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変わった世界――The strange world  作者: 足利義光
第四話 The person whom I want to protect――守りたい人
36/121

蠢動

 


 聖敬が倒れたと聞いて、井藤はすぐに保健室に足を運んだ。

 昨日から立て続けに起きる問題に彼は疲労感を覚えていた。

「う、っ」

 呻きながら足元が軽くふらつく。理由は簡単で彼は昨日から一睡もしていないからだろう。

 ちなみに彼は三日までなら不眠不休で動ける。

 勿論、無理をせずにという条件はつくが。


 彼がここの支部長を受ける前に所属していた日本支部直属の戦闘部隊ストライクでの訓練の一貫で、三日寝ずに訓練と、それを行う為のキャンプ場所がある。

 ストライクの隊員は必要とあらば戦地へと派遣される事もある。

 戦地ではいつ何時に敵の襲撃があるかも知れない。

 だからストライクの隊員には、そうした極限下に於いても必要最低限の食事だけで数日間耐えられるだけの肉体的かつ、精神的なタフさが求められる。

 その為の下地をキャンプで身に付けるのだ。

 その為に太平洋にあるWGが所有する無人島に彼らは送られる。

 そこでは三日寝ずにという内容とはまた別の訓練と、その為の三つのステップが存在する。


 まず最初のステップ。

 一週間、一人で生活する。

 これは文字通りの意味で、無人島に着くと彼らは一本水の入ったボトルだけを手に広大な森に置いていかれる。

 そこで、衣食住を全て自分で賄うのだ。それをおよそ二週間継続する。仮に隊員を見つけても協力はせずに自力で賄うのがルールとなっている。

 第二ステップ。

 今度はランダムで決めた三人ないし四人のグループでの共同生活を送る。役割分担等をしながら一週間生活する。これは前のステップをこなせば容易とも言えるが、協調性が必要となる。

 最後のステップは、戦闘も含めた訓練。

 期間は一週間。

 その間に隊員同士で互いが持つバッジを奪い合う。

 手段は問わない。

 一週間後に最低三つのバッジを持っていない者は失格。

 失格した者はストライクから除名、という条件だ。

 ここでは再び一人での行動となる。森にいるストライクの人数は訓練生を含め、最大で六〇人。つまり、残るのは二〇人となる。

 まずここでは個人で戦うか、もしくは仲間を見つけるかの選択肢がある。

 当然、仲間を集める方が有利だがここで罠がある。

 六〇人の中には何人か裏切り者が予めいるのだ。

 裏切り者は訓練の度に変わり、この最後のステップで動き出す。

 積極的に仲間を集め、そのバッジを狙うのだ。

 その為に、仲間を集める事にもリスクが高い。だから必然的に個人での行動を選ぶ者は多い。

 もっとも、井藤のイレギュラーの場合、周囲に誰もいない方が安全ではあるが。

 一週間、周囲に気を張りながら過ごすこの訓練を経た後は、数週間は気を張りっぱなしになる。


 云わば擬似的に作られた極限に近い状況を過ごす事でストレス耐性を高めるのが目的だ。

 マイノリティは個別差はあるが基本的に一般人よりも強い力を保有している。だがその力は油断すると容易に暴走する代物であり、ストレスはその要因の一つだ。


 井藤のイレギュラーは、あらゆる物質を溶かし、殺す”毒”。

 文字通りの危険物であり、体内で封じる事で周囲に被害を出さない様にしているのが現状だ。

 その為、彼は並のマイノリティ以上にストレス耐性を高める必要があった。何故なら、自分の毒を封じ続けるという行為そのものがある種の自傷行為なのだから。

 今は全身が病的にやつれる程度で済んではいるが、この先どうなるのかは分からないのだから。


 それに比すれば今は単なる睡眠不足に過ぎない。体内に毒を抱える彼にとっては大半の物事は大した問題ではないのだ。

 もっとも、ストライクの一員の頃と、今の様に支部長として一つの地域全体の治安及びに街の住人の安全を考えるというのでは、感じるストレス比は段違いに現在の方がキツかった訳だが。


 保健室の前には進士が待っている。努めて冷静さを保ってはいるが、それでも動揺を完全に隠しきれてはいない様に見えた。

「支部長」

「進士くん、彼は?」

「分かりません、いきなり倒れたので……」

「そうですか……」

 井藤は気付く。横にいる進士の物言いが妙だと。

 いつもなら歯に衣着せずにハッキリと意見を言うこの少年が、今は奥歯に何かが挟まっている様な、何か迷っている様に見えた。

「気になる事があるのですね?」

「ええ、でも俺の気のせいかも……」

「構いませんよ、言ってみて下さい。一人で抱え込む物ではないのですから」

「実は……星城なのですが」

 井藤の言葉に背中を押され、進士が意を決して聖敬の話をしようとした時だった。


 キィィィン。

 独特の音、それから空気が冷たくなるような拒絶する感覚。

「「【フィールド?】」」

 事態が動き出した。



 ◆◆◆



「で、何か用すか? 俺、保健室に戻りたいんですけど」

 田島は不満を込めた視線を隠す事なく、相手に向ける。

 その相手であるシュナイダーは思わず苦笑する。

「いや、それはすまなかったね。昨日は実に有意義な話が出来たから、そのお礼を、と思ってたんだけど……お邪魔だったらしい」

「全くもって仰る通りですねー、ホントに最高で・し・た・よ」

 田島はジト目で赤毛の生徒会長を睨む。

「は、はは。ソイツは良かった良かった。……田島君、あまり見つめないで貰えるかな? ……一応言っとくけどそっちの趣味はない……」

「……ざっけんな! こっちが願い下げだわ」

 昨晩の事を思い出した田島は思わず声を荒げた。いつもの軽い調子を装う気にもならない。

「ま、今のは俺も悪かったです。……どうもあんたと話すと調子が狂うもんで」

 そう言うと、はぁ、と分かりやすくため息をつく。

 正直言って、一刻も早くこの場を立ち去りたかった。

 この赤毛の生徒会長と話していると調子が狂うから嫌だった。

 この誰にでも明るく、女子には節操なしに声をかけるギルドからの監視役を見ていると、普段の自分を見ている様で嫌なのだ。もっとも、このドイツからの留学生がナンパに失敗しないのに対して、彼自身は連戦連敗な訳だが。

「いや、昨晩あれから調べてみたんだけど……」

 シュナイダーがそう言おうとした時だった。


 キィィィン。

 二人もまたその感覚に気付く。

 二人は即座に動く。何が起きたのかを確認する為に。

 二人は倒れる生徒達を慎重に避けながら廊下を駆け抜ける。

 そうして玄関に辿り着く。


「おいおい」

 思わず田島は絶句した。

 玄関前には人はいない。だがその代わりに別の者がいる。

 それは赤かった。

 全身が赤く、人に似せた形をしている。

 それは周囲を警戒する様に見回している。


「うわっっ、なんだよこれ?」

 声を出したのは生徒の一人。どうやら遅刻者らしい。

 一般人の様だが、フィールドが展開されている中、こうしてここまで来たのを見る限り、展開されている範囲は校舎内の様だ。

 その声に反応した赤いそれはゆっくりとした足取りで、生徒へと近付いていく。

「ちっ、仕方ないな」

 田島は即座に隠し持っていた銃を抜き出すと引き金を引く。

 パパン。二発の銃弾は狙いを違わず、それの両膝を的確に射抜き赤い何かは、ドザリ、と音を立てて崩れた。

「おい、大丈夫か?」

 田島が声をかけると、生徒の一人は口をパクパク動かしている。

 それも無理もないだろう、と田島は思った。

 いきなり真っ赤な人の様な姿の化け物を目にして、今度は銃を持った自分が目の前に来たのだから。着けているネクタイの色から上級生、三年生らしいがこんなのは日常とは程遠い事だろう。

 タン、田島は無言で上級生の首筋に手刀を当て、気絶させると、

「ふっっ」

 キィィィン。

 そしてフィールドを改めて展開。今度は学園、この高等部周辺に誰も近付かないように。その上で気絶した上級生を茂みへと運び込む。ここでは邪魔になりそうだから。

「さて、もう遠慮はいらないかな?」

 シュナイダーは立ち上がった赤い何かを相手にしていた。

 田島は足元に散らばるその残骸を手にする。

「血液……人形だな」

 そして即座に脳裏に浮かぶのは二週間前の相手、ベルウェザー。

 そう敵に思い至った時。

「どうやら共通の【友人】のお出ましだよ」

 シュナイダーは苦笑しながらウインクする。

 前方に人影があった。

 それはまるで歩くのが不自由かの様にゆっくりとした足取りで学舎へと歩いてくる。

「……なんだ?」

 それは、能面でも付けているのか、と一瞬田島は思った。

 その表情には感情がない、全くの無表情。

 その顔は異常だった。そこに浮かんでいるのは、意図的な無表情ではなかったから。

 プロ、と称される人種の中には意図的に表情を誤魔化す者がいる。例えば駆け引きが重要な要素となる、ポーカー等のギャンブル等がそうだ。ポーカーフェイス、という言葉がある通りに互いの手札を読み合う、一種の心理ゲームであるこうしたギャンブルで表情というのは極めて重要な要素だ。不要な手札をチェンジしながら相手の表情を伺い、賭け金を吊り上げていく。

 無表情とは相手に自分の精神状態を悟らせない為に、プレイヤーが相手に対して行う物だ。そうする事で自身の心理を悟らせない為の技術。この技術は勝負事と呼ばれる類いの物事に於いて極めて有効という点で共通事項だ。それは勿論戦闘でも同様に、だ。


 だがそれでも、意図的な表情には何処かに不自然さが残る物だ。手や足の動きまでは誤魔化せるものではそうそうないから。

 決して戦闘向きのイレギュラーとは言い難い田島の様なマイノリティがこれ迄に幾度となく前線に出張って生き延びてきたのは、彼が徹底的に相手の表情を始め、観察してきたからに他ならない。

 進士の場合は、相手の一挙一投足その全てを”観察”した上での予測だからこうした行為は必須だが、”幻覚”を投影するというイレギュラーである田島にとっても、観察という行為は極めて重要な事なのだ。殺傷力等は皆無の幻覚を投影する、という性質である以上、その使用は慎重にならざるを得ない。

 例えば、自分が逃げる為。

 例えば、奇襲を成功させる為。

 例えば、仲間を守る為。

 等々、様々な使い方は存在するが、幻覚である事が発覚すればその有用性は著しく低下してしまう。その為に最も有効な場面を見極めた上で使うのが重要なのだ。


 そういう意味では、今こちらに向かって来るあの無表情な男や、目の前にいる様な”人形”相手に彼のイレギュラーは有用性を低下させる。

 人形には二つのタイプがある。

 一つはマイノリティ本人が直接操作している場合、直接にも程度はあるが、主に思考や視角を共有している事が多い。この場合、人形にも幻覚は有効だが、同時にマイノリティ本人に手札を晒す事になる。

 もう一つは人形自体が動く場合。

 この場合は、人形は簡単な命令に従うロボットみたいな物だと思えばいい。この場合も幻覚は有効ではあるが、概してこういう場合の人形には何かしらの”強化”がなされる事があり、幻覚が勝負の決め手にはなりにくい。

 つまり、幻覚は”人形使ドールマスターい”には相性が悪いのだ。


 この場合の人形は恐らく後者。

 そして、こちらに迫る新手の男からは感情の波を感じられない。

 ある意味で、田島にとって最悪の相手だった。

(ち、ヤバイかもなこれは……)

 シュナイダーの戦闘能力が不明である事も不安材料であった。

 仮にも”ギルド”からの監視役なのだから、間違いなく戦闘力は持ち合わせているだろうが、それでも不安だった。


「やだやだ。荒事は嫌いだけど……仕方ないよね?」

 嘆息しつつシュナイダーは誰に言うでもなく、肩を竦める。

 そうしている内に血で造られた人形が背後から襲いかかる。

「もういいよ、君」

 彼は振り返る事なくそう言うと左手を無造作に後ろへと振り上げる。

 途端、人形の上半身がズルリ、と落ちた。べチャリ、と気味の悪い音を立てた上半身は落ちたゼリーの様に潰れた。

「正直言うと手の内を見せる気は無かったんだけどね」

 田島には何かが一瞬見えた、黒い何かが一閃するのが。

「田島君、手伝ってくれるかな?」

 その言葉に田島はハッ、とする。そう敵はもう近くまで来ていたのだ。シュナイダーからの情報通りの顔をした元ギルドの暗殺者。

 無表情アサーミアがすぐそこにまで。彼はこう呟く。

「お前は教えてくれるのか?」



 ◆◆◆



「恵美ちーん、大変だーーー」

 WG九頭龍支部。

 そこの自室で仮眠を取っていた家門恵美のささやかな休憩は林田由依がドアをドンドン叩く音で終わりを告げた。

 九頭龍支部は支部長である井藤謙二と副支部長である家門恵美が交代しながら指揮を取っている。

 井藤が学園の高等部教師をしていて、家門が事務員という肩書きで学園に籍を置いている。

 学園にはWGとしてではなく、”政府関係者”という事で二人の事については、予め話を付けている。その為に、家門は事務員ではあるが最近は支部のある九頭龍病院にいる事が多い。

 これは勿論、不測の事態に備える為である。

「わかったわ、三分頂戴。……顔を洗うから」



「それで何事?」

 家門は眠そうな様子を隠さずに問いかける。彼女にしては珍しく何処か緊張感がない様を見せるのは、相手が昔馴染みの林田だからだろう。彼女もまた家門同様に子供の頃から防人に関わってきたのだから。

「とりあえずこれ飲んでーーー」

 林田が投げて寄越したのはゼリー飲料。彼女の好きなコーラ味だった。同じゼリー飲料を飲んでいる彼女の様子も家門以上に酷い物だった。

 すっかり色褪せた年季の入ったジャージの上下に便所スリッパ。

 髪もボサボサの様子から見て、間違いなく彼女は徹夜したのだろう。彼女は一言でいえば”仕事中毒ワーカーホリック”だ。

 情報収集や暗号解読を受持つ彼女は多忙だ。この支部で誰よりも働いていると言える。

 ちなみに、このWG九頭龍支部のある九頭龍病院には職員用の寮が敷地内に用意されているが、例外として支部長である井藤と副支部長の家門、それからこの林田の三人は病院の地下に部屋を持っている。有事の際の即応性を優先した結果なのだが、林田由依という女性はそこにすら滅多に戻らない。

 彼女曰く、めんどいじゃないーーー、だそうだ。

 そういう訳で彼女の仕事場には仮眠用のハンモックが吊られ、簡易的なシャワー設備があり、冷蔵庫に電子レンジまで用意されている。最早、ほぼ彼女の住居と化している。


「恵美ちん、これ見てよーーー」

 一心地ついた家門に林田はタブレットを手渡す。

 その画面は昨日の街の様子を写した監視カメラや衛生写真、それから無人偵察機の画像が無数に並んでいる。

「これがどうかしたの?」

 家門はふぁぁ、と欠伸しながら昔馴染みに問いかけた。

「しょうがないなぁーーー、よく見てよ。これ」

 そう言いながら林田は無数の画像から一つを指差す。

 その画像はどうやら駅近辺の物らしい。

 時間は夕方五時。

 学生がたくさん駅へと入っていく所だ。

 その中に一際目につく人物がいる。

 その少女は鮮やかな金髪をたなびかせながら駅へ向かっている。

 彼女の容姿に大勢の学生や、駅利用者が好奇の視線を向けている。これは彼女が無意識で放つイレギュラーで、一種のフェロモンの様な物らしい。異性の本能を刺激するので、彼女はこの三年間、常に苦労してきた。先日のマリシャスマースの一件で彼女の脳に埋め込まれたイレギュラーを増強させるチップは除去済みだ。勿論、イレギュラーを完全に防げる訳ではないが、とりあえず命の危機は今ではないそうだ。

「エリザベスじゃない、目立つけど、これがどうかしたの?」

「じゃあ、これ……よく見てよーーー」

 続いて見せられたのは駅裏らしい。時間は前とほぼ同じで午後五時二分。こちらにも大勢の人が写っている。

「ん、何?」

 家門は思わず顔を近付けた。

 そこに写っている金髪の少女には見覚えがある。

 二分前に彼女は駅近辺、正確には駅の正面入口にいたはず。

 早足で歩いたのだろうか?

「じゃあ、これ」

 林田は更にもう一つ画像ファイルを見せる。

 それは駅のホーム内。そこには電車待ちの人の列が出来ている。

 そこにも金髪の少女、エリザベスは写っている。

「由依、彼女をストーキングでもしてるの?」

 呆れた声を出し、横目で見る家門だったが、林田の目は真剣だった。彼女は言う、時間を見てよ、と。

「え?」

 その画像の時間表示は五時二分。

「どういう事?」

「簡単な事だよ、二人いる」

 林田はアッサリと言うと、更に画像を引っ張り出す。

「気付いたのはついさっきだよ、マイノリティのチェックしていて、エリザベスちゃんを見つけた。何となく気になったんだ。だから彼女をチェックしてみたら……同じ時間に同時に二人いたって訳だよーーー、多分どっちかが……」

「……人形?」


 その時だった。

 突如、アラームが鳴る。これはマイノリティにしか聞こえない音で、意味するのは”襲撃”。

「由依、私から離れないで!」

 家門は即座に動く。

 彼女がいる地下には階段とエレベーターがある。

(危険なのはエレベーター、階段ね)

 通路を歩いている内に照明が落ちた。視界は真っ暗になりすぐに非常電源に切り替わる。どうやら主電源を落とされたらしかった。

「何者かは知らないけれど、やるわね」

 舌打ちしたい気分だった。この病棟の主電源は襲撃に備えて外ではなく、内部にあるのだから。

 敵がどの程度の規模かは分からないが、その場所に素早く到達したという事ならかなりの精鋭部隊だろうか、とそう思っていた時。


「うわあああ」

 階段を転げ落ちて来たのはWGエージェント。手には銃を握っているが、発砲した形跡は見受けられない。

 気を失っており、家門は銃を採ると林田に手渡す。

「持ってて、どうも危ないわ」

「でも撃ちたくないよ」

 林田は戦闘能力はほぼ皆無だ。銃を撃つのはせいぜい訓練の時位の物で成績は悪い。そもそも銃を始め、武器の類いを嫌っているのだ。家門も、出来れば渡したくはなかった。

「それでも持ってて」

 今の状況ではこう言うしか無かった。



 慎重に階段を登る家門とそれに付いていく林田。

「恵美ちん、これーーー」

 どうやら林田は病棟内のカメラ映像に接続したらしい。

 そこに写っているには九頭龍支部の職員達の姿。

 彼らが一斉に逃げ惑う姿がそこには映し出されていた。

 それは異様な光景だと言える。

 彼らの大半は一般人ではあるが、訓練を受けている。

 緊急時には最低限の自己防衛を行える事がWG関係者には求められる。例外は、林田のような欠点を補って余りある長所を持つ者だろうか。極端に言うなら彼らは一様に多少の襲撃位ならば自力で対応出来うる人材なのだ。

 その彼らがこうも逃げ惑うとは俄には信じられなかった。

「由依、映像を切り替えて」

 思わず声をあげ、横にいた林田を催促する。

 林田も緊急時である事は重々承知している為か、黙ってカメラを切り替えた。

「これは……?」

 その映像を見た二人は言葉に詰まった。


 その映像には、病棟内の施設を破壊する集団がハッキリ映し出されていた。彼らの大半は素手で研究室の資材を破壊している。

 そして、彼らはその全員がWG九頭龍の職員だった。しかも、マイノリティのだ。

 それで合点がいった。

 何故、訓練を受けている職員達が混乱しながら逃げ惑うのかが。

 それは相手が身内だからに他ならなかった。


「恵美ちん、ヤバイよこれーーー」

「ええ、こんな大規模な攻撃……普通なら無理よ」

 WGの関係者には徹底的な身元の洗い出しが行われる。

 敵対する組織、例えばWDからの密偵等に対する当然の対処として。勿論、それでも完璧ではない。WGの密偵がWDへ潜入する様にその逆も起こりうる。それでもせいぜいが数人がやっとだろう。

 もっとも、それでも充分に脅威には成り得るが。

 だが、これは異常過ぎる光景だと言えた。

 数十人規模のマイノリティの蜂起など、そうそう起こる事等ではない。


「恵美ちん!!」

 林田が叫び声をあげた。

 反乱を起こした職員の一人が階段を飛びかかる様に襲いかかって来たのだ。その腕は刃物の様に変異しており、職員が肉体操作能力ボディで戦闘を担当するエージェントなのは明白だった。

 確か、ここのセキュリティ担当のはず。

 刃物の腕が首へと向かって来る。

 家門は上半身を反らしながら右手にリボルバー拳銃を発現させる。着地した相手の膝を蹴りつけ、姿勢を崩すと眉間に拳銃を突きつけ引き金を引く。

 バアン。

 ドサリ、とそのエージェントは崩れ落ちた。


「恵美ちん、殺しちゃったの?」

 恐る恐るといった様子で林田が聞いてくる。彼女は戦闘はからっきしだ。こういう現場を直に見たのは初めてかも知れない。

「いいえ、撃ったのは麻酔弾よ」

 家門の言葉を示す様に撃たれた相手は静かな寝息を立てている。

「状況が判然としない以上、排除は出来ない。それより急ぐわよ、今ので銃声を聞き付けて彼みたいな相手が集まるかも」

 家門はそう言うと先導して動き出す。林田も慌ててその後を追った。



 ◆◆◆



「学園内に異常はありますか?」

 井藤は様子を見て戻ってきた進士に尋ねる。

「いえ、今の所は単にフィールドが張られた位みたいです」

 進士は訝しむ様な声を出す。その通りだった。フィールドはマイノリティが一般人を無力化、もしくは現在地から追い出す為に展開するものだ。展開したからには何らかの動きがあって当然の事なのだ。彼らは玄関先で戦闘が始まっている事をまだ知らない。

「とにかく。ここから動かなければ、私が行きます。進士君は星城君を……」

 そう言いかけて、井藤は黙った。

 ベッドに寝かされていたはずの人物がいなかったから。

 そしてその人物が何も気付いていない、進士へと肉迫していたのだから。

「進士君!!!」

 咄嗟に進士を突き飛ばす。そして襲いかかってくる聖敬の振り降ろしを両腕を交差させて受け止めた。

 聖敬はまだ変異してはいなかったが、それでも常人を遥かに凌駕する身体能力からの一撃は重い。ミシミシ、と全身が軋む様に痛む。

「がああっっっ」

 まるで獣の様な雄叫びをあげた聖敬は後退すると、唸りながら身構える。

「おい、何をしてるんだ聖敬?」

 進士は聖敬の行動に困惑していた。無理もない、と井藤は思う。

 自分だって実際、動揺しているのだ。自分よりもずっと彼と付き合いの長い進士が平静さを失ってもおかしくはない。だが、

「進士君、下がって下さい 。……彼の相手は私がします」

 井藤は支部長だ。責任者である彼が優先すべきは身内を守る事に敵の排除。聖敬が敵だと判断するのにはまだ確信はなかったが。

(だが今の彼は……)

 聖敬の様子は明らかにおかしかった。

 普段の彼とは似ても似つかぬ獰猛なその形相。

 その双眸にはハッキリとこちらに対する殺意とも取れる敵意が浮かんでいる。

 不敵な口元からは凶悪さを醸し出す牙が覗く。

 それは一匹の獣、狼であった。

 井藤は、ふぅ、と一呼吸。その右手の指先に意識を集中させていく。爪先から紫色の液体が滲み出していく。

「うあがああああ」

 聖敬が先に仕掛ける。さっきよりも早く鋭い踏み込みから変異させた右手の爪先が獲物を切り裂かんと襲いかかった。

 ジュワワッッッ。

「くっっ、流石に無傷とはいきませんね」

 井藤が肩先を押さえている。そこには聖敬の爪による傷が刻まれていた。だが、同時に聖敬も無傷ではない。

 爪が切り裂かんと襲いかかった瞬間、わずかに早く井藤の指先から放たれた毒の雫が命中していたのだ。

 その一滴の雫は聖敬の肉を、筋肉を一瞬で溶かし、その攻撃の勢いを削いだのだった。命中した右手からは煙が上がっている。


 進士は今の攻防を目にして息を飲む。そして問うた。

「……アイツを殺すんですか?」

 と、そう問いかけるのが精一杯だった。今の攻防だけでは判断しがたいが、このままでは井藤が不利なのは間違いないだろう。

 何故なら、聖敬はまだまだ変異していける。それに伴う戦闘能力の向上もある。

 だが、井藤の場合は少し事情が異なる。

 体内に封じられた毒を解放するという事は、周囲に甚大な損害を与える可能性を孕む。だから迂闊に本気を出す事は出来ない。

「手を貸してください。【三人】が生き延びる為に」

 その井藤の言葉を聞いた進士は、無言で頷いた。



(フフ、始まったわね)

 その様子を見ている者がいた。

 ここだけではない。

 現在の玄関先での状況に、WG九頭龍支部の状況をも見ている者がいた。自分の作り出した人形に自分が”影響”を与えた相手が見ている光景を本体である彼女は共有出来るからだ。邪魔が入れば見れなくはなるが、少なくとも彼女は今、安全な場所にいる。

 そして彼女はほくそ笑む。

(上々ね、これで邪魔なWGの奴らは簡単にはここにこれない)

 彼女は今、自分がいる場所を見回す。

 ここは教室。聖敬達のいる教室だ。

 ”ここ”だけは他の場所とは違う点があった。


「一体どうなってるんだよ?」「扉が開かない」「電話もダメだ」


 クラスメイトが困惑している。

 そうここだけは敢えて”フィールド”を張っていないのだ。

 理由は簡単だった。

(さぁ、ハッキリさせないとね……)

 彼女は晶へと視線を向けた。

(……あなたがマイノリティなのかを、ね)



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