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変わった世界――The strange world  作者: 足利義光
第四話 The person whom I want to protect――守りたい人
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アサーミア

 

 自分が手にしている武器を見て、

(コイツは…………そうか)

 田島は思い出す。

 そうだこれは、昔よく見た映画に出ていたあの武器だった、と。

 内容は今思い出しても他愛のない、B級のアクション映画だったと記憶している。

 主演のアクションスター俳優は当時様々なアクション映画に出ていて、まだ子供だった田島はそのアクションスターの出ている映画をたくさん見た覚えがある。

 WGに引き取られ、そこで育てられた彼は普段は訓練施設で暮らしており、一般社会とは半ば隔絶された生活を送っていた。

 およそ一般的な子供時代とは到底言えない日々を送っていた彼らの様な子供達は娯楽に飢えており、そうした要望に教官の誰かが持ってきたのが様々な映画作品だった。

 イレギュラーの制御に日々を費やす毎日。子供には厳しい訓練の毎日に不満が溜まっていた子供達はこうした娯楽に飛び付いた。

 そんな中で田島少年が夢中になったのが、件のアクションスターと彼が出ている映画の数々だった。


 アクションスターはいつも最後に大勢の敵をたった一人でなぎ倒した。片手にショットガンを、もう一方の手にサブマシンガンを握り締め、たった一人で悪の黒幕のいる場所へと乗り込んでいた。

 とは言え、銃弾はいつか尽きる。その時にアクションスターが腰にかけていた代名詞でもある武器を取り出すのだ。

 それがククリナイフ。

 ククリナイフの二刀流でアクションスターは文字通りバッサバッサと大勢の敵を切り倒していく。

 どんな窮地であってもそのアクションスターは決して怯まない。たった一人で己の力だけで文字通り活路を切り開いていた。

 そんな姿に田島は憧れたものだった。


 今、田島の手に握られていたのは左右二刀のククリナイフ。それも紛れもなくあのアクションスターの代名詞のそれだった。

 そのククリナイフの鉈の様な刃にはベッタリとした血がへばりついている。勿論、その血は自分のものではない。

「…………」

 アサーミアは相変わらずの無表情、無感情といった様相だ。だが田島は見ていた。ほんの一瞬だったが何が起きたのかよく分からない、といった表情を相手が浮かべていたのを。

「お前は教えてくれるのか?」

「何の事かは知らないってんだよっっ」

 田島は左右のククリナイフを交互に薙ぐように振る。

 バッ、という肉を切る音と手応え。

 何とも云えず嫌な手応えだ、とそう田島は感じた。

 ククリナイフの切れ味はかなりの物で、相手の肩や腕の筋肉を容易に切り裂いていた。

 ククリナイフを扱うのは初めての事だったが、驚く程に馴染む。

 どうすれば効果的に相手を切れるのか、どう荷重をかければ断ち切れるのかが、分かる。……まるでこの武器に習熟しているかの如く、自然に。

 アサーミアの全身があっという間に血に染まっていく。

 ククリは無感情の相手を容赦なく切り刻んでいく。

 傍目からは一方的にしか見えない光景だろう。


「はぁ、はぁ……くっ」

 そうしてどの位の時間が経過しただろうか。

 地面は鮮血により、まるで池のように真っ赤に染まっている。

 普通の人間であれば、マイノリティであってもこれだけの傷を負えばもうマトモに戦闘行為を実行出来るハズがない。

 にも関わらず、

「ば、けものかよ、コイツは」

 田島は息を切らしていた。

 そもそもついさっきまで、今、手元にある武器を発現させるまでに肉体的及びに精神的にも疲弊していたのだ。

 そこに来てこの攻勢。

 もう田島の体力は底を付こうとしていた。


「お前は教えてくれるのか?」

 アサーミアは生きていた。その全身を朱色に染めながらも、表情は一切変わらない。

 ククリナイフで切り裂かれた全身の傷が、あっという間に塞がっていく。まさに異常だ、そう田島は思った。

 リカバーとは超回復能力だ。これがある事でマイノリティは本来であれば致命的な負傷を負っても生存可能になるのだ。

 とは言え、それにも限度は存在する。

 イレギュラーを制御する上で重要な事は精神力だと、田島は散々教え込まれた。

 そしてそれは多分、本当の事だろうとも思う。

 扱うイレギュラーが強力であればある程に負担は大きいのは周知の事実だ。そして扱う上で重要な事こそ担い手の精神面だ。

 田島は今、実感した。

 自分のイレギュラーが進歩した事で理解した。

 これまでの様な虚像を作り出すだけのイレギュラーと、こうして武器を虚像から具現化させるのでは精神的な疲労感が段違いだった。

 さらに付け加えるならば、自分が目の前の敵に行っている攻撃。

 左右のククリナイフの刃先、刀身が切り刻み、肉を絶つ都度に感じる嫌な手応え。さらに吹き上がる鮮血。

 それらを目の当たりにする度に田島の中で何かが淀んでいく。

 血を見る事には慣れていたつもりだったのだが、いざそれを自分が行っていると思うと言い知れない不快な感情が浮かぶ。

 今、田島は感じていた。

 自分が如何に奮闘しようが、目の前にいる敵は倒せない、と。

 何せ、相手はあっという間に傷が塞がっていくのだから。斬れども斬れども致命打に至らない。しかも相手は無表情にして無感情。

 一体どういう状態をなのか推し量る事が出来ない。

 だから駆け引きしようにも出来ないのだ。


 その時だった。

「お前は何故戦う?」

 アサーミアは不意に田島へそう尋ねた。

 彼には理解出来なかった。

 相手が幾度も幾度も自分へと向かってくる理由が分からない。

 何故なら目の前の相手がどう足掻こうと自分には勝てやしないのだから。



 ◆◆◆



 それはずっと前の話。

 ある夜の事、その子供は見てしまった。

 自分の父や母、祖父に祖母、少し年の離れた兄が死んでいる様を。一面が血に染まり――酷い有り様だった。


 子供と彼の家族は欧州の人里離れた山中に暮らしていた。

 そこは現代社会から切り離された、まるで童話の世界の様な場所。子供は自分の国は何処なのかも判然としない。向こうの山々はあの国、その手前はあっちの国、といった具合で周辺国の領土が飛び地の様に転々としている場所。そんな場所でも家族の住む山には他に住人はいない。以前、地図を見せてもらった時にもどこの国ともいえなかった。何故なら、その山は地図に載っていなかったのだから。

 それでも子供は日々を楽しく過ごしていたのだろう。

 思い出すのは笑顔。嬉々とした自分の、今では忘れてしまった歓喜の叫び。

 彼の友達は森の動物達。栗鼠や兎や鹿と共に森の中を毎日の様に駆け巡った。

 周囲を見回すと、鬱蒼とした森の木々は樹齢数百年以上の古木ばかりだそうで、手付かずの自然がそのまま残されている、というよりは放置されている、そんな印象の辺鄙な場所。


 子供の一家は代々この山に暮らすのが”決まり”だった。

 外に出る事は禁じられていた。それが何故かは聞いた事はない。

 ただ例外になるのは、一家の子供を産み、育てる母親となる女性。それだけは必ず外に出て探すのが決まりだった。

 何故なら、山に住むのはこの一家だけだったし、この一家には女の子が生まれた事が一度も無いのだから、とそう父に教えられた。

 母親となる女性を探すのは子供の中から一人だけ。

 だからいずれは兄が外に出て行くんだろうな、そう漠然と思っていた。



 だが、結果として外に出たのは子供だけだった。

 彼を外に連れ出したのは見たことのない男。

 そう、子供が血塗れになった家族を呆然と見ていたあの時に、部屋の真ん中に立っていた”家族の仇”。

 男は子供を自分の家へと連れ帰った。

 家とは言ったが、正確には違う。そこは洞窟だった。

 何の事はない。

 子供が連れ出されたのは、また別の何処かの山だった。

 要は山Aから別の山Bに移った様なものだろうか。


 男は言った、力を見せろ、と。

 子供には何の事かさっぱりだった。そうして困惑していると男はいきなり子供を拳で殴り付けた。強烈な痛みが走った。

 男はさらに言う。力を見せろ、と。

 そして子供に更なる暴力を振るった。

 拳を振るい、蹴りを見舞い、子供は為す術もなく一方的に理不尽な暴力の只中に放り込まれた。

 子供は苛烈な暴力の渦の中を、連日気を失うまでひたすら受け続けた。男は目を合わせれば殴り、背中を見せれば蹴りつけた。

 そうした折檻が一体どの位続けられた事だろうか。

 いつしか子供は感覚が麻痺していた。

 慣れてしまったとでも言い換えればいいのか、それからは幾度殴打されようが、蹴りつけられようが痛みを感じなくなっていた。


 男は言った。お前はもうこの程度じゃ意味がないみたいだ、と。

 すると今度は棒切れを手にして暴力を振るう。

 それにも慣れてしまい、何も感じなくなると今度はナイフで切りつける様になり……暴力はエスカレートしていった。


 こうした日々が終わりを向かえたのは一〇年程後の事だった。


 気が付けば子供は少年になり、青年へと変わっていた。

 反対に男は急速に老け込み、今では青年となった彼の方が体格で勝る様になっていた。


 それでも青年は男の事が怖かった。

 この頃になると、青年もこの暴力にまみれた男が、普段どういう仕事をしているのかが分かるようになった。

 男はその暴力を活かす仕事をしていた。

 具体的には人殺しの仕事だ。

 男は夜中に出かける。

 そして朝方に帰ってくる。

 ある時、男の持ち歩いていたナイフを鞘から抜き出してみると、その刃先には乾き始めた血が、ベッタリと付着していた。

 一体どの位深々と刺し込んだらこんな状態に陥るのだろうか?

 青年はその根元まで赤く染まった刃物に魅入られていた。

 時が経つのも忘れ、じっと見詰めていた。


 それが気に入ったのか?

 声がかけられ振り向く。

 いつの間にか男がその様子を見ていたらしい。

 男は珍しく機嫌がよく、そのナイフは青年の物になった。


 青年は何となしにそのナイフを振り回す。

 風を切る感覚。物を切りつける感触。突き刺さる際の手応え。

 その頃になると食糧の確保は青年の仕事になっていた。

 それまでは獲物を捕まえるのは主に罠を張っていたのだが、ナイフを手にした事をキッカケにして直接狩りをする様になった。


 自分の手で狩りをする様になった事で、青年はこれまで知らなかった事を学び始めた。

 すばしこい栗鼠や兎には慎重に気配を隠して近寄る。

 鹿は動きを読んで追い詰める。

 一番難しかったのは鳥。

 空を飛んでいる彼らをナイフで狩る為に、他の動物を狩る為に身に付けた全ての知恵を動員する事でようやく捕らえる事が出来る様になった。本当に楽しかった。


 まるで子供の頃の様に戻った様だった。

 野山を駆け巡る感触が心地いい。

 自分が自然の一部になったかの様に、自由になった様な気分。


 そうした日々がしばらく続いた。青年の心に何年か振りの平穏が戻った。



 ――お前もそろそろ仕事を覚える必要があるな。


 ある日、男がそう青年に言葉をかけると、自分の仕事に連れ出した。

 初めて見る外の世界は、驚きの連続で何もかもが新鮮だった。

 まず空気が汚れていると思った。

 夜なのに外には明かりが灯り、まるで昼間の様だ。

 空を見上げると、いつも見えていた星が空気が淀んでいるからか殆ど見えない。

 そして何よりも外の世界には、自分達以外の大勢の人達がいた。

 踏みしめる地面は石造りで堅く、何だか妙な感触を足裏に感じる。そうした当たり前の事全てが初めて見る物ばかりで、ワクワクしていた。

 何をするのかを尋ねると、返ってきた返事はいつも通りに、だった。要は狩りをする要領らしい。

 その日の獲物は人間二人。

 男がまず一人をあっという間に仕留める。

 もう一人が慌てて逃げ出す。そいつを追尾して仕留める、ただそれだけの簡単な事だった。すぐに路地裏へ追い詰め、まずは足を抉る。獲物が逃げられない様に……確実に仕留める為に。


 ――ひぃ、やめてくれ。


 もう一人は懇願してきた。だがそんな事はどうだっていい。

 青年はナイフを握り締め――命を奪った。

 何故かは分からない、だがその今際の際の表情が脳裏に焼き付けられた。

 仕留めた相手のその顔に浮かぶのはこれ迄に見た事のない、壮絶な感情の渦だった。まるで恐ろしい何かを目にした様な、不安を抱かせるその表情。

 何故かは分からない、だが心がざわついた。

 何かが崩れる様な感覚。それはそう自分の中で大事な何かが崩れる感覚だった。

(でも一体なにが?)

 青年には分からない。



 ◆◆◆



 そう、アサーミアにとって田島の繰り出す攻撃は、馴染みのある物ばかりだった。確かに殺傷力はそれなりにあるだろう。

 ククリナイフの扱い方も決して悪くはない。

 だが足りない。

 アサーミアたる彼にとっては、刀剣による斬撃や刺突はもう何の刺激も感じ得ない。

 さっきの無数の細槍による串刺しはなかなかだった。

 一本や二本の串刺しならばこれ迄にも経験があった。

 だが、さっきの串刺しは違う。

 あれだけの細槍が自分の身を貫いたのは初めての事だった。



 アサーミアというコードネームは、言わばこの青年に与えられた忌み名だ。名付けられたのはそう、アイツに付けられた。

 アサーミアは痛みを感じない。少なくとも経験した事のある痛みであれば。

 彼はいつからこうだったか思い返す。だがいつも結論は同じ、いつの間にか、だ。

 彼はいつの頃からか痛みに対し鈍感だと気付いた。

 あの家族の仇の男が子供だったアサーミアにあれだけの暴力を振るったにも関わらず生きてこれたのも、痛みに鈍感、というこの体質だったからこそだろう。

 この体質がなければ彼は今、ここには存在し得ない。


 仇の男を殺した時も、この体質でなければ間違いなく死んでいた事だろう。

 初めて人を”狩って”から数年後。

 青年は飛躍的に狩りの技術を高めていた。

 仇の男は”ギルド”とかいう犯罪結社の殺し屋だとその頃に知った。男はナイフ片手にどんな相手をも殺していく。

 どんな場所、どんな相手をも単身で潜入し仕留めるのが元々の基本スタイルだったのだが、初めての狩りを経験してからというもの、時折自分の仕事に青年を同行させる様になっていた。


 そうして幾度もの狩りを経験した後、男は青年に標的のトドメを任せる様になっていた。

 青年はこの仕留める瞬間がたまらなかった。

 ナイフをぞぶり、と獲物の心臓に突き立てる。

 そのまま相手の鼓動が弱くなっていくのをナイフを通して感じるのがたまらなかった。


 その頃になると、男は青年にもう暴力を振るわなかった。

 それどころか、たまに仕事その物を青年に任せる様にすらなっていた。すっかり男は衰えていた。もう見る影もない程に。


 そんなある晩の事だ。

 それはある狩りの仕事が終わった後だった。

 獲物は特に抵抗する事もなく簡単に仕留める事が出来た。

 時間が余ったので、何の気なしに街を散歩してみる事にした。


 その街は年がら年中霧に覆われているので”霧の街”と呼ばれていた。確かに、と思う。

 まだ深夜なので街を歩く住人は何処にも見当たらない。

 中世の頃からの町並みは整然としており、街灯もまばら。

 建ち並ぶ家々の壁はいずれも灰色で、それも相まって視界は極めて不良だ。

 視界は悪かったが、一つだけいい事もある。

 この街は空気が淀んでいないのだ。

 お世辞にも都会的とはいえない地方都市だからだろうか?

 それとも山と海が近いからだろうか、空気がそれまで立ち寄った街々とは街の有り様が随分と違う様に感じる。

 そんな事を思っていた時だ、


≪やあ、始めまして≫


 声がかけられ、振り向く。

 すると少年が橋の欄干に座っていた。

 見た目はまだ一〇代の始めだろうか。

 顔立ちから判断するに東洋人らしい。

 その服装は、長袖の白のヘンリーネックカットソーに同じく白のマフラーを首元に巻き付けている。色褪せた感じに加工されたであろうスキニージーンズ、足元はブーツ、と子供が着るにしては随分とませたチョイスだと思える。

 そして何よりも彼は愛想のいい笑顔を浮かべていた。それは何か得体の知れない異様な雰囲気を纏っている、と感じた。

 それに妙だった。さっきまでもそうであったし、今もそうだがこの少年からは気配を感じ取れない。

 青年は長年の暮らしで生き物の気配を察知する事に長けている。にも関わらず、今そこに佇む少年の存在を把握出来なかった。

 まるで、そこにいるのは人間ではない、と主張している様に思える。


「君は最近売り出し中だそうだね。……ギルドの殺し屋さん」


 その言葉を聞き、青年の中で殺意が巻き起こる。

 腰に納めたナイフを音も立てずに引き抜く。

 距離はほんの二メートル程。青年の技術であればほぼ一瞬で仕留める事が出来る間合いだ。


「待ってよ、僕は敵じゃな……」


 言い終わる前にナイフが相手の心臓を刺し貫いた。

 怪しい相手は素早く仕留める。青年が仇の男に叩き込まれた数少ない教えだ。


「…………ん、お前は――何だ?」

 青年は顔色を変えた。

 ナイフは確かに狙い通りに少年の心臓に突き立っている。

 間違いなく、寸分違わずに。

 なのに妙だと思った。

 少年からは感じられないのだ。生き物であれば当然あるべき物が一切感じられない。

 ”鼓動”がないのだ。

 生きている様にしか見えない、だがそこにいるのは生者ではない。そう言えば聞いた事がある。世の中には通常ならざる力を持つ者達存在するのだ、と。仇の男も確かに常人からは比較にならない程の敏捷性を持っていたし、かくゆう青年も男が曰く、その異常な耐久性は単に我慢強いとかそういった次元ではない、とか言っていた。

 だがしかし、今、目の前にいる奇妙な存在は別格だと思った。

 鼓動がない、生きていない存在等聞いた事もない。

(どうやって殺せばいい?)

 同時に、あれが生きているといえるのか、とも思った。


「クフフ、少しは話を聞いてくれるつもりになったかな?」


 少年は自分にナイフを突き立てた相手の心中を見透かしたかの様に話しかける。見た目は少年だというのにその口調はまるで老成したかの様だ。奇妙な説得力がその言葉から感じられた。


 少年は自分を”パペット”と名乗った。

 彼は世界中を回り、よく切れる”ナイフ”を探しているらしい。

「そう、君も相当によく切れそうだ……だけど惜しいな」

「何がだ?」

 青年は思わず反論した。こんな事は初めてだ。何故か心が掻き乱される様だった。

「クフフ、君はまだ【目覚めていない】。自分の有り様にね。

 君は誰よりも強いかもしれないのに、ね」

「……どうすればいい?」

 青年は思わず尋ねた。自分の中に何かがいる、そう思った事は昔から幾度かあった。だがその都度、仇の男が暴力を見舞った。

 だから、いつの間にか失念していた。今、こうして思い出す迄。

「簡単な事だよ――【自由】になればいい。思うままにね」

 パペットは目を見開き……耳元で囁いた。



 簡単な事だった。仇の男を殺して、自由になるだけ。

 そうだ、相手は家族の仇なのだ。

 殺されて当然だ。殺してやらねばならない。

 幸いな事に自分には相手を殺せるだけの技量が備わっている。

 皮肉な事にそれを教えたのもまた、あの男ではあったが、それもまた因果応報という言葉通りなのだろう。


 結果として男は死んだ。

 ただしナイフでは殺せなかった。

 相手の俊敏さは予想を遥かに上回っており、幾度も殺されかけた。だがその都度、傷が治った。

 お前、誰に教わった? とそう男が尋ねた。

 やはりそうだった。パペットの言葉通りだ。この男は肝心な事を隠していたのだ。自分が常人とは文字通りに違う者である事を。

 ずっと隠していたのだ。自分が持つ本来の有り様を。

 心がざわついた。波が立つ、とでも言えばいいのか。

 平坦だった心が大きく揺らいだ。


 男が喚く、もうお前を殺すしかない、と。

 そうして手にしていたナイフで喉を裂こうと向かってきた。

 確かにもう限界だ、そう思えた。

 幾度も殺され、回復していたわけだが、どうやら不死身という訳ではない。

 その証左にさっきから傷が治らない。本能的に理解出来た、次に致命傷を負えば間違いなくそれで終わり、死ぬのだと。


 気が付けば青年は右手をかざしていた。

 男が振るうナイフを左手で文字通りに止めて。

 何故右手をそうしようと思ったのかは分からない。

 ただ何かが囁いたのだ、それを使え、と。

 同時にこう思え、と。何もかも消えろ、と。

 だからその通りにした。

 結果――、

 仇の男は死んだ。

 右手で触れた箇所は跡形もなくなっていた。

 そこだけまるで最初から何も存在しない空洞だったかの様に。


 もう心のざわつきは収まった。同時に自分の中にあった何か、別の違和感もなくなった。


「おめでとう、これで君はもう自由だよ」

 パペットはそう言う。嬉々とした声だが、そこに介在する感情は真逆だと理解した。この異様な異形の少年は自分が人形である事を明かした。そのあまりにもあっけらかんとした物言いに青年は珍しく表情を歪めると尋ねる。

「……何故手の内を明かした?」

「僕の正体を明かしたのは君を信用するからだよ。そうだ、君に名前を付けよう――確か名前がないんだよね?」

 パペットは困惑する青年を尻目にその場をウロウロとし始める。

 そうしておよそ数分後。

「決めたよ、君の名前は【無感情アサーミア】だ。いつも仏頂面の君にはピッタリだ」

 かくして青年は初めて自分の呼称を得た。

 それからの彼はアサーミアとしてあの仇の男の代理としてギルドの殺し屋、具体的には暗部の一員となり、紆余曲折の末に今、こうして九頭龍にいる。

 彼はどんな相手をも殺した。

 彼の右手は強力無比。意識して触れた物を全て破壊する。

 この右手で殺せなかった者はいない。

 だが同時に彼は感じていた。

 右手で殺せば殺すだけ自分の中で何かが軋みをあげ、崩れて壊れるのを。殺す代わりに自分の何かを犠牲にしている様な違和感を。

 一体何が壊れてるのは皆目分からない。

 だが何故だか確信はある、それを理解する方法は――。

 その答えは、きっと戦う事でしか理解出来ないだろう。

 何故ならアサーミアに出来る事は他者を殺める事位の物なのだから。



 ◆◆◆



 バシュ、ククリナイフがアサーミアの肩へと食い込む。

 これで一体何度目の事だろうか。

 相手はこの攻撃に対しても反応しない。

 躱しもせずにただ振り降ろされる一撃をその身で受け止める。

 肩から食い込んだククリの刀身はそのまま肺へと達した。

 それでもアサーミアは口から僅かに血を滲ませるだけ。

 いくらリカバー出来るから、回復可能だからとは言え、さっきから一体どれだけ致命傷に成り得る攻撃をその身に受けた事だろうか。

 異常だ、そう田島は思う。

 この相手の矛は間違いなく右手だ。

 その証拠にこの無感情で無表情の殺し屋も、自分の右手にだけは注意を配っている。さっきぶった切った右手はこの男がすぐに拾い上げると繋いでいた。

 この右手だけは大事なのだろう。

 この凶手だけはマトモに喰らってはいけない。

 この殺し屋の戦い方は極めて単純。

 相手の攻撃をその身で受け止め――反撃で右手で触れる。

 たったこれだけの事だ。

 いわばアサーミアの肉体そのものが盾。あの異常なまでのリカバーでの回復を当てにした、まさしく”肉を切らせて骨を断つ”を地でいく戦闘方法。


 たったこれだけのワンパターンな戦い方だ。

 しかしそのワンパターンを崩す方法が田島には皆無だ。

 ククリで斬り付けても致命傷には至らない。

 田島の中に一つの可能性が浮かんでいた。

 もしもそうであるならば、この異常な耐久力も納得は出来る。


(だったらどうする? どうすればこの化け物を倒せる?)


 田島の頭の中にある答えは”無痛症”だ。文字通りに痛覚を喪失する疾患、病気の一種であり、先天性と後天性の二つの場合が存在する。

 特に先天性の場合は幼少時から加減を知らずに育つ為に、常に大怪我の心配を親や周囲の人間が行わなければならない。

 例えば、目を擦り過ぎて失明寸前になったり、骨折に気が付かずに状態の悪化を招く。うっかり刃物で怪我をしてもその事自体、気が付かずに失血死に至る例など、様々な事に注意を払わねばならない。

 後天性の場合は先天性とは違い、目の前の自体そのものは理解出来ている、だから先天性よりは危険に対する対策を講じやすいそうだ。とは言っても外傷、怪我はどうにか対処出来ても、内傷、つまり病に対しても無痛症は気付く事が出来ない。だから病気の進行に気が付かないという意味では危険と隣り合わせなのは変わらない。


 だがこれをマイノリティが発症したらどうなるか?

 それは死なない化け物の誕生なのではないだろうか?

 少なくとも外傷で殺せないのではないか?

 痛みを理解する事もない相手に、致命傷となる一撃を見舞っても肝心の相手は死ぬ前に傷を癒してしまう。死という現実そのものは存在しているが、その事実が到達する前に傷を治してしまえば理屈の上ではマイノリティは死なない事になる。

 それにイレギュラーは精神的な消耗を招く。

 だが相手が痛覚を喪失しているのなら、精神的な苦痛もないのではないか? だとすればあの異常なリカバーの発動も有り得るのかもしれない。


「……あんた【痛み】を感じないのか?」

 敢えて田島は問うた。自分の中で出た答えで恐らくは間違いない、という確信の元で。

「そうだ……」

 アサーミアはそれをあっさりと肯定した。彼にとっては別に知られようが問題のない事なのだろう。要はこの場で殺してしまえばそれで済む、そういう事なのだろう。

「……聞いた所で何かが変わるのか?」

 その通りだった。聞いた所で田島には相手を倒す手立てがない。

 いくら戦える力を得たとしても、倒せなければ同じ事だ。

「…………」

 田島にはそれに対する言葉はない。

「もう諦めろ、お前には殺せない。……お前は教えてくれない」

 そのアサーミアの言葉は、今の田島には死神からの宣告にも感じられた。



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