表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
変わった世界――The strange world  作者: 足利義光
第四話 The person whom I want to protect――守りたい人
37/121

少女の目覚め

 

(あれ? ここは……)

 怒羅美影は目を覚ます。

 そこは狭く、真っ暗な空間。一寸先も見えない程に深い暗闇。

 感じるのは肌に張りつく様なジメジメとした嫌な湿気に、鼻孔を刺激するのは、それに伴う何かが腐った臭い……これは汚物の臭いだ。

(またここの夢か)

 それは彼女がいつの頃からか繰り返し何度も何度も見てきたある場所での出来事の光景。

 ここはかつて美影が何年もの間、過ごしたあの場所に違いない。

 彼女は子供の頃に誘拐された。

 それから数年もの間、怒羅美影という少女は表世界から完全に消えたのだ。


 後に実家に戻った際に知ったが、誘拐されていた間、彼女は自分が世間的には海外の親戚に預けられた、という”設定カバーストーリー”になっていたという事を知った。

 彼女の父親は世界的な商社グループのエリート幹部。

 だが、それは世間的な身分の偽装カバー

 実際には彼女の父親は当時はまだ組織化されてはいなかった各地の防人や、異能者、退魔師等を繋ぐ為に世界中を巡る云わばWGの代理人の様な事をしていた。

 父親は一般人だったが、その交渉能力を買われ、その仕事を当時、WGの設立を目論んでいた後の日本支部長である菅原に依頼され、その仕事を受け持ったのだ。

 彼が何故、裏の世界に関わったのかは未だに分からない。

 その事は聞いた事が無いし、聞くつもりもないからだ。


 何にせよ、そういう仕事を受け持った以上、そうした動きを警戒する組織なり、勢力がいてもおかしくはない。

 彼女の場合はたまたまその相手がWDだった、ただそれだけの事だ。或いはそれ以外の組織であれば、もうとっくに死んでいたのかも知れなかった。


 幼少時にイレギュラーに目覚めた美影は、ある日女性に誘拐された。当時は誘拐されたという実感は無かったが。

 彼女は何度も繰り返しこう言葉をかけた。

 ――あなたは選ばれたのよ、【世界】を変えてみない? 魔法少女になりたいのでしょう? ……それに。

 あなたにはなる事も出来るのよ、とその女性は優しく声をかけてきた。そう何度も何度も繰返し繰返しに。

 不思議な事に段々と怖さが消えていく。彼女の言う通りにすれば問題はない、そうとまで思ったのだ。

 冷静に考えれば彼女は子供だった美影を”洗脳”したに過ぎないのだろう。

 しかし、彼女は一体何者だったのだろうか? これだけ鮮明に思い出せる夢なのに、まるで昨日の事みたいに思い出せるのに、彼女の顔だけはいつも朧気で判然としない。まるで彼女には顔がないかの様にそこだけが分からない。


 幾度となく繰り返された言葉により、従順となった美影が連れていかれたのは、何処かの山奥にあった研究施設らしき建物だった。そこは広大な敷地のど真ん中にあり、とても真っ白な建物だった。誰かが確かこう呟いていた、”白い箱”と。

 そこは大勢の子供が集められていて、いずれも彼女と同様に変わった”魔法”を使えた。

 これまで自分だけだと思っていた魔法をここでは皆、当たり前に使っている。嬉しかった、自分が一人じゃない、と思えたのだから。

 でもそこは、決していい場所では無かった。何故なら――、


(何か聞こえる?)

 五月蝿い音だった。まるで何かのアラームの様な……!


「はっっ」

 その瞬間、美影は目を覚ました。耳をつんざく様なけたたましいアラーム音。これは支部内で何らかの問題が発生した事を示しているはずだ。

「うう、っっ」

 身体を起こしてみるとズキズキ、と全身が酷く痛む。

 自分が水色の病院着を纏っていた事で、何が起きたのかはほぼ思い出した。どうして自分がこんな格好なのかも含めて、だ。

「――やれやれね」

 自嘲する様な笑みを浮かべて、彼女はベッドから降りる。

 素足が床に触れるとひんやりとした感触を覚え、うっっ、と声を出し、反射的に一瞬身体がビクつく。普段なら気にもしない事に大袈裟に反応したのは、あの”夢”を見たからだろうか。


 身体が重い。無理もない、と自分でも思う。あの夜、相手の群体は一斉に自爆するのが分かった瞬間、無我夢中で”自分自身”を炎で吹き飛ばしたのだから。あの爆発を吹き飛ばされた先から目にした時、少しゾッとした事を思い出した。そしてホッ、としてそこで意識を失った。

(アタシは死なない、絶対に、何があっても)

 それは、彼女が自分に誓った事だ。どんな窮地にあっても、絶対に死んでたまるか。それはこの”怒羅美影”という少女の根幹にある絶対の”誓い”。これこそが幾度も死線を潜った彼女を絶対の死地からも生き延びてこさせたのだ。

(借りを返すんだ、アイツに……)

 彼女の命の恩人。もう生きているかも分からない彼に会う為に。もう一度会ってお礼を言う、ただその為に、その一念だけで数々の修羅場から彼女は生還してきたのだ。


 病室を出るとアラーム音は一層大きく、強くなった。

 よろける身体を、肩を壁に預けながら、ゆっくりと歩く。

 来たのは初めてだが、ここはどうやら支部の重篤者専用のフロアだろう。だから人が殆どいないのだろう。

 ここに入るマイノリティは死にかけの者なのだ。

 そしてマイノリティになった者に面会に来る物好き等はいない。

 そう、マイノリティになるとは”そういう事”だ。

 人と違う事、それは良いことだと親や先生に言われた事はあるだろう。でも、それは本音なのだろうか?

 マイノリティとなった瞬間、他人が彼らにどういう態度を見せるのかをこれ迄幾度も幾度も美影は目の当たりにしてきた。


 嫌な気分だった。人と違う事がどうとか綺麗事を並び立てる外面のいい人間に限って、いざ違う者になった彼らを「バケモノ」だと罵るのだ。

 そうした変節を幾度も目にし、その都度にあれだけ言っていた言葉は所詮、その程度の綺麗事でしかないのだと否が応にも思い知らされるのだ。

 幸い、美影の両親は違う。

 父も母も娘が別の存在になった事で彼女を嫌いはしなかった。

 それどころか優しく労ってくれた。だから救われた部分があるのは間違いないだろう。

(でもそんなのはほんの一部の人だけの幸運よ)

 そう、大多数の人は”差異”を忌み嫌う。

 肌の色、言語、思考、自分と違う”何か”に直面した時に人が取るのはその多くが”拒絶”だ。

 歴史は語る。

 拒絶は差別を生み、これ迄多くの悲劇を引き起こした。

 まして、マイノリティとは外見こそ同じだが、内面は完全に別の存在なのだ。それを知った時の他者からの拒絶が如何に残酷なのかは、あえて言うまでもない。

 マイノリティに覚醒した際にそのショックでフリーク化する者が多いのは事実だ。だが、果たしてそれはフリーク化した本人のせいなのか? 身近にいた信じる人に拒絶を受けたショックでそう成り果てる者も多いのではないのか?


(くっだらない……何を考えてんだ、アタシ)

 美影はそうした現場を幾度も目にしてきた。そしてフリークと化した彼らを迅速に排除してきた。

 彼女の炎は全てを焼き尽くす業火だ。

 灰となった彼らのどれだけがそうなるべき存在だったのか?

 理屈では理解してはいる。たった一人のフリークを見逃せば数万以上の一般人が死ぬ場合もある。

 そうした事例は幾つもあるのだ。

 ”最小の犠牲で多数の命を救う”

 それが彼女に与えられた仕事だった。

 自分が正しい等とは決して思わない。だけど、彼女がもしも見逃せば、より多くの命が絶たれる、それだけは嫌だった。だから。

 美影は全てを焼き尽くす。文字通りの意味で全てを焼き尽くしてきたのだ。

 その生きてきた証も何もかもを。


 人を消すのは簡単だ。

 生きてきた痕跡を消せばいい。

 ただそれだけだ。

 記憶は薄れていくのだ、痕跡がなければ存在の証明は出来ない。


 どうやらこのフロアを歩いているのは彼女一人だけらしい。

 あとは、彼女同様の重篤者だけが寝かされているのだろう。

 このフロアに足を運ぶのは初めてだが、ここは基本的に無人らしい。だから一見すると、何も異常がないのだろう。

 目の前にある扉は指紋と声紋、静脈を診断し、開閉する仕組みだった。間違って関係者以外が入らない為の措置だろう。


 ブイイイイイ。

 静かな音を立てて扉が開け放たれた。

 すぐに耳に届くのは破壊音に悲鳴らしき叫び声。

 どうやらかなり事態は悪いらしい。

「関係ないわ、通るだけ」

 美影は苦痛に顔を歪ませながら降りていく。



 ◆◆◆



「冗談でしょ……何これ?」

 思わず家門恵美は呆れた様な表情を浮かべた。

 今、彼女ともう一人。つまり林田由依の二人は物陰から状況確認をしていた。

 ここは支部のある病棟の地上一階。

 表玄関のあるフロアだ。

 エントランスには大勢の人がいた。ただし、彼らは一ヶ所にいる。その手足を拘束された状態で。

 そこには銃火器で身を固めた武装集団がいたのだ。

 人数は見たところ十人。

 いずれも顔全体を覆うガスマスクらしき物をしている。

 それは見た覚えがある、米軍が開発した対マイノリティ用の特殊装備の一つで、確か対フィールド用の防護マスクだ。

 あれを装着する事で、フィールドに覆われた場所でも一般人による軍隊でも通常運用が可能になるのだ。

 それはつまり、あの集団は一般人だという事でもある。

「由依、あの連中が何者か分からない……?」

 家門は小声で後ろに隠れるハッカーに声をかける。

 カタカタ、というキーボードを叩く音。叩くというよりは撫でているかのようにスムーズで軽快な音。

 その速度は素人目に見ても尋常ではない。

 何せ、秒速で一体何文字入力しているのかが近くにいても分からないのだから。

 林田由衣のイレギュラーは電気操作とそれに付随する情報解析。

 彼女にはネットワークの繋がりが”視える”。彼女にとって電子ネットワークこそが自分の庭である。

 彼女の腕前はハッキングで某国の諜報機関に潜り込み、そのまま数ヵ月もの期間を接続させたまま情報を吸い出していた事でも確かだ。ちなみにその事に気付いた諜報機関からは当然猛抗議が来たのだが、後日セキュリティの強化案を提出し、その後感謝状を貰っていたりする。

「……分かったよ」

 彼女の口調が違うのは、ハッキングをしている証左だ。

 ”ネットダイバー”の異名を持つ彼女がネットへ侵入している時、彼女からいつもの間延びした口調は消える。

 その時、その時だけは彼女は普段とは別人となるのだ。

 世界有数のスーパーハッカーとして。


 それは時間にすればほんの数秒足らずの事だった。

 だが、ここにいるハッカーは必要な情報を見つけ出す。

 彼女が一体どうやったのかは正直言って家門には理解出来ないし、それを知った所で意味はない。大事な事は林田が必要な情報だけを収集した、という事実だけだ。

 その映像は武装集団がここに来る前からだった。

 三人の職員が段ボール箱を運び込んでいる。

 その段ボール箱は合計で五箱。

 それを受付の前に置くと今度は清掃業者の制服を着た数人の男達が入ってくる。彼らはいつもの業者と同じ制服を着ており、尚且つIDまで用意していたらしい。

 それからすぐの事だ。業者の連中は何故か受付前にある段ボールを開け始める。

 その事を不審に思った警備員が近寄る。距離にしてあと二メートルになった時だった。

 キラリと銀閃が煌めく。直後に崩れ落ちる警備員の姿。どうやら喉を裂かれたらしい。段ボール箱からはアサルトライフルにショットガンが続々と出てきて、あっという間にフロアは占拠される光景が流されている。

「でもどういう事? この段階でアラームが鳴ってもおかしくないはず」

 家門は首を傾げた。

 この支部に所属している職員なら、不意打ちを受けたにせよ無抵抗では済ませないはずだ。その疑問に林田が答える。

「これ見て」

 それはほぼ同時刻。

 場所は支部の二階、そこは警備担当者の部屋がある。

 そこには常時十人の警備員が詰めており、有事の際には迅速に行動するはずだった。

 にも関わらず、彼らは何もしていない。何故なら、そこは既に制圧されていたから。

 六人の警備員が気絶したらしく倒れている。

 彼らを残った四人が手足を拘束し、縛り上げている。

 そのテキパキとした手際から、彼らがこうした作業に習熟している事は明白だろう。

 その四人は部屋を後にすると素早く行動した。

 階段を駆け上がり、六階へ。そこにあるサーバー室を制圧。林田は幸運にも難を逃れていたのだ。

 サーバー室を押さえられた事で、モニターに映る武装集団の行動に対してもアクションが遅れた、そういう事らしい。

「でも、それだけじゃないよ」

 林田の言葉に嫌な物を感じたが、知らずに済ませるという選択肢は今は存在しない。

 続けて画像データを見ていく。

 そこには混乱の極みに陥っていく支部の面々の姿が写っていた。

 彼らは襲撃を受けていた。

 相手は玄関にいる武装集団でもなければ、サーバー室を押さえた四人組とも違う。

 彼らは職員達だった。それも新人だけではなく、以前からこの支部に所属していた古株まで、無数に。

 彼らは外からの襲撃者達とは何かが決定的に違った。

 訓練の精度とかそういう問題ではない。

 彼らはまるで何かにうなされるように口を動かしている。

 何を言っているかはよく聞き取れないが、家門は一人の顔を凝視。唇の動きを読み、そして呟く。

「我らが女神、【ベルウェザー】の為に」



「つまりは敵は三つね。一つは玄関前に陣取っているあの連中。

 それからサーバー室を制圧した恐らくはプロの四人組。

 それから、ベルウェザーに操られたWGうちの職員達」

 考えるに、状況は悪かった。

 こんな派手な攻撃を支部に直接仕掛けるのは、裏を返すと他に何かを仕掛けているという事だから。

 つまり、こちらは足止めがメインなのだろう。

 その証拠に武装集団も、プロの四人組も、決して慌てる様子が見えない。彼らは自分達が時間稼ぎだと理解しているのだろう。


 それにそもそもこの段階で、支部の責任者に対して何の要求がない事が今、ここで起きている事態が彼女の考え通りである事を物語っていた。彼らには目的がないのだ、と。あくまでも指示の通りに動いているのに過ぎないのだと。

(どうする? 多分、時間はあまり無い。急ぐべきだけど)

 下手に仕掛けて犠牲者を出すわけにもいかない。

 家門が思考の海に嵌まりつつあったその時、林田が気付く。


「恵美ちん、見てこれ」

 家門は一人の人物の姿を認めた。

 彼女は深手を負った身体を引きずる様にゆっくりと歩く。

 まだ恐らくは目覚めたばかりなのだろうか、動きはゆっくりと、一歩一歩を確かめる様に慎重だ。

「美影……全くあの子は」

 いくらリカバーが発動したとは言っても、本来ならまだ絶対安静の重傷だ。彼女の傷はそこまで深かったのだ。

 一気に回復させる事も可能だが、回復に伴う急激な身体の変化は心身共に疲弊の原因ともなる。それをよく理解しているからこそ、美影は無理をしないのだろう。もっとも、既にこれ以上無い位の無理を現在進行形でしている訳だが。

「はぁ……由依、お願い……」

 家門は険しい顔で側にいた友人に頼みをした。



 ◆◆◆



「はぁ、はぁ……」

 ひたひた、と一歩を踏み締める。その足裏には仄かに熱が込もっているのだろうか、やたらと床がひんやりとしている様に感じる。

 出来るだけ交戦を避ける様に慎重に階段を使い、ゆっくりと歩く。もどかしい気分だった、自分の今の状態が。

 人の気配は殆ど無い。代わりに壁には爪痕が刻まれ、銃痕が残されており、ここでどういう事が起きたのかは大体察しが付いた。

 どういう手口かは分からないが、襲撃を受けたのは間違いない。

 それも一斉にだろう。

 今、彼女は四階にいるのだが、上の階もここも似たような有り様だったから。彼女はカメラが何処にあるのかを把握していた。

 だからこそ慎重に動く。

 出来るだけ交戦を避ける為には仕方がない。

 たった一人、今の彼女は正確な状況確認が出来ないのだから。

「ちぇ、流石にムリか」

 美影は小さく舌打ちする。

 そこにいるのは間違いなくマイノリティだ。

 何故なら、彼女はその手から炎を生みだしているからだ。

 周囲をしきりに気にしているその様子から、見張りか何かをしている様だがその目は虚ろで、焦点があっていないその目で何処を見ているのかあやふやそうに見える。

(正直言って負ける気はしないけど……)

 無駄な消耗は避けたい、そう思いながら思案を巡らせていた時だった。

 バチッッ。

 突然、フロアの照明が一斉に落ちる。

 明るかった病棟内がいきなり薄暗くなる。

≪今だよ≫

 誰かの”声”が聞こえ、美影は言葉に従い、慎重に歩き去る。

 見張りをしていたマイノリティは特に何をするでもなく、ただ呆けた様子でうろうろと周囲を見回しているだけで、簡単に出し抜く事が出来た。


「はぁ、はぁ……さっきは有難うございます」

 美影は援護してくれた何者かに声をかける。そこに姿はない。

 だが、分かる。誰かがすぐ側にいる、と。

 息づかいとでも言うのか、それとも気配か。

 ともかく、誰かの存在をかんじていたのだ。

≪いえいえーーー、気にすんなよ、ドラミちゃん♪≫

 その言葉は何処からともなく聞こえる。

 いや、何処からかはもう分かった。

 彼女の声は、美影の側に置いてあるPCのモニターから聞こえてきたのだ。そのモニターには騒ぎの中でそうなったらしきヒビが入っており、何も写してはいない。

 だが、そのスピーカーは生きているのだろう。そこから声は聞こえてきたのだ。そしてそんな事が可能なのは、彼女の知り得る限りたった一人、林田由衣だけだ。

 だったら何故、すぐにさっきの声で相手に気付けなかったのかと言うと理由は簡単。美影は林田由衣のイレギュラーを目にした事が無いからであって、気付けたのも彼女独特の間延びした口調でようやく思い出せたからだ。


「由依さん、ドラミは勘弁です」

 普段ならその呼び名を耳にした途端に般若の様な表情で暴れまわる美影も、流石に自分よりも目上である林田には表立って激怒はしない。少しだけ、ほんの少しだけ、全身を震わせていたが。プッツンするのは抑えた。


「ともかく、何が起きているんですか?」

≪うーーーん、そだね。どうも【潜ってみたら】ここを襲撃してるのは【NWE】だったよ≫

 林田由衣は相変わらずの間延びした妙な口調ではあったが、そう断言した。だったよ、と。

 彼女がこの”結論”を得るまでに擁した時間は僅かに三分。

 具体的に言えば、その事を知ったのは三十秒前だ。


 林田由衣、彼女のコードネームは”ネットダイバー”。

 その異名とも言える名の由来は、彼女が破格の技術を持つハッカーだからではない。

 彼女は文字通りの意味で”潜る”事が出来るのだ。

 彼女は意図的に自分の”意識”を肉体から切り離し、電子の世界に入り込む事が可能なのだ。

 広大なネットワークの海を泳げる彼女にはあらゆる防壁ファイアウォールすらも常人程の効果は期待出来ない。

 どんなに鉄壁の防壁を構築しようが、僅かな綻びを見つければ最後。一瞬で潜り込んでしまえるのだから。

 云わば彼女は電子の申し子とも言える。


 欠点としては、意識を切り離している際は、肉体が完全に無防備になってしまう事だろう。それに強力なイレギュラーだけあって、多用は出来ない、といった所だろう。


 今回の場合は彼女は電子化させた自分の精神を、襲撃者達の持つスマホから潜り込ませ、そこから無数のデータを確認。そこで浮かんだ共通の話題や固有名詞を調査。

 そうして浮かび上がったのが、

≪今、九頭龍支部うちの人気者、【ベルウェザー】ちゃんの名前だった。今回の襲撃も彼女の指示なのは間違いないよーーー≫

 その名前を聞き、美影は歯をギリッ、と噛み締める。

 思い浮かんだのは二週間前の彼女の人形が自爆する光景。

 それは、昨晩の薄気味の悪い人形みたいな同じ顔をしていた少年達の自爆と比しても圧倒的な威力だったと思う。

 昨晩のあれは周囲で一斉に連鎖爆発したからこそあそこまでの破壊力を生み出したのであり、単体であるなら精々が手榴弾より少し上の位でしかない。美影の苦渋に満ちた表情を見ていないのか、林田は続けて言う、

≪そんで、ついでだからベルウェザーちゃんの情報を調べたのよーーー、そしたら色々分かった。結構、重要な事もね≫

「……どういう事ですか?」



 そうして林田から聞かされた話。

 それはベルウェザーの”根幹”に関わる話。彼女の正体、弱点に繋がる話だった。林田は口調こそ間延びしてはいるが、その話、情報に関しては一切の私情を入れてはいない、あくまでも客観的に、俯瞰して話す。これは彼女なりのポリシーだ。情報分析を専門とする彼女なりの、情報という名の他者の”人生の歩み”に対して。どんな境遇の人物に対しても、客観的に最低限の敬意を込めながら。自分がそうした根幹に繋がる情報を簡単に暴き出す存在である事を戒める様に。


 一呼吸置き、美影は尋ねる「今の話を知ってるのは?」と。

≪ここまでの話は私以外なら恵美ちん、とドラミちゃんだけだよーーー学園にいる皆には連絡がいかないのよ。だから多分、そういう事だよ≫

「そうですか、私行きます」

 そう言うと美影はリカバーを発動した。

 全身に刻まれた熱傷に裂傷、骨折等が見る間に塞がり、それまでは重かった足取りも元に戻る。

 事情を知った以上、彼女の成すべき事はもう決まっている。

≪じゃあ、とりあえず、病院を出なきゃ。サポートするよーーー≫

 そして美影は動き出した。



 ◆◆◆



(…………)

 彼女は状況を把握していた。

 自分の”一部”を、より具体的に言い表すのなら、血液を与えた者達の意識を集約させる事で。

 それは膨大な視野、音、の情報の沼。

 海では決してない。そこまで広い情報の処理は彼女のイレギュラーでは出来ないから。制限した情報を深く、深く掘り下げるのが限界なのだ。

 その上で下手に集中を切らせば、彼女自身をも沼に沈みかねない。そういう危険をも孕んでいる為に慎重にならざるを得ない。

 彼女のイレギュラーは、自分の血液を用いる事で無数の人をも操る事が可能だ。一般人はもとより、マイノリティですら。

 現に”彼”は今、本来であれば味方であるはずの井藤と戦闘状態に入っている。

 意識を奪い、”刷り込み”をする過程で知ったが、彼は実にユニークな存在だった。一見すると、マイノリティである事以外は極々普通の学生にしか見えないというのに。

 どうしてこういう事が起きているのかは分からない。

(だけど…………何にせよ)

 彼女はその視線をクラスメイトに向ける。

 自分がどういう存在であるかを全く知る事もなく、何も知らずに日々を過ごしている西島晶へと、その暗い意思を込めた視線を。

 沸々、と沸き上がるのは”憎悪”。

 こんな感情を晶へと抱いたのは昨夜からだ。

 それは彼、つまり星城聖敬の深層心理に触れた事で或いは、彼女自身も影響を受けたのかも知れない。

 自分が秘める可能性も何も知らずに周囲から守られているだけの存在が憎かった。

(いい気なものね)

 まるでお姫さま、そう言いかける。そう実際、彼女はその様な存在なのだろう。この二週間、あらゆる伝手を用いて情報の収集をした。WG九頭龍支部にも何度となく足を運び、職員達を少しずつ籠絡させていった。そもそもの計画よりも早いペースで今の事態になったのも、恐らくは晶に対する”好奇心”だったのだろう。

 大勢の人間、WGやWDの一部さえもあの何も知らないお姫さまを守っている形跡がある。一説には、九頭龍ここでWG、WD双方が休戦状態になっている一因ですらあるとまで言われているらしい。流石に眉唾だろうとは思う。だけど、そう思わせる何かを彼女が秘めている証左でもある。


 だが、今は違う。

 今、彼女が晶に対して抱くのは彼女を如何に苦しめるか? それだけに過ぎない。

 そう、彼女の本質は憎悪。

 心から憎い相手を如何にして苦しめてやるかを、ずっと考えてきた。そうして生きてきた。

 その為にこれまでも様々な手段を講じてきたのだから。

(でも、もういい。今日で全てを終わらせてやるわ)

 悪意に満ちた視線と、企みが場を覆っていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ