少数派――マイノリティ
医者によると、聖敬はまさに”奇跡的な確率”でほぼ無傷だったそうだ。
検査をしてみたが、身体に特に異常も無い。
それでも、念の為にという事で、一晩だけ検査入院をする事になった。
「じゃあまたね」
晶は同じく聖敬の見舞いに来た家族が近所だからという事で送るそうだ。聖敬は少しほっとした。
父親の清志は特に何も言わなかったが、帰り際に良かったな、とだけ言って出ていった。
仕事の途中で早退したらしいので、スーツ姿のままだった。ひょっとしたら、また仕事に戻るのかも知れない。
母親の政恵は、おろおろしていたが、聖敬が大丈夫だよ、と言うと安心したのか安堵の表情を浮かべていた。
一番印象深かったのは、妹の凜で、目を覚ますなりこう言った。
――あ、やっぱ生きてた。死ぬわけないよね、うちのバカ兄貴がさ。あーあ時間のムダだったぁ。
そう強がりながらも、目からは涙が溢れていて、そばにいた晶にしがみついていた。
家族や晶が帰ったのは、夜の7時。まだまだ寝るには早い時間だ。とは言え、何か持っている訳では無い。スマホはあの事故で完全に壊れたし、当然カバンに入っていたタブレットも同様。まさに手持ち無沙汰だった。
「キヨちゃーん」
そんな中での一の病室への訪問は聖敬にとってまさに最高の退屈しのぎだった。田島は開口一番。
「いやー、しっかし、お前は凄いなぁ。あんな事故で一人生き残るとかさぁ」
といきなり切り出した。
田島は中途半端に事故の事をぼかして話したりはしなかった。普通の感覚で云うならそれは、信じられない位に配慮の足りない言葉だった。だが、聖敬からすると、そういう飾りっ気のない言葉に心から感謝した。
「まぁ、どのみち土日は休みなんだし、気楽に過ごそうぜ」
そう言うと田島はリュックからガサガサと次々にお菓子を取り出してきた。本来ならボチボチ面会時間は終わりのはずだが、どうやら無視するつもりらしい。
しばらくすると、今度は進士も病室にやって来た。彼は、バッグからタブレット端末を三台取り出す。彼もどうやら夜更かしに付き合うつもりの様だ。
「どうせ、暇してると思ったからな」
「仕方無い、僕も付き合ってやるか」
「抜かせ、この入院患者め」
三人は看護士に気付かれない様に、小声で笑った。
◆◆◆
――君がこちらに頼み事とはねぇ。
妙に甲高い声が返ってきた。耳に響く癇に障る声だ。
木島秀助はこの人物の事が正直嫌いだった。
通称”パペット”。
人形使いを基本にしたイレギュラーを用いるマイノリティらしく、その名のごとく人形を用いて自身は姿を見せる事なく、各地で暗躍する犯罪コーディネーター。
所謂、人形使いと云われるイレギュラーを扱うマイノリティは結構多いそうだが、その殆どは自身の”肉体の一部”を移植する事で他者を操るのがその条件付けである中、パペットはそういった手間をかけずに人形を確保し、”端末”に仕立てる。使用済みの端末を捕まえて、尋問した事もあったが、彼らに共通するのは一切の記憶を失っているらしく、どうやってパペットが接触したのかは未だに不明のままだ。
「細かい事はどうでもいいんだよ、それより分かったのかよ? その生存者ってのが何処の病院にいるのか」
木島は不快感を隠さずに質問する。木島からすれば、あのバスを事故らせた段階で依頼された仕事はもう終わっている。
別にこれ以上、この件に関わる必要は無い。
だが、パペットからの連絡でバスからの生存者が一人いた、とそう知らされた。念入りに攻撃しておいたにも関わらずに、だ。
生存者に少し興味が湧いたのは事実だ。だが、それ以上に自分の仕事にケチをつけられた気分が勝った。
――やれやれ。そんなにがっつかないでくれよ。せっかちだな。
呆れた様な声が返ってきたが、木島は気にしない。
「俺を焚き付けたのは、お前だろうが。さっさと教えないと、殺すぞ」
脅しつけたところで本体が分からない以上、意味が無い事は分かっていたが言葉を荒げた。パペットはくくく、と軽く笑いながら返事を返してきた。
――オーケーオーケー。こちらにしても君とは仲良くやっていきたいからね。九頭龍中央病院だよ。そこの南棟の六階……。
言い終わる前に電話は切れた。木島はそこにいる人間を皆殺しにするつもりなのだろう。
(やれやれ、まぁこれだから扱いやすいんだけど、ね)
所詮パペットには他人事でしか無い。そこに”WG”のエージェントが向かっている事を伝え損ねても、後はもう、彼の問題。別にどうでもいい。生きるも死ぬも同様にだ。パペットは呟いた。
「ま、頑張ってね♪」
「くへへへ、ここだな」
それから木島が目的地に着くのに五分もかからなかった。理由は、時間が夜の十一時を回っていたので、国道以外の道の交通量がまばらだったのに加え、木島のバイクが制限速度を完全無視したからだ。勿論、このバイクが見つかった所で、”前の持ち主”の名前が浮かぶだけだ。
ついでに言えば、持ち主はもう見つからない。
「ま、バイクはまた調達すりゃいい」
木島は笑いながら口を開き――糸を吐き出した。その糸が格子状に拡がりる。手を変異させ、即席の縄梯子を登っていく。
(待ってな、今から殺しにいくからな)
舌舐めずりしながら、これから巻き起こす殺戮ショーへの期待で胸を膨らませた。
◆◆◆
「おいおい、そこでそれ引くのか一君」
「あ、ちょっ待て……!!」
「待てなんか無い。これで終わりだ」
「くっそーーー、もう一回だ」
田島が悔しそうに表情を歪ませ、進士はフフンと勝ち誇る。聖敬はそんな二人のやり取りを半ば呆れながらも見ていた。
気が付けば時間は夜の十一時。普段なら聖敬は寝る時間だったが、今日は全くその気にならない。
目の前では、自分の親友二人。最初はオンラインゲームをしていたが、途中でボスキャラに完敗。
リベンジだの、レベルアップしてからだのと軽く揉めた末に、
リベンジを一週間後のこの時間にする事で落ち着いた。それまでに自分達の使うキャラのレベルアップをしておく事という、約束付きで。聖敬には分かっていた、田島と進士は自分に気を使ったのだと。パソコン等の時間制限がある星城家ではなかなかゲームをする時間が無い。だから、レベルアップしようにも他の二人よりも時間がかかる事を。
その為に、一週間後という期間を空けた事を。
「サンキュな」
聖敬の言葉に田島は「俺の足を引っ張んなよ」と言い、進士は「お前こそ、敵の群れに突っ込んで真っ先に死ぬなよ」とキツい言葉を浴びせ、田島がぐはっと叫んだ。
で、今。三人はシンプルにトランプに興じていた。
地獄のババ抜き十連戦、と田島が言い出して始まった連戦もこれで八戦目。断トツでビリっけつな田島は最早、論外。
ここまで四勝ずつの聖敬と進士は互いの手札と睨めっこしている。
残りのカードもわずか。満面の笑みを浮かべた田島の表情から二人はジョーカーを巡る攻防は自分達に委ねられたと理解した。
「それでいいのか?」
進士は聖敬が手を伸ばすとそう牽制した。思わず聖敬の手がの止まる。
ふぅ、一息入れると進士の表情を観察した。
(相変わらずのポーカーフェイスだな)
進士は眉をピクリとも動かさずに、ただ聖敬を見ている。
田島が安心感からか、単に飽きてきたのかふぁーと欠伸した。
「あー、俺トイレ行ってくるわ」
その言葉にも集中し過ぎている二人は気付かない。やれやれとばかりに肩をすくませ、病室を出ていった。
「しっかしアイツらもよくやるよなぁ」
田島は眠気覚ましに水で顔を洗う。パシャパシャとした水飛沫が心地いい。
「ふいーーっ」
爽快感に満たされ、顔をタオルで拭いているとふと、ぞくりとした風を感じた。思わず振り返ると、トイレの窓が空いている。
「何だよ、ビックリさせるなぁ」
田島はふぅ、と小さく呟くと窓を閉めに戻った。
足元がねばつく、まるでガムでも踏んだみたいに。
「何だよ、もう」
バタリ。
ボヤきながら窓を閉じる。だが、まだ”風”を感じる。
但し、さっきとは違って何処か生暖かい風を。
ヒチャリ。
何かが動いた様な音がした。周囲を見回すが誰もいない。
ヒチャ……。
足音は微かに、だが、近く。
「何だよ、ネズミでもいんのか……!!」
田島は言いかけてふと、上を見た。そこにいたのは――!
「ぐわああああああああぁぁぁぁぁっっっっっ」
絶叫が響いた。
「ん? 今、何か田島の声が聞こえなかったか?」
「気のせいだよ、そろそろケリ付けようぜ」
「あぁ、そうだな」
聖敬がトランプを取ろうと手を伸ばした瞬間だった。
ゾワリとした震えが全身を襲う。思わず立ち上がり、身構える。
「お、おい。何だよいきなり」
進士が思わずトランプをその場にばらまいた。だが、聖敬はその言葉には答える事も無く、病室を飛び出し――それを目にした。
ヒチャリ、ヒチャリ。
それは人の形をしていた。だが、何かがおかしい。
それはこちらを真っ直ぐに見据えていた。まるで、自分の事を知っているかの様に。まるで、長年会えなかった家族を見つけたかの様に。
それはゆっくりと聖敬に近付いてくる。
「みーつけた」
そう言いながら、一気に飛びかかって来る。無造作なパンチが繰り出され、聖敬の顔面を襲う。
「がぐっっ」
呻きながら倒れたところに追い討ちの蹴りが腹部を襲う。
信じられない程に重い一撃で、聖敬の身体は壁に叩き付けられた。
衝撃に胃液が逆流しそうになるのを辛うじて押さえたものの、あまりの痛みに気がおかしくなりそうだ。
それは言った――「何だよ、こんなのが何で生きてたんだ?」と。その言葉を聞き、聖敬は相手の顔を良く見た。
それは、今日見た男だった。今日の……あのバス事故の直前に。
「――あんたは!!」
そう叫んだ瞬間、聖敬の背後から声がした。
「伏せろっっっ」
パァン。まるでクラッカーの様な軽い音がすぐ後ろから聞こえ、向かってくるその男――木島秀助の身体から血煙があがり、倒れた。
「大丈夫か?」
そう言いながら聖敬の前に進み出たのは進士だった。その手には拳銃、確かグロックとかいう銃が握られていて、その銃口からは煙が上がっている。
「し、進士?」
「いいから走れ!」
「だ、だってアイツなら――」
そう言いかけて、聖敬は目にした。
「やれやれ、いきなり撃ってくるとは随分だな、ボウズ」
弾丸を胸に受けたはずなのに、木島は平然とした様子でそこに立っていたから。それどころか笑顔すら浮かべている。
「行くぞっ」
進士は聖敬を引っ張る様に駆け出すと、グロックから更に弾丸を放つ。
その狙いは寸分違わずに木島に着弾。今度はその身体が後ろによろめく。
「やったぞ、当たった」
「悪いが足止めにしかならない、逃げないと」
進士の言葉通りに木島は体勢を戻すと、二人を追いかけ始める。まるで撃たれた事など無いかの様に。さっきよりも歪んだ笑顔を見せながら。
「鬼ごっこって訳だな、じょーとー」
そう呟くと、走り出す。
それから十数秒。二人は南棟から北棟まで走った。奇妙な事にあれだけ走ったにも関わらず、誰にも出会わなかった。
「ちょ、ちょっと待て」
聖敬は進士の手を振りほどいて立ち止まる。それから、不思議な事に気付く。あれだけ全力で走ったはずなのに、息が全く切れていない。
「みーつけたあ」
そう言いつつ、木島が突っ込んできた。進士はグロックを構え、引き金を引き、弾丸が襲いかかる。パパッという音があがり、血煙もあがる。
だが、今度は木島も止まらない。構わずに接近――殴りかかる。進士の身体が九の字に曲がったかと思った瞬間、その身体を手が貫いた。異様な形をしていた。先端がまるで槍の様に鋭い。
かっっ、と声にならない呻きをあげる進士を、木島はまるでゴミでも扱うかの様に乱暴に投げ捨てた。
「とりあえず、死んでくれ」
そう言うと手を突き出す。聖敬の目は進士を見ていた。自分の親友が腹を貫かれ、もがき苦しむ姿を。
ドクン、心臓の鼓動が聞こえた。
ドクン、全身が震える。
ドクン、全身を駆け巡る”なにか”を感じる。
その”なにか”はこう囁いた。
――殺せ――と。
鼓動が早くなる。それに比例する様に全身に力が漲り――滾るのを感じる。
「うおおおおあぁぁぁぁぁーーーーーーっっっ」
まるでケモノの様な雄叫びをあげ、溢れ出る”衝動”にその身を任せる。
「何だよ、やっぱり【同類】なんじゃねぇか」
その姿を目にした木島は笑い、同時に興奮しながら襲いかかる。槍の様に鋭い手で突き刺そうと繰り出し、それは寸分違わず心臓を貫くハズだった。
バキン。
「ぐががっっ」
だが、その突きは弾かれた。木島は呻きながら自分の手を見た。手首が折れている。
「ちっ、なかなかやるじゃ……!!」
言い終わる前に木島はそいつに吹き飛ばされる。
ゴロゴロと転がりながら衝撃を抑え、態勢を整えると、相手の変異を目にした。
そいつは、完全なケモノ。
その目は獰猛な光が宿り、鋭く尖った牙。その手足は体毛で覆われ、手には鋭い爪。
そいつはまさに巨大な”狼”とでも云うべき姿をしていた。
『ウガルルルルル――』
その狼は唸り声をあげると、敵に襲いかかった。
瞬時に距離を詰め、その肩からのぶちかましで敵を吹き飛ばす。
軽々と飛ばされた木島は驚きながらも、背中から糸を飛ばして網を作る。トランポリンの様に身体が網で跳ねる。
「上等だっ」
そのままに反動で、ケモノへと向かっていく。弾丸の様な速度で射出された木島はくひゃひゃと、奇声をあげる。
ケモノは、態勢を低くし、四本足で構え――迎撃するように飛び出す。
ブシャアア。
肉の裂ける生々しい音。
「ぐぬぅぅぅぅ」
床に転がったのは木島。その上半身には深々と、抉り取られた傷が爪痕が残った。傷口からは、ドクドクと血が流れるのがわかる。
「く、どうも分が悪いな」
木島は目の前の相手に深手を負わされた事で逆に冷静さを取り戻す。
『グルルルル』
ケモノは自分の爪に付いた敵の血を舐め、ゆっくりと振り向く。
ガシヤアアン。
木島は窓から飛び出す。そして――
「くひゃひゃ、お前は俺が絶対に殺す」
そう叫びながら下に落ちていき、姿が見えなくなった。
敵がいなくなってもケモノは止まらない。唸り声をあげながら鼻を利かせ、他の獲物を探し――見つけた。
迷わずにその新たな獲物へと突進した。
「やれやれね」
獲物はそう声を出し――そこでケモノは意識を完全に失くした。
◆◆◆
「うぅ………っっっ」
聖敬は目を覚ました。身体が冷えるので確認すると、何故か裸で廊下に倒れていて、それに全身が軋む様に痛む。
「酷い筋肉痛だな」
そもそも何故自分が裸で床に倒れているのか分からない。そう言えば逃げていたハズだ。あれは夢だったんだろうか?
「え? ……これ血なのか?」
自分の右手に血がこびり付いていた。慌てて右手を確認したが怪我をした形跡は無い。
「気が付いたか?」
声をかけてきたのは進士だった。
さっきのは夢だったんだと、そう思おうとしたが、親友の腹にはハッキリと分かる刺された様な跡が残っていた。
聖敬は思わずうわっ、と叫び後退る。
「だ、大丈夫なのか?」
恐る恐る聞くと、進士は一瞬何の事か分からないといった表情を浮かべたが、聖敬の視線が自分の腹部に向いている事に気付く。
「これか? 何てこと無い」
「でも――」
「そんな事よりも、キヨちゃんはスッポンポンなのを何とかした方がいいんじゃありやせんかね?」
食い下がる聖敬に後ろから軽い調子で言葉をかけたのは、田島だった。
「田島、お前大丈夫だったんか? さっき変な奴が近くに……」
「……へ~きへ~き。だってこの一さんはあんなのと殺り合う【イレギュラー】なんて持ってないからな」
いつも通りの軽口だった。でも今、確かに言った。あんなのと”殺り合う”と。
やはりあの不気味な男は現実だったと理解した。更に、あんな異常な物を目にしたのに平然としている二人に驚く。
「お前ら――何なんだ?」
そう言うと、聖敬は疑惑の眼差しを二人の親友に向けた。
「もう隠せるもんじゃないな」
「だよな、んじゃ話をしようぜ。でもその前に」
田島は病院服を投げて寄越す。聖敬がそれを着るのを確認すると歩き出す。
進士も無言で追随し、聖敬は慌てて二人を追いかけた。
「簡単に言うと、もうお前は【目覚めたんだ】。新たな【マイノリティ】として」
エレベーターに入り、屋上を押した所で緊急停止ボタンを押すと、進士はそう話を切り出した。
「マイノリティ?」
当然、聖敬には何の事なのかサッパリ分からない。田島が補足の説明を始めた。
「マイノリティってのは、簡単に言えば人間の皮を被った別の存在ってトコだな、キヨちゃん。
例えば、さっきのアイツなら、身体を変異させて、【蜘蛛】みたいな姿になる事が出来る事が調べで分かってる。
んでキヨちゃんの場合は、進士の話だと【狼】みたいな姿になるみたいだぜ」
そう田島はなぁー、と進士に問いかけた。進士も、あぁと言ってそれを肯定する。聖敬は夢だと思っていたあの姿が事実だったと理解した。あのバス事故で、ケモノの姿をしていたのは間違いなく自分だったのだと。
思わず全身が震えた。あんな姿になる自分はもう、人間なんかじゃないと思えた。あの、蜘蛛みたいな男と何が違うのか、と。
聖敬の思いを察したのか、進士は肩に手を置くと言葉をかける。
「確かに、俺達は人間からは逸脱した存在だ。普通の人間よりも強い力がある。……でもな、だからといって、何をしてもいいって思うか? 例えば、自分は他人よりもずっと強いからってそれを使って他人を攻撃してもいいし、気に入らなければ殺したって構わないって思うか?」
進士は真剣な眼差しを向ける。
「いや、駄目だ……」
「……何が駄目なんだ? ……」
「……そうだよキヨちゃん、俺達は他の連中からぶっちぎりで優れてるんだ。それを好きな時に行使して何が駄目なんだよ…………」
「…………ダメだ!! 力があるからって、何をしたって許されるなんて――そんなのは絶対に…………」
その先を聖敬は言えなかった。さっきまでの事が事実だったならあの狼になっていた自分が、本能の赴くままに暴れていた事も事実だったと確信したからだ。あの時、自分が自分じゃないモノになっていた。手当たり次第に全てを壊したかった。もしも、あの時気絶しなければ――そう思うと怖くて仕方がなかった。
「大丈夫だよん、怖いんだろ? 自分がトンでもない事をするのかも知れないってよ。そう思える内はお前は間違いなくちゃんと――人間だよ、キヨちゃん。だよなシンちゃん♪」
田島の言葉に聖敬は思わず涙を浮かべた。こんな自分の事をまだ”人間”だと言ってくれる。
「……有難う」
いつの間にかエレベーターが、動いていた。進士が緊急停止を解除したみたいだ。
「だが、さしあたってちょっとした【問題】がある」
「問題?」
「あの蜘蛛男だ。アイツは間違いなくお前を殺しにまた来る」
進士は淡々と言った。聖敬はあの不気味な男を思い出し、また震えた。
「正直に言う、俺や一の【能力】はハッキリ言って、アイツを倒せない。それが出来るのはお前だけだ」
聖敬は言葉も無かった。そんな事を言われても、あんな化け物みたいな奴と戦える自信なんか無い。あの狼になれば勝てるのかも知れない、でもそしたらまた自分じゃ無くなるかも知れない――。
田島と進士が聖敬の肩を叩く。
「心配すんな、俺らがついてる。あんま時間は無いけど、そのイレギュラーの使い方を教えてやっからよん」
田島はニカッと歯を見せて笑った。その笑顔を見た聖敬は心底救われた気分だった。
チーン。エレベーターが、屋上に辿り着く。
◆◆◆
それから数十分後。病院近くの自販機置き場。そこに男、木島秀助が立っていた。携帯を手に誰かと話をしている。
「おい、どういう事だ?」
木島は怒りが収まらなかった。さっきの思わぬ反撃でその場を撤退した彼はすぐに電話を入れた。相手は、”九条羽鳥”。木島が所属するワールドディストラクション――通称WDのここ九頭龍支部の責任者で、かつて彼を組織にスカウトした女だ。彼女は言葉を返す。
――ですから、この件にWDは一切手を貸せません。
「何でだ? WGの連中がいるんだぞ? しかも別のマイノリティもいた、アイツはかなり強いイレギュラーを持ってやがる」
木島は言葉を荒げた。木島本人としては、正直一人でも構わない。だが、場所が場所だけに証拠隠滅等の手間を考えると、個人ではなかなか手間がかかる。
――確かに、その病院に今、WGのエージェントがいるのは確認出来ました。それにまだ目覚めたばかりのマイノリティが一名いるというのも確認しています。
「ならよ、少し位手を貸してくれてもいいだろが」
――何故ですか?
「何故ですかだと? 敵を減らしてやるって言ってんだ、証拠の隠滅位いいだろが!!」
――分かってないようですね。【クレイジースパイダー】。貴方は手順を間違えたのです、もしもWDの力を借りたかったのなら何故最初から連絡しないのですか?
「そ、そりゃ……」
クレイジースパイダーこと木島は思わず言葉に詰まった。
なおも九条は言葉を続ける。淡々と、一切の感情もなく。
――WDは個人の自由を認めてはいます。ですが、何事にも【例外】は存在します。例えば、数時間前のバス事故です。
貴方はあのバスに誰が乗っていたのかをご存知ですか?
「は? んな事知るか。俺が何をしたって自由なハズだ」
――あのバスにはWG九頭龍支部長である、小宮和生が乗客として乗っていました。その事を貴方はご存知で襲撃したのですか?
木島は、え? としか言えなかった。自分はただ、バイト感覚であのパペットから依頼を受けただけだった。アイツはこう言った。
――いいかい、少し予定変更だ。君はこれからあるバスを攻撃する。バスの乗客全員殺してくれ。そのタイミングはこちらで指示する。簡単な仕事だろう?
パペットはバスの乗客全員を殺せと言った。タイミングは指示するとも……。そして気付く、自分がハメられたと。バスの中にマイノリティがいるならあの位では死ななかったハズだ。現に、バス事故からは一人の生存者、あのガキが出てきた。マイノリティとして。
マイノリティの共通の能力である【超回復】。普通なら死んでしまう様な負傷でも短時間でそこから回復出来るそのイレギュラーによって、マイノリティは常人からは不死身とも思われる程の生存能力を手にいれている。よって、中途半端な攻撃では同類を倒すのはムリだ。
マイノリティを殺す方法は、リカバーでも追いつけない程のダメージを与える事、これしかない。
――貴方が何を言いたいのかは分かっています。ハメられたと言いたいのでしょう? パペットに
「そ、そうだ。俺は誰かにハメられたん……パペット……」
木島は思わず凍りついた。全てを知られていると分かり心底この電話越しの相手が恐ろしくなった。
――私が何も知らないとでも思いましたか? 貴方のバイト先での雇用主を。
ですが、そんな事は最早どうでもいいのです。既にWGは、あなたが支部長暗殺に関与したと結論付けています、実際その通りですから。小宮和生とは休戦協定を結ぶハズでしたが、あなたの失態で破談になりました。
その結果、私の進めていたいくつかの案件に多大な影響が今後出るはずです。
木島は自分の状況が著しく悪化している事を理解した。このままだと、WDも敵に回しかねない。そんな流れになっていると。
――この件にWDは一切の関与を致しません。
クレイジースパイダーと言う、元WDのエージェントによる暗殺への関与。これがWGへのこちらからの正式返答です。
それから心配なさらずとも、こちらからは貴方にエージェントは差し向けませんので……貴方がこの件を乗り切れればいずれまたスカウトもしましょう。では幸運を。
「ちょ、待て――」
ブツリと音を立て、そこで電話は途切れた。
「ふっ…………ざけんな!!」
木島は怒りに任せてその場にあった自販機を腕を変異させてぶち壊した。ピーピーピーと云うアラーム音が鳴り響き、続々とジュースが吐き出され、その中からコーラを手にし、その場を離れる。
歩きながらコーラを一気に飲み干す。
「ちっ」
思わず舌打ちした。さっきから自分をハメたあのパペットに連絡を入れてみたが繋がらない。
(完全に孤立無援ってヤツか……)
木島は上を見上げた。そこにはあの病院が見える。怒りが一気に増幅されるのを実感した。
「上等だ、だったら全員一人でぶっ殺してやるよ」
狂った蜘蛛――クレイジースパイダーは怒りに満ちた目をしていた。