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Waking――目覚め

 

 今日も世界は時を刻み、人々はいつもの様に日常を送る。

 だが、彼らはまだ知らない。この世界は密かにだが、大きく変貌している事を。


 ここに、変わらない日々を何となしに生きる少年がいた。

 彼がこれから知るのは――この世界の裏の出来事。

 これは、その始まりとなる話。





 熱を感じる。

 頭が痛い。まるで、鈍器で殴られたかの様にズキズキと痛む。 

「う、ううっっ」

 少年が目を覚ますとそこは一面火の海だった。

 一体何が起きたのだろうか?

 何でこんな事になってしまったのだろうか?

 困惑の中で、彼は気付く。

「ひいっっ」

 彼のすぐ向かいの席に座っていた同じ学園の生徒の無惨な姿を。

 彼の身体には大きな穴がいくつも空いていて、一体何をされたらそうなるのか理解できなかった。

「あ、ああ」

 そしてそうした死体は彼だけではなかった。少年の周囲――いや自分以外のほぼ全ての乗客が同様の有り様で、生きているのはだけだと理解した。

 そして何故か…………自分に強い”違和感”を感じる。

 何というべきか、荒々しい。いや、妙に興奮しているのを感じる。さらに、力がみなぎり――まるで自分の身体だとは思えない。少年は気持ちを落ち着かそうと、胸に手をやった。

「あ…………何だよ、これ」

 自分の腹部が破れていた。いや、それだけではない。

 腹部は出血し、その血が下半身をどす黒く染め上げている。

(一体、どうしたんだ?)

 それなのに、彼の身体には”傷”が無い。

 そして目にした。胸に置いたその手が、人間のそれではない事に。

 不意に、バスの窓を見た。そこに映ってたのは、牙を出し、まるでナイフのような爪を持つ――半ばケモノになった自分の姿だった。

「うあぅわあぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ」

 少年は絶叫をあげ、意識を失った。




 ◆◆◆



 その日の朝。


「聖敬。起きなさい、寝坊するわよ」

 それはいつもと同じ朝。

 星城聖敬せいじょう きよたかはいつもと同じ様に母親である政恵まさえに起こされて目を覚ます。

「う……うーん」

 聖敬はいつも通りに目を覚ました。まだ今一つ眠い。昔から朝は苦手で、どうも調子が出ない。

 あー、とあくびをしながらようやくベッドから起き上がる。

 眠いなぁ、とボヤきながら部屋を出て、階段を降りていく。目的地は洗面所。

「ちょ、あっちいってよお兄ちゃん!!」

 洗面所に入ろうとした瞬間、甲高い怒鳴り声が聖敬の耳に襲いかかる。先客は――妹であるりん

 この四月から中学生になったばかりで、真新しいブレザー姿には初々しさが感じられる。

 このところ、すっかり反抗期らしく、意味もなく邪険にされるのが地味にキツいなぁと思いながら、聖敬は仕方がないのでとりあえずリビングに行き、妹の洗面所占領が終わるのを待つ事にした。

「おはよう」

 そう言いながら新聞を広げているのは聖敬の父である清志。九頭龍の本社を置く証券会社の役員をしている。

 仕事柄の習性なのか、食事そっちのけで十誌もの新聞を読み散らかしている。

「もう、お父さん。また片付けもせずにー」

 それを目にした政恵が目くじらを立てながら皿を片付けていく。

「あ、聖敬起きたのね? トーストが焼けてるから。それと、スープと――」

「――牛乳なら冷蔵庫ってんでしょ? 分かってるって。

 でもその前にうがいだけでもしないとさぁ、口の中が気持ち悪いんだよ。おい、凜! 早くしろよなぁ」

 聖敬の文句に対する凜からの回答は一言。

「うっさい、クソ兄貴ッッッ」

 実に分かりやすい返答。ぐぬん、と言いながら聖敬はとりあえず父が読み終えた新聞を手にとってパラパラと目を通す。

 九頭龍の地元紙のトップニュースは、先日竣工した新しいタワービルの建築方法がいかに最先端なのかを詳しく載せていた。

 ふと、外に目を向けると、無数の塔が見える。それこそが、戦略特区九頭龍の今やシンボルマークになりつつある。巨大タワービル群――その高さは優に七百メートルは越えていて、さながら天に届くにでは無いのかとすら錯覚させる。最近ではこの特区の事を九頭龍ではなく”塔の街”と呼ぶ人も出てきているそうだ。あながち間違っていないと思える。

「いつ見てもデッカイよな」

 素直にそう思う。あんな巨大な物がわずか数年で無数に出来上がるのを見て育ったが、未だに圧倒される。


「クソ兄貴、洗面所使いなよ」

 そんな事を考えている内に凜がようやく洗面所から出てきた。

 我に返った聖敬はあっ、と言いながら洗面所に向かう。

 時間はいつの間にか七時半を過ぎていて、学園に向かう電車まで二十分を切っている。今更ながら焦りつつ、歯を磨き、顔を洗い、慌てて朝食を口に入れると、もう一度歯磨き。

 息つく暇も無く、急いで着替えを済ませると――

「行ってきまーす」

 そう言いながら走り出す。

 これが、星城聖敬のいつもの何気ない朝。


 そこから電車で二駅。そこが目的地である学園前駅。そこからほんの一分。そこに彼の行き先である、”私立九頭龍学園”がある。

 ここは幼稚園から大学までエスカレーター式に進学出来る学園。

 聖敬がここの高等部、妹の凜が中等部に通っている。

 共にブレザーで、学年や学部の違いはネクタイの色で見分ける。

 ちなみに初等部に関しては私服で、その代わりに名札に学年と名前が書いている。つい最近まで、初等部だった凜はずっと中等部以降のブレザーに憧れていたので、そのせいか最近はいつも上機嫌だ。あくまで、基本的にだが。

 電車の中も以前から比べると、比較にならない位に乗客が増えた。

 元々、ここいら一帯はせいぜい人口三十万人強の地域だった。

 それが、政府の経済政策の一環で、福井県の嶺北一帯を戦略特区に指定したのが、今日の発展の始まりだ。

 世界中の企業マネーを引き入れる為に様々な施策を実施した。

 法人税の低減。港の整備。空港整備。

 そうした様々な企業優遇政策の結果、”九頭龍”の定住人口は急激に増えていき、数年で百万人を越え、更に数年で二百万。現在は三百万人を越えつつある。就労人口はおよそ五百万人とも言われ、今や東京、大坂、名古屋に次ぐ経済規模を持つ地域となったのだ。

 だから、電車の乗客の顔ぶれを見ても、明らかに海外からの移住者とおぼしき人々が乗っている。

(随分、変わったなぁ)

 すっかり日常の光景になったとはいえ、素朴に聖敬はそう思った。

 電車のアナウンスも英語に中国語、ポルトガル語まで実に様々だ。

 おかげで、最近はちょっとした英語なら聞き取れるようになった。

 それは聖敬以外の学生も同じくなのか、九頭龍に住む学生は皆、押しならべて英語の成績がいいそうだ。


 ――学園前。まもなく到着致します。


 アナウンスで電車内の学生が動き出す。いくら国際化しようとも、この時間帯の主役はやはり学生達だ。電車のドアが開くと一斉に缶詰状態の電車からブレザーを着た中等部と高等部の生徒達が降りていく。

 ちなみに、幼稚園及びに初等部の学生についてはスクールバスが一般的だ。こんな詰め状態の電車では危険だからという配慮で、九頭龍の行政判断で無料で各区域まで送迎してくれる。


「ふぃー、疲れるなぁ」

 そんな人の洪水の中を聖敬は流される様に移動する。

 自動改札を抜けて駅から出ると、そこにはもう”私立九頭龍学園”の巨大な校舎が見える。

 ここに通う学生数を聖敬は詳しくは知らないが、軽く数千人を越えるらしい。

 その余りに巨大な敷地内には各学部毎の校舎と体育館。それに中央には日本でも有数の蔵書規模を誇る中央図書館。実家から離れて暮らす生徒の為の学生寮に、コンビニまで完備していて、さながらここ自体が一つの街を形成している。



 ◆◆◆



「よう、キヨ」

 後ろから声をかけられた。相手はよく分かっている。

 同じクラスでお調子者の田島一たじま はじめだ。

 髪の毛は派手めの茶髪で、いかにも軽薄そうな印象。現に、聖敬に駆け寄りながらも、近くにいる女子に片っ端からヘラヘラ笑いかけながらやぁ、と挨拶している。

「おはよ、田島」

「何だよぉ、相変わらず眠そうな顔しやがってー。あ、さてはまたエロい深夜番組でも見てたんだろ? このス・ケ・ベ」

 田島の大声は周囲の通学生に聞こえたらしく、その視線が田島とその進行方向にいる聖敬に向けられた。

 それを見聞きした女子生徒がやだーと言いながらこちらを見ている。その中に同じクラスで幼なじみの少女、西島晶にしじま ひかりもいた。横にいるクラスメイトが笑い、彼女も同じく笑った。

「おま、何言ってんだ――ちょ、違うから。違うからな!」

 彼女を見た聖敬はわー、と思わず叫びながら否定するが、それが却って注目を引いたらしく、周囲の視線が痛い。

「やだー、キヨってばお盛んだ……ぶふっ」

 調子に乗った田島にフライングラリアットをかまし黙らせると、そそくさと逃げる様に校舎に入る。


 だが、すでに手遅れだった。逃げる様に教室に入った聖敬を見るなり女子は一斉に笑い出す。どうやら、さっきのやり取りを先に教室に入ったクラスメイトが広めたらしい。クスクスと笑われる。

(くそっ、田島ぁ)

 そう思いながら、一つ向こうの席にいた晶と目が合う。彼女もクスリと笑い、目を反らす。

(オーマイゴッド!!)

 聖敬は後で絶対に田島にフライングラリアットをもう一度喰らわせると心に決めつつ、カバンからタブレットを取り出す。

「聞いたよ。一にやられたらしいな。御愁傷様」

 横の席に座る初等部からの友人である進士将しんし しょうがくくくと笑いながら話しかけてきた。

 ちなみに、さっきの田島も進士と同じく初等部からの付き合いだ。何だかんだでずっとクラスが一緒の腐れ縁だ。


 ガラガラ。

 しばらくして、教室に入って来たのはクラス委員をしている怒羅美影どら みかげ。この新学期早々に転校してきた少女で、最初は冗談みたいなその名前にクラス全員が驚いたが、これがほんとに名前だと担任に言われ驚いた。

 彼女は実家から離れて暮らしている為に、敷地内の寮で暮らしている。寮で暮らす学生達は電車で通学する生徒よりも少し遅れて学校に来る。彼女も同様だ。

 目鼻立ちがハッキリしていて、何処か浮世離れした雰囲気。

 身長は百六十九センチで周囲の女子よりも背が高く、腰まで届く黒の長髪。更に眼鏡をかけている為か理知的に見える彼女はあっという間にクラスの注目の的になった。編入試験の成績も軒並み学年トップクラスだったらしく、大きく話題にもなった。

 二週間足らずで、高等部のアイドル扱いになり、早くもファンクラブまであるらしい。ちなみに聖敬の隣の席に座る進士が、そのファンクラブの会長だったりする。田島は転校初日にいつも通りに告白してアッサリフラれたらしい。

 とにかく、今や一番話題のクラスメイトなのは間違いない。

「おはようございます」

 美影はにこやかに笑いかけながら席に着く。聖敬にも同様に微笑む。一瞬、ドキッとしたものの、晶の視線が気になる。

 当の晶は聖敬のそんな思いなど知らない。普段通り美影におはよ、と笑いながら挨拶している。二人はすっかり友達らしく、休日の予定を笑いながら話している。


 それから、十分程。もうすぐ一時間目になろうかという時間で、もう一人のクラスの有名人が入ってきた。もっとも、彼の場合は、美影とは違い――悪い意味で有名なのだが。

 武藤零二むとう れいじ。まず目につくのはツンツンした針ネズミみたいな短髪。本人曰く地毛で何も手を入れてはいないらしい。それからその服装は、ブレザーは右だけ袖が肘から先が無くなっていて、ズボンは左足がふくらはぎ迄。当然、ネクタイはユルユルとまぁ個性を主張している。

 学園には世界中からの留学生もいるので基本的に髪型もその色も細かいチェックは無い。だが、彼の場合はその雰囲気もあり、目立ち過ぎるという事で生活指導が入ったらしいが、しばらくしてその担当した先生が泣きながら生徒指導室から飛び出したそうだ。その時に何があったのかは未だに分かっておらず、憶測を呼んでいる。

 他にも、学園内の所謂不良グループに目をつけられて囲まれたが全員返り討ちにした。街のヤクザと揉めただの、警察官をぶっ飛ばしただの等々、嘘かホントか分からない様な話も含め、その手の話題に事欠かない。

 近寄りがたい雰囲気を漂わせ、いかにも気だるそうな彼だが、その独特の雰囲気から一部の女子に人気らしい。また、弱い者いじめが嫌いらしく、そういう場面を目にすると絡んでいる連中を追い払うらしい。その結果、一部の男子からも人気があるそうだ。

 彼の場合は、以前から学校にいたらしいが、中等部迄は実家の都合でなかなか通えず、授業は専ら通信教育だったそうだ。

 だから、こんなに目立つ外見なのに高等部迄は知らなかった。

 一応、学園内の情報通を自称する進士曰く、実家はかなりの金持ちらしい。だから、色々悪さをしても処罰されないそうだ。

 ――だから、アイツには気をつけろよ。

 そんな事を言われなくても、わざわざ近寄ろうとは思わない。とまぁ、こんな感じのクラスに聖敬はいた。

 聖敬自身は良くも悪くも目立たない存在で、所謂”普通”の生徒だ。成績も中の上が精一杯だし、取り立てて運動神経が優れる訳でもない。たまたまお調子者の田島と、ややオタクだが情報通と呼ばれる進士という、周囲から目立つ二人と友達だというだけで、何となく日々を過ごしていた。それでいて、頼まれるとなかなか断れない性分なので、昔から厄介事ばかり引き寄せるという、不器用な男だった。

 その日も、授業が終わって帰ろうとしたものの、クラスの図書委員が手伝ってくれと言うので、何と無しに学部の図書館で本の整頓をしていたらいつもの電車に乗り遅れた。次の電車に乗ろうとしたら、どうやら、誰かのイタズラで線路にでかい石が置かれたそうで、電車が遅れると聞いた。

 どうしよう、と考えていると駅にバスが来た。九頭龍では通勤パスがあれば、電車もバスも公共交通機関は全て乗れる。その為、少し遠回りにはなるものの、バスに乗り込んだ。

 聖敬と考える事は同じらしく、バスには学園の生徒が大勢乗った。その中に晶の姿を見つけたので、

「ヒカ、ここ空いてるぜ」

 と声をかけた。その声に気付いたらしく、晶は聖敬の座席の横に座る。

「キヨ、ありがとね」

 晶と聖敬とは幼稚園からの付き合いだ。家もすぐ近くで、子供の頃から一緒に遊んでいた仲で、気が付くといつも近くにいた。

 明るく、物怖じしない性格の彼女もまた、クラスの人気者であり、聖敬はいつの頃からか距離を感じる様になっていた。

 それと同時に彼女に対する興味は高まり、気になっていた。

 今でこそ、美影が目立つが、それまではクラスの男子から一番人気だった。たくさんのクラスメイトや、同級生に、上級生に至るまで幾度となく告白されたそうでその都度、気が気では無かった。

 その一方で、あの田島が晶にだけは告白しない事を疑問を持った聖敬が質問すると、

 ――バカ。いくら俺でも親友の最愛の人には告らないよ。

 と、見透かされてしまった。更に、

 ――ヒカちゃんも、あんだけ告られても誰とも付き合わないのは、お前を待ってるからだよ。いいから告れ。絶対大丈夫だからさ。

 と後押しされる始末。それ以来、余計に意識してしまい、今日に至る。

「ねぇ、キヨはさ決めた?」

「へ? 何が」

 聖敬は告白するべきかを考えていて、晶の質問を聞きそびれた。自分でも間の抜けた返事に心の中であーーー、と地団駄をする。

 勿論、そんな事など知る由もない晶はあたふたする聖敬を見て、クスリと笑いながら話を続ける。

「進路だよ、進路。もう決めた?」

「あ、進路ね? うーん、まだ何も浮かばないなぁ。…………ヒカは決まってるのか?」

 と尋ねた。すると彼女はうん、と言った。

 聖敬がそれが何かを聞こうとしたら、バスが停車した。美術館に停まったらしい。すると、晶が立ち上がる。そう言えば、彼女はここの美術館で、バイトをしていた。

「じゃまた明日ね、キヨ」

 そう言いながら席を離れる晶の後ろ姿を目で追いながら、これからはたまにバスで帰ろうと聖敬は考えていた。そうすれば、もっと彼女と話せるし、チャンスだってあるに違いない。

(それにしても、進路かぁ)

 云われてみればその通りだった。学園内はエスカレーター式に進学出来るので、ついつい見落としがちだが、改めて自分が将来を何も考えてなかった事に呆れた。

(ヒカはどうするんだろう?)

 それでも、一番気になるのはその事だった。


「すいません、そこいいですか?」

 そう声を掛けてきたのは、見たところ四十代のビジネスマンらしき男性。キッチリとしたスーツ姿で、いかにも仕事が出来そう印象を受けた。丁寧なその物腰に聖敬が逆に緊張した。

 車内が軽く揺れて、どうやらバスが動き出した。

 他愛ない会話がバス内で溢れていた。いつもなら十分で帰る道のりだが、バスだとおよそ三十分。

(たまにはこうした時間もいいかも)

 のんびりした雰囲気に気が緩み、何だか眠くなる。

 気のせいか、誰かがバスの運転席で騒ぐ様な声が聞こえる。

 その直後に、その誰かが力無く倒れたのも見える。

 ピイイイイイ。

 バスが停留場に止まり、誰かが降りるのが見えた気がした。


「う、寝ちゃったのか」

 どの位時間が経ったのか? 気が付くと横に座っていたビジネスマンがいない事に気付く――

「きゃあぁぁぁぁ」

 直後にバス内に悲鳴があがった。視線を向けると、いつの間にかあのビジネスマンが車内に倒れている。ピクリとも動かないその姿を見た誰かが囁く。

「ヤバイよ、これ死んでるんじゃ……」

「マジかよ」

「いつからいたんだ?」

 そのざわつきに運転手も異常に気付いたのか、アナウンスが入る。

 ――当バスにお乗りのお客様。これよりこのバスはお倒れのお客様を病院まで運ばせていただきます。もし、都合が悪ければ次の駐車地点で降りて次のバスにお乗り換えを。御協力をおねがい致します。

 アナウンスはすぐに翻訳され、英語でも流れた。どうやら、運転手はそのまま病院までビジネスマンを搬送する様だ。聖敬にも、他の乗客にも異論は無い。誰も停車ボタンを押さなかった。


 その時だった。ふと、バスの前に誰かが立った。その男は上着を脱ぐと何を考えてるのかそのまま突っ込んできた。自殺志願者だとでも云うのだろうか? そんな事を思った瞬間だった。

 彼の目に映ったのは、まさに”非日常”だった。

 その男の腕が伸びた。それに両腕がそれぞれ二本に別れた。

 そんなバカな事があるはずは無かった。人の腕が分裂するはずが無いし、それが伸びる訳が無かった。

 だが、その男はバスを四本の腕で挟み込む様に繰り出す。

 そして信じられない事にバスに取り付く。その口が見る間に開いていき、何かが伸びた。

 瞬時にガラスを破ったかと思えば、それは運転席を貫き――更に後ろにいた乗客をも刺し貫いた。まるで噴水の様に血が吹き出し、バスが蛇行を始める。

 まるで、現実感は無かった。

 その男が姿を消す。トン、と屋根に何かが乗った様な音。

 直後に屋根から槍の様な腕が突き出し乗客をあっさりと貫く。

 それは何度も何度も繰り返し行われ、その都度、目の前の誰かが身体を貫かれ、その身体の一部がもげる。

 それはまるで、映画のワンシーンをコマ送りで再生しているかの様だった。

 ドン。

 それは、その槍の様に鋭利な腕が聖敬を貫いた音。

 みるみる、シャツの腹が真っ赤に染まっていく。

 ズボリ、腕が引き抜かれると、そこにはポッカリ開いた穴。冗談みたいな光景だった。

 痛みは無い。ただ、ハッキリしているのは自分が死ぬという事実だけ。意味も分からず――今日――突然に――今。

 膝から崩れ落ち、バスが横転。聖敬の身体は天井に叩きつけられ、床に落ちた。

 力が入らない。ピクリとも動かない。

(意外と呆気ないんだな)

 それが、彼の――星城聖敬の最期のはずだった。



 ◆◆◆



「はっっ」

 聖敬は目を覚ました。天井は真っ白で、シーリングファンが回っている。何処だろうか?

 悪い夢だった。

 現実感の無い、本当に悪い夢だった。

「キヨ、目を覚ましたの?」

 声が聞こえた。横に座ってたのは晶だった。彼女の目元が腫れている。どうやら、ずっと泣いていたのだろうか。

「何だ、これも夢、かな?」

 聖敬はそう呟く。自分のすぐ横に、大好きな幼なじみが座っている。しかも涙を堪えて。

「夢なんかじゃないよ」

 聖敬の手を握る晶。その手から伝わった温かさは、間違いなくこれが現実なんだと理解させた。

「キヨは、あの事故から一人生き残ったのよ」

 その言葉で、あの悪夢のような光景がフラッシュバックした。

「違う!」

 聖敬は思わず叫ぶ。そして、続きを言おうとした。

「あれは、事故なんかじゃ…………」

 だが、それ以上の事は口に出来なかった。あまりにも恐ろしかった。あの不気味な男。そして、自分まで化け物になっていたのだから。全身が震えた。怖かった。

(そんな訳ないじゃないか)

 そう思った。現実なはずが無い。バスの事故の際に頭でも打って、それで悪い夢を見たんだろう。

「大丈夫だよ、キヨは大丈夫。皆がついているんだし…………私だっているんだからね」

 そんな思い等知らないものの、晶は怯える聖敬の手をもう一度握り締め、優しく言葉をかけた。

「だから、今はゆっくり休んでいいんだよ」

 幼なじみの少女の言葉は何処までも優しく、心から聖敬を安心させた。




 その頃。九頭龍内のとあるマンションの一室。

 あのバスの事故の報道を満足気に見ている一人の男がいた。

 その双眸には凶悪な光が宿り、今にも爆発しそうな危うさを漂わせる。

 その両手にはびっしりとこびりついた血。

 だが、それは彼の物ではない。部屋の台所で絶命したここの住人の血だった。その顔はどれだけ殴られたのか、無惨に腫れ上がり、顔が分からない程。

 男はその哀れな住人に恨みがあった訳では無い。知り合いでもないし、ついさっきたまたま目に止まった。それだけの理由でこの部屋にいる。一刻も早く見たかったのだ――自分のやった”仕事”の結果を。

「――そうだ、もっと流せ」

 ニュースはこの事故をトップニュースとして扱った。バスの乗員およそ五十人が死亡したと聞いて、思わず舌を出し、思い浮かべる。

 自分の手で、バスの連中を殺した感触。その生々しい肉を貫くあの温かみを思い起こす。男にとって、何より楽しみな事だ。

 彼がこの部屋にいるのは、ニュースを見たかったのもあったが、もう一つ理由がある。

 ガチャ。

 部屋の鍵を開ける音が聞こえた。

「ただいまー、ねぇ帰ってきてるんでしょ? 何で電気消してるのよ――」

 荷物を片手に抱え、彼女が部屋に足を踏み入れる。

 リビングからはテレビの光と、音声が大音量で聞こえる。

 このマンションの壁が防音でなければ苦情ものだろう。

 それから、何だか生臭い臭いが鼻をつく。暗い室内は足元もよく見えない。とりあえず、明かりを付けようとおぼつかない足取りで進む。

「ねぇ、何してるの――あっっっ」

 彼女は何かに躓き、その場に倒れた。どうやら、大きな人形が転がされている様だ。

「いたたた……もう何よ。こんな所に大きな人形置いて!」

 怒りながら引っ掛かった人形らしきそれを動かそうとした。

「あ……何よこれ?」

 そして気付く。それが人形等では無く、人間の死体なのだと。そして彼にプレゼントしたネックレスを目にし、それが誰なのかも理解した。凍りついた彼女に囁く声。

「くへへへ、大丈夫だぜ。アンタもすぐに殺してやるから」

 その声は上から聞こえた。彼女は上を見る。

 するとそこにいたのは、天井に張りつく見たことの無い男。そいつは舌舐めずりしながら、飛びかかってきた。

「きゃあぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 彼女の絶叫が部屋に轟き、途絶えた。男がここに留まったのは、リビングに掛けられていた恋人との写真を目にしたから。

 彼にとって美人の”肉”程旨いものは無い。その極上の獲物に恐怖というスパイスがかかれば云うことは無い。

 バキバキ……グシャグチャ。

 生々しい音が部屋を覆い、男がその美味を堪能していると、携帯の鳴る音が聞こえてきた。これは仕事用の呼び出し音。

「もしもし、今は楽しんでる最中なんだが?」

 彼に電話をかけたのは”コーディネーター”と呼ばれる男。

 男に仕事を依頼する人物だ。こいつから貰う仕事で男は殺しを楽しんでいる。殺して。しかも金が貰える。まさに最高の人生だと思う。

 だが、コーディネーターからの話を聞いている内に表情が一変していく。ヘラヘラ浮かべた笑みが険しくなっていき、怒りに満ちていく。

「何ぃ、生存者だと? あのバスからか? ニュースじゃやっていないぞ」

 その電話に男は驚く。あのバスから生き延びた奴がいると聞いたのだ。間違いなく、全員殺したはずなのに。だが、コーディネーターがわざわざ嘘情報を流す理由もない。だから間違いないのだろう。

 ――臨時ニュースです。たった今入った情報によりますと、一人の生存者がいた模様です。一旦、死亡宣告された乗客の一人が奇跡的に蘇生したとの情報が入りました。


 そのニュースを見た男は自分の仕事を片付ける事を決意した。

「分かった、それなら俺が後始末するぜ。何処にいるんだ? そいつは」

 その目はあのバスからの生存者――星城聖敬に向けられようとしていた。




















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