼女はすぐに言おうとした。
なのにその言葉が口から出ない。
まるでその言葉を口にする事を制限されているかの様に。
その理由は自分自身にあった。
今、彼女はその全身を血で赤く染め上げている。
普通であれば濃密な血の香りで気分を害する所だろう。
だが今、彼女は心地良かった。
こんなにも血に塗れるのが心地よくて、気分がいいのだとは思ってもみなかった。
(なんだろう…………なにかだいじなことをわすれていル)
ぼう、としている内に幾つもの、映像が脳裏を過る。
それは彼女には覚えのない光景。
だが、彼女には分かる。それは紛れもない現実の事であったと。
無数の人がその場に倒れている、そのいずれもが例外なく死んでいる。生きているのは自分だけだ。
そこに誰かが声をかけてくる。
一体、誰だろう? その姿がボヤけていて分からない。
ただ一つ言えるのは、その誰かに彼女は安心を覚えるという事。
「ボヤけてる場合? 随分と余裕ね」
声がかけられ、エリザベスはハッと我に変える。
気が付くと目の前には見知らぬ少女。
どうやら中等部の生徒らしい。
強い意思を感じさせる眼差しをしており、自分を射抜くかの様な鋭さを放っている。
思わず後退りする、完全に呑まれている。
「な、なんなんですカ?」
そう問いかけるのが精一杯だった。
身体が震えている。
「はん? 今更とぼけても無駄よ。ベルウェザーがあなただって事は知っているわ」
凛はバカにするな、とばかりに睨み付けて来る。
「な、なにをいってるノ?」
「問答無用!」
それがキッカケだった。
凛は身を低くしてエリザベスの懐へ潜り込む。素早く手を伸ばして袖と襟を掴み引き倒す。
ぐっ、と呻くエリザベスの上に馬乗りになると凛は口を開く。
キィィィィン。
至近距離での超音波。
威力こそ全力ではなかったが、この距離でマトモに受ければ体内の臓器は瞬時に破壊される。
基本的に遠距離での戦いを得手とする歌音だが、接近戦であってもその脅威は一向に変わらない。
(終わりよ)
威力を押さえた理由はすぐ側にいる晶を気遣っての事だ。
彼女の目の前であまり残酷な光景を見せたくない。
超音波が相手を直撃。屋上を赤く染めている血の池が波打つ、波紋を示す。
ビクッと大きくエリザベスの全身が脈動。
バシャリ、と手足が赤い水飛沫をあげた。
エリザベスはピクリともしない。
手応えを感じた凛はゆっくりと立ち上がると、呆然としている晶に歩み寄る。
彼女の表情が凍り付いている。
晶を怖がらせない様に慎重に話しかけなければいけない。
彼女のイレギュラーの正体を歌音は知らない。
ただ、晶を以前からずっと見守ってきたいわば歌音の恩人曰く、それは”世界を変える能力”らしい。
そして、その能力の発動はかなりの確率で晶という少女をフリークにしてしまうであろう、と。
(だからここでヒカリを守らなきゃ)
そう思い、ゆっくりと手を差し伸べた。
ドドッ、小さな音が聴こえた。
晶が怯えた表情に変わる。何かを酷く恐れてる様だ。
何故か、歌音は自分の身体が火照る様な感覚に苛まれる。
何故か、腹部が熱い。まるで火でも吹いているかの様に。
思わず歌音は自分の腹部を見て…………呟く。
「え、…………?」
白いシャツに赤い染みが広がっていた。
その染みの中心に何かが刺さっている。赤いナイフの様な何かが。それが臓腑を貫通。それが灼熱の様な熱と激痛を与えていた。
歌音は傷口に手を当て、音を患部へとぶつける。赤いナイフが砕け散って消えていく。
「なーーんだ。思ったよりもガンバるね」
楽しげな声をかけてきたのは金色の髪を振り乱した少女。
エリザベスの様子が一変していた。
さっきまでの様な混乱はそこには伺えない。
浮かんでいるのは無邪気な笑みだけ。
歌音にはそれはまるで別人の様に思えた。だから問いかける。
「だれ、あなた?」
それに対し、金色の弄りつつ少女は答える。
「ベルウェザーよ、可愛いお嬢さん」
そして、彼女はアハハ、と笑いながら一歩を踏み出す。
◆◆◆
ここは何処だろうか?
何だか身体がフワフワしている。
まるで、……そう僕の身体が風船にでもなったみたいだ。
でも何かがおかしい。
そうだ、何で僕はこんな所に一人なんだろう?
それに何だか妙だ。
何の音も聞こえない。シーーーンと静まり返っているみたいだ。
奇妙な場所だ。まるでここには何も無いみたいにすら思える。
僕は今まで何をしていたんだっけ?
思い出せない。
そもそも僕は一体だれ、なんだ?
だれ、だれ、だれ、誰?
そうしている内に声が聞こえる。
何だろう、ここには何も無いのに。
それに何故だろう?
この声はとても哀しそうだ。
それにどうしてだろうか、……僕の何かが震える。
この声の誰かの声を聞くと僕はそっちに行かなくちゃって思えるのは何故だろう?
分かったよ、今、行くよ。
だから………泣かないでよ。
そう、だから僕はあっちへ行った。声のする方へ。彼女の元へ。
◆◆◆
「はぁ、はぁ」
歌音は肩で息をしている。
さっきから攻撃が通用しない。
彼女の放つ”音”はその悉く相手には通じない。
本来であるなら、音使いである彼女の攻撃を敵が知覚するのは極めて困難だ。何故なら音には視認出来る”形”を持たず、その気になれば音も殆どたてずに攻撃出来る。
しかし今、この場に於いてそのアドバンテージは全く当てはまらない。
それはこの屋上は云わば彼女の”庭”だった。
一面に敷き詰められた赤い液体で出来たジュータンは、庭の主を守る。音の襲来を波紋を通じて、察知させる。
そして自分の周囲に真っ赤な壁を無数に隆起させ、攻撃を遮る。
その上、続々と間断なく足元から赤いナイフが飛び出して来る。
一方的だった。
息を切らす歌音に対して、ベルウェザーたる金髪の少女はその場から一歩も動いていない。
本来であれば、歌音は迷わずに撤退すべき場面だった。
今の状況はあまりにも自分に不利だったから。
「どうしたの? もう終わりなのかしラ」
エリザベスはうふふ、と笑う。自身の優位を確信している為か、先程から余所見すらしている。
そう、その余所見の原因こそが歌音がここから撤退しない理由。
晶は立ち尽くしていた。
その場から一歩も動けない。
それは怖いからではない。
脳の理解を越えてしまい、困惑した訳でもない。
何故かは分からない、分からないが、この場で起きている異常な光景に何故か見覚えがある気がする。
目の前で起きている事態はまるで悪い冗談みたいな光景だ。
昔からお隣さんだった、妹みたいにすら思っていた少女が戦っている。相手は自分のクラスメイトで友達。
凛は、よく分からないがどうも何かしらの振動を起こしている。
エリザベスはこの屋上一面に広がった赤い血のジュータンを操って身を守り、また攻撃を加えている。
まさにこれまで生きてきた人生の価値観を一変させる光景。
正直いって恐ろしかった。
ここにいるのは危険だと、確信はしている。
にも関わらず。
晶はこの場から離れる事もなければ、言葉すら発しない。
気を付けないと、息まで止めてしまいそうだ。
「あぐっっ」
凛が呻きつつ倒れそうになる。
太ももを赤い槍が抉り取っていた。
辛うじて深手は避けた、……出血はそこそこだ。
さっきの腹部の傷もリカバーで既に傷口は塞いだ。
まだ問題はない。
「あら大丈夫? ……いたそうネ」
エリザベスは大袈裟に手で顔を覆いながらかぶりを振る。
戯けたような仕草ながら、その目だけは決して逸らしはしない。
油断なく、獲物を確実に仕留める機会を伺っている。
「お気遣い有難う、でも平気よ。これくらいであんたと丁度いいハンディキャップだし」
「ふーん、……ガキのくせになまいきネ。――もうしねバ」
クスクス、と笑い、エリザベスが両手を不意に振るった。
それに呼応する様に足元に広がった血が動く。
まるで生き物かの様にうねりをあげて襲いかかる赤い無数の手。
歌音は口元を真一文字にしつつ、回避を試みる。
さっきからの攻撃で歌音には敵の攻撃を大体見切っていた。
何度も何度も足元に飛び出す鮮血のナイフ。確かに厄介な攻撃ではあったが、下から上に伸びる攻撃をすんでの所を後ろへと飛び退けばいいのだ。タイミングを外せば致命傷に至りかねない。それでも、何もせずにただ、相手の攻撃を喰らうのは桜音次歌音、という少女には選べるはずもない。
(――――今だ)
タイミングはもう身体に染み付いている。
音使いである彼女には物事のリズムを把握するのが早い。
例えば、ダンス。
ある程度複雑な物でもリズムを把握すれば踊れる。
例えば、素手での攻撃。
これは用いる人物技量次第の部分が不確定要素ではあるが、把握すれば躱しやすくはなる。
無論、把握した所で自分の反応速度を大幅に越える攻撃には対応しようも無い訳ではあるが。少なくとも、さっきからの足元からの攻撃については発動に一定のリズムがある事を理解しており、それを躱す事は充分に可能だと理解している。だからその身を翻す。
(綺麗)
その光景を目にした晶はそう思ってしまった。
それはまるで舞踏の様だった。
自分よりも背の低いはずの凛が大きく見える。
怪我をしているはずだ、太ももから血がまだ流れている。
だけど、その手足はきちんと伸びていて、一挙一投足が何かの振り付けの様に華麗かつ鮮やかだった。
対するエリザベスはというと、攻撃が躱され続けている為か、心なし表情に翳りが窺える。さっきまでの笑顔は何処へやら、……焦りが透けて見える。
「なんで? なぜ当たらないノ?」
そう叫びながら両手を上下に振るう。
その焦りからか、さっきよりも手の振りが大振りで注意が散漫になる。
「だっっっ」
歌音が大きく飛び出す。さっきから攻撃を避けつつ、彼女は相手に肉迫する機会を伺っていたのだ。
狙いは単純で、至近距離からの零距離射撃。
無論、さっきよりも威力を込めた一撃を見舞う為だ。
中距離からの”音の砲弾”は無数の血の壁で遮られた。
(今度は確実に仕留めてみせる)
意識を集中。そこに鮮血のナイフが襲いかかる。
だが、
飛び出すタイミングを見切っている歌音は構わずに突っ込む。
普通であれば躊躇する程にエグいタイミングで迎撃を、すれすれで躱していく。その光景を正面から見ているエリザベスには、まるで自分の攻撃がわざわざ相手を避けている様にも見えた。
危険を察知したエリザベスが距離を取ろうとしたが――遅い。
伸びてきた左右の手が両肩を掴む。歌音の眼差しは逃がさない、とでも告げている様だった。
「ひっっ」
「―――――――――」
声にならない、かといって音とも取れないソレが炸裂。
衝撃が走る。
そしてそれは、屋上のみならず学舎そのものを大きく揺らした。
◆◆◆
井藤が呻く。
「この揺れは?」
まるで地震でも起きた様な振動が一瞬だが駆け抜けた。
空気が揺れた様な感覚だと実感する。
彼は学舎内の様子を調べていた。
生徒達は基本的には無事だった。見た限りでは気絶しているだけ。命がすぐに無くなるという事態ではない。
ただ、井藤は見ていた。
確かに今、生徒達は無事だが、いつまで無事なのかは不明だ。
何故ならば…………。
教室を覆い尽くす奇妙な植物が無数に生い茂っていたからだ。
それは、以前植物園で見た事がある植物に。
そうそれは、吸血植物、または食虫植物に酷似している。
勿論、まともな植物ではない。どうやら血液で作られている。
つまり、血液操作能力による意図的な擬似生命。
この場で枯らす事も可能ではあったが、井藤はそれをしない。
ヘタを打てばこの植物を作った相手が察知する。
そうなれば恐らくは全教室に茂るこの植物は一斉に動き出すかもしれない。
そうなれば数百人もの命が危機に晒される。
(どうやら後手に回らざるを得ない様ですね)
軽く舌打ちしたい気分を抑え、彼は思考を今の振動へと向ける。
聖敬はまず間違いなく囮であった。
ならば、狙いはまず晶で間違いない。
彼女を守らねばならない。
教室には既に誰もいなかった。
(…………私はいざという時の為に備えます。頼みますよ……)
「ちょ、ちょっと待て」
田島が壁に寄りかかる。息が切れており、ゼーゼー、と肩で息をしている。
「ったく、……情けないなお前は」
美影はふぅ、と嘆息してみせた。
「って言うか、なんでお前はそんなに元気なんだよ? つい数十分前まで病院でお寝んねしてた怪我人だろ?」
「そんなのは簡単なコト――」
「な、何だよ?」
「――気合いだ」
「っざけんな、そんなもので全部終わらすなよ」
思わず苦笑する。
田島は分かっていた。美影はああ軽口を叩いているが、間違いなく体調が最悪なのだろう、と。
さっきのアサーミアと決着からまだ数分しか経っていない。
普通であれば撤退すべき状態なのは間違いない。
美影は何ともない様子を装っているが、まず間違いなく自分よりも疲労度は上だろう。
(やれやれ、これじゃとてもじゃないけど俺だけ休むとか無理だよな。しょうがねぇな、……ったく)
(コイツなりに気を使ってるのは分かってる……ケド)
休んでなどいられなかった。
何故なら、相手の、ベルウェザーの狙いは間違いなく晶なのだから。
美影にとって晶は同年代で初めて出来た友達だ。
そのキッカケ自体は多分に任務に起因する。
要監視人物として九頭龍支部がWGとなる前、まだ防人であったからおよそ十年もの間監視してきた少女。
彼女がどの様な異能力を持っているのかが不明だ。だが彼女は一度だけその力を使ったそうだ。
そして、その結果として彼女はその時の事を”封印”されて今に至っている。
だから晶は世界の裏側を知らない。
美影にとっては彼女は儚い幻想の様な存在だった。
本来であれば自分と同じ場所にいたかも知れない仲間。
だが同時に彼女は美影にとっては”日常”そのものだ。
彼女の日常を守る事は自分の日常をも守る事に繋がる。
放課後の、スィーツ巡りは本当に楽しかった。
考えてみればそれまで殆ど普通の同世代の少女の楽しみを自分は知らずに来た。
研究所で実験体として様々な実験を受け続けた。
色んな物を奪い、奪われた。
そんな自分が”普通”の日常を知るなんて事は決して許される事じゃない、……そう思って生きてきた。
だからひたすらに訓練を積んだ。
自分は誰にも負けない、いや、誰よりも無様でもいいからありとあらゆる事態からでも生き延びる為に。
イレギュラーの力を、その精度を高め、研鑽していった。
他人への不用意な接触は控えた。
他人との繋がりは、いざという時の足手まといになる。
自分は一種の兵器だ、とそう思い生きてきた。
だから、彼女は各地の支部に転属したが常に一人だった。
それは当然の事だ。
支部の人々がどれだけ気を遣おうが、彼女はその一切を拒んだのだから。
他者の日常を守る為に自分の日常などは不要だ。
それが生き残った自分が出来る唯一の事だ、そう思って。
(でもそれは違った)
九頭龍に来てからの日々で美影は気付いた。
WGの理念でもある、守るべき日常というのは自分自身をも含めているのだと。
何気ない毎日。
クラスメイトとの会話。
登校する時の人の賑わい。
寮での生活。
そして晶とのちょっと食べ過ぎな放課後の、スィーツ巡り。
それら全てが怒羅美影という人物を形成する要素なのだ。
そのどれが欠けてしまっても、今の自分はここにいない。全く別の美影になってしまう。
(アタシバカだったね、でも気付けた。だから)
だからこそ、今は退けない。ただ全身あるのみ。
井藤もその意思を汲み取ってくれた、だから敢えて行かせてくれたと理解している。
(晶、待ってて……)
その視線は、熱探知眼は屋上にいる何者かを見据えていた。
◆◆◆
「う、しかし酷い揺れだったな」
進士は一瞬だけの地震に気を散らせた。
ここは保健室だった場所。気絶している聖敬も一緒だ。
進士は、今の聖敬は仮死状態と聞いていたが、念の為に様子を視ていて欲しいと井藤に頼まれた。
悔しいが、仕方がない。
進士のイレギュラーである未来予測は不確定要素が多い状況では上手く機能しない可能性を孕む。
混戦状態である今現在、一番事態に対応出来ないのは自分である事は承知している。悔しいが、それが現実だ。受け入れざるを得ない。
連絡はやはり電波妨害を受けているらしく繋がらない。
とにかく状況を知りたかった。
何も分からないままでは、未来予測も何の役にも立てない。
(くそ、本当に役に立たないな俺は)
そう思っている内に変化が起きていた。
聖敬が起き上がっていたのだ。
野生の獣が息を沈め、獲物へと静かに歩む。
彼は目の前にいる親友に耳元で囁く。
「悪いな」
そう一言、アッサリと。
そして進士が振り返ると、そこで意識を断たれた。
◆◆◆
「やったか」
歌音は飛び退いて相手の様子を確認する。
まず間違いなくベルウェザーことエリザベスは倒れている。
その全身から血を吹き出しており、到底生きているようには見えない。まず間違いなく、身体の内部を破壊した。
手応えは確かだ。最大出力で、相手の身体を確実に殺した。
もう、リカバーでも間に合わない。
「ヒカリちゃん、大丈夫?」
「え、あ? 凛ちゃん……一体何がどうなってるの?」
晶は呆けていた状態からようやく目を覚ます。
そしてその質問は正しく今、彼女が知りたい事であった。
(うっ、…………どうなった?)
ベルウェザーは意識を取り戻す。
全身がズタズタで、このままでは間違いなく死ぬ。
かくなる上は四の五の言ってはいられない。
動くしかない。
「凛ちゃん、うしろ……」
晶の凍り付く様な表情と声に歌音は振り向く。
「ウソでしょ?」
歌音の表情も思わず凍り付く。
まるで悪夢の様な光景。
「……………………」
エリザベスの肉体が糸の切れた人形の様にムクリ、と起き上がっていた。
全身から血を滴らせながらその双眸だけが爛々と光る。
戦いは続く。