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第三話 迫る脅威――メネストゥアプローチ

 

 九頭龍の夜は今日も相変わらず喧騒に満ちている。

 もうすっかり日も落ちたと言うのにあちこちに目映いばかりに光る繁華街のネオンや電光掲示板。街のシンボルになりつつある超高層ビルやマンション群である通称”搭”はまるで夜の闇に浮かぶ巨大な森のようにも見える。それから、幹線道路を走る車のライトは例えるなら、何処までも続く大河の様だ。


 そして、それに負けじと彼の眼下に広がる街の中心部は大勢の人が未だ行き交っている。

 ほんの十数年前迄は、この辺りはよくある人口減に頭を悩ませる地方都市の一つであり、加速する人口流出をどう押し留めようか色々と知恵を絞っていたそうだ。そんな事等無かったかの様に、まるで嘘みたいに今はこうして繁栄している。

 あれだけ知恵を絞ってもどうにもならなかった居住人口もざっと何十倍にもなっていたし、就労人口も合わせればその数は更に激増。

 今では中部地域で、名古屋に次ぐ規模――発展速度を考えれば越えるかも知れない勢いを誇り、この国でも有数の経済力を持つ場所。今日の授業はこんな事を習ったっけ……?


 そんな事を思い浮かべながら、星城聖敬はあるビルの屋上からこの街の喧騒を見下ろしていた。

 人の姿がまさに蟻の様に小さく見える。

 彼が夜に一人でビルの屋上にいるのには勿論、理由がある。

 ジジッッ、耳に付けた無線機に通信が入る。

 ――よ、キヨちゃん♪ 元気かぁ?

 緊張感に欠けた挨拶をしてきたのは田島一。

 聖敬の親友であり、彼が今、こうして屋上にいる理由を知っている男でもある。

「田島ぁ。……コードネームで呼ぶんじゃなかったっけ?」

 はぁ、と溜め息混じりに少年は呟く。そう、ついさっき田島がその方がカッコいいし、緊張感出るだろ? とか言い出したのだ。

 ――あ!! だったわ、わりぃ。…………んじゃ、テイク2ってことでいいか?

「……好きにしなよ、全く」

 聖敬の呆れ気味の言葉に田島は一切反応せず、やり直す事にしたらしい。ご丁寧にわざわざ一度無線を切り、もう一度入れ直してきた。

(全く、これじゃ緊張しなくなっちゃうだろ)

 そんな聖敬の思いなど、田島にはお構い無しだった。

 ――こちら、【インビジブルサブスタンス】。……聞こえるか。

「……ああ、聞こえてるよ」

 ――ちっがーう!! そこはアレだ、自分のコードネームを言うんだよ。もう、やり直しだゼッッ。あ、ちょ、いてぇっ。お、俺にしゃべらせてぇーーー。

 どうやら田島は傍にいた仲間にどつかれたらしい。小さく、ぶつぶつ文句が聞こえる。

 ――バカは引っ込んでろ。こちら【アンサーテンゼア】。ここからは俺が代わりに通信する。

 ちなみに言っておくと、作戦行動中はコードネームで呼ぶのは普通の事だ。

 田島にキツい言葉をかけ、通信を代わったのは聖敬のもう一人の親友、進士将だ。

 お調子者の田島とは真逆で、一見、冷静でクールな男の様に見える。重度のアイドルオタクでなければ、だが。

 こほん、と気を取り直して、聖敬は返答する。

「【ラースストライク】了解」

 ”ラースストライク”と言うのは聖敬に付けられた通称コードネームだ。意味は”激怒の爪”だったはず。

 聖敬の持つ強い力をコントロールし、決して”怒りに身を任せるな”、と言う戒めの意味を持つこのコードネームを考えたのは彼らの上司であり、通う学園の担任でもある、井藤謙二が付けたものだ。

 ――いいか、お前がいる場所から北東に二百メートル。そこに標的がいる、任せるぞ。

「了解ッッッ」

 返事をするや否や、聖敬は何を思ったのか屋上からその身を乗り出すとそのまま勢いよく投げ出す。決して自殺をしたい訳では無い。この方が”効率”がいいからだ、少なくとも今の彼には。

 俄に聖敬の全身の筋肉が隆起する。

 飛び降りたのは、隣のビルの屋上に目掛けてだった。

 それでもその距離は単純に十メートルはあるだろう。とても常人に跳べる物では無い。


 そう、星城聖敬は純粋な意味でもう”人間”では無かった。

 彼には常人を遥かに凌駕する身体能力が宿っていた。

 バッ、バッとビルとビルの間をまるで水溜まりでも避けるように軽々と飛び越えていく。そしてその姿は少しずつではあったが、人ならぬ姿――”異形”へと変貌しつつあった。

 纏っていた黒のアンダーの上下は膨張する筋肉にビチビチと張り付き、露出した肌にはうっすらと白く輝く体毛が生えていく――。

 月夜に映し出されるその姿はまさに”白い狼”であり、まるで神話に出てくる様な幻獣の様でもあり――神々しくも何処か幻想的ですらあった。聖敬は尋ねる。

「相手は?」

 ――もう、すぐだ。いいか、油断するなよ。

 当然、と言う前に不自然に通信が途絶えた。間違いなくこれは”敵”の仕業だろう。白狼は一気に駆け抜けていく、疾風の如く。



 ◆◆◆



 何故、自分は今、ここにいるのだろうか?

 青年は常々そう考えていた。

 世界はネットで繋がり、治安維持の名のもとに街には監視カメラだらけ。これだけ世界は近付いたはずなのに、他者との距離は近付くどころか、寧ろ遠ざかるばかり。

(一体どうすれば世界を平和に出来るのか? どうしたら皆を守れるのか?)

 その青年は悩み、やがて結論を得た。

 いや、正しくは結論の糸口を得たのだ。

 彼には人を”導く為”の偉大なる力が与えられた。

 それを与えたあの女神は一体誰だっただろうか? どういった経緯でそうなったのか? 何故かそこは”記憶”がすっぽりと抜け落ちている。

 だが、そんな事はもうどうだっていい。大事な事は自分が今、人々を導けるこの偉大なる能力を得た、と言う事実のみ。それで充分だったから。高らかに彼は言葉を口にする。愚かなる凡人をあまねく導くその力を持って。まるで歌うように軽やかに、その呪詛の言葉を――。

「さぁ、私に従え!! 愚民達ッッッ」

 青年こと、畔戸くろと吉瀬きせはその能力を”偉大グレイトガイダンスき”と名付けた。

 彼の”言葉”によってその場にいた人々は呻き、苦しみ、その目から正気が失われていく。

 そうしてしばらく後、そこに立つのは畔戸のみ。

 それ以外の人々は全てが跪き、その虚ろな目を仮初めの主へと向ける。

「行け――私の為に死んでこい」

 そう命じると、人々はゾロゾロと連れだって部屋を出ていった。

 彼らを部屋の外に出したのは”敵に備える為”だ。

 今、彼は大いに満足していた。

 最初はたった一人しか干渉出来なかった。

 だが、ここ数週間。特にこの二週間で能力がどんどん強くなっていくのを感じる。

 一人は三人に、三人は十人に。そして、今では三十人もの人を同時に操れるのだ。

 それに伴い、彼は様々な事に彼らを用いた。

 例えば近所の公園に昔からあった遊具を壊してみたり。昔、あの遊具で怪我をしたことがあって、通りかかる度にムカついていたがこれで長年の鬱憤がすっきりした。

 それから、自分に向けて見下す様な視線を向ける街の連中を一人、また一人と病院送りにもしてやった。

(私は、全ての愚か者を導く男だ……そうですよね、女神様?)

 畔戸の脳裏に浮かぶのは、自分にこの素晴らしい”贈り物”をくれたあの美女の姿。

 彼女はこう告げた。いや、正確には何も言わなかったがその表情からはこうハッキリと読み取れた。

 世界を救え――と。

 それを行えるのは、彼だけなのだと


「そうだ、そうだよ、私は正しい。だって全てを、愚民達を全部私がこうして操ればもう、争いなんか起きなくなるんだからなぁ。

 私はその為に選ばれたんだ、あの女神に!!」

 その肝心の本人が公明正大とは言い難い人格者であれば、その過程でどれだけの人々が犠牲になるのかに彼は気付きもしない。

 下手をすれば、全ての人を殺しかねない危険性に彼は気付かない。

 そもそも全ての人を操る事など出来るのか?

 本人に自分の論理は、様々な要因から破綻しつつある自覚は最早無い。

 彼は既に、自身の能力に呑まれた”怪物フリーク”だっだ。

 彼はそう”自分こそが絶対”という歪んだ正義を抱えた怪物。


「ああああああっっっっ」

 そこに、叫び声と共に舞い降りたのは白狼となった聖敬。

 その姿を目にした畔戸の表情がみりみる怒りに染まる。

 そう、この狼、コイツにここ数日の間、ずっと邪魔をされていた。

 この狼はどういう訳か畔戸のいく先々にその姿を見せた。

 折角、愚民達を導いてやろうとしているのに……。

 聖敬にも標的の姿が目に写った。

「見つけた」

 ――間違いないよーーー、そいつがここ数日九頭龍で起こった【暴動】騒ぎの現場近くに常にいるのが確認出来たよーーー。

 聖敬の言葉にすかさず反応してきたのは”林田由衣”。聖敬達が所属している”組織”の一員だ。

 ――でも、ソイツWGウチでもWDアッチでも無い。データに登録されてない。気を付けなよーーー。

 相変わらずの独特の口調。マイペースさに思わず聖敬は苦笑した。

 目の前の相手はハッキリとした敵意をこちらへと向けている。

 相手を互いに認識した事で、戦闘が始まる。


「行くぞっっ」

 聖敬は相手に向かって飛びかかっていく。


 聖敬や畔戸の持つ能力は、世間で言う所の”超能力”。

 これらの能力は今や世界中にその事例を見せていた。

 WG、WDと言うのはそうした超能力を扱う人間をそれぞれの思惑で集める組織の略称。

 超能力のようなこの能力には呼び名がある。

 突然変異を意味する”イレギュラー”という名が。

 そして、イレギュラーを扱う人間をこうして呼称した。

 少数派――マイノリティ、と。

 世界は今、増えゆく少数派の脅威に少しずつ平穏を壊されつつあったのだ。


 WGとは”ワールドガーディアン”。世界の守護者を名乗る組織。一言でいえば、彼らは日常を守る為に存在する組織。

 そこに所属する聖敬達もその日常の為に戦っている。


 白狼、聖敬は一気に間合いを詰める。畔戸は相手のその動きが想像以上だった事に面食らい、動けなかった。

 高速での体当たりがマトモに入る。軽々と吹き飛ばされ、集会所の壁に激しく叩きつけられる畔戸の身体。

「あががっっ」

 呻きながら何とか立ち上がる。今の体当たりは常人なら間違いなく内臓破裂で死んでいただろう。にも関わらず、彼が生きているのはマイノリティに共通するイレギュラー、その内の一つである超回復能力――”リカバリー”のおかげだ。

 この回復能力は個人差こそあれ、本来なら致死レベルの傷からすら生存可能である。他にも一般人を無力化する特殊な結界の様なイレギュラーである”フィールド”という物もある。この二つがマイノリティ共通のイレギュラーであり、これに合わせて個々人毎のイレギュラーが存在する。

 現在、世界中の国々が彼らマイノリティについてその存在を隠すのは、その公表により世界中で起こるであろう大混乱を避ける為だ。

 これはまた、世界の変化についてじっくりと腰を据えて行おうとしているWGとも合致している。


 だが、世界にはこうした動きに反発する者達がいる。


「ちょっと待てやぁぁぁっっっっ」

 叫び声をあげながら、聖敬と畔戸の視界に飛び込んできたのは、武藤零二。聖敬達の所属しているWGに反発するもう一つの組織であるWDの一員であり、通う学園の同じクラスにいるクラスメイトだ。


 WDとは”ワールドディストラクション”の略称。そう呼称したのはWGや世界各国の諜報機関である訳だが。

 ”世界の破壊者”を自任する彼らの論理は、WGの様に時間を置いての変化では無い。

 それは極端に言ってしまえば、今、この瞬間の変革。

 世界にマイノリティやイレギュラーの存在を知らしめる。

 その為に邪魔をする者達は全て排除。これが彼らの理屈だ。

 今や、世界中に広がり、増えつつあるマイノリティはその大半がこれらの組織に所属、もしくは関係しているとされる。


 ――おいおい、【深紅クリムゾンゼロ】じゃねぇか。何でアイツがここにいるんだ?

 さっきからこの場にいない林田や、今、声をあげた田島がここのリアルタイムの状況を把握出来るのは、上空にあるWG所有の無人ヘリのライブ映像を見ているからだ。

 因みにこれを操っているのは林田のイレギュラーで、彼女の能力は様々な”電子機器”に介入出来る。


 クリムゾンゼロとは零二のWDでのコードネーム。

 彼は単独行動ばかりの問題児だが、その卓越した戦闘能力は折り紙付きの危険人物……とされる。(WG情報)


「ンあ、あれ? 星城じゃねェか。なンだあ、お前らも……ソイツに用事かよ」

 全身から湯気を発しながら距離を詰めてくる少年は、不敵に笑う。

 そのイレギュラーは”炎熱操作”とされており、聖敬とこの乱入者はこれまでに二回闘っている。

 二度とも結果的には聖敬が圧倒されて終わり、その際の感覚から相手はまだ本気では無いと確信していた。

 あれから間もなく二ヶ月。

 訓練や実戦もそれなりに積んだ今なら……。

 そう思って注意が零二に向いた瞬間だった。


「死ねえっっっっっ」

 そう畔戸が叫ぶ。その声を合図にでもしたのか――集会所に無数の男女が飛び込んできた。そのいずれもがその目に正気の光を宿してはいない。間違いなく、イレギュラーで操られているのだろう。

「く、くそったれどもが。お前らなんかに私は捕まらないっ」

 捨て台詞を吐くと一目散に逃げ出す。

 追いかけようとする聖敬と零二の前には無数の人の壁が立ち塞がった。

「ソイツらを殺せッッッ」

 その声がキッカケとなり、壁は一斉に襲いかかった。

「おおっと、オレはパス」

 零二は即座に飛び退くとそのまま一気に逃げていく。

「あ、ちょ」

「わりぃわりぃ、オレじゃソイツら殺しかねねェからなァ」

 たはは、と軽く笑いながら逃げていくWDのエージェントのせいで、聖敬は数十人もの操られた一般人にとり囲まれた。

 くそっ、そう舌打ち混じりに交戦を開始する。極力、力を行使しない様に気を使いながら。

 そしてそれは、想像以上に神経を磨り減らす作業だという事を実感するのだった。


「はぁ、はぁ……はは。逃げれたか」

 畔戸は敵から逃げた安堵からか、思わずにやける。

 そう、彼は二人の敵に追われていたのだ。

 一人は聖敬。彼は三日前から行き先々でこちらの妨害をしてきた。

 だが、もう一人。つまり零二はその前から既に畔戸に接触してきたのだった。

 最初は二週間前。

 自分のイレギュラーにも慣れてきた畔戸の前に、あの柄の悪い男は突然姿を見せた。



 ◆◆◆



「おいお前」

 九頭龍学園指定のネクタイを付けたその少年は、大学生であり、明らかに自分より年上である畔戸にそう呼びかけた。

「何だ君は? どうやら九頭龍学園の高等部かな、言葉遣いには気を……!」

 努めて冷静にそう言いかけた瞬間だった。

 頬を何かが掠めていく。ジュワッとした痛みが走り、思わず「ううっ」と呻く。

 睨みつける畔戸は見た。その少年の右拳から何やら湯気が出ている事に。

 その瞬間に理解出来た、この少年も自分と”同類マイノリティ”なのだと。

 あの女神は彼に言っていた。

 自分の能力イレギュラーが強くなれば、敵が近付いてくるだろう、と。そして、こうも言った。

 それは乗り越えるべき”試練”なのだと。


「オレ個人としちゃ、あンたが誰かはどうだっていい。……とりあえず、ツラ貸してくれよ」

 零二の威圧に気圧されながらも、畔戸は叫ぶ。

「ぶっ飛べ」と。

 その言葉を受け、零二の身体は突然後ろに飛ばされた。そのままグラウンドのフェンスに叩きつけられる。

「何だよ、見かけ倒しか」

 畔戸は勝ち誇った笑顔を浮かべ、その場を去ろうとした時だ。

「今のはなンだ? くだらねェな」

 その声に思わず振り返る。

 平然としていた。金網のフェンスとは言え、かなりの速度で叩きつけられたはずだった。普通の人間なら……そこでハッとした。

 相手は普通の人間では無いと。


 動揺する畔戸の思惑など、零二にはお構い無しだ。

 彼の頭の中は、このくだらない用事をさっさと終わらせ――今、自分が住み着いてる繁華街のバー、その近くのスーパーで売ってる特売品を買いに行きたい、その事で一杯だった。

 一応、居候の身なので自分の食事は自分でするのが彼の日課だった。

「一応、警告しとくぜ。大人しくついてくるンなら、手は出さねェ。……歯向かうなら、遠慮無く半殺しだぜ」

 とりあえず、警告しながらツカツカと詰め寄っていく。

 さっきの攻撃から察するに、相手のイレギュラーは恐らく”精神感応能力テレキネシス”だろう。

 油断しなければまず遅れは取らない。

 本音を言えば、半殺しにしてさっさとWDに引き渡したかった。

 刻々と特売品の時間が迫っているから。今日は豚ばら肉と卵だったはずだ。

 だが、相手の行動は予想外だった。

「私を守れっっっっ」

 畔戸はそう大声で叫ぶ。

 すると、まるで熱に浮かされた様に一般人がこちらに来る。

 零二も、一応最低限のマナーとして、戦闘の可能性がある時は事前にその場に”フィールド”を展開する。

 そうする事で、無駄な被害を減らす。それが彼なりのポリシー。

 一旦、展開したフィールドに一般人は近寄れない。

 彼のフィールドの特性は茹だるような暑さ。汗が止まらなくなり、ここにいるのが苦痛になる。そういう物だ。

 なのに、その一般人がフィールドの中に入ってきた。

 みるみる汗が吹き出している。長時間いれば脱水になるだろう。

 ち、と舌打ちしながら動く零二。

 そこに――。

「動くな!」

 畔戸の声で零二の動きが一瞬止まる。干渉され、そこに操られた一般人が覆い被さる。

「てめェ……汚ェぞ」

 ギリギリ、とした歯軋りが聞こえてきそうな形相で、零二が相手を睨みつける。

「せいぜい楽しんでくれ」

 畔戸はそう言いながらその場を後にした。


 それから二時間後、その少年は畔戸のアパートの部屋の前にいた。憮然とした表情で。彼は結果的に特売品を買えなかった、相手に逃げられたので。その半ば八つ当たりでギラギラと怒りを露にしていた。

 見つかれば殺される、そう確信した。

 それ以来、彼は街中を転々としていた。あの少年が追いかけてくるのを恐れて。


 あれからなりふり構わなくなった。あちこちに姿を見せ、自分の言葉を大勢に聞かせた。

 そうしている内に、自分の能力イレギュラーはある程度時間を置いても持続する事が分かった。

 つまり、声をかければかけただけ、導ける人数は増えていく。

 そこで、手法を変えてみたのだ。

 わざと人気のある場所に姿を見せるのはいわば囮。

 本命は……。

 その矢先だった。

 まさか、自分を追う二人に同時に遭遇するとは。

 だが、見たところ二人は仲間では無かった。

(ひょっとしたら潰し合ってくれるかもな)

 そんな淡い期待すら浮かんだ時だった。

 ソイツは唐突に姿を見せた。


「よぉ、畔戸吉瀬。随分と手間とらせンじゃねェか」

 そこに零二が立っていた。

 いつの間に?

 そう思った瞬間、腹部に衝撃が走る。

 身体が大きく九の字に折れ曲がり、膝が地面に着く。

「がっっはっ」

 思わず呻き声を上げ、悶絶。地面を転がる。

 それをピュー、と口笛を鳴らし見下ろす零二。

「イチイチ関係ねェ連中を巻き込みやがって…………タチの悪いイタズラしやがる……大概にしとけや、あぁ!!」

 怒りを露にそう言いながら凄む。


 何故、零二がこうも早く相手を追跡出来たのかには、当然理由がある。これは、彼に限った事ではないが、所謂”炎熱”系のイレギュラー保有者は”熱”を視る事が出来る場合があるのだ。

 簡単に言えば、”熱探知装置サーモグラフィ”の様な目を持てる。

 零二に限って言うのなら、さらに相手の熱を追跡トレースすら可能であり、しかも一度視た相手の熱を”見分ける”事も出来るのだ。畔戸が聖敬並みの身体能力や、速度で逃げていたら流石に追跡を諦めた所だったが、この場合幸いにも狩りの獲物は逃げ足が決して速くなかった。もっとも獲物には不幸極まりない事だが。

 一旦、ビルの屋上に上がってしまえば、獲物が走った時に発した熱の痕跡は全て観える。だからこそ、先回りも出来たのだった。


 畔戸はコヒュー、コヒュー、と息を吐きながら「とま……」言葉を紡ごうと試みるが……。

 その前に零二の蹴りが腹部を直撃。言葉を口には出せない。

「わりぃな、もうその手品にゃ引っ掛からねェぜ」

 吐き捨てるように冷たい言葉を吐き、睨み付けた。

 呻きながらも畔戸はゾクリ、とした怖気を覚えた。全身に震えが走り、足に力が入らない。このままじゃ本気で殺される、と実感していた。

「あ、あああ……」

 そう唸ると、恐怖でもうマトモに言葉を紡ぐ余裕も無いのか、沈黙した。

 その様子に戦闘する意思の喪失を感じた零二は、相手の胸ぐらを掴み引き起こしてやる。

「ン、大人しくついてくンなら殺さねェぜ……いいか?」

 そう言葉をかけると、諦めた畔戸は一度頷く。

「じゃ……」

 そう言いながら、連行しようとした時だった。


 ジャラン。

 その音はハッキリと零二の耳に届いた。何か金属が鳴る音だ。何て言えばいいのか……鈴の様な音だろうか?

 バララララ。

 そして反対方向からは聞き慣れた音。これは間違いなく銃撃。即座に判断し、邪魔な畔戸を突き飛ばす。そうしておいて「らあああっっ」と叫びながら全身を瞬時に熱し、炎を纏う。

 飛んできた銃弾は身体に触れる事なく零二を覆う炎で瞬時に溶けていく。

「誰だか知らねェけど、こンな――」

 子供騙しで……と言い終わる前だった。今度は不意に”雨”が降る。パラパラと、何故か自分の周辺のみで。

 その雨粒は何かおかしい。本能的にそう感じた。咄嗟に飛び退く。

 ジュワワワッッッ。

 その雨粒は地面を溶かす。強烈な酸性らしい。

「ち、二人か?」

 熱探知しようと思わず周囲を見回そうとした瞬間だった。

 ジャララッ。

 また、さっきの金属音。今度はすぐ近く!!

 そう理解した時にはもう手遅れだった。

 それは一言で言うなら強烈。

 背中を強かに何かで殴られ、その身体は吹き飛ばされ――壁に強かに打ち付けられる。そのまま壁を突き破って建物の中に飛び込んでいく。

「あ、ああひいぃぃい」

 突然の状況に混乱をきたしたのか、畔戸は怯えて丸くなっていた。そこに「来い」と誰かの低い声が聞こえ、引っ張り出そうとした。

「うひィィィッッ」

 畔戸は叫び声をあげ抵抗したが、頭部に衝撃が走ると、そのまま意識を失う。


「ててて、チッ」

 開かれた大穴から零二が出てきた時には、もうその場には誰の姿も無かった。

「にしても……」

 何者かは分からないが、間違いなく複数の敵がいた。

 二人か――或いは三人。

 断言出来るのは二人。

 あの酸性雨? のような物で襲ってきた相手。

 それから……そう思いながら、腰に手を回す。ズキリ、とした痛みが走り、思わず表情を歪める。

(一体誰だ?)

 零二は、もう一人の相手に思いを馳せる。

 只者ではない、何を武器にしたのかも分からない。だが、強い。

(それも掛け値なしになぁ)

 そう思うと思わず、表情を綻ばせた。久々に手応えのある相手が現れた事に高揚を覚えたのだ。


 この後、しばらくして彼は気付く。

 RRRRR、という着信音に現実に。

 今回、自分が任務に失敗した事に、その時になって我に返る。

「あ、あのさぁ……すンませんしたぁ!!」

 それは電話に出た彼が、上司であるWD九頭龍支部長、”九条羽鳥”に向けていった最初の一言だった。



 ◆◆◆



「あぐぐ……」

 声が聞こえる。誰かの声が。

 ――起きなさい。

 そこに感情は感じない。抑揚も無く、誰なのかも分からない。

 ――選ばれた者よ。目を覚ましなさい。導くのです、貴方が。

「ううう」

 畔戸吉瀬が目を覚ますと、そこは真っ暗な空間だった。

 申し訳程度の裸電球が、揺れながら微かに辺りを照らしている。

 ジメジメとしているのは、今が梅雨だからだろうか。


 寝かされていたのは粗末なベッド。

 起き上がり、フラフラとする足取りで、ここが何処かを確かめようと試みる。

(何が起きたんだ?)

 ズキズキする頭を押さえ、思い出してみる。

 自分が敵の追跡に気付き、愚民を先導していると、白狼が襲ってきた。そして、あのガキだ。

 アイツに殴られ、捕まって……誰かが来て、どうなった?


「ケッ、目を覚ましたようだな。クソが」

 不意に声をかけられた。思わず、振り返る。

 誰かは暗すぎて顔がハッキリとは見えない。近付こうとする。

「来んなボケが。見えない様にしてんだろうが、察しろクソが」

 汚い口調で拒否され、思わず動きを止める。

「ひどい言い様だ、助けてくれたのなら味方なんだろ?」

「言っとくがお前を助けたのは、【ベルウェザー】の指示だからだからな、ボケが。せいぜいあの方に感謝するこった」

「ベルウェザー? 誰なんだ?」

「お前、アホか? お前を【導いた】方だよ、このボケが」

 その言葉に浮かぶのはあの女神の様な女性。

 絶望していた自分にこの能力イレギュラーを与えてくれた恩人の姿。

「あ、あの方が私を……」

「そうだ、お前みたいなゴミくずでもやれる事がある。だそうだぜ、このクソが」

 姿を見せない口の悪い男は彼なりの言い回しで畔戸の言葉を肯定する。そして、告げた。

「ベルウェザーからの伝言だ、お前には行かなければならない場所がある……分かったか? このクソが」

 その啓示に畔戸はハッとした。

 闇に浮かぶその場所は今、窓の隙間から目に入っている。そこなのか。

 いや、何も聞かなくてもいい、女神の言葉は絶対。彼女が自分に不利益な事をするはずがない。


 フラフラとまるで夢遊病者の様に歩き出す。

 傍目からは病人かと思われる事だろう。

 だが、その目に宿るその凶暴な光を目にすればこの男が普通の精神状態では無いと、すぐに理解出来るだろう。

 ブツブツ、と何事かを呟きながら”偉大な導き”手は暗闇の中に姿を消した。


「で、あれで良かったんですよね? ベルウェザー?」

 口の悪い男がすぐ傍にいた女神に問いかける。その顔はやはり伺えないものの、赤い鮮やかなイブニングドレス姿は闇のなかでも映え、確かに”女神”と見紛う。

 ”先導者ベルウェザー”たるその女神は何も語らず、ただ微笑みを浮かべるのみ、真意を読み取るのは口の悪い男には出来ない。

 こうして夜が明け、朝日が昇る。この先に何が起きるのかを、知るものは未だいない。


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