ギルド
プオオオーーーーッッッ。
聞こえるのは船の汽笛の音。
ここはある北欧の港町の倉庫街。
普段であれば深夜のこの時間に人気などはないはずの場所だ。
だが、今夜に限ってはその状況が違っていた。
そこには無数の男達がいた。
いずれも同じような黒色のスーツを着込んだ彼らは、一応に険しい表情をしており、立ち尽くしている。その手にはそれぞれ銃やナイフが抜かれ、臨戦態勢だった。
そんな中を人影が一つ、悠々と通り抜けていく。
にも関わらず、男達は微動だにしない、まるで彫像の様に。
……何故なら、彼らはいずれも既に絶命していたのだから。
だが、それはこの人物がやったのではない。
そこから少し離れたある倉庫の中。
「はっはは」
男は乾いた笑い声をあげる。
足元には無数の薬莢が転がり、カラカラと甲高い金属音を響かせる。彼は犯罪結社”ギルド”に所属するマイノリティだった男。
彼はこの倉庫の奥にある品物を警護するように命じられていた。
品物は何でもかつてのイギリス王朝にまつわる物らしく、闇のマーケットでのオークションの目玉商品となる物だと聞いている。
元々この男はある犯罪組織に寝返り、その品物の強奪を実行すつもりだった。
ギルドとは、簡単に言えば犯罪者のネットワーク、互助組織の様な物だ。
ギルドはWGやWDの様な巨大組織ではない。
それも当然で、彼らは世界的に認知された訳でも、強大な影響力をも持ち合わせている訳でもないからだ。尤も、侮られない程度の力は保持してはいるが。
それでも、敢えて比較するなら性質上は、WDの様な個人主義の集団だが、ここに登録する事で自分の仕事の際に便宜を図って貰える、と言う点ではWGにも近い。
つまりは、良いとこどりみたいな集団であるとも、中途半端な組織擬きとも言える。
この組織擬きが、いつの頃から出来たのかは誰も知らない。
一説にはギルドの全てを記録する”ライター”なる人物がいるらしいが、誰もその人物を誰も知らない。
ただ間違いない事は、数百年前から存在していたらしい事だけ。
ギルドに入る事は犯罪者にとってはある種の名誉だともされ、名だたる大物犯罪者達がかつては所属していたらしい。
同時にここに所属する事は、マフィアやギャング等の犯罪組織には与しない事の表明でもあり、それを敵対的行動と見た組織の攻撃により、一時期はその人員を含めたギルドの勢力は大きく弱体化したそうだ。
だが、ギルドは復活した。
理由はこのおよそ二十年で世界中で急増したマイノリティだ。
突如異能に目覚めた彼らの多くは、世間から忌み嫌われ、迫害を受けた事が多い。
彼らの多くは、WGかWDに関わる事になり、第三の道として自分の母国にスカウトされる。しかしそこから外れた少数はそれ以外の道を歩む。
ギルドはその少数の受け皿として復活したのだ。
少数とは言っても、世界中から集まる人数は決して侮れる物では無い。
だが、真に飛躍する原因となったのは、前世紀の東西冷戦の終結だった。超大国同士の表立っては戦わない戦争は、世界中のあらゆる諜報機関が暗躍する、かつてない規模の諜報戦争だった。
彼らは互いの思惑を利用し、利用され、虚々実々の駆け引きの中を生きてきた。
だが、それも冷戦の終結と共に急速に萎んでいった。
諜報戦争そのものは常に繰り広げられる。
しかし、もうかつての様な規模の戦争には当面発展しそうもない。
世界は変わってしまったのだ。
薄氷の上を歩くスリルを忘れる事の出来ない者や、世代交代の名目で引退を迫られる者。或いは、あまりにも数々の機密事項に近過ぎるという名目で抹消対象になった者。
そうした諜報員達が新たな活動の場としてギルドに入ったのだ。
彼らの加入はギルドという存在を大きく変えた。
ギルドの方針の一つとして、それまではマフィアやギャングと言った巨大犯罪組織とは戦わないのが鉄則だった。何故なら、彼らの多くは所属する国家の中枢にまで影響力をもっており、正面切って戦う事はその国をも敵に回す事に繋がり兼ねないから。
それに、ギルドは昔気質の犯罪者が多く、群れる事を嫌う傾向にあった為、いくら個人が優秀であっても集団での暴力には抗えなかったからだ。
だが、変化を遂げたギルドは違った。
まずマフィアやギャングに対して、五分の立場を要求。
当然、それを突っぱねた彼らに対して、それぞれの組織の弱体化を宣言する。
そんな事が出来る訳がない、とたかを括った彼らの裏のスポンサーだった国家の協力者をかつての諜報で得た機密で脅迫、または提示して味方に付け、もしくは失脚させたのだ。
そうして、自分達の云わば後ろ楯を失った組織の資金や拠点を襲撃。これを繰り返すのだ。しかも殆ど死者を出さずに。
マフィアやギャングにとっては悪夢だった。
自分達の資産や拠点だけが激減する。そのくせ、人員はそのままなのだ。このままいけば、間違いなく組織内での内紛が勃発する。
そうなれば、これまで積み上げた全てを失い兼ねない。
ギルドは、そこを見計らって改めて交渉するのだ。
最早、選択肢は無かった。長年築き上げた物を失う事を恐れるのは、一般の組織でも犯罪組織でも同じなのだ。
そうした事実は表沙汰にこそならないものの、裏社会には直ぐに伝播し、更に多くの犯罪者達がギルドに加入。
今では、国家に帰属しないマイノリティ組織としては、WG、WD、急速に勢力を拡大するNWEに次ぐ第四勢力とまで言われる迄に拡大した。
ギルドもまた、WD同様に個人主義で、基本的に互いの活動には干渉はしない。条件として、稼ぎの一割を納入すれば基本的に何をしようが自由だ。
だがそれでも、いや、だからこそと言うべきだろうか。
彼らには不文律の”掟”がある。
それは、殺しはご法度である事。
勿論、自衛までを否定してはいない。
だが、殺しを前提にした仕事は決して認めない。
それからギルドへの背任行為。
この点だけは、変化するギルド内でも遵守されており、これを遵守する誓いを立てたからこそ、諜報員という異分子をも受け入れる事も出来たのだ。
では、掟を破った者がどうなるのか?
そうなった時にはギルドの”暗部”による粛清が待っている。
◆◆◆
「は、はははっっ」
男は無人となった倉庫を漁る。
確かにギルドに所属してから、暮らしは楽になった。
ギルドは各国に貸しをもっており、多少の犯罪行為であれば目を瞑ってくれる。だが、しかし、刺激が足りなくなった。
そうした思いは気が付くとギャンブルへの依存を促し、気が付くとドップリと骨の髄まで漬かり……莫大な借金を背負っていた。
後はよくある話で、出入りす違法カジノを所有するギャングに弱味を握られた男は借金をチャラにする代わりに、彼らへの協力を求められ、それに応じた。
ギャングは、実に魅力的な物を差し出した。
カジノでの多量のチップに、選りすぐりの美女達との甘い一時。
最初こそ抵抗感を覚えた男ではあったが、甘い誘惑に対して徐々に溺れていき……。
遂には男はもう、ギャングの為に働く事に全く罪悪感を感じなかった。
しかし、ギャングは甘くはなかった。
そもそも、ギルドに恨みを持っていた彼らの要請は要求に代わり、最終的には脅しに変わっていた。
ギルドもまた同様に甘くはない。
メンバーの中に裏切り者がいる事を察知。その調査に暗部が動き出したのだ。
(このままじゃ殺されちまう)
既にギャングには、暗部の人間が見せしめに一人の幹部を殺して見せたらしい。その幹部こそ、男を引き込んだ人物であり、恐らくは誰が裏切り者なのかもうバレただろう。
(もう時間の問題だ)
そう理解した男が逃亡する前に手土産にしようとして今、こうして品物を強奪しようとしていたのだ。
幸い、ギルドでこうした品物のコレクターのコネクションなら得た。裏のコレクターである彼らなら、曰く付きだろうが喜んで金をいくらでも出す事だろう。
兎に角、盗み出しさえすれば。ここから逃げてしまえば。
そう思いながら、木箱を次々に開封していた時だった。
カツ、カツ。
足音が耳に届く。
誰かが、ここに来る。
男は作業を中断し、拳銃を構える。
ここに来るまでに警備に当たっていた連中は、皆殺しにしたはずだ。連中もギャングではあったが、ギルドとは半ば業務提携を組んでいる。云わば、ギルドの下請けの様な連中だ。
もう自分の背任行為は間違いなくバレているはずだ。
であれば、今、このタイミングでここに来るのは何も知らないアホか、ギルドが送り込んだ暗部の人間だろう。
暗部については、ギルド内でもその構成員を知る者は極少数だ。
更に付け加えるなら、その知っている者ですら、全ての人員を知らない。この事はギルド内で徹底されており、”代表”ですら例外ではない。この機密性の高さこそ、暗部が抑止力として機能する必須条件であり、メンバーの背任行為の防止に一役買っていたのだ。
カツ、カツ。
足音が止まった。
男はこれでも”蜻蛉”の異名を持っている。
イレギュラーは、複眼による強化された視覚。まるで蜻蛉の様に広い視野を持ち、敵の動きを同時に把握出来る。
この目があれば、どんな敵にどれだけの数に襲われても対応出来る。眠ってさえいなければどんな奇襲でも無意味なのだ。
ただし、欠点は疲労が激しい為にあまり長時間使用出来ない事だろうか。精々一分が継続限界。それでも、その時間だけは彼に捉えられない物は皆無だ。
(相手が誰だろうが関係無い。見えてしまえば勝ちだ)
ドラゴンフライが飛び出す。
先手攻撃の為に。
勢いよく外に出る。するとそこには人影が一つ。
彼の複眼は、視野だけではなく、視覚も……夜目も強化される。
だから、どんな暗闇であろうと、まるで暗視装置を付けているかの様に全てが鮮明に視える。
拳銃の引き金を引く。弾丸が吐き出され――敵へと襲いかかる。
そうしておいて、彼の本来の得物を取り出す。
弾丸はあくまでも牽制であり、足止めに過ぎない。
ドラゴンフライ本来の得物は、二本のアイスピック。
全方位を視認。油断無く接近しながら相手の死角から急所に突き刺す。まさに必殺の一刺し。
無駄な力など必要ない。
必要最低限の労力さえあれば、それで充分。
どんなに鍛えられた筋肉だろうが、鎧だろうが、守れない場所は存在する。そこを一突き……たったそれだけでケリは着く。
蜻蛉が獲物を捕獲して喰らう様に二本のアイスピックを突き立てる。何をされたか分からないままに被害者は、まるで彫像の様にその場に立ち尽くしつつ死を迎えるのだ。
相手は弾丸を避けようともしない。微動だにせずその場に立っている。余程肉体の強度に自信があると言う事だろうか。
弾丸が相手の肉体を直撃。
相手はぐらりとその姿勢を崩す。
弾丸は身体をあっさりと貫通したらしく、血を吹き出す。予想外の反応に拍子抜けする。
(何だ? 期待外れじゃないか。だが……)
それでも、相手が暗部の可能性がある以上、油断は禁物。そう思ったドラゴンフライは背後に回り込むと――二本のアイスピックをそれぞれ左右のこめかみへと突き立てるべく繰り出す。
相手は未だ反応しない。
この瞬間、彼はこう思った。勝った、と。
だが、彼は知る由もない。
目前の相手が、元々彼を狙って来た暗部の刺客ではない事を。
本来の相手が既に”殺されていた”とは、思うはずもなかった。
◆◆◆
九頭龍のある裏路地。ここは一般人からは隔絶された特殊な場所である。いつの頃からあるのかは、今、ここの主たるパペットと名乗る犯罪コーディネーターにすら分からない。
推測でしかないのだが、この場所自体が一種のイレギュラーによる産物であり、具体的なマイノリティがいる訳ではないのか? そういう物だった。つまりは得体の知れない場所である、という事だった。
「おや、これはこれは珍しいお客様だね」
得体の知れない裏路地にある平屋建ての一軒家。
そこにパペットは居を構えている。
ここに来るのは大抵は、”素質”を持った者。勿論、マイノリティになる可能性の高い者だ。
とは言え、それはこの犯罪コーディネーターが仕組んだ物ではない。誰の仕業かと言うと、恐らくではあるが、この”場所”自体なのでは無いだろうか? とそう考えている。
この場所は同質のエネルギーというか、存在を引き寄せる引力の様な物があるのかも知れない、と。
この場所にそういう引力があるのなら、その恩恵を享受しよう。
この場所にマイノリティが来る事で、何らかの目的を達すると言うのなら遠慮する事はない。
自分もまた、ここで新たな玩具を見繕えばいい。目的を達する為に
だが、この場所に何度も足を運ぶ様な変わり者はそう多くはない。何故なら、一度来た者は能力を得るのだから。欲していた何かを達成する為に。
今、パペットと対峙する女性は数少ない例外である。
彼女はこれ迄に幾度となくこの場所を訪れた。
彼女がここを訪れたのはいつだっただろうか。
「それにしても……」
パペットはこの場を訪れた彼女の姿をしげしげと眺めている。
何故なら……。
「君の姿だけど……」
その姿を見るのは初めてだった。
彼女はこれ迄は常に同じ姿でその場に現れた。
それはまさに女神の様な容姿をしていた。妖艶かつ、何処か母性を、包容力をも感じさせた。
だが、今、パペットの目の前にいるのは何処か未熟さを、幼さを感じさせる。同じ様に金色に輝く髪の毛を持っているが何かが違う。
それでも、何かが欠けている様に感じられる。そう、母性というものが決定的に欠けているのだ。
しかし、だからこそ、と言うべきだろうか。
目の前にいる少女から感じるのは”未成熟”さ。不完全さ。
それが故に恐ろしい、とパペットは思えた。
この金髪の少女からは、溢れんばかりの悪意を感じる。
(これは間違いないですかね)
そう確信した。だからこそ、
「君は……本物の【ベルウェザー】なんだね?」
そう尋ねていた。
対して、少女は答えた。
「ええ、そうよ。今までは人形を代理にしていたけど、あれはもう消し飛んだから……」
一見すると品のある口調で、その立ち振舞いからは、育ちの良さを感じさせる。
「ツマラナイのよ、何もかもネ」
次の瞬間には、その口調に毒々しさが溢れる。
パペットでさえ、これが同一人物なのか、と思わず疑念を抱く。
少女の様な純粋さと、悪女の様な禍々しさ、一見すると矛盾した二つの性格が一つの器に内包されている、そう感じた。
「ククフフ、実に……実に君は興味深いユニークな存在だ。ボクが追い求める物を君なら見せてくれるかも知れないねぇ――」
それは狂喜に満ちた言葉。普段は決して表には出す事のない、この人形という異名を持つマイノリティの偽らざる本音であった。
「お前がどう思っていようがドウデモイイ。……お前に用意してホシイ物がある」
ベルウェザーにとっては、パペットの好奇心等はどうでもい事だった。彼女がその本体がここに足を運んだのは、この裏社会に名の通ったコーディネーターに依頼があったからに過ぎない。
パペットもそれは理解している、だから大仰に肩を竦める。
「分かったよ。で、ボクに一体何を求めるって言うんだい?」
「お前に用意してホシイ奴がいる」
「オーケー。…………どんな奴がお望みだい?」
そう返事をすると、依頼人へと視線を向ける。彼の頭の中には複数のマイノリティの姿が浮かんでいる。
先導者は「そうね……」と言うと少し考える様な仕草を見せる。もしもここで藤原新敷の名前が出たのなら、断らなければならなかった。あの男を紹介出来たのは全くの偶然でしかない上に、如何なこの犯罪コーディネーターであっても、藤原一族に対してのコネクションは殆ど無い。
少し時間が空く。そして依頼人から要望が出た。
「名の通った犯罪者がいいわ、それも【最悪】な奴がいい、アナタの手にも余るクライの腐った外道を紹介してヨ」
その条件は流石にパペットも少し驚いた。その条件に合致する人物はいる。だが、アレは極めて気ままで、果たして依頼を受けるかどうかすら怪しい。
「いるにはいるけど……そんなのでいいのかい? 何なら超一流の殺し屋を紹介しても構わないよ」
「イラナイわ、そんな真面目な奴はこちらからお断りヨ…………」
だって、ツマラナイじゃない、と彼女は言葉を続け、笑みを浮かべる。その笑みはゾッとする程に美しく、そして欲望を沸々と湧き出させる様な魅力さえあった。確かに、彼女は魅力的だとパペットは思った。他人への興味など、とうの昔に薄れたと思っていたが、どうやらそれは間違いだった、と思った。
彼にはある”目的”がある。それも、かなり無謀とも言える様な目的が。その為には様々なデータが必要で、だからこそこうして裏社会で犯罪コーディネーターを始めたのだ、それもマイノリティ限定で。彼らの多くは既にフリークだ。それ故にコントロールは難しい厄介な顧客であり、依頼者でもある。だが、同時に興味深くもある。理性を失ってもまだ人間社会に足を置く彼らが、一体何を欲しているのかを考えると興味が尽きないし、彼らのイレギュラーの中にこそ求める答えがあるかも知れない。
そして今、目の前にいる少女は彼が見てきた様々な連中と比較しても飛び抜けていた。フリークかどうかは分からない。それでも内包する願望の様な物は透けて見える気がする。
「アナタにも興味ある話よ?」
まるで心を読んだかの様な言葉だった。
ここにいるパペットは文字通りに、人形だ。本体はここにはいない。しかし、彼女には分かるのだろうか?
「九頭龍学園に、WGに保護されている恐らくは……マイノリティについてネ」
「へぇ、それは確かに興味深い話だね」
パペットもまたその話には興味があった。
以前から、噂では聞いてはいた。
WGがあるマイノリティに覚醒する可能性の高い人物を保護している、と。しかも、あろうことかWDの九条羽鳥はその事を知っていて協力すらした、と。何処まで本当なのかは分からない話ではあった。だが、もしもその人物のイレギュラーが、求める物であるのなら…………協力する価値は充分だと思えた。
「オーケー、それなら最高にイカれた人を呼ぶ事にするよ。また連絡は……」
了承したパペットがそう言葉を言い終わる前に、目の前から依頼者姿は消えていた。床に残されたのは僅かな赤い染み。それも直ぐに消えていき、彼女がここにいた痕跡は何も無くなった。
「怖い怖い、全く……ベルウェザーさんは」
ククフフ、と笑いながら道化師の如く小躍りすると、彼は電話をかける。要求された通りの人物に。
◆◆◆
彼は何の感慨も湧かなかった。
結局、目の前の相手も自分を滾らせる相手では無かった、という事だったのか。
いつの頃からかこの”才能”に気が付いた。
他者には無い力は尊敬の対象ではなく、畏怖の対象だった。
近所の人間は彼を化け物呼ばわりし、家族すら怖れているのが子供心にも分かる。
その目は、子供を見る目では無く、得体の知れない何かを見ていた。
別に今となってはどうでもいい、そう彼は思った。あの村の人間は全員死んだのだから。殺したのは彼ではない。彼を拾った別の化け物だ。彼はギルドに所属する殺し屋だった。
ギルドは、基本的に殺しはご法度。一般人を殺すのは厳禁とされている。
だが、暗部は例外だ。彼らは一種の”殺人許可証”をギルドから与えられる。多少の殺人は免除される。
彼を拾った化け物が何故、その田舎の何も無い村を襲ったのかは分からない。特に聞く気もなかった。どうでも良かったから。
ただ、化け物は彼を鍛えた。拾った子供に素養があると見抜き、それを扱える様に指導した。
そうしておよそ数年後。
彼はお礼としてギフトを贈った……恩人に対して。
彼は笑いながら死んだ。あの笑顔は何だったのだろうか?
兎も角、ギルドは彼を新たな暗部の一員に迎え入れた。
そして、彼は殺した。
殺して、殺して、殺し尽くした。
だが、分からない。あの時、何故あの化け物は笑ったのか? どうして自分も何か心が粟立ったのかも分からない。
彼に出来る事は殺す事だけ。
それ以外の事には興味が湧かない。
ギルドを裏切ったのは、不満があったという訳ではない。ただ結果的にそうなっただけの事に過ぎない。
単に環境を変えてみれば今までとは違う何かが分かるかも知れない、そう考えたからだ。
それに、強い相手と殺し合えばまたあの時の様な心のざわつきを感じる事が出来るかも知れない。そう思ったから。
(だが、今日の所は違ったな)
足元に転がっているのは、確か、ドラゴンフライと呼ばれるメンバーだった。裏切り者だと報告があった。近くにいた別の暗部の同僚が向かったが、その際に不意に思ったのだ。
(彼なら心がざわつきのでは?)
そう思って殺した。だが、何も感じない。
だったら、ドラゴンフライとかいう裏切り者なら何か感じるかも知れない、そう思ってここに来たのだが……これも外れだった。
「つまらない、何もかもつまらない」
何も感じられない。何故だろうか?
そう思っている内に海が目に入る。
外の風は強く冷たく、波も心なしか荒れて来ている様だ。
自然と足が向かう。無意識ながら歩みを続け、そのまま入水しようかとした時だった。
ピピピピ。
それは持っていた携帯電話の着信。
ギルドのメンバーは、一部の責任者を除けば、組織からの依頼が無い時は自由に行動出来る。
彼がこの犯罪コーディネーターと顔見知りだったのは、そうした言わばオフの時に仕事のブッキングをしたのがパペットだったからだ。そう言えば、あの得体の知れなさには少しばかり興味があった。
「何だ、パペット?」
――いやぁ、久しぶり。君に指名が入ったよ……今は暇かな?
その言葉に彼は周囲を軽く見回す。自分以外の誰も生きてはいない。今しばらくはギルドも裏切りには気付かないだろう。
「問題ない、少し退屈しかけていた所だ」
――それは良かったよ。なら日本に、九頭龍に来るといいよ。ここなら、君が【長年探してる物】が見つかるかも知れないよ?
パペットのその言葉は彼の興味を強く引いた。
自分が何を探しているのかが、分かるかも知れない。
「九頭龍に行けば、分かるのか?」
――そうだね、何かしらは掴めると思うよ、ここは色々とキナ臭くなってきたからね。どうだい? 返事を聞かせてよ。
「いいだろう、直ぐに向かう」
――それは楽しみだよ、じゃあ待ってるよ【無感情】。
かくして、幕は開かれ、感情が希薄な青年は九頭龍へと足を向けた。新たな敵の襲来をまだWGは知らない。