憎悪の渦――ヘイトボルテックス
「け、へへっっ」
下卑た笑い声をあげながら、立井久喜は倒れているはずの”獲物”へとにじり寄る。手負いの獣を追い詰める狩人の様に。
自分よりも優秀なマイノリティであるはずの武藤零二も、それよりも強い藤原新敷という怪物の前に敗れた。
”藤原一族”だか何だかは知らないが、気に食わない男だった。
傲慢で気位が高く、あの愛すべき先導者にも膝を屈せずに、あろうことか見下ろす様な視線を向けていたのには心底怒りを覚えたものだ。
(だがよ、そんな奴でも少しは役に立ったじゃないか……何せ)
そう、何せあのクソ生意気なあのクリムゾンゼロを瀕死にまで追い込んだのだから。
あのガキに特別恨みがある訳ではない。
ただ、気に食わないのだ。自分が欲してやまないものを、さも当然の如くに行使し、蹂躙するその姿、その存在全てが気に食わない。
(けっ、とは言っても……だ。今や、虫の息だろうさ)
相手は今や、ほんの十メートル先の、建物の中で倒れ伏している事だろう。
高等部の学舎内に仕掛けた隠しカメラの映像は自身の脳とリンクさせており、常に把握していた。彼の様に、決して強くは無い電気操作能力者であっても、これ位なら造作も無い。
無論、武道館も同様に。そこで起きた一部始終を見ていて、藤原新敷が如何に規格外の強さなのかは理解出来た。
そして、その強さを前にクリムゾンゼロとか大層な通称を持つガキが完膚なきまでに敗れたのも。
今ならば、何の苦もなく始末出来る事だろう。
手にしたPDWの威力は充分だ。何せ、WGのガキ、肉体操作系の相手の肉体をも容易く貫通したのだから。
イレギュラーの使用や威力には”精神状態”が大きく関わってくる。あれだけズタボロであるなら、心だって折れた事だろう。
「まぁ、いいや。とりあえず喰らえ!!」
立井はPDWの引き金を引き――武道館を銃撃した。
カメラの映像を見る限り、あのガキは寝ているのは分かっていた。少しでも回復を図っているのかもしれない。
「けっ、呑気にお寝んねなんかさせねぇぞー、ははあっっ」
あっという間に、銃弾をフルオートで撃ち尽くした弾倉を替える。そして、ボロボロになった壁の穴に向け、腰から飛び出したピンの抜けた手榴弾を左手で掴むと、まるでおちょくる様にゆっくりとした下手投げで放り投げ、投げ入れた。
ゴオン、手榴弾は空中で轟音をあげ、轟音と共に爆風で壁が吹き飛んだ。木造の武道館は今の爆発で限界を迎えたらしく、ガラガラと音を立てながら崩れていく。
そんな中で一ヶ所だけ無事な場所があった。
そこには少年が立っていて、その身体からは湯気が上がっている。だがその目は何処か虚ろで、心ここにあらず、といった風だ。
「けっ、死に損ないが。ま、そうでなきゃ面白くもない」
立井は薄ら笑いを浮かべながら、PDWをフルオートで全弾撃つ。
立井は、自身の全身に時間をかけて、様々な”機械”を仕込んでいた。本来なら戦闘に向かないはずのマイノリティであった彼がこうして銃器を使いこなせるのも、埋め込まれた数々のサポートデバイスの恩恵による物だ。
PDWのフルオート斉射の反動を抑えつける為の制御駆動システム、射撃をする際のロックオンシステム。
これらを駆使する事で、彼は自身の戦闘能力を向上させていた。
最も、自身の体内で強力な電力供給が出来ない立井にとって、これらのデバイスは諸刃の剣でもある。
彼自身はあくまで、電力を充電出来るだけなのだから。
自分の充電池の残量の確認は、常にしていなければならない。
全てのデバイスを開放すればほんの二分でバッテリー切れを起こす事だろう。
放たれた無数の銃弾が零二へと襲いかかっていく。
もしも、これらをその身に受ければ今の状態ならば間違いなく、致命傷に成り得るだろう。
「死にやがれ、クソガキ!!」
憎悪に満ちた歪んだ笑みを見せながら、立井が歯を剥き出しにする。
しかし、彼は相手を侮っていた。
相手がまだ子供で、瀕死だから、と。
「かああがあああああっっっ」
だが、目の前にいたそのガキは違っていた。
それはまるで獣の咆哮。
全身から解き放った”殺意”の奔流。湯気がブワッ、と巻き起こる。立井のロックオンシステムは放たれた無数の銃弾が湯気の前でボウッ瞬時に燃えていくのを捉えていた。
「ぜ、全弾だと――ば、ばかなっっ」
そして、ゆらりと倒れ込む様な仕草を見せたかと思えば、自身の至近距離にその深紅の零は肉薄していた。
言葉も出す暇も無い、少年の振るう右拳がその腹部へ直撃。
まるで砲弾の射出を思わせる勢いで立井の身体が吹き飛び――学舎の壁に激突。そのまま、中へと飛び込んでいく。
「衝撃の初撃」
単なる右ストレートではあったが、その破壊力は強烈。
間違いなく相手は全身を襲う衝撃と、それに付随する”身を焦がす”苦痛を味わうだろう。
「く、はっっ。…………へっ」
零二は、よろめく自分の姿に思わず苦笑を浮かべた。
既にリカバーは発動していた。だが、それでも間に合わない位にあの藤原新敷から受けたダメージは深刻だった。
視線を学舎へと向けた。
さっきの一撃に手応えを感じなかった。
殴ったのは間違いない、だが、決定的に手応えが無かった。
「さっさと起きろや、オッサン……じゃねェと……」
凶悪な笑みを浮かべ、よろめきながら学舎へと歩を進めていく。
その全身からは仄かに”湯気”を放ちながら。
◆◆◆
そこは真っ白な空間だった。
地面も、天井も、壁もその全てが真っ白な”箱の中”だった。
少年は”外の世界”を見た事が無い。
彼は物心付いた時にはもうこの箱の中に囲われていたから。
そこでは、毎日毎日ある事を続けさせられた。
少年は”炎”を操る事が出来た。
何故それが出来るのかは分からない、ただ出来たのだ。
まるで、息を吸うように極々自然に。
箱の中には、彼以外にも大勢の子供がいた。
その誰もが違う事が出来た。
例えば、向こうにいる怖い顔をしたお兄さんは、大きな人形をあっという間にバラバラに引き裂く事が出来たし、あっちにいるお姉さんは触る事なく、色々な物を持ち上げる事が出来た。
色んな人が彼と同じく、ここで色々な遊びをしていた。
少年の炎は、その中でも特別だった。
何せ、彼がそれを扱う時には、たくさんの壁に覆われた部屋で一人で遊ぶように言われたし、大人達は顔もよく見えない重そうな服、今思えば耐熱服に着替えていたのだから。
少年に転機が訪れたのはいつの頃だっただろうか?
彼の部屋に一人の少年が、兄貴分がルームメイト事からだったか?
それとも、あの男が遊びを”訓練”に変貌させた事からだったのか?
いずれにしても少年は、最終的にその場所を……白い壁に覆われた箱の全てを燃やし尽くした。
そう、そこにいたたくさんの人諸共――文字通りに全て、を。
◆◆◆
「…………へっ、くだらねェ」
零二は脳裏をよぎった、以前の自分の姿に苦虫を潰した様な表情を浮かべた。
あの場所を思い出す時は、決まって嫌な気分になる。
あの場所は、WDが運営する極秘のイレギュラー研究施設だった。確か、表向きは、英才教育を施して、将来のエリートを育成するとかいうご題目だった。
そこにいたのは、マイノリティである子供達と大勢の研究者達で、彼自身がそうした子供達の一人だった。
子供達はそこで、来る日も来る日も自分のイレギュラーの使い方を学んだ。
自分には、どういう事が出来るのか?
そのイレギュラーは何処まで目的に対して”有効”に作用するのか?
そして、自分はどれだけ優秀な”実験動物”なのかを周囲で観察している白衣を纏った研究者達に見せつける日々。
たくさんの子供達がいた研究施設だったが、入れ替わりは激しく、ふと気が付くと見た事のない新しい子供がいる事も珍しくなかった。
まだまだ子供で、事情を何も知らない零二には知る由も無かったが、入れ替わる様にいなくなった同年代の子供達がどうなったかは、今ならよく分かる。
その研究施設では一応、必要最低限の知識は必要だから、という事で小さな学校の様な物もあった。
零二は、そこに行くのが嬉しかったのをよく覚えている。
何も無い研究施設で、そこにはたくさんの本が置いてあった。
本に書いてある話が楽しかった。
そこに描かれ、紡がれた話は、少年に見た事の無い”外の世界”についてその断片を教えてくれたから。
いつか外の世界に出たい。
そう思いながら、零二はイレギュラーを開発した。
そうして、何年の歳月が経過したのだろうか。
その男は少年の前に姿を見せた。
最初から、嫌な感じを漂わせる男だった。
周囲にいた研究者達も、正直言うといけすかない連中ではあったがその男に対しては、ハッキリとした”嫌悪感”を覚えた。
その男は、零二ともう一人の兄貴分だった少年の二人の戦闘訓練教官だった。
それまでは、戦闘訓練とは言っても遊び感覚だった。
だが、その男のそれは遊び等では断じて無かった。
二対一で向かっていっても全く歯が立たない。
男は、自分達を遥かに凌駕する戦闘能力を活かし、来る日も来る日も零二達をいたぶった。
――くだらん、この程度では役立たずだ。いっそ殺してやろう。
そう口元を歪める度に、零二は怖かった。
この男なら本当に自分や兄貴を殺してしまう。
そう思えた。
それからは、ただ恐怖の中で生きていた。
あの教官は、零二を、兄貴を徹底的に虐げた。
絵本で目にした”鬼”とは、まさにあの男に違いない。そう心底思えた。
訓練は徐々にその危険度は増していく。
戦闘訓練も、いつの頃からか、同じマイノリティ、それも同じ研究施設にいた同年代の子供達が相手に変わっていた。
――殺せ、それしかお前が生き残る方法は無い。
何とか勝つ事が出来た零二に、教官は冷徹に伝えた。
そこから伝わるのは、この鬼は、いつでも自分を殺せるのだ。という”死の宣告”に等しき呪詛。
怖かった、ただひたすらに怖かった。
だから、殺した。ついこの前話した相手を、手にかけた。
そうして、さらに時間が経過した。
そこにいたのは、訓練相手を躊躇なく焼き尽くす”炎の化身”と化した零二と、全てを凍らせ、その命を摘み取る彼の兄貴分――。
教官は、藤原新敷はいつもと同じくこう言った。
――殺せ。これが最後だ。
そう言った。
それから何が起きたのかを、零二はハッキリとは覚えていない。
断片的に覚えているのは、炎と氷の激突。
立っている自分の姿。
見下す様な視線を向ける、あの藤原錦織。
堪えられない”怒り”が溢れ出し、相手に襲いかかった自分。
どうやったのかは、分からない。
あの男の片目を奪ってやった光景。悶えながらのたうち回る男の憎悪に満ちた視線と殺意。
それから――――制御を失い、全身から”炎”を吹き出し……全てを灰燼と化した自分。何もかもを燃やし……あまつにさえ笑っていた自分の顔。
「ち、クソッタレ」
零二の顔に暗い翳が差す。
あの後、彼は何もかもどうでも良くなった。
今の自分に価値を見出だす事が出来ず、生きる気力すら失くしかけた。全てを燃やし尽くした今、自分にはもう何も残されていない、そう思っていた……九頭龍に来るまでは。
「くひゃひゃひゃっっっ」
瓦礫から高笑いが響き、零二はその白く光輝く右拳を叩き付ける。コンクリートの瓦礫はあっさりと砕け、声の主をも直撃……したはずだった。
バララララッッ。
「く、ちっ」
思わず呻く。背後から銃撃を受け、振り返る。
すると、立井がそこにいた。
瓦礫の向こうには小型のスピーカーが置いてある。
「ケケッ、バーカ。くだらねえ手にかかりやがってよ」
そう言いながら、手に持っていた手榴弾を足元へと転がす。
ドオオン。
投げられた手榴弾は即座に爆発。轟音と共に激しい光が視界を奪う。
光で視界を奪われた零二の手足を、PDWからばら撒かれた銃弾が撃ち抜き、姿勢を崩す。
立井はにやけながら、思わず「チッ」と舌打ちする少年の顎をかち上げる。
「ケケッ、どうしたどうしたぁ? 捕まえてみろよっっっ」
そう挑発しながらさらにPDWの引き金を引き、相手の身体を撃ち抜いていく。
「知ってんだぜ、てめぇの”炎の壁”は連発できねェってさ。つまりぃ、今のてめぇにゃあ――」
避けられはしないんだよぉ、と勝ち誇った声を響かせ、全弾撃ち尽くしたPDWをその場に投げ捨てる。
そして、腰の部分からポン、と自動的に飛び出したピンの抜かれた手榴弾を即座に投げる。
ドォウウン。
即座に弾けた手榴弾とその爆発に零二は巻き込まれる。
衝撃に吹き飛ばされ、壁に強かに全身を打ちつけ「ぐあっ」と呻きを洩らす。
その姿を見た立井のケケッ、という笑い声が轟く。
彼は心底愉快だった。何故なら……自分が今、戦っているのは間違いなく真の”怪物”だったから、それも掛け値なしの。
自分よりも遥かに強力な能力を生まれ持って授かった特別な子供。
”機密事項”とされていた武藤零二という少年の改竄され尽くした記録に触れた時、まずそう感じた。
零二がどういう経緯でWDの極秘の研究施設で実験動物とされたのかは分からないままだった。そこまでして秘匿しなけれなばならない、そういう事なのだから。
WDの機密事項の中でも、セキュリティレベルは最高。幹部クラスの権限でさえ、この程度の情報しか、表面上の事しか分からない……謎の多い経歴の人物。
彼があの施設で何をしていたのかは、極々限られた人間のみ、WDの最高幹部クラスの権限を持ち得る者、もしくは研究の関係者のみしか分からない。
そうした彼の情報の一端を知り得るキッカケになったのは、あの傲慢な藤原新敷が、ベルウェザーに接触した事だった。
あの男こそ、かの研究施設にて、武藤零二の戦闘教官を担当した人物だったのだから。
奴はこう言った。
――お前らの【遊び】に手を貸してやる、代わりに私の邪魔はするな。
こうハッキリ言った。一体何様だというのか? あの麗しき先導者に対する暴言は許せない。
だが、立井は理解していた。自分ではこの巨漢に勝つ術など無いのだ、と。だからこそ、彼は徹底的にへりくだる事にしたのだ。
どんな相手でも、彼は自分を卑下し、相手の自尊心を擽る術を身に付けていた。それをフルに活用すればいいだけの事。大して困難でもない。自負心の強い相手というのは、存外扱いやすい。
案の定、この男もそうだった。
だからこそ、あの深紅の零がそう呼ばれる前の資料も閲覧出来たのだし、傲慢な藤原新敷が執着する理由も判明したのだ。だからこそ、
(だからこそ、俺の手で殺してやる。お前の執着する大事な玩具を、あの、俺が欲しかった強さを与えられたあのガキを、な)
現状は全て予定通り。
藤原新敷に圧倒され、深手を負った小僧を、ネチネチ痛め付けてから殺す。
(戦いってのは、強者が勝つとは限らねぇんだからな)
その為に、いつか自分の手で殺す為に、少しずつ全身を機械化していったのだから。
様々な機構を仕込んだこの身体を使いこなせれば、今なら間違いなく勝てる。
「ケケッ、死ねっ――このガキが!!」
叫びながら右手が変形してアームガンとなる。
そこから撃ち出される弾丸こそ、立井の持ち得る最強の武器。
弾丸に自分の体内の電力を纏わせ、加速させる事により貫通力を高めた徹甲弾。狙いは相手の眉間。ロックオンシステムにより、その狙いは正確無比。確実に撃ち抜くはずだった。
「うぐうううっっっ」
バシャ、という音がした。
眉間を貫通し、脳みそをブチまけたと、立井は口元を歪めた。
しかし、
「く、ううぬっっ」
呻きながらも、零二はまだ生きていた。
眉間を狙ったはずの徹甲弾は左腕を吹き飛ばした。
だが、間違いなく相手は生きていた。
確信していた勝利から一転、なっ、と思わず声を震わせた。
もはや、満身創痍。
一度にダメージを受けすぎた事で、リカバーも間に合わず、辛うじて動ける程度の状態だったはず。
放っておけば、回復はするだろう。だが、それはまだのはずだ。
「へっ、どうしたよ。オレが死ななかったのが……そンなに気になるのか?」
不敵な言葉を口にしても疲弊しているのは明らかだ。未だに視力だって回復していない。平衡感覚だって同様、足元がフラついている。
それなのに。
その少年の表情から、悲壮さや、絶望の色は窺えない。
常人であれば間違いなく、致命的な負傷を負っている。
欠落した左腕から吹き出る自身の鮮血が、その顔をドス黒く染め上げているにも関わらず、未だに笑みを浮かべる様子は、悪鬼羅刹の如く壮絶。
ゾクリ、とした寒気が立井の全身を震わせた。
それは、彼が普通の人間だった頃から、馴染みのある感覚。
即ち――”畏怖”。
五体満足で、傷一つない状態であるのなら、何もおかしくない。それ程に持ち合わせたスペックには差があるのだから。
だが、相手は辛うじて生きている様な状態だ。
(なぜ、そんな死に損ないに)
何故、恐れを抱かねばならない。何故に、こんな相手から逃げろ、と本能が囁くのか?
湧き上がる怒りが身体を突き動かす。立井は腰から再度手榴弾を射出。それを転がす。今度こそ、確実に、標的を間違いなく殺す為に。
ドォウウン。
手榴弾が弾け、零二は呑み込まれる。今の爆発に巻き込まれれば流石に助からない、そう立井に仕込まれた演算システムは、結論を導き出していた。
ならば、逃げるしかない。その時は、腕に仕込んだアームガンで今度こそ射殺するまで。
二段構えで、確実に仕留める。
(くっだらねェ……何やってンだよオレは?)
少年はそう苦笑する。
今の自分の有り様に。情けない姿をこんな三下相手に見せている現状に。左腕まで持っていかれて。
この三下は一つだけ真実を言っていた。
マイノリティ同士の戦闘に於いて、最終的に結果を左右する要素。それが結局の所、彼我の感情の強弱であり、精神力である、と。
そう、情けない事にさっきまでの自分は、柄にもなく動揺していた。あの藤原新敷という男にかつての自分が思い浮かんだのだ。
自分がしでかした、取り返しの付かない出来事がまるで昨日の事の様に脳裏にありありと浮かび、怯えたのだ。
こんな状態で、あの男に勝てる道理など無かった。だから、あの結果は至極当然だと言えた。
(だけどよォ――ンな所で死ねるかってンだよ!!!)
轟音が聞こえ、カッ、と目を見開く。爆発に伴う衝撃波が向かって来るのが肌に伝わった。マトモに受ければ致命傷になり兼ねない。かといって飛び出せば、さっき左腕を吹き飛ばしたあのアームガンで狙い撃ちだろう。
(だったら!)
爆発により、ガタガタと学舎が大きく揺れる。
幾度となく続いた爆発とそれに伴う衝撃に建物にヒビが入る。
「ケケッ、何だよ拍子抜けだな。……死んだか?」
立井は、あっけない幕切れに肩を竦める。てっきり、もう少しは抵抗しようと足掻くと考えていた。
(だが、現実ってのはこんなものなのかもな)
ガラガラと音を立て、コンクリートの破片が落ちてくる。どうやら、もうこの学舎は崩れるだろう。
「ケケッ、ま、いいや。俺があのクリムゾンレイジをしま……」
言いかけて気付いた。周囲が妙に暑い、と。
最初こそてっきり、爆発の余熱かとも思ったがこれは違う。
異常な熱を機械仕掛けの身体が検知した。いや、だからこそ、気付くのが遅れたのかも知れない。もしも、生身の身体であれば、この異常な熱をもっと早くに皮膚で感じる事が出来たに違いない。
ブワッ、とした熱を帯びた空気。
その中心に直立している零二のシルエットは、周囲に立ち込める蒸気の様な湯気の為か、何処かボヤけて見える。
「ば、ば……」
かな、と言い終わる前に、熱の中心だった少年は動いていた。
その動きは完全に立井の想定を越えている。
遅くも無いが、決して速い訳では無い。なのに、既に肉薄。
しかし、それでも立井にはまだ勝算があった。
あの白く輝く右拳。
あの拳こそが、このクリムゾンゼロと呼ばれる相手の、唯一にして絶対の武器。原理も支部長クラスの情報へハッキングして判明している。この右拳を身に受けると、相手は体内の水分を”沸騰”させられるのだ。瞬時に熱せられ、沸騰した身体中の水分が気化させられ、肉体を破壊される。
つまり、この武藤零二という男のイレギュラーの性質は、俗に言われるような”炎熱使い”等ではない。
実際には”熱使い”と云える代物。
それを自分自身にも応用、自身の水分を言わば燃料と化し――爆発的な身体能力を発揮する。炎熱操作の基本となる物で、原理さえ分かれば実に単純なイレギュラーだ。もっとも、それだけであれほどの戦闘力を発揮出来るのが、そもそものスペックの差だとも言えるが。
だからこそ、立井は対策を練った。その結果が、彼が自身の身体に一番最後に手を加えた”熱処理”システムだ。
全身に急激な熱変化に対して、排熱処理を行う。無論、今の身体に流れるのは通常の血液等ではない。人工血液、それも耐熱性の強い物だ。だからこそ、恐れる事などは無い。
(殴ればいい、無駄だがな)
殴られた際に、アームガンで射殺すればいいのだ。
勿論、拳を受けた衝撃はそれなりに大きいだろう。だが、それも覚悟しておけば問題ない。
拳が迫り……身体に衝突する。
強烈な衝撃はほぼサイボーグ化された肉体にも響く。
生身であれば、この衝撃だけでも倒されたかも知れない。
(だが、これで終わりだ!)
そう思い、アームガンの銃口を向けようと――
しかし、その目論見は崩れた。何故なら、銃口の先に相手の姿がなかった。どういう訳か、自身の視界に入っていたのは、ピシピシと亀裂が入る天井だった。
凄まじい速度で身体が後方へと吹き飛ばされていたのだ。
(ば、バカな!)
驚愕した時には既に全身は床を跳ね、廊下を勢いよく擦っていく。ようやく止まったのは、正面玄関の手前だった。
「ぐ、かかかっっ」
呻きながら立ち上がるものの、サイボーグ化した身体が軋む。
信じられない一撃だった。
人工皮膚の下にある特殊合金のボディが、相手の拳の形で凹んでいるのが見て取れる。
(だが、身体の内部には問題は無い)
だが、少なくとも相手の”必殺”は防げた。
やはり、身体を苦痛を伴ってでも改造価値はあったという事だ。
(それに……切り札はまだある)
そう思いながら、視線を少し離れた場所にある体育館へと泳がせた。
「はぁはぁはぁ…………」
肩で息をしながら、零二はよろけた。
(なっさけねェなァ、これでもそれなりに鍛えてンだけどよ)
自分の体力の無さにガッカリしていた。
いつもであれば、あの一撃で終わっているはずだった。
しかし、相手は、あの三下はまだ生きている。
さっきの一撃でもさしてダメージを与えた様子は無かった事から、確信した。敵は、自分のイレギュラーの正体を知っている、と。
だからこそ、恐らくは身体を”改造”したのだ。
間違いなく”熱対策”の為に。
そして、今最大の問題は、零二自身の残された”体力”。
熱使いである彼は、それを自分自身の肉体強化に用いている。
炎熱使いであれば、熱操作による身体能力の向上は一度は通過する。何故なら、それが炎熱操作というイレギュラーの通過儀礼だからだ。そして、最初こそ自分が強くなった事を喜び、夢中になる者も多いそうだ。
だが、結局はそこから先には繋がらない。
原因は、熱操作による身体能力の強化は極めて”燃費”の悪い、使い勝手の悪いイレギュラーだから。
自分自身の水分を用いる熱操作は、自分への体力的負担が大きいのだ。強力ではあるが、消費される熱量もまた莫大。
それよりは、空気中に漂う物質から炎を作り出し、操作する方が使用者には容易であり、負担は遥かに小さい。
だからこそ、零二は自分達を熱使いだとは公表した事はない。
或る意味で卑怯でもあるが、そもそも実戦に於いて、卑怯とか正々堂々とした作法等無い。この程度の騙しは許容範囲だろう、そう思いこれ迄は戦ってきた。
しかし、あの三下はどうやら自分のイレギュラーの正体を知り、対策を練ってきた。となれば、自分の限界が近い事も知っているかも知れない。いや、知っていると仮定すべきだろう。
零二は、戦いに於いては、常に最悪に備えるべし、そう”お目付け役”たる老人に教えられている。
楽観的な考えを捨て、最悪な事態を想定。それに対応する手段を考えろ――と。
(手段はある。だが……)
問題は、今の自分にそれを使えるか、という一点だ。
多分、残り一発。これで体力の限界を迎える。
その一発で、相手を倒さなければ、死ぬ。
打開策を考え、思い付く。そう言えばまだ手はあった、と。
「ケケッ、来い。確実に殺してやる」
立井は左手も変形させ、左右二丁のアームガンを構えた。
相手には、接近戦しかない。
もしも、炎が使えるのなら話は別ではあるが、それもない。
何故なら、新敷が言っていた。
あのガキは、九条が身元を引き受けた際に、炎が使えない様に”処置”を受けていたのだから。
だからこそ、熱操作による身体能力強化というピーキーな戦い方をしているのだから。
視界は相手が例の蒸気の様な湯気を全身から発する事で少々ボヤけている。だが、シルエットを見る限り、相手がもう限界に近いのは一目瞭然。今にも倒れそうな位にふらつき、膝を付くのが見える。
「ケケッ、何だ何だ、もう今にも死にそうじゃないか? ……そんなんで俺に勝てるわけねぇよなあ」
ケケケケ、と笑い声をあげつつ、左右のアームガンでシルエットを狙う。二発の電力を帯びた徹甲弾が襲いかかる。
ガガアン、徹甲弾はどうやら外れたらしい。相手が無様に倒れ込んで避けるのが分かる。
だが、別に問題は無い。今のはあくまで遊びなのだから。
「起きろよ、起きてさっさと向かって来いよお。……【出来損ない】!!」
その言葉は、さっきの藤原新敷が零二に対して使っていた言葉。
勿論、詳しい理由等知らない。あくまで挑発の一環であり、それがどのような”言霊”を持っているか知る由もない。
その言葉を聞いた当人が怒りに身を任せて無謀な突撃でもかけてくれればいい、そう思っての言葉だった。
現に効果はあったらしく、立ち上がった相手が前傾姿勢を取ったかと思いきや――猛然とこちらに距離を詰めて来る。
「ケケッ、そうだそうだ。狩りの獲物ってのは活きがよくなきゃなぁ!!」
勝利を確信し、アームガンから徹甲弾を放っていく。
零二は、それを突っ込みながら躱していく。身体を左右にぶれるように小刻みに動かしつつ。
(そうだそうだ。そうやって残り少ない自分の絞りカスまで、全部吐き出しちまえ)
あの加速は間違いなく、狩りの獲物が熱操作で身体能力を強化したからだ。挑発に乗った相手は冷静さを失い、プッツン切れたのだろう。所詮ガキだな、そう立井は勝利を確信し、口元を歪めた。
残り十メートル位だろうか、やはり大した速度だ。
次の徹甲弾で仕留める、そう思い敢えて肉薄させる。どのみち、相手の白く輝く右手では、こちらに致命傷を与える事などは出来ないのだから。
(それに、さっきのでテメェの一撃の重さは演算に入ってる。今度こそ、脳ミソぶちまけな)
もう相手は肉薄している。右拳が唸りをあげ、向かって来る。
(来いや、ガキッッッッ)
ドゴオン、まるで身体に戦車の主砲でも受けた様な衝撃が走る。
強烈だ、ここに来て最大の威力を持った一撃を放てるとは、思わなかった。だが――。
既に立井の両足からは床に杭が撃ち込まれている。身体をその場に固定する為に。機械仕掛けの身体は宙には舞わず、ブレながらも衝撃に耐えた。
もはや零距離。ここからはもう外しようも無い。
(死ね、ガキ)
左右のアームガンがトドメとなる徹甲弾を放つ……はずだった。
しかし、それは叶わない。
何故なら。
肝心のアームガンが宙を舞っていたから。
何が起きたのかが理解出来なかった。
間違いなく、相手の右拳は受け止めた。
もう、他に攻撃する手段など、少なくともこの怪物に自分の身体に有効な”手段”があるはずが――。そこで気付く。零二の右手とは別に何かが伸びている、と。
それは鋭利な剣にも見える。
そして、左から伸びている、と。
それはいつの間にかくっついていた零二の左手が、その赤銅色の手刀が一閃していたのだ。
「ば、バカな――さいせ……いいっっっっ」
更に信じられない事に、自分の身体が浮き上がる。
足元を固定したはずの杭が、床ごと砕けるのが分かる。
完全に想定外。何故こうなるのかが分からない。
零二は呟く。
「衝撃の初撃」
言葉に呼応するかの様な凄まじい衝撃が――瞬時に機械仕掛けの身体を駆け巡った。
ピキピキピキ、特殊合金の身体が破砕されていく。
彼は根本を理解していなかった。
確かに、熱対策は出来ていた。だが、その熱の脅威の後ろに。
その拳の破壊力というもう一つの脅威が隠れていた事に。
「グギャギャアアアアアアッッッッ」
絶叫と共に立井の身体が砕けていく。なまじ、身体を固定した事が仇となり、衝撃の逃げ場がなくなった。まるで、プラモデルでも壊れる様に、全身に亀裂が入り、膝から崩れ落ちる。
「あ、あああ」
もはや、まともに動けない。リカバーをかけようにも機械仕掛けの身体はそう易々とは回復しない、そもそも立井久喜のイレギュラー自体が弱いのだ。
「な、なぜ左腕がある?」
リカバーすらマトモに作用していなかった少年に何故、欠落した腕があったのか?
答えはすぐに分かった。
虚ろな目が見つけたのは、向こうに転がっていたはずの左腕が、無いこと。
「……くっつけたのか? 無理矢理に腕を?」
理解した、さっき倒れ込んだのはこの為の偽装だったと。
確かに、一から再生するよりは手っ取り早いだろう。
だが、一度は失くした腕を能力を使ったとは言え、そう易々と結合出来るというのか?
「少し違うぜ、オレがてめェをブッ飛ばせたのは、【燃料】があったからだ」
そう言いながら、赤銅色の左腕をぽんぽんと叩く。その左腕は明らかにしおしおと痩せ細っていて、力無くプランプランと揺れている。辛うじて繋がっている、そんな状態だった。
絶句した。この怪物は自分の左腕をそのまま、イレギュラーを使う為のガソリン代わりに用いたのだ。そして、繋いだ腕を”ムチ”の様にしたのだろう。熱せられたそのムチは、アームガンごと手を焼き切った、という所か。
「それから……てめェはオレを挑発した。【出来損ない】ってよ」
ユラリ、と拳を握る。右拳が一層輝きを増す。当然、敵を排除する為に。
恐怖におののく立井の脳裏に藤原新敷の言葉が過る。
あの男はこう言っていた。
――お前に殺せるならな、と。
分かっていたのだ。自分では決してこの少年を仕留めきれないと。この手負いの獣に勝つ事が出来ないのだ、と。
「ふ、ふざけやがって……畜生がっッッッッ」
怒気を露にし、トドメを刺そうとする少年を睨み付ける。
「いい目してンじゃねェか、終わりだ」
「ケケッ、いいのか? 皆……死ぬぞ」
その言葉に、零二は振り上げた拳を止める。
「……どういう意味だ?」
その問いかけに、自分が優位に立てたと思った憎悪の渦の通称を持つ男は、意味ありげに表情を歪めた。