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変わった世界――The strange world  作者: 足利義光
第四話 The person whom I want to protect――守りたい人
32/121

怪物との遭遇

 

 一斉に襲い来る六つの火球。

 聖敬が見た所、それぞれ一発でもマトモに喰らえば大火傷しそうな威力を有している。

(……とは言え、躱そうにも)

 それぞれの軌道が徐々に離れていく。上下左右全方向に行ってもどれかに動きを遮られる事は間違いない。それをやり過ごした所で相手に狙い撃ちされるのが目に見える。

(ならいっそ)

 聖敬は前に一直線。その両手を変異させ――自ら火球へと飛び込む。それは一見すると自殺行為にしか見えない。

 だが、半狼の少年は突破した。変異させた刃の様な爪を振るいつつ……向かってくる火の塊を切り裂きながら。勿論、無傷ではない、身体のあちこちに軽度の火傷を負っている。

 美影の表情にも変化が見える。

 虚を突かれたのか、一瞬視線が何処かに向けられる。

 だが聖敬にはそのほんの一瞬で充分だった。

 一気に間合いを潰し、距離を詰めていく。

 あとほんの三メートル程にまで近付く。

 美影はまだ反撃しない。いや、出来ないのだろう。

 何せ、火球を出すには近付かれ過ぎている。

 おまけに火花を起こしても、猛然と突進してくる聖敬には効果は薄い。

(――勝った)

 そう確信しつつもその凶悪を爪を讃えた左手を突き出し、寸止めしようと考えた。狙いは相手の胸元。家門も、それで手合わせを終わりにする事だろう。


 その瞬間だった。

 半狼の少年は確かに目にした。目の前にいる炎使いの少女が笑ったのを。

 それは、負け惜しみ等ではない、絶対の自信に満ちた笑み。

 逃げるとしても聖敬の方が素早い。すぐに捉えられるはずだと言うのに。

「……なんてね♪」

 美影が前に進み出た。あろうことか彼女の選択は前進。自分に迫り来る狼の爪に自分を差し出す様に踏み込む。

 だが既に寸止めのつもりだった爪先は相手の胸元へと迫っていた。もう止める事も出来ない。もう直撃するしかない。

 しかしそこで思わぬ事が起きた。

 届くはずだった爪先が胸元へと迫る前にその手首を掴まれる感触。視界に入ったのはか細い女性――美影の手が聖敬の手首を掴んでいる。そしてそのままクルリと身体毎回り込み……足を払う。それはまさに流れる様に無駄なく自然な動作だった。

「ぐあっっ」

 姿勢を崩された聖敬は、そのまま地面に叩き伏せられ、腕を極められた。動こうにも彼女は全体重を上手くかけており、手首のロックは外れそうにもない。

「勝負あり、ね」

 美影は満足気にファニーな笑顔を見せた。



「どう、驚いたでしょう」

 家門が聖敬にタオルを手渡した。その表情には特に驚きもない事から、今の結果は分かっていたのだろう。

「ええ、一体何が起きたのか分からない内にああなってました」

 実際、今考えても何が起きたのか分からない。

 気が付いたらいつの間にか間合いを潰すつもりがこちらが潰されていたのだから。

「あの子も【熱操作】は使えるって事よ、それも結構なレベルで。あなたも知ってるクリムゾンゼロ程じゃないにせよ、ね」

「でもさっきのは何かが……」

「はい、そこまで。恵美さん、あんまり色々教えないでよね。それよりも、星城君……なかなかやるわね」

 美影はそう言うとスポーツドリンクを投げ渡す。

「いや、僕こそ参ったよ。また手合わせ出来るかな?」

「ええ、そのうちにね。じゃ、私はお先に」

 そう言うと美影は、手を振りながら訓練室を出ていった、それも上機嫌で。

「何かいいことでもあったんですか?」

「ふふ、あの子も久々に気分転換出来たって事よ。私からも感謝するわね」

 家門はそう言うと立ち上がる。

「でも、今度は私の相手をしてもらうわよ。悪いわね、一日に二回もあなたを負けさせるなんて」

 悪戯っぽく笑うと身構える。どうやらいつでもいいらしい。

「そいつはどうですかね?」

 聖敬もまた釣られて笑うと、手合わせを再開した。



 ◆◆◆



 それからおよそ二時間後。

「いてて……ちょっとやり過ぎたかな」

 手合わせに夢中になっている内にすっかり空も暗くなり、九頭龍の街に夜の帳が降りていた。

 九頭龍病院の周辺は公園という事もあり、夜のジョギングに興じる人や、恐らくは近所の人だろうが家族で花火に、またはダンスのレッスンを広場でやっている団体の姿も目につく。

 この二週間は本当に特に大きな事件も無かった。

 せいぜいが、目覚めたばかりのマイノリティがイレギュラーを使って窃盗を行った位で、それもすぐに解決。特に怪我人もいないし、そのマイノリティもWGで引き取る事になった。

 WDも静かな物で街には平和が訪れていた。

 NWEも特に何かを画策している様子もないし、後はベルウェザーを一刻も早く見つける位の物だ。


 スマホの電源を入れると、メールが数件届いていて、差出人は田島に、妹の凛に、後は今日休みだった晶からだった。

 田島からのメールは、簡単にいえば実にどうでもいい内容だった。聖敬に今日はチョコかバニラ、どっちのアイスを食べればいいだろうか? とか、本屋で見つけたらしい新作のラノベのどっちが面白そうだろうか? 等々の用件で、緊急でも何でもない。

「相変わらずだなぁ、あいつは」

 半ば呆れながらも、今更ながらにメールの返信をする。


 凛からのメールはというと、帰り道にドーナツ食べたいから買ってきてというものだった。

「しょうがないなぁ」

 相も変わらず口が悪いのが玉にキズだが、聖敬は妹の為に、帰りにドーナツを買おうと決めた。


 最後に幼馴染みの少女からのメールに目を通す。


 ――キヨ、今日は休んでごめん。クラスの皆に迷惑かけなかったかな? もう大丈夫って言ったんだけどお兄ちゃんが明日も大事を取って休めって言うからそうするね。早く治して、週末の創立祭には元気一杯で頑張るよ♪ じゃあね。


 自分の事よりもクラスの皆の事を言う辺りが晶らしい、と思わず苦笑してしまう。どうせだからドーナツを余分に買っていって帰りに寄って行こう。そう決めた聖敬が公園を出てしばらくした時。


「ん?」


 何気なく通り過ぎた交差点の向こうに誰かが見えた。

 普段なら特段気にする事も無く、そのまま帰路に付く所だったが、今日の聖敬はドーナツを買いに行く途中だったからいつもより一本奥の道を通っていた。

 そこで一瞬、見覚えのある姿を目にした。遠目だったが……。

「リズ?」

 彼女が何でこんな時間にここに? 確か、今日は寮に入る為の準備があるから、という事で九頭龍郊外の自宅に早く帰ったはずだった。

(何でこんな所に?)

 気のせいだと思った。でも、気になった。

 だから追いかけた。


 金色の髪の少女はすいすいと迷う事なく裏路地へと足を踏み入れて行く。この辺りは中心街から外れ、先にあるのは開発の遅れている廃工場に無人となったビルが立ち並ぶ区域。お世辞にも夜に女子高生一人で出歩く様な場所ではない。

 以前、その近辺でWGが外の街からやってきたWDのエージェントと激しい戦闘が行われた場所でもあり、今も昔も裏社会の住人ばかりがたむろする様な危険な場所だと聞いている。


 聖敬がその路地の先へと出た時にはもう遅かった。

 一体、彼女はどんな速度で走ったのかは分からなかったが、距離はおよそ直線距離にして三〇〇メートル。

 狼の五感を駆使し、暗い夜の中で見た光景は、わらわらと一人の少女を取り囲む男達の姿。

 今更ながら、一般人の裏社会の住人とは面識のあまりない聖敬にとっても初めて目にする如何にもな面々。

 その顔には切り傷が走り、目には凶暴な光を讃える彼らを目にすれば一般人なら腰を抜かす事だろう。

 あの少女がエリザベスであるなら、また無意識にイレギュラーを使っているのかも知れない。彼女は以前、マリシャスマースという名のWDエージェントによって脳に処置をされ、無意識にイレギュラーを発動。その結果、幾度となく危険な目にあっていたのだ。既に処置についてはWGの医師が脳につけられたチップを取り外していたから問題は無くなった筈だが、そもそもチップは”増幅”が目的のシロモノ。イレギュラー自体はあくまで彼女のものなのだ。

「くそっ」

 舌打ちをして聖敬が慌てて走り出す。また危険に巻き込まれる前に止めなくては……そう思い全力で走る。

 その時だった。

 フワッ、と何かが彼女の周囲を覆った様に見えた。

 それはまるで透明のカーテンの様に軽々と宙を舞い、広がったかと思った次には男達がバタバタとその場に倒れていく。

 不穏な空気を感じながらも、その場に着いた聖敬が直視したのは……。

 染まっていく地面。

 色は赤。ただし鮮やかな色合いではなく、何処かくすんだ様な、濁った様な限りなく……黒い赤。

 その黒く赤い流れが溜まっていき池のようになっていく。哀れな男達は既に絶命しているらしく、誰一人としてピクリともしない。

 そんな惨劇の中心に彼女は立っていた。

 時間を置いて降り注ぐ赤い雨をその身に受けながら。

 ぞくり、とする壮絶な微笑みと共に。

 全身に寒気が走る。彼の狼としての本能が脳内で告げている。

 掛け値なしに彼女は危険だ、と。不意に彼女が振り向いた。


「あれ、星城くん……見ちゃったのね。うふふ」

 悪い人、と言いながら妖艶に微笑む彼女は、聖敬の知るエリザベスとはまるで様相が違う。鮮やかな金色の髪こそ同じだが、まるで別人のように見える。

「なぁに、仕方ないじゃない。……怖い人に囲まれたんだから」

 思わず身構えたクラスメイトにそう話しかけるその表情及びに声の調子には全く動揺している様子は感じられない。

 その双眸からは、途方もない”悪意”がまるで奔流の如く聖敬を飲み込もうと溢れ出す。

「あ、リズ? なのか」

 聖敬は後退りしながら間合いを取ろうとした。

 だが、身体が動かない。恐怖からではない。何故かは分からない、感じるのは”安らぎ”。

 彼女は優しい微笑みを浮かべながら近付いて来る。

 彼女の先には無残に殺された男達であった肉の塊と彼らから発した血の池があるというのに、彼女から感じるのは安らぎ。

 これは異常だ、異常だ。

 それを聖敬の本能は必死に訴えかける。だが、その警鐘を身体が無視している。それどころか寧ろ、逆に前に一歩進み出ている。

 聖敬の目に見えたのは女神の様な女性。

 彼女は微笑みながら、聖敬の身体を抱き締める。そして、

「もう大丈夫だからね」

 そう囁いた。その言葉は驚く程に心を落ち着かせる。

 聖敬はその言葉と共に暗闇の中に沈み込んだ。深い深い赤黒い底無し沼へと。



 ◆◆◆



 夜道を一人歩く少女がいた。

 ここいらはいつか街灯が切れたのだろうか?

 昨日は付いていたはずだけど……少女、美影はそう思った。

 彼女は聖敬との手合わせの後、晶の家にお見舞いに行き、今はその帰路に付いていた。さっきから微かな視線を感じるのは気のせいでは無いだろう。僅かに気配も感じる。

 尾行されているのはまず間違いない。

 本来なら対処すべきだが、敢えて無視を決め込み歩き続ける。

 住宅地のど真ん中で戦いに発展すれば大惨事になりかねない。

 彼女の”炎”はそういった危険を孕む。

 相手もそれを見越しているのかも知れない。少なくとも気配を察知させたのも含めて。こうして一定の距離を保つのは彼女に対してのある種の保険かも知れない。

 だから黙って歩き続ける。

 そうしてようやく人気がなくなり、住宅地からも離れるともう遠慮の必要も無くなる。

 不意に歩みを止めた彼女は言う。

「…………で、誰よ? さっさと姿を見せたら」

 そう相手に声をかけてみる。

 必要であれば実力行使も辞さないつもりだった。


「はっは、これはこれは失礼」

 姿を見せたの一見すると何処にでもいそうな冴えない容貌の男であった。地味なスーツを着込み髪型も今時珍しい七三分け。まるで二十世紀のサラリーマンの様であった。

 だが、その男はおかしかった。今の声には抑揚が無かった。

 その顔に浮かぶ笑顔も、何もかもがおかしい。

 それはまるで写真でもだ貼り付けた様な不自然な笑顔だった。

 そこからはまるで……感情が窺えない。


「アンタ……誰よ?」

 美影は警戒心を露にし、身構える。

 まだ相手は敵かどうかも判然としてはいない。だが、本能的に察知したのだ。この相手は危険であると。

 すると男は問うた。

「お前は教えてくれるのか」

 それは文脈も何もかも無視をした言葉であった。

 一体、何についての事かがさっぱり分からないのだから当然と言える。しかし、美影は即座に理解出来た、今の言葉こそが目の前にいる相手の本質なのだと。彼は既に”怪物フリーク”なのだと理解した。

「ちっ」

 咄嗟に彼女はその場で”フィールド”を展開。一般人の介入を防止する。

 じり、じゃり。

 砂利を踏み締めながら男は一歩、また一歩進み出る。

(フィールドを張っても動じない……)

 間違いなく相手もマイノリティである事が分かった。

 殺意も何も感じない。

 だが相手の歩み、息遣い、その全ては明確な意思を持っている。

 それは即ち、相手を”殺そう”という殺意。

 表情だけは何も浮かんではいないが、この男は自身の行動で雄弁に語っている、そういう印象を受けた。

「上等っっっっ」

 美影はそう一吠えするや否や指先をパチン、と高らかに鳴らす。

 即座に小さな火花が発生し相手へと向かっていく。

 速射性を優先し殺傷力は低い火花はあくまで牽制球であり、目的は相手の手の内を少しでも把握する事だ。

(さ、見せてみなよアンタの手の内を)

 だが、男はその火花に対して何もしない。ただ無言で火花の直撃を受けた。

 バアン、という音。間違いなく火花が標的の身体に命中し、爆発した音だった。

 美影の火花は殺傷力こそ低いものの、直撃では無事で済まない。相手の顔は火傷で焼けただれた事だろう。怯ませるには充分だと言える。

「え、なに?」

 美影は声をあげた。

 男は構わずに向かって来たのだ。その顔を火傷で焦がしながらも、何事も無いかの様に平然と。

 しかも驚いたのは相手はそのまま何もせずに向かって来る事であった。いくら命には別状無いとはいえども、顔面を火傷しているというのに。相手はリカバーを使う様子もない。


「お前は教えてくれるのだな?」

 男は、無表情でそう呟く。

 美影は咄嗟に飛び退き間合いを取る。

「意味わっかんないわね……アンタ」

 相手の何とも言えない不気味さを感じながらその手に火球を発現させ――構わず放った。



 ◆◆◆



「で、わざわざこんな所で話をする理由は一体何なんだ?」

「まぁまぁ、そんなに警戒しなくってもさ」

 田島は周囲を見回す。彼が今いるのは九頭龍の外れ、大野市と呼ばれた場所の外れで限りなく岐阜県との県境にある山中。

 周囲にあるのは鬱蒼とした森林のみであり、ここまで来るのに電車に、バス。そこからタクシーを乗り継いでこの山に到着。

 そこからここまで来る内にすっかり日も暮れた。完全に人気もない、あるのはもう随分長い間使われていないであろう、薄汚れた電話ボックスだけ。

 ここにいるのは田島と、あのシュナイダーの二人のみ。

 ここまでの時間、ずっとこの得体の知れない生徒会長であり、ギルドの顔役と一緒にいた訳だったが、ただひたすらに苦痛な時間だった。延々と赤毛のドイツ人はあれやこれやと実にどうでもいい話題を振ってくる。田島が無視を決め込んでいるのにも気付くと、そこからは自分の事をずっと飽きもせずに話し続けた。

 やれ、自分が元はドイツの貴族一族の末裔であるとか、やれ、自分の妹が如何に美しいのかを、それで何故自分がこんなに女子からモテるのか等々を延々と。

 すっかりウンザリしたものの、これも九頭龍支部からの仕事だった。つまり、真横にいる胡散臭いギルドの関係者から少しでも何かしらの情報提供を受ける為に。

 シュナイダーは支部から要請に応じたものの、条件を付けた。

 それが田島一を自分との窓口にする、というものだったのだ。


「さてさて、ここなら流石に監視もされないかな?」

 赤毛のドイツ人はそう言いつつも、更に道を外れ、森林へ足を踏み入れる。

「お、おい待てよあんた」

 慌てて田島も入っていく。

 ズシャ、グシャ、と膝まで伸びた草木を踏み締め、乗り越えながら付いていく。先行して入った相手の姿は見えないものの、前方からの物音でその進行方向は大まかには分かる。

 徐々に木々の間隔や高さも変わっていき、もう月明かりすら殆ど届かない。足元を確認するのにスマホの明かりを翳すとその光に驚いたのだろうか、足元を無数の生き物がガザガザと動いていく。


「ここだよさぁ」

 声が聞こえた。その方向に進んでいくと、そこには小さなオンボロ小屋がポツン、と存在しており、そこの入り口に相手は座っていた。

「ようこそ、おれの秘密基地へ」


 見た目通りにこの小屋は中もボロボロだった。

 その床は今にも踏み抜けそうな程にギシギシ、と怪しい音を響かせる。随分長い間人の手も入っていないらしく、壁のあちこちには穴が開いており、わざわざこの小屋に来る必要性を正直言って感じなかった。

「悪いね、客人におもてなしも出来なくてさ」

 シュナイダーは小屋に不釣り合いな位に立派な椅子に腰掛けている。田島のすぐ側にも同様の椅子は用意されていたが、彼は敢えて座らなかった。

「で、あんたの掴んでいる情報ってのは何なんだよ」

 田島としてはここで無駄な時間を過ごすつもりは毛頭ない。

 そもそも目の前に座っている人物は、敵ではないが、味方という訳でもないのだから。

 ギルドの顔役である赤毛の少年は客人からの鋭い眼光に思わず肩を竦めてみせた。

「オーケー、では早速本題に入ろうか」

 というと彼は不意に手を翳す。田島はいつでも腰のホルスターから銃を抜ける様に身構える。

「心配しなくてもいいんだけど、ね」

 シュナイダーは苦笑する。

 すると、彼の翳した手の先に突如黒い”穴”が出現した。

 その穴に赤毛の少年は躊躇する事なく手を突っ込み……何かを引き出し、差し出す。

「さ、見てみたまえ」

 そう言いながら田島に手渡したのは、デジカメだった。

「そこには通称【無表情アサーミア】の戦闘の画像が入っている。場所は……」

「……九頭龍だな」

 田島は即答。シュナイダーはピュー、と口笛を鳴らす。

 田島は戦闘ではあまり貢献出来ない。だからこそ自分はサポート等の支援に徹する事を以前から決めていた。その為に彼が最初に取り掛かった事の一つが、自分の所属する支部の地理を正確に頭に叩き込む事だった。

 彼のイレギュラーであり、コードネームでもある”不可視インビジブル実体サブスタンス”は虚像を作り出す。戦闘能力こそ全くないシロモノではあるが、このイレギュラーの利点は”何でも映し出せる”という点に尽きる。それこそ生き物の姿から草木に至るまでだ。一応、大きさ等の際限は無いのだが、大きくなればなるだけ虚像の完成度は低くなっていく。彼が細部まで詳細に映し出せる限界は大体二メートル程。

 詳細に、というのも大事な点であり、対象について知れば知るだけその精度が向上するのだ。それには実物を確認するのが一番ではあるが、それが出来ない場合もある。だから彼はよく写真や画像を見る。自分のパソコンに大量のデータを常時保管している。

 彼が地理を叩き込むのは、特定の地形を持つ場所で任務を遂行する際、その場所のイメージ出来ていれば出来ている程にサポートしやすくなる。例えば実際にはそこに存在しない岩を映し出し、味方の姿を一時的に隠す等が可能になる。無論、岩はその地形に適合している必要がある。海沿いの岸壁にある岩に山にしか存在しない植物の蔓が巻きつていれば違和感を覚える敵も出るだろう、と田島は考える。

 そこまで細かく地理を叩き込む必要もないだろう、と支部のエージェントに指摘された事もある。確かにそうなのかも知れない、とは思わなくもない。

 だが、彼はそうした妥協を許さない。

(少しでも精度を上げる、それしか俺に出来る事は無いんだから)

 その一念で彼は一心不乱に自分のいる場所を毎日確認する。

 その派手目な茶髪や外見に言動から、一見すると単なる軽薄な男だと味方からも思われる事も多い、この田島一という少年にとってはありとあらゆる事が自分を少しでも活かす為の密かな努力の賜物。実際には現地で見ただけでも問題は無いかもしれない。だが、一%でも失敗の可能性がある限り安心出来ない。何故なら、彼には確たる戦闘力が無いのだから。他者を騙すしか生き延びる術を持たないのだから。


 だからこそ画像データを見た瞬間、その場所が分かったのだ。

 そこの堤防、遠くに見える灯台、船の停留位置。全ては暇さえあれば地形のデータをチェックし続けてきた賜物だった。


「へぇ」

 流石に一枚目の画像で場所を特定されるとは思わなかったらしく、シュナイダーも一瞬驚いた表情を見せた。

「ビックリした、凄いよ……田島一君。でもだ……驚くのは【そこ】じゃないよ」

 さぁ、と促す赤毛の少年。田島はそれに従い、画像を次々と進めていく。そして……目にした。

「見たね、そこに写っている女性を」

「バカな……コイツは一体いつのデータだ?」

「昨晩だよ?」

「どういう事だ?」

「ん? 何がだい」


 彼は知っていた。彼女は昨晩は九頭龍支部にいた事を。

 それは彼だけではなく、他の支部のエージェントも知っている。

(なら一体これは誰だ?)

 デジカメに写っていたのは、紛れもなくエリザベスだった。



 ◆◆◆



「はああああっっっ」

 声を張り上げながら美影は火球を放った。

 解き放たれたその炎の塊の勢いは先に行った聖敬との手合わせとは比較にならない。文字通りに敵の身体を焼き尽くすに充分な殺傷力を備えている。

 その相手は相も変わらず、無表情にただ歩み寄る。

 焦る訳でもなく、ただ悠然と。一歩、一歩と美影へ迫る。

 ゴオッッッ。

 そして男に火球は直撃。その身体をみるみる内に業火に包んでいく。

「どうよ……これで…………ん?」

 それでも男は動じない。

 信じられなかった。思わず目を疑いたくなる様な光景だった。

 肉を焼かれている。間違いなくその肉体を焦がされている。

 それにも関わらず。

 男は微動だにしていない。

 明らかに異常である。

 肉体、手足の先々が炭化していく。ダメージは甚大であるはず。

 だと言うのに、その男には何の動揺も顔に浮かんではいない。


「何よアンタは……」

 思わず美影は苦虫を潰した様な表情を浮かべる。

 しかし彼女は相手の変化に気付いた。

 炭化していく手先が瞬時に復元していく。

 間違いなくリカバーが使われている。

 しかも、その復元速度が尋常な早さではない。

 炎は鎮火、そうしてあっという間に何事もなかったかの様に悠然と歩み寄り始めた。

 ポロポロ、と顔が崩れていく。どうやらイレギュラーで顔を変えていたらしい。

「……教えてくれ。お前は……」

 美影を前にしてその顔を露にしたのはアサーミア。勿論、今の彼女が相手の事を知るはずもないが。

「何なのよ……ホント」

 ファニーフェイスというコードネームには由来がある。

 それはどんな事態に於いても”ファニー”な顔を崩さずに相手に本心を晒け出せない。そういう意味で彼女の先人が自称したのがそれだ。だからこそ、彼女は戦闘中も基本的に”道化”の様な笑顔を常に浮かべている。常に笑顔を浮かべる事で相手に対して何を考えているのかを訝しませ、少しでも優位に立つ。

 物心付いた時からイレギュラーを扱えたとはいえ、決して最初から今の様に強い力を会得していた訳ではない。

 マイノリティとはいっても様々だ。

 初めから強いイレギュラーを持っている者もいれば逆もある。

 彼女の場合は後者であり、今の戦闘力あくまでも長年に渡る訓練……それと様々な”実験”の結果。

 それら全てを乗り越えてきたから今の彼女はここにいる。

 だが、目の前にいる相手は今まで見た事もない”異形”だった。

 まだ、具体的に名にかしら攻撃を受けた訳ではない。

 今の所は一方的に彼女が相手に攻撃を加えているだけだ。

 にも関わらず、自分が押されている、と感じた。

 相手の表情には相も変わらず何も浮かばない。

 そこにはただ、目があり、鼻があり、口があり……といった具合にパーツが集まっているだけであり、生きる為に呼吸をし、食べ物を摂取し、相手を見る為だけに設置されていると、そう感じた。


「くっ」またしても美影は間合いを取ろうと飛び退こうとした瞬間だった。

 アサーミアは突如その速度を変えた。

 一気に間合いを潰し獲物へと体当たりを喰らわせる。

「あぐっっっ」

 思っていた以上の衝撃が襲うが手から炎を吐き出し勢いを相殺。地面に着地する。もしも一瞬早く後ろに飛び退こうとしなければもっとダメージを喰らっていた事だろう。


「いいわ……上等よ」

 美影は口から血の混じった唾を吐くと右手を相手に向け翳す。

 そこから紡がれるのは炎の槍。

「中途半端じゃ効かないって言うんなら……これでどうよ!!!

 喰らいな――【激怒レイジスピア】」

 一吠えしながら自身の必殺の槍を投擲する。

 ブオン、槍は投擲され、そこから加速しながら獲物へと襲いかかっていく。

「俺に教えてくれ……………!!」

 アサーミアは何の抵抗もせずに燃え盛る槍をその身に受けた。

 瞬時にその全身を業火が包み込んでいく。

 激怒の槍は刺突からの炎上により相手を消し去る技だ。

 仮に刺突には至らずとも槍を象る炎を身に受ける。

 この炎でどれだけのフリークを倒してきたかはもう覚えていない。まさしく十八番にして彼女の必殺の一撃であった。


「嘘でしょ……」

 彼女は絶句した。辛うじて保っていたファニーフェイスが剥がれ落ち、そこには怒羅美影という十代の少女の素の表情が残される。

 そこには得体の知れない相手に驚愕する彼女がいた。

 業火は相手の血肉を焼き尽くしていくはずだった。

 確かに相手の血は蒸発している、肉も焼かれている。

 しかし、相手の肉体はそれ以上の回復力を見せる。

 単純な回復力だけならば、このアサーミアと同等かも知れない相手を彼女は一人知っている。

 だが、あの武藤零二でもあれだけの傷を負いながら表情を変えないなんて事は有り得ない。


「教えてくれ……」

 そう言いながら無表情な男は腕を振り上げ……一気に降ろした。

 握られた拳が美影へと襲いかかった。



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