壊れる日常
立井久義は、卑屈な男だ。
そのコードネームは”憎悪の渦”といかにも強そうな、大仰なものだ。
彼は、WD九頭龍支部に籍を置くメンバーの一人にして、裏方でサポートをするのがその主な任務で戦闘は担当外。
表向きの身分として、普段はしがない電気工を装っている。
その持ちゆるイレギュラーは”体内電力”の蓄積。
簡単に表現するのなら、彼自身がちょっとした蓄電池の様な物だ。
正直言って、”電撃使い”の様に戦闘に於いて強力な力を出せる類いではない。他者の補助や、戦闘行為に関しても自力で何かが出来る訳でも無く、一般人とそう大差のない地味なマイノリティ。
マイノリティになった事で彼は、自分がようやくこれで変われると喜んだと言うのに。
思えば、彼の人生はずっと底辺だった、そう本人は思っている。
両親は多額の借金を残し、蒸発。
親族に引き取られたのはいいが、両親の残した自分が欲しかった訳でもない”遺産”のお陰で疎まれ、虐げられた。
少しでも彼が反抗的な態度を取ったと思われたら最後、容赦なく食事を抜かれ、暴力を振るわれ……まるで地獄の様な生活だった。
そうした環境下にあっては、生きる為に彼はある技術を身に付けざるを得なかった。
それは、他者にへりくだり、媚びるという事。
誰にでも出来そうな事だが、彼にとってはそれは生存技術にまで高められた物。
自分の感情を押し殺し、悟らせる事なく、底辺の中で必死に藻掻いた結果。
彼がマイノリティになったキッカケは、不意に人生に嫌気が差した事からの身投げだった。
日々、誰かに頭を下げ、媚びへつらう毎日に人生に疲れ果て、もうどうでも良くなったからだ。
だが、彼は生き延びた。否、正確には一度死んだ、と言うべきだろう。彼が目を覚ましたのは病院の霊安室、遺体安置所。検視台から起き上がると、順番待ちの遺体に、遺体保存用の冷蔵庫が不気味な稼動音を響かせる。
薄暗く、死臭の漂う何とも嫌な空気に思わず吐き気を覚えながら、何とか起き上がる。
(一体何があったんだ?)
彼が思ったのはまずその点だった。
自分の中で覚えている事を思い出してみる。
いつも通りの時間に職場に入り、いつも通りの業務をこなし、上司には身に覚えのない仕事上の……そう、書類のミスで責められた。
そうだ、いつもなら黙っていた。だけど、上司のデスクに置いてあった書類を見て気付いた。その書類のサインが同僚のものだと。
その同僚は社長の息子で、事ある毎に問題を引き起こしていた事を。先日も自分が怒らせた取引先に本人が行くことは無く、上司と何故か自分が行く事になり、とにかく平謝りした事を。
そいつのミスが今度は自分のせいにされている。
上司の言葉はもう耳には届かなくなった。
とにかく、無性に腹が立った。単なる身代わりにされた事に。
気が付くと、上司の話を切り上げ、そいつの元に近付く。
そいつはヘラヘラと笑っていた。まるで、人生に一切の問題が無いかの様に。
許せなかった、こんな奴の為に何で、自分が糾弾されるのかが理解出来なかった。
そいつの胸元を掴み、身体を引き起こす。
自分でもこんな力があったんだ、と少し驚いた。
――何をするんだ?
そう、そいつは言った。だから言い返した、それはこっちの台詞だ、と。何で自分がこの件で責められるんだと。
すると奴は傲然と言い放った。
――はぁ? 何言ってるんですか? あの書類を手渡したのはアンタだろう、だからだよ。僕に仕事なんかさせるなよ、このクズ。
こいつには何もやる気がないのだと分かった。注意力散漫なこいつがミスを起こし、それを他人のせいにする。
(こいつは何様のつもりだ?)
何かがブチン、と切れた。もう、我慢が出来ない。
次の瞬間――開き直ったそいつの顔面にパンチをしていた。
予想だにしていない暴力の前にくそ息子は吹っ飛んだ。
誰もが驚きの表情を浮かべ、騒然とした。
いつも、誰にも刃向かわずにされるがままの姿から一変したようなこの状況に周囲の同僚は唖然とした表情を浮かべている。
馬乗りになり、ひたすら、ただひたすらに憎い相手に非力な攻撃を続ける。拳からは血が滲んでおり、ひょっとしたら骨折したのかも知れない。だが、構わずに殴打を続けた。
そうして、何十発殴ったのかも分からなくなり、立井はようやく事の重大さに震えた。あのクソッタレな息子の端正な顔は、見る影も無く大きく腫れ上がっていた。
周囲の同僚達も一斉に騒ぎだし、警察を呼べっ、と言いながら暴行犯を取り押さえようと囲んできた。
本来なら、立井はここで捕まっていたはずだった。
だが、彼らはつい今さっきの一方的な暴力を目の当たりにしていた。その為か遠巻きに囲んでくるだけで、彼が走り出すと腰が引けてしまう。
その隙にオフィスを飛び出し、もう人生に嫌気がさした末に屋上から飛び降りたんだ、と。
そうだった。
ハッキリ覚えている、まるでスローモーションの様に地面が近付いていく感覚。グシャリ、という全身の骨が砕け、内蔵が潰れた感触。あまりにリアルなあの感触。
ハッキリ思い出せる、自分が”死ぬ”のを。
「何で生きてるんだ……」
それが彼が最初に呟いた言葉だった。
鏡に映る自分の姿に心底怯えた。
そこに映る自分のシャツには真っ赤な染色が施されていたから。
そのシャツからは、鉄の様な臭いがする。
これは、血だ。それも紛れもなく自分の、血だ。
一体どれだけの血を流せばこういう事になるというのだろうか?
恐ろしかった、ただ恐ろしかった。
思わず、その場から逃げ出そうとした。
だが、この部屋の扉は電子制御されていて開かない。
それに、身体が冷える。遺体の腐敗を抑える為に冷房が入っているらしい。
検視解剖された後の検視台からは血の臭いがする。
いくら綺麗に掃除をしようが、この部屋からは死臭しかしない。
気が狂いそうだ、立井はそう思いながら分厚い扉を幾度となく叩く。
そうだ、内線をかければいいじゃないか。
ふと、その事に気付き、受話器を手にした所で気付く、今の自分の状況に。
(――自分の事を何て言えばいいんだろうか?)
失念していたが、彼がここに来た経緯を考えれば、出た所で、暴行犯になるだけだ。あのくそ息子なんかの為に逮捕なんか真っ平御免。それなら、このままここにいればその内に誰かが扉を開く事だろう。死ぬ人間なんて、たくさんいるのだから。
でもそしたら、後で警察が来るだけだ。結局、逮捕からは逃げられやしない。
(嫌だ、嫌だ、嫌だっっっっっ)
こんなに感情を爆発させたのはいつ以来だろうか。
そう思っていた時だった。
突然、火花が上がった。
何が起きたのか分からなかった。
ただ、一つ言える事は、今の火花のおかげで扉が開いたという事実だけだ。
無我夢中だった。ひたすらに走った。人に会わない様に半ば祈りながらただ、ひたすらにがむしゃらに走り続けた。
不思議な事に病院から外に出るまで間に立井は”誰”にも会わずに済んだ。途中で時計が目に入った、時間は昼の二時。まだ日が高いと言うのに、だ。
不思議な事はそれからも続いた。
結果はどうあれ、立井は病院から逃げた事になる。
少なくとも、安置されたはずの遺体が無くなった事で騒ぎになる、そう思っていたのに。実際には何も起きなかった。
それどころか、立井は埋葬された。
こうしてここで生きているにも関わらずに。
印象的だったのは、親族達の一応にホッとしたような表情。毛嫌いされている事は分かっていたが、誰一人として悲しむ素振りすら見せない様子に嫌な気分を味わった。
それから数日後。
立井は、自分に不思議な能力がある事に気付き始めていた。
どうゆう原理かサッパリだけど、自分は電気回線に介入出来るらしいと、そう気付いた。
あの霊安室というか、遺体安置所の扉を解除したのもこの能力によるものだと気付く。
自販機に意識して触れるだけで、金が出てくる。
ATMも同様だ。
カメラには先に手を触れておき、故障させる。
あたかも、普通にお金を引き出す様に自然に見える様にするのが少し愉快だった。
(――この能力があれば、もっと凄い事も出来るかも知れない。ようやく、キッカケを掴めたかも知れない)
そう思いを馳せていた時の事だった。
「我々の組織に入りませんか?」
勧誘は唐突だった。
寝ぐらにしていた廃工場の一室に彼女がいた。
二十代半ばから後半らしきその女性こそ、”九条羽鳥”。WDの支部長だった。
彼女は様々な話を聞かせた。
自分の様な人間はマイノリティ、と呼ばれ、その持ちうる能力をイレギュラー、と呼称するらしい事。
更に驚いたのは、あの病院から先の一連の出来事を見ていた事。
その上で九条は手を差し出す、こう言葉をかけながら。
「あなたのイレギュラーをWDに役立てましょう、それを活かすに相応しい場所で」
思えば、この時が人生最高の瞬間だった。
誰からも不要とされ、媚びへうだけの負け犬の人生から先に踏み出した実感に震えた。
WDの施設で、様々な訓練を受けた。
事前の調査で、立井が電気操作能力の一種だと分かっていたので、カリキュラムはさくさく進められた。
電撃は出せない事が分かった。ネットワークへの侵入は不可。
そこから判明するのは、彼をガッカリさせる充分過ぎる事実だけだ。結果として、自分に出来るのは、電力を蓄積する事と、電気回線を乱せる事位だという事実。
それは、彼が選ばれたはずなのに、そこでもまた人の為の裏方に徹するしかないという皮肉な現実だった。
そして、電気回線を一時的に乱す事で、エージェントのサポートをするのが彼のWDでの仕事になった。
金の意味では以前よりも恵まれた。
顔も整形されたので、自分の事がバレる心配もない。
ある程度は安定した生活を送れる様にはなった……だが。
満たされなかった。自分の力を使って周囲の評価を見返してやりたかった。――だが。
「しゃあああああっっっっっ」
実際の戦闘を見て、それが不可能だと悟った。
あの笑いながら全てを壊した少年を目の当たりにして。
二年前、あの深紅の零は突然、九条によって九頭龍に連れてこられた。何でも何処かの研究所にいた実験の被験者だったらしい。
見た瞬間の印象は、生意気そうな面構えをした少年、だった。
自分よりも、十歳位は違うだろうその少年は、連れてこられるなり戦闘専門のエージェントに抜擢された。
納得いかない気持ちだった。ろくに訓練もせずに、いきなりの決定に内心、嫉妬した。
だからこそ、邪魔をした。予定では完全に無効化するはずのセキュリティを完全に切らずに警報を作動させた。
ほんの少しの悪戯みたいな物のつもりで。標的のいる犯罪組織のセキュリティはかなり高い、警備に出てくるのはマイノリティの集団に、無人兵器。これを単独で突破するのは困難、だから必ずこちらにサポートを要請するはずだ――そう思って。
だが。
結果として、標的もろとも犯罪組織は壊滅した。
あの深紅の零は、たった一人でその全てを実行したのを、裏から見てしまった。
それは、真性の怪物だった。あの右手は触れた物を悉く破壊し、燃やし、蒸発させた。
敵の攻撃は肉体に届く前に消えた。
炎に包まれるその施設で一人、少年は笑顔を浮かべていた。
その時、その笑顔を見て決定的に理解した。
この世には決して越える事の出来ない壁がある、と。
マイノリティの中に於いても……いや、中にこそ厳然と存在する事を。
それからはもう、抗うのを止めた。
自分の分をわきまえ、与えられた任務をこなす。WDでは以前のように露骨な拒絶も、陰湿な陰口もない。悪くはない、ちょっと、ヘラヘラしていれば何も問題もない。
そう、何も問題無いのだ。
◆◆◆
出会いは突然…………まるで歌の歌詞の様な事は起きた。
出会ったのは、あるサポート任務でよその支部に向かった帰りだった。
彼女は、光り輝いていた。
まるで、映画のヒロインのように。
洗練された身のこなし。その一つ一つの仕草がいちいち絵になる、とでも言うべきだろうか。
一瞬で”魅入られた”とはこの事だろう。
心を掴まれ、微動だに出来ない。
彼女は立井の視線に気付くと微笑む。
そして、あろうことかすぐ目の前に歩み寄ると……手を差し出し――立井は自然と膝を屈していた。
彼女には常に周囲に誰かがついていた。
その全ての人間に共通しているのは、全員が彼女の為に命すら懸けられると言う、強い覚悟。
彼女は言葉を滅多に発しない。
必要が無いのだ、その目をみるだけで彼女の”願い”が分かる。
彼女は周囲からこう呼ばれていた。
”先導者――ベルウェザー”と。
彼女はある集団所属していた。
その名は”NWE――ニューワルドエネミー”。
新世界の敵を自称するその集団の事は聞いた事があった。
彼らは、自分達マイノリティこそが、この世界の新たな種であるとなのだと主張する一種のカルト教団だと。
そのモットーは、
――我ら敢えて悪となり、世界を浄化せん。
というもの。つまりは、”選ばれた我々”による世界の刷新。
WGは無論、WDすらその極端な思想を危険視しているとされる危険な集団、そう聞かされた。
だが、目の前にいるこの女神の様な女性を見ると、その話は嘘だったのでは無いのか? そう思えてくる。
実際、彼らはその勢力を徐々に拡大しつつある。その証拠に彼らのメンバーにはWGからもWDからも続々と加入者が増えているのだ。それは、彼らこそが正しいからでは無いのか、と。そう思うようになっていた。
彼女、ベルウェザーはその集団の主要メンバーの一人。
通称”先陣”という指導者の一人で、”創設者”が直々に選んだ人物。
その創設者は、安全の為に何処にいるのかを秘密とされている。
立井自体はNWEに所属はしていない。
何故なら、立井にはベルウェザーから直々の依頼があったから。
それは、WDに留まって欲しい、というスパイ活動。
その為に必要な”処置”も受けた。
それ以来、彼は様々な情報を流した。WDの他の支部のメンバーの情報を渡したり、NWEに対する作戦を漏らしたり、とだ。
そうして、彼は二重スパイとして活動していく内に、これまで気付かなかった自身の一面を知るに至った。
卑屈だった一面は、自分を相手に過小評価させるのに有効だった。それから、電力を蓄積するそのイレギュラーと肉体には様々な”改装”を施すのに都合が良かった。
かくして、彼は少しずつ自分を偽る日々に馴染み、自信を深めて行き、今ここにいた。
「見ていてください、あなたのご期待に答えて見せます」
彼は、与えられた任務を実行しようとしていた。
◆◆◆
その同時刻。
九頭龍学園の高等部校舎前に一台の高級外車が止まっていた。
創立祭の準備の為に、休日ながらも大勢の生徒がいた高等部ではその高級車から出てきた人物の話題でざわついていた。
「ちょっと、聞いた? ウチの校舎前に今、スッゴい車がとまってるんだってさ」
「見てきたよ、あれってさ、クルマに詳しい奴の話だと一台で何千万するって話だってよ」
「乗ってた人がまた普通じゃないんだってよ」
「見かけたけど、ありゃただもんじゃなかったな、ありゃ」
校舎内を歩くのは、身長は一九〇はあろうかという体格と、高級スーツ、何よりも印象的だったのは、スキンヘッドにサングラスと無精髭という出で立ち。どう見ても一般人とは思えない雰囲気を醸し出し、よく言えば軍人の様に、悪く言えばヤクザの様にも見える男、藤原新敷だった。
彼の突然の訪問を受けて、学園はその対応で半ばパニックに陥っていた。何せ、彼はあの藤原一族なのだから。
彼の機嫌でも損ねれば、学園最大の出資者を失いかねない。
接待する事になったのは、たまたま休出で学園に来ていた高等部の教頭平岡毅。
彼は今、これ以上なく緊張の極致に追いやられていた。
心臓はバクつき、胃はキリキリ痛む。
更に心無しか息切れまでしてきた。気を抜くと今にも倒れてしまいそうだった。
「この階は、一年生が学ぶ教室が並んでいまして……我が学園ではここから……」
それでも何とか案内を続けていた訳だが、当の来客者は未だ何も口を開かない。無言で、教頭の後ろを付いてくるのみ。
(何か話せよ、これじゃ私が馬鹿みたいだろ、ハゲ)
そう心の中で悪態を付きつつ、何とか案内を続けていた時だった。
ババババババッッッ。
乾いた音が聞こえた。
最初は生徒の誰かが冗談で花火でもしたのかと思った。
それから、大声が聞こえ、悲鳴が聞こえた。
生徒が一斉に玄関から土足のままで校舎に駆け込んで来る。
「お、お前ら! 土足で上がるとは何事だっ……」
平岡は思わず怒声を上げながら玄関へと足を向けた。
そこに何人もの生徒とは思えない複数の男女の姿。
彼らもまた土足で校舎に上がってきた。
「ちょ、すみません。ここは土足厳、禁……」
そこまでだった。
一番手前にいた男が振り向くと、その手には見慣れない物が見えた。それは、まるで精巧な玩具の様にも見えた。
だが、その先端……銃口からは煙が上がっていた。
冗談よ、せ。
それが彼の最期の言葉になった。
乾いた音が響き、彼は全身を蜂の巣にされ倒れ込んだ。
何故、こんなことに――。そう思った彼は気付く、すぐ後ろにいたはずの客人の姿が消えた事に。
(何処に行ったんだ?)
だが、それもどうでもいい……もう死ぬのだから。
「うるせえよ、ジジイ」
射殺した男はそう吐き捨てると、白のバラクラバを着用する。
それに合わせる様に他の男女も黒のバラクラバを着けると、それぞれ持ち寄ったバックを開く。
そこから出てきたのはマシンガンや拳銃、さらに手榴弾といった銃火器の数々。
「仕掛けるぞ、いいか。恐れるな。俺らにはあの方がついている」
白のバラクラバの男がそう言葉をかけると、一斉に彼らは動き出した。
「何だあ、何か一年の学舎が騒がしくない?」
クラスメイトの誰かがそう呟く。
その時、聖敬達は調理室にいた。
そこで、創立祭の屋台でのお好み焼きの試食会の後片付けをしていたのだ。
その場にいた、聖敬に田島、進士は今の音が銃声だと即座に気付く。
「ちょっと、教室に忘れ物してきたわー。俺、取ってくるよ♪
そっから、トイレも行くわー」
田島が声をあげる。
「あ、僕もトイレ、急がなきゃ」
聖敬がそれに便乗すると、いそいそと調理室を出ていく。
その後ろ姿を見て、委員長こと怒羅美影が残った進士に近寄る。
――アンタは行かないの?
――それを言うならあんたもだ、ファニーフェイス。
互いに耳元で囁く様に言い合うのを、不思議そうな顔をして晶が見ていた。
(何か変だ、美影も何だか恐い顔だったし、キヨも変だった)
嫌な予感を感じ、震えた。何か悪い事が起きる。そんな気がしてならなかった。
「はーいはイー、みなさん。おかたづけしましョ!」
エリザベスがそんな不安を吹き飛ばす様な明るい声をあげると、クラスメイトもまた、洗い物に戻っていく。
「わ、私も手伝うよ」
そんな不安を打ち消す様に晶は明るく声を出した。
「う、がが……」
呻きながら倒れ込むのは、バラクラバを着けた三人組。
倒したのは聖敬。
見事な早業だ、そう田島は素直に思った。
先に気付いたのは聖敬だった。
襲撃者達が向かってくる足音をいち早く察知できたのは、彼の肉体及びに、その五感が野生動物並みだからだろう。
三人組は、サブマシンガンを装備していた。
その動きは、その辺りにいるチンケな悪党のそれとは違い、訓練を受けた者のそれ。
物陰に潜み、通り過ぎた直後を狙う。
背後から一人に左手刀を首筋に。別の一人に右肘を背中から叩きつける。三人目にはそのまま体当たり。壁に打ち付けられた相手はあえなく気絶した。
時間にしてせいぜい二秒、といった所だろう。
田島はとりあえず、気絶した三人を拘束すると、バラクラバを外して観察。しかし、相手の顔に心当たりは無い。
仕方がないので、スマホで顔写真を撮ると、その画像ファイルをWG九頭龍支部に送信しようとした。
だが。
メールは届かない。
「変だ、連絡がつかない……キヨちゃん?」
「……僕もだ、繋がらない」
田島と聖敬が思わず顔を見合わせた。何かがおかしい、そう感じた。そして、それだけじゃなかった。
互いにすぐ側にいた相手に電話をかけたが同じく繋がらない。
「コイツは……遮断された訳だな 、学園が」
田島はそう結論付けた。
「遮断って……何でここが? そもそもコイツら誰なんだ?」
思わず聖敬は浮かんだ疑念を親友に投げ掛ける。
「さぁ、コイツらに尋ねてみようぜ」
田島は気絶させた襲撃者の一人の目を覚まさせる。
その敵は、やはり二人には見覚えが無い。
一見すると、普通の人間にしか見えない。
「おい、アンタら誰なんだ?」
「…………」
敵は答えない。
「何で学園を襲う?」
「………………」
それにも答えない。
「じゃあ、何なら答えるんだよ、あんたッッッ」
思わず聖敬は怒りを露にして、無言を貫く相手に掴みかかる。
体重およそ七〇キロはあるだろう中肉中背の男の身体を、まるで重量の軽いダンベルでも持ち上げる様に軽々と宙に浮かせる。
完全に冷静さを失くしている、そう判断した田島が引き離そうとした時だった。
「お前みたいな【バケモノ】がいるからだ!」
苦しげに襲撃者はそう叫ぶ。
その言葉に聖敬は我に返った。自分がいつの間にか怒りに身を任せそうになっていた、と。相手を持ち上げ、壁に押し付けていた。更に、その壁に僅かだが亀裂が入っている。
「我々はお前みたいな怪物を殺さねばならない」
襲撃者は聖敬を真っ直ぐに見据える。まさしく、猛獣を恐れる様な表情を、その目には恐怖すら浮かべている。
田島は気付いた。男の目に尋常ではないギラつきを読み取る。
「キヨちゃん! ソイツから離れろっっっ」
その瞬間。
男の身体は爆ぜる。その爆発的なエネルギーは一気に拡散。聖敬を、そして田島を、その場にいた全ての人間を巻き込み吹き飛ばした。
その爆発と振動は学舎を激しく揺らす。
「な、なにごとでス?」
エリザベスが声をあげ、クラスメイト達もパニックに陥る。
「ち、やらかしたみたいね」
美影が進士にだけ聞こえる声で言う。
進士も、あぁ、とだけ返した。彼らもまた気付いていた、ここが連絡を遮断された状態に陥っていると。
これが単なる襲撃事件ではない、と。もっと大規模な何かがここで起きようとしているのだと。
◆◆◆
「ン、これはいいな」
そう嬉々とした声と表情を浮かべていたのは、零二。
その両手には特売セールでゲットしたメガサンドイッチ。どう見ても普通のそれの五倍の厚みがある一切れを一口で半分平らげる。
このビルは、彼にとってはお気に入りの場所だった。
ここは、九頭龍では珍しく周囲にビルが立ち並んでいない地域。
この四階建ての雑居ビルが一番の高層物。
だからか、ここいらは周辺に比べると何だか静かだった。
それが気に入って、彼はここでよく昼寝をしていた。
この静けさを堪能するために。
それからここがお気に入りだったのは、それだけではない。
ここからは学園が近いから。
この少年にとっては、学園もまたお気に入りの場所だった。
それは、傍目からは分からない事だろう。
彼にとっても、学園は日常の一部。
バカみたいな奴がいて、本当のバカもいる。
あの中にいると、ふと感じる。
自分もまた、コイツらと変わらない、人間なのかも、と。
ちょっと、ズレちまっただけで、あとは何にも違いなんか無いんだと。そう、思えるから。
だから、その学園から轟音が響き渡ったその刹那。
彼の足はもう動いていた。
自分の周囲に”フィールド”を展開。一般人には自分を意識させない様にすると――迷わず四階建ての屋上から飛び降りた。
そのまま向かう途中。
一本の電話が入る。コール音から九条からだと分かり通話ボタンを押す。
――クリムゾンゼロ、貴方に緊急の任務です。
「わりィな、姉御。今は都合が悪いぜ……」
――学園での騒動ならもう知っています。貴方にはそれに関する任務を依頼します。
「……なンだよ、教えてくれ」
――現在、学園と外部との通信が遮断されており、貴方にはその原因の早急な【排除】をしていただきます。
「つぅ事は実行者はWDの誰かってことか?」
――ええ、残念な事に。不始末の処理を貴方に実行して頂きます。犯人は今、そちらの端末に画像を送ります――速やかに。
すると、すぐにスマホにメールが届く。
そして、そこに写る犯人の顔に零二は苦笑した。
「……おいおい、マジか」
そこに写るのは、立井のあの卑屈な顔だった。
いつも気弱そうに下を向きながら、こちらにへりくだる……そんな人物だった。
同じく同時刻。
騒ぎを聞き、警察が学園の敷地内から、高等部周辺から人を避難させる中、逆に向かっていく人影があった。
不思議な事に、明らかに逆方向に歩いていくその青年に気付く者はいない。彼はブツブツ呟いていた。
「邪魔をするな、邪魔をするな、じゃまをするな…………」
何かに取り憑かれた様な空虚な表情と、歩みを見れば誰もが、その正気を疑う事だろう。
彼は学舎を前にするとその歩を止める。
「ベルウェザー、ここにいけばいいのですね」
畔戸吉瀬は、異常に充血させた目を見開き――足を踏み入れた。