残り火
「ケケッ、どうした? さっさと殺せよ」
立井の挑発を前に零二の怒りが沸騰する。そもそも、決して気の長い性質ではないこの深紅の零たる少年ではあったが、目の前の相手が何かしらの思惑を持っている事は理解していた。
「へっ、上等だ。……言ってみな」
その思惑に乗るのは癪ではあったが、振り上げた拳を引く。
「ケケケ、いい子だねぇ。ま、こっちとしても死にたくはない」
下卑た笑みを浮かべ、ヨロヨロと立ち上がる。
零二の一撃は相当のダメージを与えたらしく、呼吸は荒く、全身からは微弱ながら火花が飛び散っている。どう見ても満身創痍であり、一見すると、この状況を打破出来るだけの”切り札”を持っている様には思えない事だろう。
立井も相手の自分を訝しむ様な、鋭い視線に気付く。
(何とか命拾い出来たのは良かったが……)
状態は最悪と言って差し支え無かった。
彼に埋め込まれたサポートデバイスは、その殆どがダメージの蓄積により故障しており、ただでさえ決して高くない戦闘能力は激減、目も当てられない状態といえた。
辛うじて動作チェックで問題なしだったのは、制御稼働システム位で、ロックオンシステムも壊れていて使い物にならない。
もっとも、その肝心要のシステムを用いるべき武器、アームガンは左右双方共に地面に転がっていた訳だが。
残されているのは、白兵戦用に仕込んでいるアームナイフといざという時用の”奥の手”だけ。
以前の自分であったなら、間違いなく開口一番に「すみません」と詫びをいれる事だろう。土下座でも何でも構わずに。
(だが、そんなのはもうお断りだ)
「おい、いい加減テメェの切り札ってのを教えろ」
零二は焦れて来たのか、不愉快そうに自分よりも背の低い男を睨み付けてくる。
その殺気に立井はひっ、と軽く怯えた声をあげる。理性では分かってはいるものの、現実はそうそう上手くはいかない。
(落ち着け、こいつはこっちのペースなんだぜ。このガキをブッ殺すチャンスなんだ)
そう必死に自分を説得しつつ、呼吸を整える。
まだ、彼には切り札が残されていた。ただ、まだ、それを用いる為の制御システムが故障しており、今、最優先で肉体との接続を優先させていたのだ。
(多分、二、三分ってところか)
たったそれだけの時間を耐えれば、目の前にいるこのクソガキを殺せる。相手の醸し出す剣呑な雰囲気に思わず呑まれそうになるのを堪えつつもう一度自分を説得。
(これまで、散々我慢してこれた。色んな屈辱だって耐えてきただろう? ほんの三分、たったそれだけの事だ)
「く、ケケケ 、何で出来たと思う?」
意を決し、唐突に立井は切り出す。
「は? ンな事知るか。……何がだよ?」
零二が食いついた事を理解した立井は微かに口角を吊り上げる。
完全に自分のペースに巻き込んだ。そういう実感がある。
「ワタシのイレギュラーは大した事は無い。単なる【充電池】だ。そんな奴がどうやって学園内の通信を完全に遮断出来たんだと思うよ?」
その問題は、零二も気にはなっていた。
この卑屈な男に出来る事は、精々が充電した電力でちょっとしたセキュリティの解除や、通信回線へのハッキング位の物だったはず。これ程の範囲を長時間通信妨害出来るだけの容量等無かったはず。仮に出来るとしてもほんの一瞬。ヘタを打てばそれで、限界を突破するかも知れない。
だから、九条羽鳥から目の前にいるこの男の排除を指示された際、強い違和感を覚えたのだった。
何故、この男にそこまでの事が出来たのか?
そこに彼は疑問を抱いていたのだった。
(ケケッ、バカめ……)
自身の思惑通りの展開に、思わずほくそ笑む立井は、口を開く。
「タネは単純さ、身体を改造したのさ。こうして、まずは容量を増設すると所からなぁ」
そう言いながら、自慢気に自分の胸部をドアの様に解放する。
思わず零二は顔をしかめた。
彼の目前には、半ば人体に融合した機械の数々が見えた。
そして、主要な臓器が明らかに機械化されているのも。
それはまるで、ホラー映画かSF映画の様な不気味な光景だった。ドクン、ドクンと動いている心臓すら機械化されている。
最早、目の前にいる相手は人間の皮を被ったサイボーグと言ってもよい存在だと思えた。
零二の脳裏にかつて、あの白い箱での日々が浮かぶ。
あそこでは、今考えると、非道極まりない実験の数々が平然と行われていた。当時の彼にとってはそれが日常であったのだが。
研究者による検査の結果で、持ち得るイレギュラーの系統が肉体操作能力と判断された、まだ年端もいかない自分と同年代の少年が、その再生回復能力の確認という理由で、四肢を断ち切られる。当然、麻酔などはかけたりはしない。今でもその絶叫は耳に残っている。見せつけられたのだ。恐怖心を植え付ける為に。自分達、実験体から反抗する気持ちを奪う為に。
それから、肉体の強度を知る為に、手足を拘束。無抵抗状態にした上で、一方的に攻撃をその身に受ける。彼はそうした日々の中、やがて正気を失い、怪物と化した。零二と兄貴分によって命を絶たれた。今考えても悲惨な末路だと思える。
そう考えると、自分やもう一人の兄貴分の場合は、藤原新敷により、ほぼ虐待に近い暴力に満ちた訓練を受けはしたが、少なくとも他の実験の被験者に比べれば随分とマシだった。
悲惨だったのは、電力を使えるマイノリティの青年だった。
彼の場合は、何処まで肉体を機械化出来るのかを確かめる為に、様々な改造を受けた。肉体が徐々に生身から機械へと差し替えられていく。その甲斐もあって戦闘能力は飛躍的に向上したものの、彼はもう人とはかけ離れた存在と化した。そして、正気を失った。
かくして人の皮を被った機械人形となり、最終的に廃棄された。簡単に言えば、始末された。
それを実行したのは零二と兄貴分の二人。
生身ではない相手には痛覚もなく、攻撃力も高かった事から苦戦した事をよく覚えている。
彼は、笑っていた。
笑いながら、その最期にこう言った。
――ようやく死ねる。これで、自由だ。
(へっ、やな事を思い出したぜ)
思わず舌打ちしたくなったが、今が敵との話の途中である事を思い出した。気を取り直して立井へと、視線を向ける。
「勿体ぶらずに言えよ、じゃなきゃ今すぐ死ぬぜ?」
「け、ケケッ。いいだろう、身体に機械の増設を行い、結果として飛躍的に充電容量は増えた。だが、それだけじゃまだまだだ。
私の得意分野はあくまでも破壊工作、それをフルにいかせる様に最後のパーツを仕込んだのさ……そう」
ここにな、といいつつ自身の側頭部を動かす。
「成程な、頭に【チップ】を仕込んだってワケかよ?」
零二はその話を聞いて得心した。
ある研究機関が開発したというその”チップ”は対象者の脳に直接接続させる事で、イレギュラーを本来以上に増幅、効力を発揮させる事が可能になる。
その”処置”を受けたマイノリティは、イレギュラーの強化により結果として戦闘能力等が増大、底上げされる。
ただし、欠点もある。
その処置を受けたマイノリティは遠からず、その理性を人間性を喪失するのだ。チップが発する増幅機能は、イレギュラーの強化と共に、精神的負担も増大させるのだ。
つまり、処置を受けるという事は、怪物になる事が確定したとも言える。
零二は道理で、と思った。この男は元来臆病な性格だった。
それはこれ迄、ずっと自分を抑え付けてきた反動もあるのかも知れない。それが肉体の改造と、脳に接続したチップの影響で、人格に変化が出ているのだとしたら、この変貌にも納得出来る。この男は、もう完全にフリークに成り果てたのだろう。
「ケケケケッ、一言で簡単にいえば【EMP】だ。電磁パルスで、ここいら一帯の電子機器をオジャンにしてるのさ、私の発する電磁波を、学園に設置したアンテナで増幅させて、な。
当然、以前ならこんな事は出来なかった、処置でイレギュラー自体が強化されたおかげって訳だ」
「成程な、つまりテメェをブッ殺せばいいンじゃねェか」
「――てめぇはバカか? 今の私はいつでも電磁波を開放し、放て
るんだ。てめぇが下手に手を出せば、体内の全電力を電磁波に換算し、学園はおろか……ここいら一帯を完全に壊滅させる事だって出来る。それでも、私にトドメを刺せるかなぁ? まず間違いなく関係無い一般人にも死者が出るがなぁっっ」
零二はちっ、と舌打ちをした。
それを見た立井は優位を確心、勝ち誇る様な笑顔を浮かべる。
ガキン、何を思ったか、左右の手首をぶつけると、先端から鋭利な刃がアームナイフが飛び出す。
「刃向かうんじゃねぇぞおっ」
そう叫びつつ、アームナイフを一閃。零二の胸部を切り裂く。
ポタッ、ポタ、と血が滴り、さらにナイフにも付着する。
「やっぱりな――動くなよお、甘ちゃん」
ケケッ、と不快な笑い声をあげつつ、ナイフの血を舐めとる。
そしてそこからさらに二度、三度、と二本のナイフで幾度と無く切りつけていく。相手の少年は黙ってそれらの攻撃をその身で受け続けた。零二は上半身を切り刻まれ、切り傷だらけにされた。しかし、声も出さない、そして決して後ろにも前にも、一切身体を動かさない。微動だにしない。
「いいね、その姿勢。だが、いつまで虚勢を張れるかね」
フリークと化した小男はアームナイフを腹部に突き立てる。その刃が深々と飲み込まれる感触を味わい、引き抜く。
立井は舌を出し、思い切りその表情を歪めてみせると同時に、後ろに飛び退く。
そうして、膝立ちで着地すると同時に左膝のカバーが外れる。
「死ねよっっっっ」
叫びと共に膝から飛び出すのは円筒状の物体。大きさとしては五〇〇ミリのペットボトルだろうか。
それは、飛び出すや否やボウッ、と後部から点火。急加速しながらおよそ十メートル先の標的へと一直線に向かっていく。
ドオオオン。
そうして轟音が響き、爆発が起きた。
爆炎と爆風、衝撃は学舎のガラスを粉々にした。
そうして、いよいよ周囲の学舎自体が崩れ去る。
「ケケッ、ケケケケッッ、死んだな?」
立井久喜はその不快な笑い声をあげる。
爽快な気分だった。全身ボロボロにはされたが、ずっと殺したかった……明らかに格上の相手を、こうして遂に始末出来たのだから。
思わず、愛しげに自身の膝をナイフで軽く撫でる。
”マイクロミサイル”の威力は実に素晴らしかった。
小型ながら圧倒的な破壊力。
最新鋭の戦車であろうとも、軍用ヘリであろうとも一撃で撃破出来る代物。これこそが立井の切り札であった。
実際に使用するのはこれが初めてではあったが、期待以上の結果にその表情は緩む。
あれだけの威力であれば、いくら相手が化け物でもひとたまりも無い。そう思った…………。
だが。
そこにその少年は立っていた。
驚愕する他なかった。
(一体、どうやったんだ)
そう思いながら相手の少年を凝視……そして理解する。
零二の全身から巻き上がる湯気を目にして。
あの爆発の寸前、その超高温の蒸気がミサイルから放たれた爆炎を防いだのだ。俄には信じがたいが目の前で起きた以上はそういう事なのだろう。
しかし、それでも立井は自身の優位を理解していた。
確かに、爆炎は防げたらしい。しかし、衝撃や瓦礫は防ぎきれなかったらしい、腹部は勿論、全身からかなりの出血が見受けられる。
その上、恐らくはミサイルを防ぐのに余力を使い切ったらしい。
彼の傷が修復していかない。つまり、リカバーも使えない程の状態だという事だ。
それでもその場に立っているという事実には驚くが、それも彼なりの、最後の意地といった所か。
「よぉ、教えてくれねェか?」
零二の声も何処か弱々しい。
「何をだ?」
立井は気を良くしたのか、満足気にその表情を歪める。
「……アンタのEMPを、電磁波、ってヤツを増幅させるアンテナって何処にあるンだ? オレにはもう、何も出来ねェ……教えてくれよ」
所々、かすれる様な声で尋ねてきた。
「ケケケケッッ 、いいだろ。アンテナなら体育館の屋根に……」
満足気にそう口にした、その時だった。
キイィィィィン。
耳をつんざく様な高音が響く。
その音は微かに空気を揺らし、立井の機械仕立ての身体にも振動が伝わり、察知出来た。
バチイイイイイ。
それは、アンテナとの接続が切れた音。
何が? そう思った立井だったが、すぐに理解した。
体育館の屋根が吹き飛んでいたのだから。
それは、文字通りに粉々だった。
体育館の屋根がまるで、最初からそこに無かったかの様に粉砕、消え失せたのだ。
「ば…………そんな」
バカな、と絶句した小男は、自分とは対照的に、打って変わってニヤつく少年に気付く。
「何をした? 一体何を…………!」
言い終わる前に、自身の足元が突如抉り取られ、バランスを崩した立井は後ろに倒れる。
「へっ、バーカ。オレはなンもしねェよ。忘れてンじゃねェのか? オレにも相棒はいるンだぜ。少々当てにならないヤツだけどよ……いでっ。何しやがる?」
零二は突然頭を抱える。すると”声”が立井にも聞こえてきた。
――何言ってんの。アンタがさっさと聞き出さずにもたつくからでしょ? っていうか面倒くさい、もう嫌だ。
それは”静かな囁き”こと桜音次歌音の声だった。立井もその存在しか知らぬ、謎のエージェント。
その素性は、支部長である九条羽鳥と側近のシャドウしか知らず、WD九頭龍支部のデータにすら詳しい個人情報は記載されていなかった。
大いなる不確定要素であった為に調査をし、結論として脅威から除外していた。
その理由は、彼女が零二に負けず劣らずの問題児で、命令違反多数。その上、協調性に於いては目の前の少年よりも低いと、九条の名前で記載されていたのだから。現に、これ迄幾度と無く戦闘中であっても介入してくる気配すらなかった。だから、予想もしていなかった。
遠距離からの音波による攻撃を得手としているらしい、そう調べは付いてはいた。
だが、一体何処から……?
相手がいくら遠距離から攻撃出来るとしても、今の足元への牽制はあまりにも精度が高すぎる。
立井はその点に深い疑問を抱いた。だから、微弱な電磁波を放つ。攻撃では無く、あくまで索敵の為に。アンテナは必要では無い、それくらいなら自力で出来る。
そうして、この学舎の半径およそ二百メートル。中等部の学舎の屋上。そこにたった一人で立っている対象を捕捉した。
どうやら、声の通りの少女らしい。かなり小柄だ。
「ケ、ケケケケッッ。死ねっ、クソガキがああああっッッ!!」
目を血走らせ、絶叫すると右膝からマイクロミサイルを放つ。
狙いは零二ではない、その脇を通過し歌音へと襲いかかる。
「ケケッ、どうした。助けないのか?」
その問いかけに零二は何も答えず、ただ背を向ける。
それを歌音を心配する行為と見た立井は、「バカめ!!」と声を出し、二本のアームナイフで今度こそトドメを刺すべく襲いかかる。
脚部のバーニアユニットによる急加速は時速三〇〇キロ。まさに瞬時の接敵。無防備な相手は反応すら出来ない。そのまま心臓を抉り出すべくナイフを突き出した。
「へっ、バカはてめェだ」
零二の嘲笑う様な声。
二本のナイフが瞬時にドロリと溶解した。
信じられなかった、零二はあの湯気すら纏ってはいない、文字通り無防備だ。
相手は何もしてはいない。
なのに、どうして…………。
ガアアアン。
ミサイルが爆発した音。
それは、標的の居場所には程遠く、迎撃された事は明白だった。
さらに、全身に異常が起きる。
突然、手も足も、胴体も、いきなりオレンジの鮮やかな”炎”に包み込まれたのだ。
信じられない光景だった。
自身の機械化された骨格は耐熱耐火性能を重視したのだ。
今の彼は人の皮を纏った機械人形であり、生身とは比較にならない不燃性を達成していた筈だった。
それなのに今、自分は”燃えている”。
燃えて、焼かれて、焦げつき、挙げ句には溶解し始めている。
背を向けたまま、少年は告げる。
「気付かなかったか? もう、とっくに死んでンだぜ……アンタは。――オレの中に残ってる、この忌々しい【残り火】でよ」
それは、本来の”炎”を封じられたこの少年に残されたかつてのイレギュラーの残滓、その欠片。
それは、封印され、その大部分を喪失した零二の炎の、それでも封じ切れない、云わば”呪詛”の様な物。
それは、単なる炎ではない。
相手の内部に入り込み、潜み、浸透し、折をみて一気に燃え盛る――ある種の時限爆弾の様な代物。
どういうキッカケで、敵にその残り火が入り込むのかは、零二自身にすら未だに分からない。
単なる偶然なのか、それとも何らかの感情の発露としてなのか?
或いはその両方なのかも知れない。
だが、一つだけ云えるのは、この、呪われた残り火に入り込まれた哀れなる相手は決して助からないという事。
その身を、その魂を、その存在全てを焼き尽くされ――焼失する。
現に、その全身を覆い尽くす炎は、色を常に変えながら、まるで生き物の様にうねり、まるで蛇が獲物を丸飲みしている様に、相手の全身を包み込んでいた。
「あ、あひゃあああああひぃぃぃぃいいッッッ」
立井は恐怖のあまりに絶叫する。何が恐ろしいかと言うと、”何”も感じない事だった。
この機械仕立ての全身が燃える程の炎に包み込まれたというのに。にも関わらず、”熱さ”を感じない。
それだけではない。
既に身体のあちこちが、完全に溶けて、崩れていっているというのに”痛み”も感じない。
まるで、現実感が無い。
確かにサイボーグと化したこの肉体は感覚は鈍い。
しかし、それでもここまで何も感じないというのは異常だった。
ハッキリしているのは、自分がこの場で、無惨に確実に死ぬという事実。
(いやだ、いやだいやだあっっっっっっ)
立井は絶叫しながら、最後の抵抗を試みる。
不自然な程に口を開く。顎がガキン、と外れる音。
そこから吐き出されるのは、あのマイクロミサイル。その最後の一発。距離は僅かに二メートル。この距離で狙いを外しようもない。
確実に相手を、零二の無防備な背中を直撃するだろう。
無論、このミサイルの爆発の余波は燃え尽きゆく自分にダメ押しとなる事だろう。間違いなく、この爆発で死ぬ。
(だ、だがお前だけでも道連れに――)
一矢報いたという確信で、思わず表情が歪む。
しかし。
「かったりぃ」
そう一言呟いた刹那。
爆発が巻き起こった。
その爆発は、立井の身体から飛び出した炎が口から出ていこうとするミサイルをも飲み込んだ事で発生。あろうことか、自分だけが砕け、消えていく。
そして、最期に見えたのは、背中越しのまま傷が癒えていく零二の姿。その光景を目の当たりにして、彼は理解した。
最初から戦ってはいけなかったのだ、と。
コードネームの”憎悪の渦”という通り、爆風と炎の渦に巻き込まれ、立井久喜は粉々になった。
「だから、言っただろ? オレは何もしねェって」
零二の目にはハッキリと見えていた。
残り火が相手の肉体に入り込むのが。
少しずつその全身に浸透し、キッカケを待っていた事を。
「やれやれ、くっだらねぇ奴だった」
欠伸をしながら手足を回し、肩を、首をゴキゴキと鳴らす。
零二の身体からは主だった骨折や打撲もスッカリ消えていた。
これは、熱操作という彼のイレギュラーの応用。
自分自身の熱代謝を活性化させる事で、細胞をも活性化。
再生回復能力を飛躍的に増進させたのだ。それは、マイノリティ共通の再生回復能力であるリカバリーの強化版ともいえる超回復能力ともいえるものだった。
――やっぱバケモンね、あんた。
その回復していく様子を目にした桜音次歌音は、半ば呆れた様な声を出す。リカバリー以外の回復手段を持つマイノリティは意外と多い。だが何度見ても、零二の熱代謝による回復は図抜けている。
「ン、そか。ってかお前……」
――な、何よ。頼み事は面倒くさいから嫌。
「サンキュな」
――え、何が?
思いがけず出た感謝の言葉に歌音の声がうわずった。
「お前の援護であのボケの脅しが消えただろ? それの礼だ」
――あ、ああ。気に食わないの、ああいうザコのやり口が。
「ま、何にせよ。借りを作っちまったな、今度何か奢るぜ」
――ふん、なら最高級マスクメロンを二十個でいいわ。
歌音としては、その要求はかなりの無茶ぶりだった。何せ、軽く数十万円の出費になるのだから。
「ああ、いいぜ」
――ふぇ?
だから、あっさりと即答する相棒に驚きのあまり声が洩れた。
――ちょ、ちょっとは考えろ。
「しっかりとかンがえたぜ。……そうゆうこった」
あっけらかんとした声に完全に調子を崩された。
思えば、最初に面通しをした時からこうだった。
一見して、どう見ても品行方正とは言い難いその容姿。
自分も、WDの中では浮いた存在である事は認識していたが、この自分よりも年上の少年から漂う印象は、好戦的で向こう見ず。どう見ても協調性など無さそうだった。
気に食わない事は力づくで解決する、そんな感じだった。
そしてそれは、間違ってはおらず実際、零二は大抵の物事を自分の力で強引に解決する。
いちいち、関わる必要のない出来事にも自分から首を突っ込み、事態を悪くしたなんて事は日常茶飯事。まさに、トラブルメーカーだと言える。
一般常識が通じない事も多く、出来るだけ目立ちたくない彼女にとっては、最悪の相棒だったはず、なのに。
何というか気になるのだ。放っておくと次に何をしでかすのか分からない。まるで、初めて外の世界を目にした子供の様で。
勿論、四六時中見ている訳にはいかない。そこまでする理由も無いし、そもそも面倒を見る義理も無い。
(そう、こっちが任務で仕方無く組む時だけ、それだけでも面倒くさくて嫌)
そんな事を思っていると零二が切り出す。
「ンじゃ、帰るわ」
もう興味が無くなったのか、さっきに続き、実にあっさりとした物言いだった。
――いいの? まだグラウンドでは戦闘中。WGの戦力を把握する機会だけど。
思わず、世話を焼くような発言をしてしまう。……らしくない事だとは思いつつ。
「誰が戦ってンだ?」
――例の狼男に、もう一人は……女子学生ね。炎使いみたい。
「ンじゃ、やっぱいいや。……見えてるからな」
――何が?
「アイツがいるンじゃ、相手が誰か知らねェが勝てねェよ。
アレに勝てンのは…………オレだけだ」
ンじゃ、とだけ言うと零二は会話を打ち切る。
中等部の学舎にいた歌音は、改めてもう一つの戦場に、高等部のグラウンドにその意識を向けるのだった。
「で、まだ用か?」
高等部の敷地を出ようとした零二が相手に声をかけた。
「ふん、気付いていたのか。まぁまぁだな」
そう言いながら姿を見せたのは、藤原新敷。
かつての教官にして、怨敵。
「へっ、薄汚ねェ殺気が漏れてンだよ。きちンと栓は閉じとけ」
その巨体からは、明らかに自分を対象にした殺意が溢れ出し、無表情でこそあったが、サングラスで覆ったその目。その隻眼は憎しみで曇っている事だろう。
理由は単純だ、この巨漢の潰れた片目。それをしたのが零二であるから。
二年前の実験で、暴走した零二により片目を失い、重傷を負ったからであろう。
「ふん、あの事は人生の汚点だ。――貴様如き出来損ないに負わされたのだから、な」
「やるってなら構わねェぜ。かかってこいよ」
零二はそう言うと、姿勢を低くし、歯を剥き、好戦的な笑みを浮かべる。
だが、相手は誘いに応じない。
「お前の事はよく知っている。虚勢を張るな、余力等残されてはいまい」
実際、そうだった。
今の零二は傷こそ完治してはいたものの、イレギュラーを使うだけの余裕は無かった。用いるだけの精神力が無かったのだ。
見透かされた事に思わずチッ、と舌打ちすると構えを解いた。
「今日は、付き添いで来ただけだ。心配せずとも、お前との決着は付けてやる。その内にな……それまでに」
くだらん相手に殺されん事だ、そう言うと新敷は姿を消した。
「へっ、上等だ」
あの男の事だ。今の自分がどの程度の戦闘力なのかを把握するつもりだったのだろう。
それでわざと当て馬として、あの立井久喜をぶつけたのだ。
そして、思惑通りに戦闘し、倒したという訳だろう。
(へっ、気に喰わねェ)
だが、ハッキリしている事があった。
それは、現状ではあの男には敵わない、という事実。
さっきもそうだったが、あの男は本気を出していない。
二年前の場合は自分の暴走もあったし、相手の油断もあったのだろう。
認めるのは癪ではあったが、あの男が殺す気なら今頃、こうして歩いてなどいられなかっただろう。勿論、こちらもただでやられるつもり等は毛頭無い訳ではあるが。
それに、放っておいてもご丁寧に近々また来るらしい、実に親切な事に。今度こそ殺しに来る、という訳か。
(何にせよ、久々に帰るとすっか)
零二の脳裏には、今の自分の師匠であり、身元後見人でもあるあの老人の姿が浮かんでいた。
その老人こそ、彼が知る限りでは間違いなく最強のマイノリティだった。
「あーあ、嫌だなぁ」
その後見人である老人、”加藤秀二”は久々に実家に帰る自分をさぞや笑顔で迎えるだろう。
そう思うとげんなりするのだった。
「……生きて帰れるかな、オレは?」
その問いに応えられる者はこの場にはいなかった。