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変わった世界――The strange world  作者: 足利義光
第四話 The person whom I want to protect――守りたい人
34/121

記憶と思惑

 

(え、何?)

 気が付くと、目の前は真っ暗だった。

 全身が気だるい、とにかく気持ち悪く感じる。

 朦朧とする意識の中で感じるのは風を切る様な感覚と、熱気。火ではない、人の体温だろうか?

(なによ一体)

 彼女はゆっくりと目を開く。

 突然飛び込む、無遠慮な照明の光に思わず目が眩み、思わず瞼を閉じてしまう。

 僅かな一瞬ではあったが、周囲にいた人は白衣を着ていた様に見えた、だからここは病院らしいとは事は分かった。

 さっきから身体が何故か震える。まるで自分の身体とは思えない位に不自然に、小刻みに何度も断続的に震えている。

 瞼を少し開く。そして見えたのは担架に乗せられ、運ばれている誰かの姿が透明の窓に写る。

(一体誰?)

 そう思っている間にも自分の身体は震える………。


 少しの空白。

 そしてようやく理解出来た。今、自分が運ばれているのだ、と。


 その認識の途端、声が轟いた。

 大声で、まるで怒号の様な声をあげるのは人物には見覚えがあった。確か九頭龍病院の救命士だったと思う。

 その様子からはかなり切羽つまった状況らしい事が否応なく伝わった。

 全身に力が入らない。

 それに、ひどく痛む。

(一体、何があったんだっけ――?)

 少女はそうボヤける意識の中で脳を働かせようと試みた。

 だが、そうこうしている内にも周囲の喧騒は激しさを増す。

(まるで戦争みたいな騒ぎね)

 状況が把握出来ず、苦笑しそうだった。

 だが笑おうにも、顔にすら力が入らない。

 それに自分が何を思い出そうとしたのかも分からなくなった。

 彼女が朧気に見た最後、それは手術着を着てマスクをした医師らしき人物が自分の口に呼吸器を付けようとする光景。

 そこで彼女の、怒羅美影の意識は途絶した。



 手術は夜通し行われ、手術中の赤いランプが消えたのは翌日の朝六時の事だった。

「それで彼女はどうなんですか?」

 支部長である井藤は、今にも掴みかかりそう勢いで執刀医である”志賀島しかの一夫かず”に問う。

 一見すると風采のあがらない穏和そうな五十代の中年男性。

 この志賀島もまた、当然の事ではあるがマイノリティである。

 マイノリティは、個々人で程度の差は存在するものの、一般人とは身体に差異が存在する。その為に病院での検査は鬼門だった。

 もっとも、それらの差異に気付かれない場合もあれば、当事者であるマイノリティ自身がその事を隠蔽する場合もある為、必ず発覚するとは一概には断言出来ないのではあるが。

 WGの場合は、各支部に必ず最低限の備えとしてエージェント、もしくは”協力者”の医療従事者を規模に応じて最低人数確保している。九頭龍支部の場合は志賀島医師がそのメンバーであり、彼を筆頭に他に五人の医療チームが存在する。


 怒羅美影が重傷で見つかったのは昨晩の午後九時半過ぎの事だった。

 まずは、WGは田園地帯にて”フィールド”の展開を確認した。

 すぐに発見出来たのは、その田園地帯の側には団地があり、そこにはWG九頭龍支部にとって最優先監視対象とされる少女、”西島晶”が暮らしていたからに他ならない。

 急行したWGのエージェントが現地に到着したのは同九時二十分。現場には大きなクレーター状があったものの、誰も確認出来なかった。そのまま周辺を捜索している内に最初の地点からおよそ二百メートル程の地点に無数の爆発した様な痕跡。

 そこから更に五十メートル離れた場所にて、ようやく怒羅美影を発見したのだった。


 井藤が志賀島から聞いた話では美影は酷い状態だった。

 その全身には無数の裂傷及びに重度の火傷を負い、その上に意識混濁。その結果であろうか、リカバーすら発動せずに危うく死ぬ所だった。


「とりあえずは手術は成功だ。リカバーが発動すれば怪我も大分軽減される事だろうし、後は意識の回復を待つだけだな」

 志賀島は、汗を拭いながら自分に食い付く様に詰め寄る支部長に淡々と事態の説明をした。

「支部長、落ち着いて」

 後ろに控えていた、副支部長の家門恵美が諭す様な口調で井藤に言う。


 ガララガラララ。

 そこに美影が運び出されてきた。その様子を目にした井藤は思わず、ギリリ、と歯軋りをする。

 それは痛々しい姿だった。

 顔に、手に、足に肌の露出している部位には無数の縫合跡が生々しく残されている。顔の半分は火傷により肌の色が変色しており、本来であれば、一般人であれば彼女は皮膚移植をしなければいけない程の重度の火傷を負っているのだと、否が応にも知らされる。


「全く。大したネェチャンだぞ……あの怒羅美影ってのは。

 何せ、普通なら間違いなく致命傷になり兼ねない大怪我だってのに、【自分】でそれを防いでいやがったんだからな」

 志賀島は肩を落とした支部長にも聞こえる様に声を張り上げる。

「? ……どういう意味ですか?」

 思わず井藤が質問した。

「言ったままの意味だ。ま、あくまで推測だけどな、あのネェチャンは致命傷に負っちまう前に炎で自分を【吹き飛ばした】のさ……確か、彼女は【炎熱系】のイレギュラーだったよな? …………明らかに爆発時の裂傷と、全身の大火傷は別物だったからな。いや、すげえぞ、まだ十代のお嬢ちゃんとは思えんな、ありゃ」

 まったく大したネェチャンだ、そう志賀島は言うと立ち去る。

 井藤は一言、良かった、とだけ呟くと壁に寄りかかり、はぁ、と深く息をついた。



 ◆◆◆



 家門は井藤が何故あそこまで取り乱したのかを知っている。

 彼は、自分以外の他者が傷つくのに耐えられないのだ。

 それは十年前、彼の兄であり唯一の肉親だった井藤啓吾が”解体者ブッチャー”の起こした事件に関わり、無残に殺された後の事だった。

 井藤啓吾の、当時の葬儀に参列した彼女は見ていた。

 当時、既にマイノリティであった彼女は、まだ一般人の井藤謙二が自分の一部を喪失したのをそこで目撃した。

 同時に、何故そんなにも傷つくのかが当時の彼女には理解出来なかった事もよく覚えている。

(所詮、他人でしょ)

 そう当時の彼女は思った。何故なら、その時の彼女は人の心の機微に無頓着であったから。自分の身は自分で守るのが当たり前の事として彼女は育てられた。

 両親というべき存在はいた。

 一応、母が自分を身籠り、出産した事も知っていた。

 父親もいるにはいたが、彼は家族を省みる事はなかった。

 彼女は物心ついた頃にはイレギュラーを扱っていたそうだ。

 元々彼女の一家、一族は先祖代々防人の”家系”であったらしい。とは言え長い歳月の内に徐々に力を持つ者は減っていったそうで、彼女の父親の代には一族で彼が最後の一人にまで没落したそうだ。そうした中で一族にとっては待望の子供が生まれたのだ。

 だがそれは恵美にとっては幸せな事ではなかった。

 待っていたのは、厳しい訓練の日々。

 父親はイレギュラーに目覚めた、まだ幼子の、自分の娘を徹底的に鍛えた。今から思えば、それは傍目から見ても異常だった事だろう。父親は決して娘を娘として見ていなかったのだから。

 彼女の父親はマイノリティではあったが、決して強いイレギュラーを持ってはいなかった。その事がコンプレックスになり、ああいう形で表に出たのかも知れない。


 当時、マイノリティの各地での急増に従い、イレギュラーを用いたと思われる怪事件が頻発した。

 彼らは薄々ではあるが気付いていた。

 それまでは、各地に点在していた防人に、陰陽師等の退魔師とされる人々はお互いにこれ迄の様に牽制し合う様な関係を続けていては、この急変には最早対応出来ないであろう事を。

 そうした事態を解消する為に、彼らは和合する事を考えはじめていたのだった。

 それは当然、旧来からの仕組みを壊す事に繋がる。

 そこで、様々な軋轢が生じた。

 一部の防人達は、こうした動きに激しく反発したのだ。

 それはこの九頭龍でも例外では無く、集団を二分する争いにまで発展したのだった。

 そして、家門恵美の父親はそうした反対派の中心人物であり、菅原とは激しく争い…………死んだ。

 それを彼女は目の前で目にした。


 何も感じなかった。

 目の前で父親が死んだと云うのに。

 心には微かな波も立たなかった。

 母親は、ショックのあまり自殺した。

(馬鹿じゃないの?)

 死ぬのは弱いから、死にたく無ければ強くなれ。

 彼女はそう、父親だった男に教え込まれた。

 彼女は、その言葉に従い、様々な人を殺した。

 誰もが彼女を一見し、気を抜く。

 目の前のあどけなさを残す少女が、まさか自分を殺す為に送られた”刺客”だとは思いもせずに。

 たった一発で充分だった。

 作った笑みを浮かべて、無邪気な振りをして、肉薄した瞬間に拳銃を発現。即座に射殺する。狙いは眉間。確実に仕留める為だけにただひたすらに訓練を積まされた。

 何の事はなかった、彼女は単なる殺し屋として扱われたのだ。

 殺した相手を後に調べてみた。確かに彼らの大半は、マイノリティだった。ただし、同じ防人の、反発する派閥の人間もその中には大勢含まれていたのだ。結局はそういう事だ。彼女は身内を殺す為に、父親が邪魔だと感じた相手を始末する為に鍛えられたのだった。

 誰を殺してもその心に波は立たない。

 心を持たない様に教育を受けたのだから。

 どれだけ殺しても涙も出ない。

 そうならない様に教育を受けたのだから。

 彼女は、ただ命じられた殺すしか出来ない殺人人形だった。


 だからだろう。

 彼女は首をくくった母親だった肉の塊を、ただ眺めながら座っていたのだ、平然とした様子で。

 その場に踏み込んだ菅原は、全てを理解した。

 そして、一人残された家門恵美、という少女の身元を引き取ったのだった。

 菅原は、彼女以外にも何人もの身寄りのない子供達を引き取っていた。その中にはマイノリティだった為に理解のない人々に虐待を受けた子供もいれば、マイノリティ犯罪で親を失った子供もいた。

 彼らは自分達がマイノリティだろうと、そうなかろうと、関係なく一緒に暮らしていた。


 家門の父親は常々こう言っていた。

 ――防人とは選ばれた者だ。選ばれた時点で凡百と共には生きてはいけない。ただ、悪を刈り取るのみ。

 父親は、あくまで防人として生きる事を選んだ。一般人とは交わらず、裏の世界で生き、それを娘である恵美にも強要した。


 だが、菅原は違った。

 ――我々の持つ【力】は確かに危険だ。でも、だからといって孤独に生きてはいけない。我々は防人である前に、一人の人間なのだからね。

 菅原は、防人だろうと、退魔師だろうと関係ない。自分達もまた世界の中の一部なのだ、と恵美に語る。

 ――心を持つ、とは弱さじゃないよ。生きる上でもっとも大事な事なのだからね。

 そう、何度も恵美や、他の子供達に語って聞かせた。


 一人になった井藤謙二もまた、九頭龍に於ける当時の防人のリーダーであった菅原が引き取る事になった。

 家門は正直、自分よりも年上の井藤の事を当初は見下していた。

 何も出来ない一般の、単なる人間が近くにいる、それだけで無性に腹立たしかった。

 更に菅原は、この新しい同居人には世界の裏側を知らせない、と決めた。だから恵美にも、他の子供達にもマイノリティやイレギュラーの話をしないように、と話をつけた。

 家門以外は皆、年長者だった。彼らは世界の裏側を見てしまった。彼らは自分の意思で記憶を保持する事を誓った。

 だが井藤謙二は違う。

 彼は何も知らないまま、のうのうと育つのだ。

 そう思うと腹が立って仕方がなかった。


 ――それが心だよ。君の感情なんだ。

 菅原はそう家門に語ると、井藤を呼んだ。

 ――謙二君、今日から君はこの子のお兄ちゃんになるんだ。

 恵美、君は謙二君の事をお兄ちゃんだと思うんだよ。


 そうして井藤謙二と家門恵美は菅原の元で一緒に暮らす事になった。

 家門は、あれこれと世話を焼いてくる見知らぬ兄に反発した。

 何度反発したかは覚えていない。

 ただ嫌だった。自分の近くに無遠慮に踏み込んでくる兄が嫌で仕方がなかった。でも、そうした日々が続く内に変化が起きた。

 あれほどに嫌だったのに、ある日。

 自分の近くに兄がいても腹が立たなくなった。


 困惑する少女に菅原は笑いながら言った。

 ――ようやく、君も人に心を許せる様になったんだな。

 そういって頭を撫でた。優しくて大きな手だった。

 その言葉は、彼女の、家門恵美という殺人人形として生きてきたかたくなな心の壁を氷解させた。

 それは、彼女が初めて感情を、嬉しさを知った日だった。


 何年か経過し、菅原は東京に行く事になった。

 いよいよ、防人や退魔師等が互いに手を取り、世界中で同様の集団と手を結び、世界中の平和の為に、ゆくゆくはマイノリティが世界に認められる様に結束する為の組織を立ち上げる為に。

 九頭龍には、家門恵美と井藤謙二が残された。

 他の子供達は、形や立場こそ違えど皆、菅原についていった。

 家門は、その頃にはもう新しい組織、つまり”WG”のメンバーとなっており、暫定ではあったが九頭龍支部に留まる事にした。

 相変わらず井藤は何も知らないままだったが、家門恵美はもう何も気にしてはいなかった。

 この頃には、彼女にも不器用ながら、感情の発露が出来る様になっていて、兄である井藤謙二にも普通に接する事が出来る様になっていた。

 血の繋がりこそなかったが、傍目から見れば二人は本当の兄妹の様に見えた事だろう。

 一方でマイノリティによる犯罪は増加の一歩を辿っていた。

 家門はその裏で人一倍苦しみ、そして生き抜いてきた。

 心が何度も磨り減りそうになった。だが、彼女は怪物フリークにはならない。何故なら、彼女はもう一人じゃないから。

 家族がいるから。



 やがて井藤は大学に進学。九頭龍を離れた。

 しばらくは何事もなく平穏に過ぎ去った。

 しかし…………。

 全てが狂ったのは三年前の事。

 井藤謙二という名の新たな少数派マイノリティが誕生した。

 キッカケは彼が大学の友人と共に向かった欧州の旅行先での事件。

 そこで彼と友人達は、テロ事件に巻き込まれたのだ。

 そして、井藤は一度死に、マイノリティとなり覚醒した。


 だが、その代償は余りにも大き過ぎた。

 彼のイレギュラーは余りにも強大だった。

 彼はまだ目覚めたばかりでイレギュラーの操作など出来なかった。色々と理由はある。

 だが、しかし、

 彼にとっては最早、全て意味の無い事だった。

 その事件は表向きは狂信的なテロリストによる生物バイオテロだとされた。

 どんな言葉も無意味だった。

 井藤謙二というマイノリティのイレギュラーの覚醒に伴う暴走は、文字通りの惨劇を招いた。

 彼の肉体から発せられた”毒素”はその場にいた”全て”をこの世から跡形もなく消し去った。

 彼は、自身の手で友人を、無関係の一般人を……殺した。

 その地にのこされたのは彼一人のみ。

 その地には文字通りの意味で草木一本ですら残らなかった。


 その一報を受けた彼女は大急ぎで病院に向かった。

 そこは現地のWGの運営する病院であり、研究所だった。

 そこで彼女が目にしたのは想像を絶する光景。

 その部屋は考えうる限り、あらゆる事態に備えた設備で満たされている。炎熱に耐えるだけの高温対策、超怪力に伴う破壊力にも耐える厚みを誇る特殊鋼板製。

 更に防爆対策も徹底的にされており、万が一の敵対勢力による攻撃に対しても精鋭部隊が対応するはずだった。

 だがその精鋭部隊の視線は、外からの侵入者にではなく、部屋の隔離された意識不明の一人へと向けられている。

 その一人のイレギュラーは余りにも強大にして凶悪だった。

 様々な対策を講じていても尚、未知数の能力を前にその支部にいた全ての人員が警戒心を露にしていたのだ。


 家門恵美は、日本支部支部長にして、組織の発足者の一人であり”議員レジェスレイター”である菅原の名代としてその部屋に立ち入った。


 そこに足を踏み入れた途端、空気の淀みを感じた。

 重い、一歩がとても重かった。

 そこにいた研究者達は彼女に防護服を着るように奨めたが、家門はそれを断った。

 彼女はこの場にあまりにも無防備にその身を晒け出す。

 その肌で感じる。

 この毒は”生きている”と。

 云わば、この毒自体が一種の生き物であり、その目的は自分の産みの親である井藤謙二を守る事なのだろう、そう感じた。

 その証拠に彼の周囲をよくよく観察してみると、主人の周囲は明らかに空気が違う。

 極端にいうなら、そこだけ他の生き物の接近を許さないとばかりにヒリヒリとした殺意に満ちている。

 間合いはおよそ二メートル。

 その内側は間違いなく”キルゾーン”だった。

 計器類を見る限り、生命活動に支障は無さそうだった。

 医師の話を聞く限りでは、精神的なショックが大きいだけで特に命に別状はないというのは本当の事らしい。


 彼女は近付く。

 一歩、一歩と。

 まるで野生の肉食獣が、獲物に気付かれない様に慎重に接近するかのように。


 誰もが、叫んでいた。

 スピーカー越しに声が聞こえてくる。

 それは、きっとこう言っているのだろう。

 ――よせ、と。

 彼らはからすれば、ここで議員の名代たるエージェントが死ねば責任問題なのかも知れない。

 だが、そんなのは彼女の知った事じゃなかった。

 彼女がここに来たのはただ一つの目的の為。

 自分の”家族”を迎えに来たのだから。


 ふと気が付けば、けたたましいアラーム音が響いている。

 どうやら毒に何らかの変化があったのだろう。

 そう思っていると、彼女の目の前に変化があった。


「何故、ここにいる?」

 彼女の兄は目を覚ましていた。その目はゾクリとする程に冷徹。

 彼女は同時に気付いた。

 それは、”昔の自分”だと。

 かつての自分と同様に心が死にかけている。

 あまりのショックを目の当たりにして、心を、感情を遮断しようとしているのだと分かった。かつての自分同様に。

 だからこそ、彼女は歩みを止めない。

 揺らがぬ思いを胸に抱き、そのキルゾーンへと入る。

 身体が焼かれる様だった。内部から、臓物が、血液が、全ての細胞が死んでいく実感。

 それは、どんな生き物をも殺す毒。

 それは、彼を保護する為の揺りかご。

 だからこそ、彼女は構わずに進んだ。


 呆然としている井藤の前に彼女は立つ。

 そして、無言で手を差し出す。かつての自分が彼にされた様に。


 そうして――――彼は戻ってきたのだ。彼女の、妹の元へと。


 その後。

 井藤は自身の毒をその一身に受ける事で、制御するコツを掴んだ。それからはただがむしゃらだった。そうして僅か一年足らずで日本支部直属の戦闘部隊”ストライク”のメンバーに選出された。

 そうして半年前、親友とも言えたエージェント、ガントレットを失い仇を討つと決め、九頭龍支部長となり、仇と目された”マリシャスマース”を打倒する事にも成功した。

 だが、終わってはいなかった。

 マリシャスマースとは、ある実験の対象者達そのもの。

 彼らにインストールされたプログラム人格でしかない存在。

 つまり、真の意味で仇ではなかった。


 井藤謙二という人物は、誰よりも身内想いの男だ。

 身内とは、WGの仲間であり、自分が受け持つクラスの生徒でもある。

 誰よりも凶悪なイレギュラーを持った、誰よりも優しい男。


(だからこそ、私はあなたを守る)


 家門恵美はその思いを強くしたのだった。



 ◆◆◆



 遡る事数時間前。


 九頭龍の未開発区域。

 そこには数人の人影があった。

 一人はその目を窓から覗く月へと向ける男。

 その表情にはおよそ感情らしき揺らぎは存在せず、まるで能面の様な無表情。

 その男は右の手首から先物が欠損している。

 止血に使ったらしき真っ赤に染まったハンカチの色は端々を見る限り恐らく白だったらしい。

 本来であれば失血死しかねない重傷であったが、その傷口は既に塞がりつつあった。無頓着で為か傷の治りは遅いようではあるが、リカバーが発動しているのは間違いないのだから。

「お前は、教えてくれるのか?」

 そう呟きながら、彼……無表情アサーミアの脳裏にはついさっき殺り合ったばかりの怒羅美影という少女の姿が浮かんでいた。


「やれやれ何が無表情よ。……どう見ても感情剥き出しじゃない」

 男の様子を見ながら金髪の少女は口元を微かに歪める。

 それは美しい顔立ちの少女だった。

 ドレスでも纏えば、まるで中世の世界から飛び出した姫君の様な洗練された気品をも漂わせるだろう。

 その少女、エリザベスには男が矛盾を抱えている事が手に取る様に理解出来た。

 一見すればまるで鉄面皮の如き男。

 だが、その内側からは恐らくは無自覚に感情が漏れ出ているのが、彼女にはよく理解出来た。

 何故なら、彼女は誰よりも”自分”を理解し、受け入れているのだから。


「ねえ、あなた。私の物にならない?」

 その言葉は彼女が他者を自分の”傀儡”にする際に出る言葉。

 文字通りに他者を彼女は自分の物に出来る。

 彼女は”人形”を好きなだけ作れる。

 自身の血液を媒介として、それを飲ませた対象を自由に束縛する事が出来るのだ。

 そうして彼女は三年間で、NWEの幹部にまでのし上がった。

 常に先陣で愚者を”扇動”する”先導者ベルウェザー”。それが彼女なのだ。


 エリザベスには昔から不思議な魅力があった。

 今思い返せば、それは無意識化でのイレギュラーの発露だろう。

 だから、昔から彼女は人をよく引き付けた。

 殆どの相手は彼女の願いを、懇願を受け入れた。

 そうして生きてきた彼女が変わったのは……三年前。

 そう、あの事件の後からだ。

 全てはあれを境に変貌した。


 だが、その事にも今の彼女は感謝すら抱く。

 ようやく手に入れたのだ、”自由”を。

 自分が自分である為に、自分らしくある事がこうして出来るのだから。


「御機嫌麗しゅう、姫君」

 そう声をかけて来たのは、パペット。

 その姿はまるで工場で型を取った玩具の人形のように寸分違わず同じ姿をしている。

 彼女はこの犯罪コーディネーターにして九頭龍ここに於ける協力者を嫌っていた。

 この人形を意味するマイノリティは、常に同じ姿をした少年の人形を媒介として暗躍する。

 裏に潜む事を好むという一点では共通性もあるが、実情は違うと金髪の少女は考えている。

 自分の場合は、自身の血を媒介にする事で様々な事象を引き起こす。だが、この人形は他者を操るのに際して、イレギュラーを使っている形跡が見受けられなかった。

 自分の代理は、基本的に横に控える少年の姿をした肉人形。

 初めて出会った時から一貫してこの姿を用いている。

 手駒を手に入れるのに用いるのは、口八丁。

 その誘導には感心する部分も見受けられはしたが、それもイレギュラーによる”洗脳”の類いではない。

 彼は結局の所、未だに自身の手の内を、持っている手札を見せずにいるのだ。それが彼女には気に食わなかった。


「どうしたんだい? ……浮かない顔をしてさ……」

 おや、とばかりに人形は問いかけてくる。

 人形の分際で、器でしかない空虚な存在の分際で生意気に人の様に振る舞う。

 かつて彼女は母親の姿を象った人形を失った。

 だが今、あれと同じ物をもうエリザベスは作れなかった。

 これ迄も何度となく試みた。

 だが、どうしても作れない。

 作れるのは似ても似つかない、偽者ばかり。

 以前よりも明らかに人形を作る能力が衰えている。

 元々、エリザベスのいう所の人形とは大きく分けて二種類だ。

 一つは文字通りに、自分の血を用いて造り上げる人形。

 自分自身の血液を元にしているので、創造主たる彼女のイレギュラーもある程度使える。これは、二週間前に失った彼女の母親の人形が該当する。

 もう一つの手段が、生きた対象に彼女自身の血を飲ませることにより、傀儡にするという手段だ。

 程度の差こそあれど、血を飲んだ対象者は、エリザベスに歯向かう意思を失い、服従する。

 どんなに意志の強い者でも、直接血液を接種させればそれで終了。彼女に対して害意を向けられなくなる、というもので、彼女はこの手段の方が得意であった。


 傍目からは”同類”にも見えるだろう。

 だが、決定的に違う。

 彼女はその身を犠牲にして人形を得る。

 パペットは口八丁で相手を誘導し、傀儡にする。

 そこに自身の犠牲やリスクは存在しない。


 少なくとも彼女の理屈で考えるなら、この人形パペットは最低限利用出来さえすればもう用はない。

 そう、必要最低限さえ利用できれば…………。

 チラリ、と横目で相手を確認する。

 このパペットがどういう仕組みなのかは彼女も完全には把握出来てはいない。

 だからあくまでも推論の域を出ない考えだが、この人形は同時並列で繋がっているのだと思える。

 そう、少し理屈は違うがあの”マリシャスマース”の様に。

 マリシャスマースの場合は、複数の被験者に自分こそがマリシャスマースという個人であると錯覚させ、コントロールしていた。

 彼女が借り受けたのはその内の一体、一人であった。

 残りの被験者の内、半数は既に死亡しているらしい。

 残った半数は一体何処にいるのか? 

(案外、この人形遣いが全部隠しているのかも、ね)

 マリシャスマースは個々人同士で繋がりや接点は殆ど無いと聞く。そういう意味で、あの被験者達は洗脳されていると言っても過言ではない。

 一方でパペット達は違う。

 コイツらはあくまでも人形。互いの視覚的、聴覚的情報を共有している。無数のバックアップが用意されているらしく、確か十体の人形がいると聞いた事がある。

 その時の話を思い浮かべる。

 三体は”別件”で九頭龍にはいない。

 恐らくはその内の一体が、そこにいるアサーミアと以前接触したのだろう。

 すると残すは七体。さっきまでこの場に七体いるのは確認している。そして今、この場にいるのは間違いなく横にいるこの一体のみ。


「それにしても、あの【ファニーフェイス】って子はなかなか厄介だったよ」


 アサーミアには聞こえない様に小声で人形は話しかけてくる。

 自分が介入した事をどうやら聞かせたくないらしい。

 アサーミアは中立の立場を取るだろう。

 だとすれば、今、この場を支配するには……。


「やめなよ、僕もそう簡単には始末されないよ」

 パペットはエリザベスの思惑を見透かす様に告げる。

 駆け引きならば、間違いなくこの人形の方が一枚上手だろう。

 ただし、それは普段であればの話。

 パペットは知らなかった。この場に於いて彼が留守にしている内に彼女が新たな手駒を引き込んでいた事を。

「――始末して」

 その言葉と共に影が動いた。

 それは電光石火の如くにパペットの間合いを侵略する。

 そしてブオン、と風を切るというよりは風ごと何かを振るう。


 僅かの逡巡の後。

 ドサリ、と人形は力なくその場に崩れ落ちた。

 その全身は地面に接触したと同時に崩れていく。


「よくやったわよ……私のペット」

 エリザベスは笑みを浮かべながら、彼女の忠実なる獣の髪を撫でる。その巨大な狼は、獰猛な牙を剥き出しにしつつ、主人にかしこづく。

 その狼はハァ、ハァ、と息を切らせているのは……間違いなく星城聖敬だった。

「これで僕らの蜜月も終わりだ………ね」

 パカパカと口を開く人形の顔を狼は無言で踏み潰した。

「いいわ、上出来よ」

 グルル、と唸り声をあげる人狼。エリザベスは満足気にその人狼の頭を撫でた。

 アサーミアが異常に気付いた。だが、すぐに顔をそらす。

 パペットの排除にも興味は湧かないらしい。

「さ、お楽しみは明日よ――」

 そう呟き、エリザベスは妖艶な笑顔を浮かべた。



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