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変わった世界――The strange world  作者: 足利義光
第四話 The person whom I want to protect――守りたい人
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拒絶の先に

 

 イレギュラーはマイノリティ各々の内面、つまり精神が反映される。

 彼がそう書かれた論文を目にした時、それをすんなり受け入れる事が出来た。腑に落ちた、と思ったからだ。


 ではそのイレギュラーは何を示していたのか?

 他者よりも早く距離を詰める事の可能な空間移動。

 制限があるとはいえ、一直線でさえあれば理論上では数キロ先まで一気に移動可能だし、その場所に予め仕込んでおけば、どんな武器も引き出して使用出来る上、使用後はそこに隠す事も可能。

 まさしく暗殺の為のイレギュラーだと言われたし、彼自身がそう理解した。

 だがある時、ふと思ってしまったのだ。

 他の使い道もあったんじゃないのか、と。

 無機物は別として、何故有機物は自分だけしか運べないのか? と。

 自分の周囲にいる者で空間移動を出来る者がいないから何とも比較しようがないが、彼らもまた、自分と同じく他者を運べないのだろうか、と。

 それで仮に彼らが、他者をも一緒に空間移動出来るのだとしたら、何故それが自分には出来ないのだろうか?


 それまでは漠然と感じていた疑問の答えは、自分の中にあったのだとすれば、分かる様な気がした。

 答えは”拒絶”だろう、と思った。

 彼の空間移動は、自分が他者と距離を置きたいという精神の発露なのだろう、とそう思った。

 同時にその拒絶は自分という存在に対しても同様であろう。

 他者を容易に殺め、そこから一刻も早く逃げようという自分の身勝手な考え、思い。それに対する”罪の意識”、呵責から逃げたい、それをすら拒絶したいという思いが発露したのだろう。


 何処までも卑怯で、卑屈な考えに精神が与えた能力イレギュラー

 だからこそ、彼は自分しか運べないのだ。一刻も早くその場から逃げたいという自己中心的な、身勝手な精神の発露なのだから。

 そう思った時、彼にはもう暗部の仕事が無理だと思った。

 この世で一番拒絶したいのは、他でもない自分自身なのだから。


 だからこそ、九頭龍に来た。母親を殺した際の言葉もあり、彼は一線から身を引いて考えたかったのだ。

 九頭龍に足を踏み入れて最初に感じたのは、”自由”だった。

 それは初めて味わう感覚だった。

 何をしてもいい、その事がとてつもなく難しかった。理由は簡単、このシュナイダーという赤毛のドイツ人青年にはそれまで人生に於いて自由など存在し得なかったから。



 彼は暗部の仕事として世界の国々を巡った。

 だが、その場で彼に求められたのは”目立たない事”。

 具体的にいうなればそれは”何もするな”という事だ。

 彼はその教えに従い、愚直なまでに順守してきた。

 同年代の少年少女が日の当たる場所で活き活きとした笑顔を、日々を過ごすのを尻目に、赤毛の少年はそうした表の世界には一切関わらずに生きてきた。

 憧れる事すら罪悪、そう教えられてきたのだ。

 シュナイダー、というこの名もそもそもは彼の本来の名ではないのかも知れない、極々ありふれた名前だから。自分が何者かなど考えた事すら無かったし、どうでもいい事だった。大事な事は自分という存在が暗器である事。

 彼は只々自分の一族の名誉の為にギルドという伝統ある犯罪結社の一員として、その裏のそのまた裏の存在である暗部として生涯を尽くす、それだけを求められており、彼もその事に一切の疑問を抱く事もなかった。

 彼は多くの命を奪ってきた。只々ギルドの利益の為に、その存続の為に何も考えずに暗殺者として凶刃を振るって来たのだ。

 無論、暗殺者として生きる為にも最低限のコミュニケーション能力は備えていた。

 目立たない、という事は傍目から見て、印象に残らないという事。それはつまり何処にでもいそうな極々平凡な存在でなくてはいけないという事だ。だから、どんな場所に、国に、地域に行っても彼はそこの昔からの住人の様に振る舞える様に訓練を受けていたし、実際その技術スキルの高さは九頭龍に来てからも、寧ろ来てからの方が役立った。

 シュナイダーは九頭龍に来てからというもの、極力汚れ仕事には関わらずに生活した。最初に派遣され暗部からの審問役を返り討ちにしてからは今日まで、戦う事もなかった。

 彼の戦場は人混み、雑踏等の日常の隙間からの暗殺から、人を相手にした口八丁へとその場を大きく変貌させた。

 最初こそ色々と戸惑いもしたし、様々な気苦労も味わったが、いつからか自分が暗殺者よりもこうした役割の方が向いている。そう思える様にまでなった。

 だが、それでも分からなかった。

 自由とは何なのか? それに対する答えが彼には思い至れなかった。死の間際に聞いた母親の言葉が何度も再生される。


 ――あなたを自由にしたかったの。


 あの言葉は一体何を子供に伝えたかったのか?

 そもそも、自由とは生きる上で必要な物だというのか?


 そんな事ばかりが、いつしか脳内をぐるぐると回る様になった。

 何だか分からないが、何故か不安に苛まれる様になった。

 そうしたある日だ。

 田島一に出会ったのは。

 あくまでもシュナイダー個人としてこの少年を気に入り、色々と振り回した。何故かは分からないが、この茶髪の後輩にだけは彼は今まで意識した事のない、初めての自分に気付く事が出来た。



 そんな彼に相手の魔手が迫る。

 アサーミアのイレギュラーは不明だ。

 それを知っていた彼の後見人にして暗部の一員だったその男は自分の弟子、いや子供の手にかかって死んだ。

 だが、一つハッキリとしている事がある。

 このままでは、

(田島君が殺されてしまう)

 それだけは確信出来た。あの不気味なまでの無表情な男、その全身から漂う不気味な殺気。その中心だと繰り出された手が語っていた。

 それは無我夢中だった。

 だからどうやったのかは分からない。

 だが、目の前でそれは起きた。

 田島は”そこ”にいた。


(な、何が起きた?)

 田島には何が起きたのかが理解出来なかった。

 気が付けば敵が起き上がり、襲いかかってきた。

 凶悪な雰囲気を纏った手刀が緊張の糸が緩んだ一瞬を逃さずに迫っていたはずだ。

 だというのに、今、田島はここにいた。



 ◆◆◆



 アサーミアには手応えがあった。

 確実に目の前にいた二人を仕留められる、そのはずだった。

 彼のイレギュラーの正体は”爆破”だ。その手で触れた物を即座に爆破出来るのだ。

 彼に武器は不要。敵がどの様な防備を固めようがその装甲は意味を為さず。触れてしまえばそれで終わりだ。

 彼の手自体が爆発物である為に、どんなに警戒しようとも彼はどんな場所にでも潜り込める。

 どんなセキュリティも素手の相手には警戒しようもない。

 彼に殺された相手は惨死する。その惨状を目の当たりにした警備の誰が気付けるというのか? 哀れな犠牲者のすぐ側にいる武器も何も持っていない男が犯人だと誰が思えるだろうか?

 故に彼の前ではどんな警備も無意味。

 握手をした相手を爆破し、肩に触れた相手を爆破する。

 また手で触れた花束を渡して爆殺。

 相手を建物ごと爆破し瓦礫の下敷きにもした。

 この凶手にかかれば全てが壊れる。


 思えばいつから爆破出来る様になったのだろうか?

 少なくとも元々の両親と暮らしていた頃は違っただろう。

 では、あの男に、育ての親にして仇の男に育てられている時だろうか?

(否、違う)

 何かが引っ掛かった。

 大事な事が抜け落ちている、そう思った。

 彼は己の凶手を振るった。あらゆる者を殺すその凶手を。

 そして無惨な肉塊を目にする都度、何かが崩れていく。

 最初こそ気になった。一体何が崩れていく様に感じるのかを。

 行使すれば行使する程に何が崩れて、失われていく。

 彼はいつしか物事に興味を抱かなくなった。

 金には困ってはいない。一般社会でなら数百年暮らせるだけの財産が手に入った。

 暗部の人間は本人が希望すればその立場から退く事が可能だ。

 その手立ては様々だが、多くの場合、財産分与でギルドは手を打つ。相場はまちまちだが、腕のいい暗殺者程に請求額は多くなるそうだ。

 アサーミアの場合、六割といった所だそうだ。

 だが、彼に引退という文字は最初から選択にはない。

 彼はいつしか知りたくなったのだ。徐々に失われていく”何か”が一体何であるのかを。

 それを彼に教えてくれるのは、殺し合いの渦中にこそある。そう彼には確信があった。だからこそ彼は問いかける。

「お前は教えてくれるのか?」


 だが今、目の前で起きたのは初めての感覚だった。

 確実に仕留めたはずの相手が目の前から失せた。そしてもう一人を凶手が掠めた。

 彼の中で何かが一瞬泡立った。

 だが、その感覚も長くは続かない。

 相手の命を奪ったいつもの感覚だけが手には残される。

 いつもの無味無臭の大した事のない感覚だけが。


 ダダッッ。

 同時に何かが全身を貫く。

 無数の”槍”が彼の肉体を刺し貫いていた。

 グラリ、とした槍の重みに彼は成す術も無く串刺しとなる。

「お前は教えてくれるのか?」

 そう呟く男に対する返答は更なる無数の槍。

 ドドドッッ。

 肉を貫く不快な音が滲んだ。



 ◆◆◆



「は、はは。た、ただでは済まさない、……よ」

 シュナイダーは手をかざしながら相手に言葉をかけた。

 今のは彼の空間移動能力の応用だ。

 直線上にある武器庫から無数の細槍を掴み、この場に運ぶ。そこから今度は直線上にいる相手に向けて空間移動。

 細かい計算の必要はない。何せ目の前に相手がいるのだから。

 アサーミアは何が起こったか分からなかった事だろう。

 気が付いたら無数の槍に全身を串刺しにされたのだから。

 正確には串刺しとも違う。単に槍を移動させただけの事だ。

 どの様な速さも関係もない攻撃。反応不可の”絶殺”の技。


「ま、こっちも無事じゃ……ないか」

「おい、何やってんだよあんたっっっ」

 田島が駆け寄る。

 駆け寄って、血の海に沈む生徒会長の身体を抱き起こす。

「ふざけんなよ、何でだよ――!!」

 田島には理解出来なかった。あの時、何でこの赤毛のドイツ人が自分を”移動”させたのかが。

 何でこの場で最も弱い自分を庇う様な真似をしたのかが理解出来なかった。

 何で自分を庇って、相手の攻撃を喰らってるのだと。

 言いたい言葉が山ほどある。

 だのに、

 言葉が出ない。

「くっそ、バカ野郎……」

 グチャグチャの頭で考えて出た、精一杯の言葉がこんな言葉である事が悔しかった。

「はは、ドジっちゃったか……な」

 シュナイダーは笑う。まるで何事もないかの様に。だが、その表情とは裏腹に彼の手足は微動だにしない。やけに鮮やかな鮮血が……最初から何も無かったかの様に、抉り取られ空洞の脇腹から溢れ出す。

 リカバーが発動していない。

 この事が指し示す事実は一つだけだ。

 もう、彼は助からない。

 彼の負った傷はリカバーでも回復出来ない程の重傷だったという事なのか、それは分からない。イレギュラーとはマイノリティ個々人でその効力が大きく異なるのだから。

「あんたに言いたい事があるんだよ、ざけんな……くそ」

「そ、そうかい。……なら今聞こうか? なーに時間ならあるさ」

 シュナイダーはまた笑うが、その顔からは急速に血色が失われていく。

「お、れか……ら言お、うかな。ちょいと眠い……し」

「何でも言えよ」

「気に病む必要はない、よ。おれは……いがいとい、い気分だ。

 きょうは……やけに雲が多いんだね。お日さまがみえない……。

 いいかい、きみはまだ……死ぬな」

「当たり前だろ! あんたより先に死ぬもんかよ。それにまだやりたい事があるんだろ?」

「はっは、それが……ね。どうも叶っちゃったのさ、だから別に無いんだ、も……うさ」

 シュナイダーの目の焦点が合わなくなる。

 口から血が滲む。

 ハッキリと感じる。彼の全身の鼓動が止まっていくのを。

「お、おい待てよ……待てって!! ざけんなよッッッッ」

 田島は絶叫する。死が迫っている事が否応にも分かるから。それを打ち消すかの様に大きな声で叫ぶ。


(何だよ、もういいんだ)

 もう声すら出せない。全ての力が失われていく。

(これが死ぬって事か……思ったより痛くもないんだな)

 自分がこうして死ぬ事は自業自得だろうと彼は思った。

 口でどう言い繕うとも、彼は多くの命を刈り取ってきたのだ。

 それに彼は何処か満足していたのだ。

 今、死の間際になって分かった。

 自分の空間移動能力で他人を救えるのだと。

 それは距離にしてほんの二メートル程度だ。

 だが、それは彼には大きな前進だった。

 ずっと思っていた疑念を今、払拭出来たのだから。

 母の言葉が今、分かった。

 自由とは、自らの意思で何かを選び取る事なのだと。

(おれ、出来たよな)


 ずっと思っていた。自分には、自分のイレギュラーには他の使い方があったんじゃないか? 心の片隅でそう思っていた。

 他者を殺す以外の使い方が今、出来たのだ。

「あ……!」

 だから、今、シュナイダーは初めて心から笑顔を浮かべた。

 自分の持つ拒絶の為の能力イレギュラーが初めて他人を守る為に使えたのだ。最高の気分だった。

(やれやれ、そろそろだな)

 そして彼は旅立った。その表情は何処か穏やかですらある。

 まるで寝ている様に。


「ば、何やってんだよ全くよ……ふざけてばっかりだから足元掬われるんだぞ…………これだからよ――」

 言葉が出ない。出してももう意味はない。そこに生者は自分しかいないのだから。

「同情なんかしないぜ。あんたが自分を守らなかった、それだけの事なんだからな」

 感情を押し殺す。まだ終わっていない。


 ぐちゃクシャア、気味の悪い音が聞こえてきた。

 あれだけ全身を貫かれ、地面により槍諸共串刺しになったはず。

 そのはずなのに。

 アサーミアは生きていた。その貫かれた身を無理矢理に動かしていく。無論、そんな事をして五体無事で済むはずもない。

 気味の悪い肉の裂ける音が不快な演奏会を奏でる。

 音がする度に血が飛び散り、筋肉の繊維が、臓物の一部が周囲に散らばる。

 それを信じられない事にアサーミアは全くの無表情で行う。

 文字通り顔色一つ変える事なく、眉一つ動かさずに。

 それを目にして正気を保てる人間はそうはいないだろう。


「お前は教えてくれるのか?」

 アサーミアは残された田島に問いかける。


「…………」

「そうか……死ね」

 田島からの返答がない事にアサーミアは淡々と宣告する。

 彼は雇い主から受けたのは外からの侵入及びに学舎からの脱出の阻止。だからこそ今、彼にとって獲物は目の前にいる田島のみ。

 ズタズタになった肉体がリカバーによって回復していく。

 悪い冗談でも見ている様な凄惨な光景だと言える。

 飛び散った臓物の一部が元へ戻っていく。

 うっかり早送りした映像を巻き戻すかの様な、趣味の悪いスプラッター映画の様な光景を目にすれば誰もが嫌悪感を抱いた事だろう。

 だが、田島はその光景にも眉一つ動かさない。

(…………けんな)

 アサーミアの右手がヌッと伸びる。

 その掌は微かに黒みがかかっている。彼が相手を爆殺する時の変化だ。この事を知る者はいない。

 それは彼自身ですら気付かぬ無意識下での小さな癖。

 そして彼の右手は田島に触れる。


 だが、妙な点に彼は気付く。

 触れたはずだ。なのに手応えが感じられない。

 確かにそこにいたはずなのに。

 すると次の瞬間。

 パアン、乾いた銃声が響き、アサーミアの身体がグラリ、と傾く。ゆっくりと銃声の方向に顔を向けるとそこにいたのは田島。

 田島が銃口を敵へと向けていた。

「お前は?」

 アサーミアの問いかけに対する田島からの返答は銃声。

 その弾丸は確実に相手へと命中。

 その胸部を、土手っ腹を、そして眉間。

 だがアサーミアは一切怯まない。残された獲物へと襲いかかる。

 カチ、カチと引き金を引いても弾丸は出ない。もう撃ち尽くしたらしい。

 そこに再度、アサーミアの右手が迫っていく。上から相手の頭を掴もうと繰り出される。

 決して早い動きではない。洗練されているという表現からは程遠い攻撃。戦闘訓練を受けた経験を持つ者ならこう判断を下す事だろう。彼にとって細かい戦闘技術など無用。

 ただ触れ得さえすればいいのだ。触れてしまえさえばそれで終わり。どんな相手であろうとも確実に仕留められるのだから。

「お前は教えてくれるのか?」

 アサーミアは再度その言葉を呟いた。



「はぁ、はぁ……ッッッ」

 田島は既に体力の限界へと近付いていた。

 かれこれどの位の時間が経過しただろうか?

 恐らくは精々が一分から二分。たったそれだけの短時間だろう。

 しかし今の田島の消耗は、とてもそんな時間でこうなったとはにわかには思えないだろう。

 全身にびっしりと汗をかいていた。まるで着衣したままプールにでも浸かったかの様にシャツが肌に貼り付いて、とにかく不快だった。

 遠目から見ている分には、田島は相手の攻撃を一回も貰ってはいなかった。攻撃を受けて、傷を負っているのは明らかにアサーミアであってどう見ても田島が優位に見えたかも知れない。

 だが、二人の様子を間近で見たのならそんな結論には決して達しないだろう。

 何故なら、アサーミアは傷を負ってこそいるがその動きに一切の衰えはない。だが、田島の方は違う。

 彼の作り出した”虚像”は最初こそ効力を発揮した。

 だが田島のイレギュラーである”不可視インビジブル実体サブスタンス”はあくまでも幻影、本物では有り得ない。

 一時的にこそ相手を惑わす事出来得るがそれだけの事だ。

 そこに攻撃、殺傷力は皆無であり、だからこそ田島一というWGエージェントは戦闘を受け持つ事はなく、あくまでも支援要員だった。


(くそっっ、くそ、くそ、くそッッ)

 今、彼は心から自身の非力さを罵った。

 目の前で人が殺された。そいつはいけ好かない男でいつも振り回されっ放しだった。本当に自分勝手な男だった。

(それなのに……)

 それなのに、彼は自分よりも他人を庇った。常日頃から好き放題に何でもやっていたあの赤毛のドイツ人が、あろうことか――。

(ほんっっとに勝手だよ)

 常識で考えればこのアサーミアを相手に出来る可能性を秘めていたのは明らかにシュナイダーだった。

 彼の空間移動能力があればそうそう相手に遅れを取るはずがなかった。

 田島は心底から悔しかった。

 自分の非力さに。

 自分の存在に。


 ガアン。

 派手な音が田島の耳元を掠めた。

 アサーミアの凶手が田島のすぐ後ろにあった乗用車を爆破せしめたのだ。咄嗟に前蹴りを繰り出し相手を突き飛ばし、間合いを取った。

 さっきから徐々にではあったが、確実に相手の凶手が迫りつつあった。もう虚像も大した牽制にもなり得ない。

 だが一方で少しではあったが、相手の破壊力も推し量れる様にはなった。

 視線を周囲に巡らせると小さなクレーターの様な爆発跡が幾つも刻まれている。その全てがあの不気味な男の手による物だ。

 しかしその爆発はどうやら然程大規模な物ではない。

 今しがた爆破された教職員の乗用車も音こそ派手ではあったが、吹き飛んだのはあくまでも触れた部分。具体的にはサイドミラー部分のみ。

 そこから導かれるのは、あの男の爆破はあくまでも彼の”手のひら”サイズの部分に限られるのだろう。限定的な範囲の爆破能力。

 それが相手のイレギュラーの正体。

(だが、だからって勝ち目はない)

 そう、相手の矛の正体を掴んだ所で、もう一つの疑問が解明できていない。

 相手の異常なまでの耐久力の高さが分からない。

 あれもまたイレギュラーだというのか?

 だとすればその相手の盾の正体を見破らない限り、この場での勝機など存在しない。


 不意にアサーミアが速度を変えた。

 さっきまでとは違い、鋭い踏み込みだ。

 田島は完全に不意を突かれた。

 さっきまでの様なゆっくりとした動きに慣らされた為か、それともこの僅かな時間で体力を消耗仕切ったのか、普段なら問題なく対応出来る速度がとてつもなく早く感じる。

 凶手たる右手が襲い迫る。あれだけは決して貰えない。

 何とか避ける事に成功。そこにアサーミアの左手が直撃。

 パアン、という甲高い音。

 グラリ、と脳が揺らされた。

 何て事のない平手だ。だがそれが田島の耳元を襲ったのだ。

 その一撃は三半規管を狂わせる。

 喉に何かが逆流するような感覚。

 膝に力が入らず、体勢が崩れる。

 そこにトドメを刺すべくアサーミアが右手を振るう。

 狙いは田島の顔。これを貰えば助からない、一撃必殺だ。


(くそ、弱いな俺は……本当によ)

 田島が死の間際に思ったのは己の無力さに対する悔恨。

 まるでコマ送りの様にゆっくりと迫り来る凶手を眺めながら、彼は思う。もう少し生きていたかった、と。

 別段、何かがしたい訳じゃない。

 進士とは違い、物心付いた時にはWGにいた彼にとって居場所は常に非日常。親しい友も九頭龍に来るまではいなかった。

 特に達成したい目標も長年世界の裏側にいたからか特にない。

 彼が日頃やっている事の大半は、彼自身の非力さを補う為の知識や外見の研鑽。傍目からは遊び人に思えるかも知れないが、彼個人の趣味等はそこに一切含まれてはいなかった。

 だが、敢えて一つ挙げるのならば、彼は今の生活が気に入っていた。任務の為の仮初めの学生生活だったが、そこで友達といえる相手が初めて出来たのだ。

 聖敬との会話は楽しかった。どうでもいいことを言うだけだというのに何でこんなにも心が踊ったのか。一緒につるんでいるだけで楽しかった。自分がこの世界で生きていても良いのかも、そう思える気がした。

 そして――気付いた。

(そうか……あんたも俺と同じだったんだな)

 同様の気持ちをあの赤毛のドイツ人は、自分に対して抱いたのだ、と。

 どうして気付いてやれなかった、そしたらもっと接しようもあったんじゃないのか?

 そんな思いが彼の中で込み上げる。

 思えば、あの生徒会長はいつも笑っていた。

 何度かは敢えて無理難題を押し付けた事もあった。それでも彼はいつも笑っていた。

(そうかよ、あんたは俺なんかを友達だと思ってくれたんだな)

 だから何だというのだろうか、今更遅い。

 アサーミアの凶手はすぐ眼前へと迫っていた。もうあの攻撃を躱せる様なタイミングではない。あとコンマ数秒位の猶予、これが田島一というマイノリティに残された時間。

 せめてもの救いは、自分が即死する事。そして恐らくは痛みを感じる事もないであろう事だろうか。

(ちぇっ、キヨちゃん、どうやら俺はここまでみたいだ)

 そう思った田島は静かにその時を待つべく目を閉じた。


 《何だ君は、もう諦めるのか?》


 声が聞こえた。それは聞き間違えるはずもない人物の声。

 たった今さっき最期を看取ったはずの赤毛のドイツ人の声。


 《そんな簡単に死のうだなんで思うなよ、それじゃおれの死が無駄死にみたいになっちまうじゃないか?》

(そんなの知るか、俺がいつあんたに助けてくれって言ったよ?

 ……それにあんたもう死んだだろ? 大人しく天国でも地獄でも好きな所に行っちまえよ)

 《くはは、すぐに行くさ。でもだ、君は今日死ぬなよ。まだやることがあるはずだよ――君の【全て】を使え。それが今、君が取るべき道だ…………だから……》

 目を開けろ、とその声は告げた。

 ハッ、瞼を開く。するとまだアサーミアの凶手は迫っていた。

 まだ死んでいない。そう田島は思った瞬間、脳がフル回転した。今、自分と周囲の様々な状況を鑑みる。

 それはまさに生と死の狭間に置かれた事により”ゾーン”に入った事により出来た事。

 高速回転する脳が様々な選択肢を選び出す。

 だがそのどれもが目の前の怪物に通用しそうにもない。

 アサーミアの凶手たる右手が寸前にまで迫ってきた。

 何の変哲もないその手の平からは途方もない怨嗟を感じる。


 ドンッッ。

 衝撃が身体を伝わった。

 だがそれは右手が相手を破壊したものによる結果ではない。

 右手は相手の顔のすんでの所で止まっていた。

 右手が届き得る寸前にアサーミアの身体を無数の細槍が貫いていた。それはまさしくさっき自身の身に突き刺さっていたあの細槍そのものだ。だがそれは有り得ない。

 あの細槍は今も地面に転がっているのだから。


「お前は教えてくれるのか?」

 アサーミアの目からは、彼が何を考えているのか推し測れない。

 ただその視線はある一点を見つめている。

 今、何が起きたのかを思い返してみる。

 一体何処からこの細槍の束を取り出したのか?

 さっき仕留めた男の攻撃に似ている。そう思った。

 だがアサーミアに驚いた様な様子は見受けられない。

 彼は顔色一つ変えない。ただ無言で右手を一閃。自身に突き刺さる槍そのものを吹き飛ばす。

 これでアサーミアと田島を遮る障害物は失せた。

「終わりだ」

 消え入りそうな声でそう呟くと無表情アサーミアはその凶手で相手へと触れようとした。


(…………考えろ)

 目に入った細槍の束を、気が付けば思い浮かべていた。

 何故そんな事を思ったのかは分からない。

 だが気が付けば彼は細槍を出現させていた。

(今更虚像が何の役に立つんだ?)

 そう思った。でも同時に彼はその細槍を”掴んでいた”。

 それは有り得ない事だ。

 虚像には実体がないはずだ。なのに、それは手で掴めた。

 考える暇等は無かった。

 田島は思い浮かべた。

(突き刺されッッッ)

 するとその細槍は突然宙を浮き上がり――敵を貫いていた。


 だが槍では相手の動きを僅かに押さえただけ。

 足止めにしかならない。

(考えろ…………思い浮かべろ)

 迷わなかった。そんな事これ迄試した事もなかったのに。

 出来ない、そう思っていた。

 虚像を脳内で思い浮かべる。それを手で掴むイメージだ。

(思い浮かべろ、それを。その煌めき、重さ、切れ味を――)


 その刹那。

 思い浮かべたそれを田島は一閃。

 宙を舞ったのはアサーミアの右手。

 そして田島の手に握られていたのは一振りの刃物。

 それは湾曲した刃を持ち、鉈の様な形状の、所謂”ククリ”ナイフであった。



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