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悪意の裏側で

 

「くかががががっっっっっ」

 驚愕の表情を浮かべ、マリシャスマースは喉笛を引き裂かれ、血を吹き出す。そして掠れる様な声をあげながらガクリとその場に崩れ落ちた。同時に全身を覆っていたあの黒い靄は雲散霧消していく。

 悪意の沼たる男は「ば、か……な」と呻く。

 それに対し、白い狼の少年は言う。

「僕は守ってみせる、この手の届く限り――全てを」

 そう力強く自分に宣言する。

 マリシャスマースのヒクヒクと弱々しく脈動していた身体はその動きを弱めていき……やがて停まった。その場に残されたのは物言わぬ屍のみ。

 それと時を同じくして、靄を漂わせていた無数の男女も続々とその場に倒れていく。

 ――エミエミ、どうやら勝ったみたいねーーー。

 ネットダイバーこと、林田由依の緊張感に欠ける声が耳に響き、それが家門にこの戦闘の終結を実感させる。

「そうね、終わったわ」

 無力化した男女を見て、病院の入り口前でリボルバーを構えていた家門恵美は、ようやく表情を少し弛めた。


「はー、はぁ、はぁ」

 聖敬もまた、今ので限界だったらしく、白狼の姿から人間へと戻ると、膝から崩れる。

 そのまま意識を失いそうになるのを辛うじて堪えると、駆け寄ってきた田島に問いかける。

「みんなは無事か?」

「ああ、キヨちゃんが頑張ったからな」

 田島は、ニッコリと屈託のない笑顔を見せて言った。

「終わったよ、俺たちの勝ちだ」

 そう言って背中をバンバン叩く。

 その言葉に安心したのか、聖敬は意識を失う。それを見た田島が呟く。

「お疲れさん、キヨちゃん。今はゆっくり休めよ」




 ◆◆◆



 マリシャスマースの死と前後して。


「くは、くははっっ」

 今にも倒れそうな息遣いで路地裏を逃げ惑うのは、痩せぎすのあの研究者。

(こ、こんなはずじゃなかった。何でだ?)

 困惑しながら、精一杯駆けていく。

「おい、待てってンだよ」

 その後を悠々と追いかけるのは”深紅クリムゾンゼロ”こと武藤零二。いかにもつまらなそうな表情を浮かべながら必死で逃げ惑うマリシャスマースの部下――研究者を追う。

(ったく、こンなはずじゃなかったンだがよ)

 舌打ちしつつも、相手の足取りを追い軽く走り出す。


 何故こうなったのかと云うと、話はおよそ三十分前に遡る。

「ッシャァァァッッッ」

 咆哮交じりの叫びをあげるのは零二。

 白く、淡く光る右拳を相手へと叩きつける。

「ぴひぇら」

 拳を顔面に直撃され、吹っ飛んでいくその哀れなる標的は、WDの戦闘員。もっと正確には、今、九頭龍に潜伏しているマリシャスマースの部下と恐らくはWG襲撃の為に用意されたであろうフリークが一体。フリークは既に”蒸発”してここにはいない。

 時と場合に応じて各支部同士で連携するのが当たり前のWGとは違い、自由を標榜するWDは、基本的に連携という概念が存在しない。

 殆どのWDに所属するマイノリティはそれぞれに勝手気ままに、イレギュラーを振るい、ある者は犯罪に手を染め、またある者は自身のイレギュラーの可能性を追求したりと、およそ団体行動等は滅多にしない。

 ある程度の規模の都市については流石に同じ組織に所属する者同士での不意の衝突をしないように仲介する場所として支部を設立しているものの、殆どの場合、そうした支部がまともに機能するはずも無く、形骸化している。

 そういう性質上、組織としてはWGに劣るWDがここまで勢力を拡大出来たのは、組織的な行動をしない為に、身内同士ですら互いを知らなかったり等の理由から、壊滅させるのが困難である事と、制限なくイレギュラーを用いた結果、強大な力を手にしたマイノリティが多数いる為だと言える。集団行動をするのは、主にイレギュラーが弱い等の理由や、戦闘部隊のメンバー位のもので、寧ろ、ここ九頭龍支部の様に曲がりなりにも支部そのものが組織的に動ける方がWDとしては異例なのだ。


「ったく、折角自由にやろうと思ってたのによぉ」

 あーあ、と拗ねた声をあげながら零ニがぼやく。

 その足元には、拳を叩き込み倒した戦闘員が、蒸発し消えていく。

 どうやら目撃者は、フリークを見た瞬間に気絶。手間が省けたとばかりに、路地裏から表通りにその身柄を投げ出した。その内に目を覚ますだろうし、正義の味方のWGが何とかするだろう、そう考えての事だった。

 そこに冷静なツッコミが入る。

 ――偶然を装って、正当防衛でフリークをブッ飛ばす作戦、失敗だね。

 その声から若い女性だと分かる。彼女は続けて言う。

 ――言ったじゃない、そんなの上手くいくわけ無い、これでまた言い訳が面倒。私に聴かれない様にやってくんない、あーあ、嫌。

 ポツポツとした言葉の槍が容赦なく突き刺さっていく。

「るっせェよ、だったらオレを盗聴なんかしねーでテキトーに昼寝でもしとけよ。それか……そうだよ、何も聴かなかった事にでもすりゃあいいじゃねェか」

 傍目からは、零二が大声で独り言を言っている様に見えるだろう。危ない奴だと思うに違いない。

 だが、これは二人のれっきとした会話。

 普通とは違うのは、話し相手がすぐ横にいるのではなく、かなり遠くにいるという事だった。


 彼女の名前は桜音次おとつぎ歌音かのん。零二の仕事上のパートナーであり、お目付け役のエージェント。

 極度の出不精で面倒くさがり(だそうだ)の彼女は、基本的には住んでる高層マンションから出る事はない(らしい)。いつも、マンションの屋上から下の世界を”聴いて”いるそうだ。なので、実は今まで面識は無い。

 それでもこうして会話が成立したり、時には援護攻撃をこなせるのは”サイレントかなウィスパーき”と名付けられた彼女のコードネームに基づくイレギュラーによるものらしい。音波を扱うらしいが、いかんせん彼女を見た事も無いのでどんな仕組みなのか、零二にはサッパリ分からない。

(ってかさ、不公平だよな。オレのは聴かれまくってンのに……ま、いっか)

 考えても仕方がねェ、それが零二の考えの行き着く先なので、歪ながらもこうしてパートナーとして成立出来ていた。

 零二はふと日頃からの疑問をぶつけてみた。

「――でさ、結局お前は美人なのか?」

 ――はあー、何で男はすぐにそこを気にすんのかなぁ。答えんの面倒だから嫌。

「いいじゃンかよぉ、別に嘘でもいいンだから美人ってことにしとこうぜ、そこは……ンで胸はデカイのか?」

 ――ヘンタイ。

 蔑みに満ちた言葉を吐いてブツン、という感覚と共に会話は打ち切られた。多分、今なら聴かれる事も無いはずだ。

 これで自由に動ける――と思った喜んだ矢先、連絡が入った。

 無視しようかとも思ったが、その相手が相手だけに溜め息を付くと零二は渋々出た。

「ハイハイ、こちら哀れな社畜の武藤さん」

 ――これは、珍しくしおらしいですね。どうかなさいましたか?

「へいへい、どーせお見通しなンだろ? で、何だよ姉御」

 零二は九条の事を人目に付かない時は姉御、と呼んでいる。彼なりの敬意の表し方らしい。九条はここまでの報告を求め、話をさせた。零二は当然、都合の悪い話はしない訳だが……。

 ――貴方の事ですから、【そういう】行動に訴える事は想定内です。

 あっさりと、零二の行動はバレていたのだった。

「って、やっぱ知ってンじゃねェか。何なンですかぁ、WD九頭龍支部は覗きのエキスパート集団かなンかっての!!」

 思わず電話越しに上司にツッコむ。

 それに対する言葉は特に無く、沈黙すること凡そ十秒。

 ――さて、貴方に任務を伝えます。

「スルーかよ。ま、いいや。……何をするンだ?」


 という経緯で九条からの依頼がWG支部のある病院から程近いとあるビルの一室への襲撃。零二風に云えば”殴り込み”だった。

 細かい説明等は無い。あるのはただ一言だけ。

 ――発見次第、殲滅デストロイ


「ひゃっはあああああっっっ」

 九条羽鳥からの指示にそのテンションが沸騰した零二は直ちに殴り込みをかけた。

「な、なんだお前は? う、うわっっっっ」

 これ見よがしに入り口を警戒していた男に飛び蹴りをかませる。

 そのままフロアに入ると、即座に警報器が鳴り響く。

 そこにワラワラと出てきたのは、サブマシンガンを構えた戦闘員の一団。その内の一人が進み出る。

「ガキが、こんな所に来ちまうとはな。悪いなぁ――し」

 言い終わる前に零二の左拳が顔面に叩き込まれた。その身体はまるで人形みたいに軽々と飛んでいき、転がっていく。その有り様に戦闘員達は理解した、目の前にいる学生はマイノリティだと。

「ンで、かかってこないのか?」

 涼しい顔をした零二は手招き――と同時に戦闘員達は躊躇なく弾丸を浴びせた。

 四方八方からの容赦ない銃撃を前に、相手は動く事も出来ない。

 だが、それでも銃撃は止まらない。

 マイノリティの回復力リカバーは尋常ではない。

 持ちうるイレギュラーと、その適性にもよるが、ある者は至近距離でのクラスター爆弾の直撃にも耐えた例も報告されている。

 過剰殺人であろうとも決して手を弛めない、それがマイノリティ相手の戦闘だ。


 銃撃は弾を撃ち尽くすまでのほんの数秒。

 だが、相手は一切その場を動かずに銃撃の雨を身に受けた。

「いくらなんでも死んだだろう?」

「ボディのイレギュラー持ちでも無事じゃ済まないぜ」

 彼らは一応に安堵の表情を浮かべた。


「……何かしたか?」


 その声にその場にいた全員がギョッとした。

 一歩も動いていないのに、ほぼ全弾をその身に受けたのに。

 相手は、零二は平然とした表情でその場に立っていた。

 しかも、あれだけの弾丸の雨を受けたにも関わらず、着ているブレザーにも履いてるズボンにも一切の傷が付いてない。

「何だよ、あれで終いかよ。ったくつまンねェな」

 首を回し、ゴキゴキと骨を鳴らしたかと思った次の瞬間、その場から離れ、後ろにいた戦闘員二人を左右の裏拳で吹っ飛ばす。ガッシャアアアーーン、という音を立て、二人は軽々と窓を突き破り吹っ飛んでいく。

「もういいよな? オレの番でよ?」

 ニヤリとした笑みを浮かべると零二は残った戦闘員達に襲い掛かった。初めこそ激しい銃撃音が轟いたものの、徐々にその音は小さく、散発的になり、やがて何も聞こえなくなった。

「あーあ、つまンねェ。期待させンじゃねェよ」

 本人的には全く本気では無かった為か、苛立ち混じりに大股で上の階へと階段を昇っていく。

 時折、不意打ちで襲ってくる敵も数人はいたが、そのいずれも零二の身体に傷一つ付ける事は敵わない。

 その弾丸も、その鋭利な刃も決して届く事は無く、そのままカウンターの一撃を喰らい、昏倒していく。

(へっ、つまんねェな。どうにもよ)

 普段ならそれなりに楽しめるはずの殴り込みにも関わらず、その心は晴れない。それどころか、寧ろ不快感が高まっていき、表情も徐々に苦虫を潰したような渋いものへと変わっていく。

(ったく、やっぱ星城といい喧嘩しちまったからだな、こりゃ)

 原因はハッキリしているだけに余計苛立つ。

 結局、その気分が晴れる事は無く、対象の部屋の前に立った。

「ま、いいや」

 零二は、無造作にドアを蹴り破った――瞬時に激しい光と爆風が視界を遮る。


 ガラガラ、部屋の奥から顔を覗かせたのは痩せぎすのあの科学者。念の為にドアに仕掛けたプラスチック爆弾が、目論見通りに起爆したのだ。火薬は少なくしてはみたが、それでもあの衝撃をマトモに受けたのだ。無事なはずがない。

「……死んだか? 死んだな!」

 思わず歓声を挙げつつ、ドアに近付く。

「仮にもここまで来た奴だ。モルモットにして……」

「……わりぃな、実験動物は断るぜ」

 研究者はその顔を凍り付かせた。

 相手はあれだけの爆発を不意に喰らった。それは間違いない。

 にも関わらず、平然とした表情で彼はそこにいた。

「ビックリ箱にしちゃ上出来だったぜ」

 しかも今の爆発をまともに受けたはずなのに、全身はほぼ無傷。

 辛うじて着ていたブレザーが多少破れた位でケロッとしている。

「んで、とりあえず風呂かシャワーでも貸してくれねェか?」

 そう言いながらズカズカと上がり込んでくる少年を前に研究者は腰が抜けそうになった。

(このままじゃ殺られる)

 自分に迫る来る敵を前に、一歩も動けない。

 ドオン。

 轟音が轟き、零二が微かによろめく。

「く、くそっ化けもんが!!」

 そう言いながらショットガンを構えながら向かってくるのマリシャスマースの部下の生き残りだった。

 ガシャン、と甲高い音を立てつつ薬莢を吐き出し、次弾を敵へと放った。

 相手が一般人なら至近距離でショットガンをブッ放せば、散弾が全身を撃ち抜き、その身体は肉片に変わるところだろう。

「ってェな」

 しかし、相手にはその散弾が届かなかった。

 彼はハッキリと目にした。

 散弾の全てが相手の身体に接触する前に”消えた”のを。

「ひっ、バカな」

 後退りしながら、排莢。尚も散弾を浴びせようと試みた。

 零二は右拳に白く燃やし始める。

「うぜェよ!!」

 吠えながら、輝く右拳でストレートを――”激情インテンス初撃ファースト”を放った。

 輝く右拳の前に散弾は瞬時に燃え尽き、相手をアッサリと殴り飛ばす。そして空中でその身体が燃えていき――服だけがフワリと残された。

「くっだらね、ザコは引っ込ンでろっての。……で、あ?」

 零二が部屋に戻ると、既にそこにあの研究者はいなかった。

 部屋の中を探したが、隠れた様子も無い。

(ち、イレギュラー持ちだったってコトかよ。マジぃな)

 このまま”殴り込み”の失敗を報告した後を考えて、顔面を蒼白にした。九条は怒りを露骨に表したりはしない。ただ淡々と理路整然と問いかけ、説明を求めてくる。

 怒りもせず、笑いもせず、淡々と。なまじ整った顔をした美女だけにその無感情が怖い。

 首をブンブンと振り、我に返る。

 その際に足元が部屋に張られたコードに引っ掛かり、見事にスッ転ぶ。顔面から思いきり床に激突。

「いてててっっっ、何だよおい」

 ――なに、ヘマしたわけ? だっさ。

 鼻を押さえていると、桜音次歌音の声が聞こえてきた。

 これまた、淡々とした口調が、九条を想起させる。

「るっせェよ、まだだ…………ン?」

 慌てて立ち上がると、一台のデスクトップパソコンがふと目につく。他にも何台が同様のパソコンがこの部屋に複数設置されていて、その殆どはコードが引き抜かれていた。

 だが、この一台だけはコードが刺さっていて、しかもモニターを切っただけで稼働している。

「何だよ」

 普段なら、気にもしなかった事だろう。何よりも今は”殴り込み”中なのだから。だが、何故か今はこのパソコンが気になり、モニターを付ける。

 そこには無数のデータファイルが存在している。

 そのタイトルは”Observation(観察)”だの”Breeding(飼育)”といったもので、ロクな意味では無さそうだった。その中で目を引いたのは”Transformation(転化)”と書かれていた。

 頻繁にデータを更新しているらしいそれを開く。

 零二はそこに映っていたものを目にし、押し黙った。

 ただ無言でそこに映された光景を目にし、歯をギリリと噛み締め、拳を強く握り締めた。

 ――何、何なの?

 桜音次が尋ねてきた。

「ンじゃこれを見ろ……送ンぞ」

 零二はその画像をスマホで撮影し、それを彼女に送信。

 ――これ。

 彼女が絶句するのが声だけでも伝わった。

「なぁ――」

 ――何?

「――生け捕りはしねェ、いいか?」 

 零二の表情には溢れださんばかりの憤怒が滲み出ていた。


 そこから、あの研究者が何処に逃げたのかは桜音次に探して貰った。

 彼女の聴覚は特定の人物の音を”聴き分ける”事が出来る。

 無論、無制限ではなく、一定範囲に限っての事だが。

 幸い、あの研究者はそう離れた所にはいなかった。

 だから、零二はすぐに追跡した。必ず始末する為に。


 こうして、現在。

 ガラガラーーーン。

 派手な音を立てて、勢い余った研究者は転んだ。

(な、何でだ?)

 彼のイレギュラーは、自身の短時間の不可視可。

 それを用いて、零二が通路に向かった隙に逃げ出したのだ。

 それから、慎重に慎重を重ね、追跡がない事を確認したはずだった。後は”指示”が来るまで身を潜める。彼には極々簡単な事のはずだった。

 なのに――。

 あの怪物はいとも容易く、自分を見つけ出した。

 その原因が、あの場にいない桜音次のイレギュラーによる物だとは知りようも無い研究者にとって、あの少年はまさしく怪物だった。

(だが、こちらも【手】なら打った。無敵のマイノリティなんていないのだ。必ず殺せるだけの隙はある)

 研究者は、ここまで逃げる途中で仕込みをしていた。

 自身のイレギュラーの能力が戦闘向きではない事は承知している。

 だからこそ、彼は自分が追跡対象になった時は”自衛”の為に仕込みをする。


 ザ、ザシャッ。

 そうこうしている内に路地裏の行き止まりに相手が、零二が姿を見せた。

 その表情には、逃がさない絶対の自信があるのか、うっすらと笑みを浮かべている。

 ゆっくりとした歩みで、距離を詰めてくる。

「逃がさねェよ、絶対によ」

「ま、待て。少し話をしようじゃないか、話せば分かる、分かる」

「あぁン? なめてンじゃねェぜ」

 零二が眉間に皺を寄せながらすごんだ。注意が完全に自分へと向いた。

「殺れッッッッ!!」

 その叫びが上がった瞬間。

 突然、零二の身体が宙に浮いた。

 その身体はくの字に大きく歪み、路地裏の高い塀に強かに叩き付けられる。

「は、はっは。バカめ、引っ掛かったな」

 研究者は安堵からか破顔、大笑いした。

 それとほぼ同時に零二のいた場所のすぐ背後に一人の兵士が姿を現す。

「ど、どうだ? こいつは私のイレギュラーを解析して作りあげた【光学迷彩】を着用している。

 お前がどうやって私を見つけたかは知らんが、不意の一撃を喰らえば只では済むまい!!」

 研究者には、一人の護衛が付いていた。彼は研究者の”友人”から提供された実験の被験者。

 一般人だった彼を”改良”した友人が、有事の際にとプレゼントしたマイノリティだった。

 イレギュラー自体は極々弱い電流操作、それも体内に限定された物だ。そんな実験体に友人は戦闘能力の付与として”金属製義手サイバーアーム”を移植した。

 武器の特性上、接近戦にしか向かないにが欠点だが、それを補う為に光学迷彩を装着させ、敵を誘導してしまえばこうして、先手必殺出来る。

 これが、研究者にとっての”切り札”だった。

「バカめ、余裕なぞかますからだ! おい、トドメだ」

 兵士は無言で零二へと近付く。彼は言葉を発する事が出来ない。

 というよりは、自我を特に持たない。脳を”改装”して、インプットした相手に絶対服従するだけの云わば生きた”殺人機械”。

 淡々とした様子で鋼鉄製の義手を振り上げ――勢いよく下ろす。

 それは直撃すれば人間の頭位は間違いなく粉々に粉砕出来るであろう必殺の鉄槌ハンマー

 グキャン、鈍い男が響いた。

「…………?」

 兵士が自身の右手を省みる。

 それはおかしな事だった。

 本来であるなら、鋼鉄製の義手は何の問題も無く、相手の頭蓋骨を砕き、その場で脳漿をぶち撒けて死んでいるはず。その右手は相手の鮮血で紅く染まっているはず…………であるのに。

 右手が失われていた。その断面は”焦げ付いていた”。それを見て焼き切られたと判断。

「ったく、やってくれンじゃねェかよ」

 相手は、不敵に口角を吊り上げていた。その左手はバチバチと火花を散らす右手を掴んでいる。

 そして、右手は白く光り輝いている。

「せーーの」

 叫びながらの蹴りが鳩尾を突き上げ、兵士の身体は飛ばされ――地面を転がった。


「ば、ばかな。何で死んでいない」

 研究者の表情が驚愕に満ちていく。

 先手必殺のはずだった。あの不意打ちは完全に入っていた。

 零二のイレギュラーは恐らく”炎熱操作”だろう。それも、銃弾を高温で瞬時に溶かせる程に強力な。

 だが、さっきの一撃はマトモに入っていた。間違いなく肋骨は砕け、内蔵にもダメージがあるはずだ。

 なのに!!

 零二は立ち上がっていた、まるで大した事のない負傷の如く。

 ”リカバー”にも個人差がある事は重々承知している。それを考慮しても”異常”な回復力だと云える。


「なかなかの威力だったぜ。オレじゃなきゃ、死んでたかもな」

 でもよぉ、と言いながら零二は笑った。

「こンで終わりじゃあ――ねェよな?」

「下らん挑発だ、光学迷彩を使用するんだ」

 研究者の指示に従い、兵士は迷彩を起動させる。

 スーーッと、その全身が朧気になっていき、消え失せる。

(これで終わりだ、死ね!)

 零二は周囲をキョロキョロと見回したが、相手を見失う。

 ふぅ、と溜め息を入れつつ脱力した。

(そんな付け焼き刃で対応出来はせん、殺れっっ)

 次の瞬間だった。

「しゃあっっ」

 咆哮とともに零二が右拳をいきなり振るう。

 バキン、誰もいないはずの空を切ったはずの拳は何かを捉えた。鈍い音が響く。さらに零二は突然頭を下げる。直後にブオン、という風切り音が聞こえる。

「らあっっ」

 そこへ零二がいきなり頭を振り上げる。

 ガツン、という衝突音と共にぐらついた兵士が姿を見せると、間合いを離した。

「ば、バカな? 光学迷彩を破るなど……」

 研究者は絶句した。自身のイレギュラー能力を解析し、導入したあの光学迷彩は言うなれば自身そのものだった。

 どんな最先端の軍事企業よりも性能がいいはずのそれをあっさりと破られた。零二が自慢気に鼻を指で弾くと言った。

「生憎だったな、オレに同じ手は二回も通用しねェンだよ。

 オレには【視える】からな」

「視えるだと?」

「姿を消しても【熱】は残ンだよ。オレにはそれが視える。

 透明人間するンなら体温も抑えるこった。で……」

 零二は兵士へと視線を向ける。

「もうつまンねェ小細工なンかするな、来なよ」

 そう言いながら手招きをする。

 兵士がその言葉に反応するかの様に接敵した。彼の残された左手もまた鋼鉄製の義手だ。それを手首から高速回転――ドリルと化して襲いかかった。

「上等ッッッッ!」

 対して零二は左足を一歩踏み込み、右手で迎え撃つ!!

 ドリルはまるで空気そのものを抉る様に向かっていく。

 対して、相手は何の捻りも無い単なる右ストレート。いくらあの右拳がイレギュラーによって強化されようが、勝てるはずがない。そう研究者は判断した。

 二つの拳が衝突する。バチバチという音が耳に入る。

 信じられない事に、高速回転するドリルと何の変哲もないストレートが互角にぶつかっている。

 ドリルはなおも高速回転を強め、今にも相手の右手をグチャグチャに抉ろうとしている。

「…………しゃあああああああッッッッっっっ」

 咆哮と共に拳が激しく、鮮やかにその光を強める……そして。

 光輝くその拳は相手の左手を弾き飛ばし、そのままの勢いでその身体をも貫いた。

「――激情インテンス初撃ファースト!!」

 零二がそう呟くや否や兵士の全身が炎に包まれていく。白く輝く炎に。

「結構楽しかったぜ、あばよ」

 右手を引き抜く零二は、拳を交えた相手を見据える。敬意を込めた視線を向け……笑いながら。

 感情など失くしたはずの兵士は燃え尽きる瞬間、微かに笑った、満足した様に。


「うひひぃぃぃぃっっっ」

「さてと、これで手詰まりってトコだな」

 研究者は恐怖のあまり、腰が抜けた。ヘタヘタとその場に座り込み、震える。

「ま、待ってくれ、待って」

 叫びながら、必死の形相で命乞いをする。

「わ、私を殺さない方が君達の利益になるぞ。ほ、本当だ」

「ち、言ってみな」

 零二はあからさまに盛大な舌打ちを入れると、拳を引いた。

 その様子を見て安心したのか、研究者の表情に安堵の色が浮かぶ。

「わ、私だって好きで研究をしたわけじゃあない、奴にマリシャスマースに強いられたんだ。手伝わないと殺すと」

 伏し目がちに語る研究者を、零二は軽蔑の色を隠す事も無く冷たく見下す。

「そ、それにあの研究は君達の……いやそのボスにも有用だ。

【フリーク】を造り出す研究はWDにとって、大いにね」

 段々とその言葉には熱が込もってきた。自分の話が如何に有益であるのかを自分で再確認出来たのか、表情は陶酔へと変わっていく。

「手間はかかったが、下手に薬品を投与するよりも確実にフリークを用意出来るんだよ、これがどれだけ素晴らしい事かが――」

「ンで、その為に大勢の女子供を拐っては選別したわけだ。マイノリティ以外はどうした?」

「マイノリティじゃなきゃ、必要無いだろ? さっさと人身売買にかけたさ」

「へェ、そいつは上出来だなぁ」

「そう思うだろう? マイノリティだと分かった者は適正検査に回し、イレギュラーの系統を調べた。

 我々の研究に必要だったのは、【精神感応】や【超感覚】のイレギュラーを持った者だ。それ以外は高値で売った。これがいい金になるんだよ」

 研究者の言葉に零二は確実に怒りを募らせる。その脳裏に浮かぶのは、あの部屋で見たおぞましい実験の映像。

 選別したマイノリティに”処置”を施し、”無自覚”な状態で放り出し、街中でフリークとなる人物を誘い出させ”転化”。

 後はそのまま殺される。そうする事で事件のあらましがバレる可能性を軽減――死人に口無しとはまさにこの事だろう。

 あの映像の最期は多少の差異こそあれど、いずれも無残に殺されていた。

「分かるかね? あれをもっと研究出来ればさらに効率的にフリークを確保出来る様になる。そうなればWDはWGなど恐れる必要など無い!」

 研究者はピーチクパーチクよく話す。零二が無言でいるのを話に興味を持ったとでも思っているのかも知れない。

 零二は大きくため息をつく、そして呟く。

「あ~~もういいや。限界だわ」

「ん? どうかしたのかね」

「どうでもいいや、別にアンタにゃ興味もねェし」

 本当に興味を失くしたのか、そう言いながら不意に標的に背を向け、その場から去っていく。

 そのあまりにも無防備な背中に、後ろであの研究者が何やら叫んでいる。だが、もうどうでもいい。零二は呟く。

「どうせ――」

 キィィン。

 甲高い高音が耳をつんざく。

 グシャリ。

 何かが潰れた。まるで饅頭を思いきり足で踏み潰した様な音。

「――アンタ【死ぬ】ンだからな」



「後始末、悪ぃな」

 ――ホント面倒だ。今度何か奢れ、じゃなきゃ嫌だ。

「わーってらぁ」

 ――駅前のバームクーヘンで手を打つ。面倒でも並べ。

「へっ、わーったよ。…………あ!!」

 ――何?

「お前が何処にいたのか調べ損なった! あんだけ正確に攻撃出来ンだからいたンだろ、近くに? クソぉ。結局、お前が美人で巨乳か分かンねェじゃないかよ!!」

 それは魂からの叫びだった。

 ――知るか、ヘンタイ。最低だお前。

「ばっか、そこは大事なンだぞ? お前がどンだけのスペックを持ってンのか相棒たるオレには知る権利と義務があってだな…………おい、聞いてます? もしもーし?」


 こうして深紅の零は一つの仕事を終えた。

 翌日、軽い気持ちで駅前のバームクーヘンを買いに行き、げんなりする程の行列の中を待ち、やっと自分の番かと思ったら「本日分の販売終了しました」との張り紙に心底ガッカリすることになる。

 そして、そこを既にバームクーヘンを購入していた西島晶と怒羅美影とバッタリ遭遇し、目の前で満面の笑みで目当ての品を喰われ、怒り心頭で美影と一悶着するのだった。



 ◆◆◆



「はい、分かりました。ご苦労」

 壁越しに男の声――シャドウの声が聞こえる。

 昔から彼女は暗闇が好きだった。

 暗闇を前に人々は様々な感情を抱き、恐れ、敬う。

 これだけ様々な技術が発展した世界の中で、それでも人が決して抗えない”原初の物”。これからもこの世界で生きうる限り必ず訪れる暗闇を好んでいた。

 コンコン、ドアをノックする音で九条は目を覚ます。

(フフ、私とした事が少し眠っていましたか?)

「どうぞ」

 その声を聞いて「失礼します」と言ってからシャドウが真っ暗の部屋に入る。廊下の光が一瞬部屋を包む。彼は、そのまま真っ直ぐに上司の前に立つ。

「桜音次、サイレントウィスパーからの報告です。マリシャスマースの部隊の拠点及びに部隊の壊滅、並びに研究者は確保出来ず、止むを得ず排除したと云う事です」

 シャドウは淡々とその報告を伝える。

 彼個人としては、この報告に納得はしていない。

 あの二人は、認めたくは無いが、間違いなくこの九頭龍支部最強のコンビだ。

 その性格には大いに問題があるが、基本性能の高さは折り紙つきだし、与えられた任務達成率の高さは群を抜き高い。

 だからこそ疑問符が付く。敵が研究データを消去するのを止められなかった事もそうだし、抵抗したからとは言え研究者一人位確保出来るはずだ。

(あの二人は、意図的にデータを消去した)

 それが彼個人の結論だった。

 だが、それを上司に云うつもりは無い。彼女の決定こそが、シャドウにとっての真実なのだから。


「分かりました」

 それが九条の回答だった。感情などはこもってはいない。

 その言葉を、何もするな、そういう事だとシャドウは解釈した。

 一礼し、部屋を出ていく。


 再び一人暗闇の中に残された”平和の使者”は呟く。

「次はどうするつもりなのですか、あなたは?」



 ◆◆◆



「う、ん? わたしハ……?」

 エリザベスが目を覚ますと、そこはまたもあの病院。

 そこにはまたもや聖敬がいた。

「おはよう、エリザベス」

「お、おはようございまス、キヨ」

「まだ夜だよ。大丈夫か?」

「え、えぇだいじょうブ……あ」

 言いながら不意にエリザベスは顔を背けた。病院服の襟首をソッと重ねながら。

「ああっ」

 その仕草に聖敬は自分の目の前に大きな二つの山が半ば露出していた事を理解した。瞬時に顔が真っ赤に染まり「いやいやいや、ぼ、僕は見てない、見てないからっっ」と大声で叫ぶ。

「おー何だ、目を覚ましたんか? あ……デカ、ブシュらあっっ」

 声を聞きつけそこに田島が入ってきて、その顔をエリザベスから投げつけられた時計が直撃。

 彼女は「きゃああああ」と叫び声をあげるのだった。


 数分後。

「いてて、キヨちゃーん。何で君はお咎め無しでアタクシだけがこんな目に合うのかしら? ひどくないッスか?」

 おでこに特大の絆創膏を貼りながらブツブツ田島が文句を言う。

「お前がやらしい目を向けたからだろ?」

 聖敬ははぁー、と溜め息を付きつつ言った。

「いいかね? そこに山があれば見上げたくもなるんだよ。これは男と言う生き物の悲しき性……」

「……ハイハイ、そうですねそうですね」

「ちょ、何か冷たい 、冷たいよキヨちゃーん」

 うぎゃあと喚きながら田島が親友に飛び付く。それを笑いながら振りほどく聖敬の笑顔をエリザベスは笑顔で見つめていた。

(あのなかにはいりたイ、でもワタシなんカ……)

 この三年間の出来事で、エリザベスは人とふれ合うのが怖くなっていた。近付いた人達の間は悉く壊れた。近付いて来るのは彼女に害意を抱く者ばかりだった。

 そんな自分があの二人の中に入って大丈夫なのか?

 あの二人の仲を壊したくない、そう思って一歩を踏み出せない。


「行かないのですか?」

 そんな彼女に声をかけたのは家門だった。

「わたしがいくとふこうになるかラ……」

 怖じ気づくエリザベスは目を背け、震えた。

 そんな彼女に家門はそっと肩に手を置く。

「いいですか? あなたのしたいようにしていいんです。これはあなたの人生なんだから。

 だからこそ、自分が後で後悔する事をしちゃいけない。

 私の知り合いにもそんな子がいました。

 彼女は、自分が他人と違う事を怖がり、ずっと誰にも心を開きませんでした。でも、ある日、自分の事を普通の人間として接してくれた人に出会って気付いたんです、壁を作っていたのは自分だけだったんだと。そうして彼女は変われた、あなたも変われますよ」

 そう優しく微笑み、静かに語りかけた。

 エリザベスの目に涙が溢れていく。

「わたしも……できるかナ?」

「出来ますよ、私が保証します」

 家門はもう一度優しく微笑み、エリザベスの背中をそっと押す。


 そのまま彼女が二人の間に入るのを見届けていると、通信が入った。林田からだった。

 ――エミエミ、緊急通信が入ったよーーー。

「分かっています、このコールは【井藤支部長】からです」

 家門の表情がみるみる険しくなっていく。

 彼女は早足で林田のいる通信室に入る。

 中央のモニターには井藤が映っていた。

 その全身には無数の傷が付いていて、明らかに戦闘での負傷だろう事が見てとれる。

「支部長、一日もいなくなったのはどういう事なんですか? 

 それに、進士は? 何処にいらっしゃるんですか?」

 異常事態を察した家門から矢継ぎ早に質問を投げ掛けられ、井藤は苦笑。家門も、せっついた自分に気付き、頭を下げる。

 一呼吸於いて井藤は話を始めた。

「そちらの状況は林田主任から聞きました。こちらはまず、結論から云います。……マリシャスマースは【死んではいません】」

 そう切り出すと井藤の表情は険しさを増した。







































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