鮮血と鮮烈
「い、今のは何だ?」
瓦礫から身体を抜け出そうと試みる田島は音を聞いた。
いや、正確には身体が、自分を覆っていた瓦礫が微少な”振動”を感じた、と言うべきだったか。
空気が揺れながら通り抜けた、といった感じであった。
顔だけが先に外へ出ていたので、彼の目にはその様子がハッキリと見えた。
自分のすぐ側、頭上に建っていた体育館の屋根が――瞬時に破壊されるのを。
破壊された、という表現は適当ではない。消失した、という表現の方がしっくりくる。それも跡形もなく……だ。
振動と共に文字通りに粉々に粉砕、さらに塵と化した、というのが正解なのだろうか。あれだけの物体が消えた、下に破片も何も落とす事も無く、だ。思い当たるイレギュラーは……。
(強烈な風使いか、もしくは……まさか音使い?)
確信した事は、今のは間違いなくイレギュラーによる物である事だ。それも、相当に強力なマイノリティによるものだ。
(一体、誰だ?)
少なくとも、WG九頭龍支部にはこんな事が出来るエージェントはいない。では、別の支部、或いは日本支部からの援軍か?
それも違うだろう。援軍が到着するには早すぎる。
だとすればWDのエージェントという事だろうか?
幾つもの考えが頭の中を巡る中、田島を現実へと引き戻したのは一本の通信だった。
それは、特殊仕様の通信機で、一見すると、九頭龍学園の校章。
大きく九の文字が描かれたそのバッジから聞こえるのは、連絡が完全に途絶していた支部からの連絡だった。
――こちら、WG九頭龍支部。聞こえてるーーー?
気の抜ける様なこの独特の口調は通信担当の林田由衣で間違いないだろう。
「こちら【不可視の実体】。
な、何とか、聞こえてる。そっちには何か情報が入ってるか?」
――んーーー、街の方はそれなりかなーーー。ただ、そっちに関してはサッパリだよーーー。何せ、今の今まで通信妨害されてたからねーーー。
「とりあえず、何でもいいですから情報をください。こっちには情報が全然足りなくって今一つ現状が分からないんです。……これじゃ動きようがないんでお願いします」
――こちら【不確実なその先】。それは、俺も知りたい、教えて下さい。
そこに割り込んで来たのは進士。
「お前、大丈夫なのか?」
――ああ、問題ない。人質にされたクラスの連中も確保した。
「そ、か。なら最悪の事態は避けられたってことだな」
――ああ、それより林田さん。お願いします。
――オッケーーー。
そうして田島は状況を知る事になる。
分かった事は大きく二つ。
一つは、街で暴れ回っていた連中には、どうやらNWEが様々な形で手を回していた事。
もう一つは、暴れ回っていた連中で確保した者から尋問した結果、現在、”先導者”なる人物が九頭龍に潜伏しているらしい、という情報だった。
田島もベルウェザー、という言葉には覚えがあった。
NWEと呼ばれる一種のカルト集団。その中でもかなり高い地位を占める実力者だと。
それを補足するように、林田が話す。
――詳しい素性は不明よーーー。ただ、多分だけど”血液操作能力”のイレギュラーを扱うそうよーーー。
「やっぱり、か」
その田島の言葉に進士が反応する。
――やっぱり、だと? 何か思い当たる節があるのか?
「ああ、とりあえず、確認した方がいい。その屋上で無力化した連中が何かおかしくないかを」
――了解した。それよりお前は自力で出てこれそうか?
「いや、難しそうだ 。だが正直言って、今、脱してもキヨちゃんといや、特にドラミの邪魔になるだろうな」
――ドラミちゃんが戦ってるんだーーー。なら大丈夫ね、あの子強いからさーーー。
「はい…………それでお願いしたいことがあるんです」
――ん、何。おねいさんで出来る事ならやるよーーー。
僅かな逡巡の後、田島はその願いをする。
「じゃあ………………」
それは、この場に於いて特に緊急ではない依頼。
だが、彼にはどうしても気になったのだ。頭上の圧倒的な破壊をもたらした人物について。もしも、この相手と戦う際に、事前に情報があるのと無いのとでは状況は一変するだろうから。
自分でも、薄情だろうとは思う。親友の援護ではなく、この後に起こるかも知れない謎の相手の情報収集を優先して欲しい、と頼んでいるのだから。
(だが、それでも)
不安要素は除外しなくてはいけなかった。
田島、進士、そして怒羅美影。この三人が、三人ものWGのエージェントがたった一クラスにいるのは、彼らには”特別任務”があるからだ。その任務対象を守り、監視する。
その為には、あらゆる事態に対応出来なければならない。
不測の事態は避けなければならないのだ。
その上で、
(キヨちゃん、負けんなよ)
田島は親友の勝利を祈っていた。
◆◆◆
「具義ゃ蔵LaLa義ゃ義ゃあ」
幾人もの声が入り混じった不気味な声。もう何と言っているのかすら分からない。そんな声をあげながら、巨大百足のフリークは動けない獲物に食いつこうとした。
(く、くそっ)
逃げようにもまだ身体は痺れ、手足が動かせない。声すら出せない。
そうこうしている内にも眼前に迫るのは巨大な顎と、獰猛な牙。あれだけの巨大な牙を突き立てられては無事では済まないだろう。
「蔵ゲラ下LaLa羅っっっ」
牙の先端からはあの不気味な涎……いや恐らくは毒。
不快な臭いが鼻腔を刺激する。思わず顔をしかめる。
ゆっくりと牙が喉元へとかぶりつこうとしたその時。
キィィィィィンン。
耳をつんざく様な高音が聞こえた。
その音が聞こえた途端、百足の巨体がはね飛ばされる。
まるで、玩具の人形でも扱うかの如く、あの巨体が地面を跳ね、転がる。
「――ったく、何やってるワケ」
少女は思わずボヤく。そして、自分が何をしたのかに気付く。
本来ならやってはいけない行為だ。それは分かっている。
自分の役割はあくまでも、この事態の把握。そう厳命されたのに、破ってしまった。
だが、そんな事を言っている場合じゃ無かった。
そうしなければ死んでしまっただろうから。
彼女は、この中等部の屋上から、様子を伺うだけのはずだった。
なのに。……あろう事か介入してしまった。
これで、WGにも、他の連中にも自分の存在を察知させる事になる。急いでこの場から離れなくては。
(ったく手間とらすな、面倒くさいのは嫌なんだ)
そう内心思いながら、桜音次歌音はその場から退避した。
もう、通信回線は回復したのだ。ここに留まっては、いつWGに捕捉されるかも分からない。
「へぇー、誰かいるとは思ってたケド……やるじゃない」
美影がヒュー、と口笛を鳴らす。彼女は零二よりも広範囲で熱を感知出来る。その結果、誰かが様子を伺っている事は把握していたのだ。
その不意を突くかの様に、彼女の足元から赤黒い不気味な手が飛び出す。
「もう飽きたわよ、そんなの!!」
美影は吐き捨てる様にそう叫ぶと、右手を突き出す。
それに合わせる様に炎が槍状に変化、射出される。
”激怒の槍”この少女の十八番だ。
狙いは、戦いが始まってからまだ一歩も動かない、あのイブニングドレスの女――ベルウェザー。
槍状の炎は敵の腹へと一直線。直撃すれば、貫かれた上にその身を焼かれ、間違いなく大ダメージを与える事だろう。
ベルウェザーは自らに迫る脅威に対しても動揺する素振りすら見せない。ただ何を思ったのか、いつの間にか左手に握っていたペーパーナイフで、自身の手首を切った。
ボゴゴッッ。
飛び散ったその血が地面に落ちるや否や地面が隆起。赤黒い壁となって迫る炎の槍を防ぐ。
「ふん、小癪な真似すんじゃないの! じゃあ――」
これならどう、と言いながら美影は相手に接敵。
今度は至近距離から激怒の槍を放つ。
だが槍は、血と土で出来た壁を突き刺さるのみ。標的には届かない。
「まだよっっ」
ベルウェザーの頭上に少女が飛び込む。
美影が、壁に突き刺さった自身の槍を踏み台に飛び越えたのだ。
「しゃあああっっっ」
強烈なドロップキックが顔面を捉え、ベルウェザーの身体が転がる。
「貴様っっ」
その様子を目にした畔戸が激怒。女神をあろうことか足蹴にした小娘に注意がそれる。
「吹き飛べっっっ」
その言葉、呪詛が美影に届く。彼女の身体がいとも容易く後方へと吹き飛ばされる。
畔戸吉瀬のイレギュラー、偉大なる導きの正体は、簡単に言えば自らの言葉による一方的な催眠。
自分の言葉を相手の耳に入れる事で、その言葉同様の行動を強制的に取らせる、というものだ。
だから攻撃的な言葉を聞いた時に相手にどれ位のダメージを与えるのかは、それを聞いた相手次第である。
例えば、小さな子供に後ろに倒れろ、というのと大人に言うのとでは結果は同じでも、受けるダメージは段違いになる。
体重差や身体の柔軟性、精神的な強さなど様々な要素が入り混じって初めて結果が出る。
ボディのイレギュラーを持つ聖敬であれば、その身体能力を活用して倒れるだろうし、零二であれば無意識に熱代謝を高め、同じく身体能力を高めるだろう。
美影の場合なら、炎を逆噴射し、”自分”から後方へと飛ぶだろう。さっきの様に。
無意識の事なので、自覚するのは困難。
だが、彼女は”気付いていた”。自分が何をしようとしているのかを。だから……敢えて何もしない。瞬間、全身の力を抜き、脱力。ただ、自分の身体能力のみで後ろに身を投げ出す。
そうして於いて、地面に激突。ただし、キチンと受け身を取り、衝撃を殺した上で。そうして即座に後転、膝立ちの姿勢を取る。
「な、バカな?」
畔戸も美影のリアクションを見て、自身のイレギュラーを破られた、と悟った。
「あんたのお遊びに付き合ってる暇は無いのよ。さ、そっちも起きな」
一瞥すると、もう一人の敵へと視線を向ける。
女神は起き上がっていた。
唇を切ったのか、血が滲む。頬にも土が付着している。
だが、彼女は平然としていた。
まるで何事も無かったかの様に。
「…………」
「ちぇ、そう無表情で無口じゃ手応えも何もありゃしない。
それより、もう起きれるでしょ? さっさと立ちな」
「いてて、何とかね。でもよく分かったな、僕が立ち上がれるってさ」
聖敬がゆっくりとだが起き上がる。そうして手足を何度か握り締め、その感覚を確認する。
「だって毒ったって致死毒じゃないなら、マイノリティがいつまでも動けない毒なんてそうはないわよ、それよりも――」
美影が畔戸と起き上がる巨大百足を睨み付ける。
「アンタは、アイツらをぶっ倒しな」
そう言うと赤いドレスの女へと素早く火球を放つ。
ベルウェザーは今度も血で地面を隆起、攻撃を防ぐ。
聖敬もまた動き出す。
全筋力を解放。四本足での高速移動でみるみる距離を詰める。
「ちっっ、殺れ」
畔戸が自分の傀儡であるフリーク睨み付ける命令を出す。
巨大百足が主人の前に立ち塞がり、壁のようにそびえる。
さっきの毒入りの涎をまるで霧の様に噴射。周囲に撒き散らす。
どうやらさっきもこうして毒を撒いたらしい。
だが、もう同じ手は喰わない。
ガルルアアアアアアッッッッ!!!
凄まじい咆哮が場を包んだ。
その場にいた全員がその野生の発露の瞬間――――思わず怯み、我を忘れた。
畔戸は口を動かす事を忘れた。
ベルウェザーが、美影が動きを止めた。
そして、百足のフリークは毒の霧の噴霧が遅れ、狙いが逸れる。
それは僅かな時間だったが聖敬には充分過ぎる時間だった。
僅かな間隙を縫い――敵の横をすり抜ける様に通り過ぎた。
そのまま畔戸へと一気に肉迫。無防備なその身体に体当たりを喰らわせる。
「くはぎゃっっっ」
畔戸からすれば、一瞬何をされたのかが分からなかった。
気が付けば敵の攻撃をその身に受けた様な感覚。
無様に地面を転がり、その全身は土埃にまみれる。
その一方で、
「蔵義ゃ義ゃ嗚呼ああ嗚呼ああっっっ」
悲鳴をあげ、フリークは大きく後ろに倒れ込み、のたうち回る。聖敬がすり抜ける際に胴体を爪で引き裂いていたのだ。
「へぇ、やるじゃん。少しは見直したわ」
美影も感心した様な声をあげる。
そこに、ベルウェザーが襲いかかる。
彼女は、不意に手首の血を宙に撒き散らす。
その血が上空に飛び散り――降り注ぐのは赤い雨だった。
咄嗟にその場を飛び退く美影に聖敬。
ジュウウウウウ。
赤い雨は強い酸性らしい。地面からキツい薬品臭が漂い、嗅覚が強化されている聖敬の表情が思わず曇る。
二人共無傷ではない、身体のあちこちから煙があがり、火傷でもしたかの様な痛みが走る。
「具具嗚呼アア安久多アア嗚呼アアっっっ」
一方で悲惨だったのはあのフリークだった。
聖敬の攻撃で倒れていた所に、追い討ちとばかりに赤い雨が降り注いだのだ。その全身は激しく溶け出し、その歪な身体が崩れていく。凄惨な光景だった。普通の感性の者であれば思わず顔を背け、鼻をつまみたくなる様な肉の溶ける異臭が漂う。それはまるで腐敗臭、死の臭いだ。
「す、素晴らしい。ベルウェザーのお力を目に出来るとは……望外の極みです!!」
そんな中で、畔戸吉瀬だけは歓喜の声をあげた。
自らの手駒たるフリークが最早致命的な傷を負ったにも関わらずに。彼にとっては全ては、女神の事こそが全て。それ以外のことは自分の事すら二の次であった。
「ちっ、タチが悪いわね」
美影は自分の傷を確認する。素早く反応したのが功を奏した。深手は負ってはいない。動きにも支障は無さそうだ。
彼女には目の前の相手に勝つ自信はあった。
確かに、目の前のあの赤いドレスの女は厄介だ。
自分の血を媒介にし、壁で身を守る。その一方でその血を空気中に散らし、降り注がせる事も出来る。恐らくは彼女のイレギュラーの系統は大きく分けて二つ。
”血液操作能力”と”空間操作能力”の合わせ技。
実際かなりの強敵ではある。しかし、それでも本気を出せば間違いなく勝てる。
(でも、それでいいの?)
彼女には予感があった。まだ何かが隠されている。目の前のベルウェザーには。
だから。
ここで”切り札”を見せる訳にはいかない。
「……星城、アンタにはあの狂信者をブッ倒して貰うわよ」
「ああ、委員長はあっちの女の人を……頼む」
「誰に向かって言ってんのかしら、当然よ!!」
美影と聖敬がほぼ同時に動き出す。
それぞれの相対する敵へと向かって。
「お前らは邪魔だ……あの方の為にも!!」
畔戸吉瀬の目に映るのは敬愛すべき女神への冒涜者達。
自分のイレギュラーでは目の前に迫る獣の少年を殺すのは困難だ。というより、彼自身には然程の殺傷能力は無い。
出来る事と言えば、精々足止め位の物だ。
(それでも充分だ)
足止めさえ出来れば、女神にはあの赤い雨がある。
あれの威力は、あの役立たずの虫けらで実証済みだ。
用いる言葉は短くていい。短くて、簡潔。且つ分かりやすい言葉だ。
(動くな!)
これで完璧だと感じた。
だが、その言葉を届ける前に、相手が言葉を発していた。
それはさっきのあの雄叫び。咆哮。叫び。
その言葉はまるで爆撃の様な轟音だった。
さっきとは大きく違ったのは、怯んだのが自分一人だけである事。無差別な反抗ではなく、意図的な反発、カウンター。
僅かな逡巡の間に白き狼は迫る。
最早、相手はすぐ側にいた。
自分の言葉を紡ぐのが先か、相手の爪、もしくは牙が先か。
居合いをするかの様な緊迫感を感じつつ、畔戸は口を動かす。
「う……」
一歩相手が詰め寄る、早い。
「ご……」
あとたった二つ。それだけで終わる。
「……く……」
もう一つ、たったそれだけだ。それだけなのに。
「ああああああ」
届かない、聖敬の握った拳が畔戸の顔面を撃ち抜く。脳が揺れ、強烈な衝撃が瞬時に駆け抜け、力の抜けた身体が宙に舞って……意識はそこで途絶えた。
一方で、美影とベルウェザーの対決も続行していた。
「はああああっっっ」
美影は威力を押さえた火球を連射。野球のボールサイズではあるが猛烈な速度で続々と撃ち出され、襲いかかる。
手数ならば圧倒的……だが。
赤いドレスの女神は表情一つ変える事なく淡々と地面を隆起。
無数の敵意を防ぐ。
ガガガガガガッッッッ。
火球はその一つ一つが鉄球の様な音を立てて壁に直撃していく。
ピシピシ、という音。
壁に亀裂が入っていく。
(このまま押し切るわよ)
美影はさらに無数の火球を顕現。放出していく。
怒羅美影というエージェントの最大の長所はその”容量”。
自然操作能力は自然現象を操れる、もしくは発現させる。
どちらも極めて強力ではあるが、制限もある。
操るにしろ、発現させるにせよ、消耗が激しいのだ。
だからこそ、ナチュラルを扱うマイノリティに求められる基礎は、如何に”最小限”の威力を制御出来るか?
最小限でどれだけの出力を高められるか、という一見矛盾した鍛練をひたすらに積み重ねる。
それはボクシングでいう処のジャブ。
ジャブには派手さは無い。ストレートやアッパー、フックの様な一撃必殺になり得る類いのパンチでは無い。
だが……いや、だからこそ。
元々は ”才能”が無かった彼女にとって、このジャブこそが生命線。
これこそがかつて彼女が得意としたスタイル。
圧倒的な手数で敵を釘付けにし、機会を伺い、最大限の火力で仕留める。
彼女のジャブの手数と一発毎の威力は、WGを見回しても指折りだ。間違いなく世界でも有数。
”ファニーフェイス”というコードネームが付けられたのも、組織内での無数の模擬戦で、それまでエース級のエージェント達を続々と破った時にある女性エージェントから継承した云わば”誇り”。
だからこそ、彼女は誰にも負けない。負けるわけにはいかない。
バアン、遂に壁が砕け、ベルウェザーの姿が露になった。
(もらった)
そう思った。だが、しかし。
ベルウェザーは既に先手を打っていた。
その手から大量の血液を地面に流し込んでいる。
瞬時に理解出来た。
これは決して自身の身を守る為の行為では無い、と。
明確な殺意を持った”攻撃”の為の布石である、と。
壁を破るのを待ち受け、そして仕掛けた。
地面がとんでもない勢いで美影へと襲いかかる。
それは巨大な針山、剣山とでも言うべきか。
一斉に隆起し、敵の身体を串刺しにすべく向かってくる。
「上等――激怒の槍!!」
美影も引かない。
右掌を突き出すと、空気中の可燃物質を瞬時に引火。それを操作し、槍状に変化させると……撃ち出す。
無数の剣山が迫る。ファニーな少女は動かない。
危険を察した思わず聖敬が飛び込もうとした。
しかし、思い留まった……何故なら。
少女は笑っていた。一見して危機的な状況なのに。
迫り来る脅威が理解出来ない訳は無い。彼女は間違いなく、自分よりも実戦経験が豊富なのだろうから。
炎の槍は真っ直ぐに向かっていく。
剣山自体が云わば防壁でもある。それもさっきの壁よりも遥かに大規模な。
巨大な壁にあんな小さな槍が届くとは思えない。そう思った。
「ナメんな、でかけりゃいいってモンじゃないわ」
激怒の槍は、分厚い壁をあっさりと貫き通す。
美影は炎の性質を操作出来る。
最初に放ったのは、”燃やす”事に注視した。
今放ったのは、”貫く”事に注視したのだ。
イメージは槍というよりは針。細く小さな針を同じく小さな、僅かな穴に通す様に、細心の注意を払って。
そうして槍は、隆起した地面の奔流をいとも容易く通り抜けると、相手を、ベルウェザーの身体をも貫通――その身は炎に包まれた。なまじあの奔流が仇になった、向かって来た槍が、その視界に入らなかったのだから。
「やった」
聖敬は歓声をあげる。
「ば、バカな…………!!」
絶句するのは、地面に這いつくばる畔戸吉瀬だった。
その顔面を真っ赤に腫らしてはいるが、まだ生きている。
信じられない光景だった。
女神があろう事か火に包まれるだなんて。
あの崇拝すべき対象が燃えているだなんて。
彼は我を忘れた。
それが、命取りになるとは思いもせずに。
――おマエダけは許セなイ。
声が聞こえた。不気味な声だ。まるで幾人もの人間が一斉に話しているかのような音。
畔戸が、聖敬がそれに気付いた時にはもう手遅れだった。
巨大な百足が喰い尽こうとしていた。
聖敬の爪で引き裂かれ、半ば千切れかけた身体。
だらしなく辛うじて繋がった巨体は全身が無残に溶けており、傷口からは骨が何ヵ所から覗く。
その巨大で凶悪な牙が喉元に喰らいつき――畔戸吉瀬という存在は言葉を絶たれ、全身を噛み千切られ……絶命した。
聖敬には止められなかった。いや止める気もなかった。
あのフリークの行動は必然だと思えたから。
無理矢理自分の手駒にし、あまつさえ人ですら無くなったのだ。
操っていた人物に対する憎悪は計り知れない。
「愚ル嗚呼オオオア嗚呼嗚呼ッッッ」
幾重にも重なったその叫びには悲壮感すら漂う。
だが、最早どうにもならない。
彼らもまたフリークであるのだから。
もう、元の姿には戻れないのだから。
「僕はあなたを倒す……」
そう言葉をかけ、聖敬は腰を落とし――構えた。
空手でいうところの正拳突きを放つ様な構え。
全身全霊をかけて相対する相手に放つつもりである事を見て取った美影は、横槍を入れるのを止める。
「ま、いいわ。キッチリ終わらせな」
代わりに指先から軽く火球を放つ。それは、まるで競技開始の号砲の様に。
「愚ル嗚呼オオオア嗚呼嗚呼!!!」
先に仕掛けたのはフリーク。
百足という虫の特性を活かし、とんでもない速度で間合いを潰しにかかる。単純な速度であれば聖敬を優に凌駕しているであろう。
攻撃もあの牙で噛みつく、極めてシンプル且つ強力な一択。
もう牙からあの毒を含んだ液体は出ていない。
恐らく毒を出そうにも出せないのだろう。
聖敬はまだ微動だにしない。
みるみる相手の牙が迫り――喉元に突き刺さろうとした瞬間。
決着は着いた。
メキメリメリ……骨が折れ、砕け、肉が千切れる音。
牙は相手の喉元に触れるも、力が足りず……突き刺さるには至らない。それどころか、相手の筋肉に阻まれ折れた。
聖敬の突きはフリークの胴体を突き破っていた。
ビクン、ビクン、と巨体が揺れる。急速に力が抜けていくのが拳越しに伝わる。
ぐらり、と不自然に身体が折れ曲がり、百足のフリークは仰向けに倒れる。そのまま、煙をあげながら彼らは消えていく。
――ア利ガトう。
その声は小さかったが、彼らが最期に僅かばかりの人間性を取り戻した証左であったのだろう。
勝った。誰も死なずに終わった。その場にいた彼らは、そう誰もが思った事だっただろう。
「みかげさン、つよかっタ!」
そう声をあげながらエリザベスがグラウンドに、聖敬と美影に近寄る。
だが、すぐに彼女の表情は強張る。
その視線の先にはサングラスが落ちたベルウェザーがいた。
そしてこう呟いた。
「ママ……どうしテ?」
その言葉に場の空気が一変した。
≪あー、バレたか。ま、いっか≫
その光景を見ていた”彼女”が動いた。
まるで、照明のスイッチをONかOFFする様に。実に淡々と。
ドクン、ドクン。
エリザベスには鼓動が聞こえた。
それは、ほんの小さな脈動。
だが、彼女にはハッキリと認識出来た。
≪とりあえず、そこの生意気女と狼男くんには消えて貰わなきゃ≫
彼女はそう囁く。嬉々として、まるで何かのゲームにでも興じるかの如く。スイッチを…………。
「にげテーーーーーーーーーーー!!!!」
その叫びの瞬間。
今まで周囲から、ベルウェザーと、そう思われていた赤いドレスの女は、エリザベスの母親の顔を、その形を模した人形は”主”の命令で本性を見せる。
人の姿をしていたそれの表皮が消え、その場に真っ赤な人型の塊が残される。
≪半分位は燃えちゃったけど……逆に丁度いっか。威力も限定的だしさ。とりあえず、消えてよアンタ達――≫
人型をした赤い塊が突然、爆ぜる。
それを構成していた全てが小さな粒に変わっていく。
それは彼女の血液を基にした”人形”。
その血液で造り上げたのは”意思”を持たざる存在。
いつでもそれを彼女は消す事が出来る。
それが弾け飛ぶ際に発生するのは、通常の爆弾よりも遥かに濃密で高威力な爆発エネルギー。
それが、二人を包み込んでいく。
屋上の進士が、ようやく瓦礫から抜け出した田島が、自分の目の前で膝をつくエリザベスが…………その爆発を目に、ただ呆然とするしかなかった。