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悪意の底に

 

 カツカツカツカツ。

 時計の秒針は止まらない。只々時を刻み続ける。何の躊躇いもそこには存在しない。

「くそっ」

 聖敬は思わず壁を殴りつける。

 バゴン、鈍い音と共に壁に穴が開いた。

 変異していなくとも常人を遥かに越えたその腕力は病院の壁位は簡単に砕き、ヒビを入れてしまう。

 マリシャスマースの指定した時間からもう間もなく四十分。このままだと、あと二十分後にはエリザベスを差し出す事にもなりかねない。

 勿論、WGとしても不本意ではある。

 だが、この問題を解決する妙手が見つからない現状では、最優先なのは、街中でのフリークによる無差別殺戮の阻止。

 それは聖敬も充分理解している。理解してはいるの

 だが、受け入れたくない。

(彼女は何も悪くなんかないってのに)

 そう思うと、居ても立ってもいられない。

 エリザベスは、ただ何も知らずに生きていただけだ。

 彼女の父親もとにかく彼女の身を案じてこうして各地を転々としたはずだ。

 なのに、何で彼女がこんな目に合わねばならないのだろう?

 無自覚なマイノリティだからだって云うのか? 

 無意識にイレギュラーが発動したからだって云うのか?

 彼女は何も知らない、それをあのマリシャスマースという男に付け入られただけだ。


 家門が聖敬と田島、それからタブレット越しに林田結衣の三人に説明した。

「結果が出ました。彼女、茂美エリザベスには特殊な【処置】が施されています」

「処置……何なんですか、それ?」

 ”処置”という言葉に困惑する聖敬に家門はさっき撮ったばかりであろう一枚の写真を見せた。

 その写真はCTスキャンらしく、脳の断面図が写っている。

「これはエリザベスの写真ですが、ここを見てください」

 そう言いつつ、写真のある場所を指し示した。そこには小さいながらも小石の様な物が写り込んでいる。

「これが恐らくは彼女のイレギュラーを【増幅】させている原因でしょう」

「増幅?」

「文字通りの意味だよ、キヨちゃん。イレギュラーの範囲とか効力そのものを強化しているって事さ。

 元々は米軍の対マイノリティ部隊に使用されていた軍事技術で、今じゃ世界中で使われてる。……WDでもだし、WGうちでもな」

 田島は苦々しげに眉間に皺を寄せた。

「何だよそれ、こんなのを頭に埋め込むなんて……」

「……イレギュラーの強化に繋がるので、WGでも本人が望むなら手術をする場合もあります……」

 そこまで言って、口ごもる家門の代わりに林田が話を繋ぐ。

「でもね、その処置には重大な問題があるんだよーーー。

 君も知ってるだろうけど、イレギュラーの使いすぎは【消耗】を促進するんだよ。で、その処置を施されると、イレギュラーの強化と同時に、消耗も一段と強くなるんだ。つまりーーー」

「フリークになる可能性が増えるって事ですか?」

 その問いに三人は首を縦に振った。

「じゃあ、それを取れば!」

「悪いが、ソイツは簡単じゃないんだぜ。エリザベスに埋め込まれたソイツは一種の生体部品バイオパーツってヤツで、細胞レベルで癒着しちまうんだ。正直云って、そんじょそこらの脳外科医じゃ太刀打ち出来ない…………だから」

 田島はそこまで言うと顔を背けた。

「彼女を助けられないって云うのか?」

 聖敬の問いかけに返事は無い。それはそのまま問いかけに対する返答となる。そうして構築されつつあった重苦しい空気を打破したのは林田結衣だった。

「勿論、今すぐにはという意味だよ、その処置を出来るマイノリティが今、九頭龍うちにいないだけーーー。

 一応、さっきの通信からあっちの居場所をサーチかけてるんだけどね、もうちょい時間がかかるかなぁーーー」

「……どの位なんですか?」

「うん、普通なら三十分かな、流石にあっちも対策してきてるからねーーー」

「――分かりました。もう一度確認します、星城聖敬君。あなたは茂美エリザベスを絶対に渡さない、そういう認識でいいのね?」

 聖敬は力強く頷く。

 家門は、続けて田島にも視線を向ける。その返答は親友と同じ。

「では、最後に【ネットダイバー】。出来るのね?」

「もっちろーん、私を信用しなさいよーーー」

 そう言ってネットダイバーこと、林田はにわかに真面目な表情になると、画面から消えた。

「ということです、これを。まだ試作品ですが」

 家門が聖敬に手渡したのは、小型のコンパス状の時計の様な形状の機械。

「それには、マイノリティを探知する機能がついています、正確には、身体から漏れ出しているイレギュラー反応を検知できるものです。持っていくといいわ」

「え、でも」

「いいんだって、家門姉さんがそう言うんだ。キヨちゃんは外で、物騒なフリークをブッ飛ばせばいい。交渉は大人の仕事なんだし」

「田島、あなたはもう少し真面目になりなさい」

「はいはーい、わかってますって。…………あのしたり顔のオッサンをギャフンと言わせようぜ」


 聖敬は外に飛び出した。時間はあと十五分。

 聖敬はコンパス状の探知機を見る。すると、いくつもの光点が映っている。中心が聖敬自身で、後ろがWGの皆。

 ――私がナビするよ、とにかく怪しい所はバンバンやっちゃってねーーー。

 調子が狂いそうな林田のナビのもと、聖敬は脚力を全開。

 自分の周囲にフィールドを張りつつ駆け抜ける。

 探知機のボタンを押してみると、広域地図が表示された。

 こうして見てみると、九頭龍に十数個ものマイノリティ反応が感知できた。

 すると、不思議な事にその内のいくつかが消えていくのが分かった。

「誰かが戦ってる、んですか?」

 ――かもねーーー。それに検知できるっていってもイレギュラーをコントロール出来ない様なフリークが殆どだし、何人かWGのメンバーが戦ってるみたいだよーーー。

「とりあえず、僕は一番近くに向かいますね」

 ――りょーかいーーー。ヨロシクーーー。

 相変わらずの林田のペースに調子を崩されたものの、聖敬は軽く息を吐くと光点の場所へと走る。



 ◆◆◆



 聖敬が走り出したのと同時刻。マリシャスマースの潜伏するとあるマンションの一室。

「む、マリシャスマース。どうやらWGは引き下がらないつもりの様です。それに、あちらにはかなりのハッカーがいます。こちらの防壁を次々と突破してきており……ここがバレるのも時間の問題かと」

 痩せぎすの研究者が少し慌てた様子で報告した。彼の目には自身が構築した防壁が次々と突破されていく光景が逐次映し出されていた。

「ふむ、だがこれも予定通りだ。実験動物を素直に渡すつもりが無いなら、この街を少々【火の海】にでもすればいい。

 どのみち、ピースメーカーの失墜も依頼乃一つなのだ、一石二鳥というものではないか」

 マリシャスマースは表情一つ変える事なく傲然と言い放つ。

 そして、自らも部屋を出ていく。その背中に研究者が言葉をかける。

「ご自身も出られるおつもりですか?」

「ああ、やむを得ん。ここも早めに撤収しておけ、合流はポイントBだと、伝えておけ」

 バタン。ドアは閉められ、その場には研究者だけが残された。

 マリシャスマースは知らない。自分の背後でその研究者がその表情を大きく歪めていた事に。

 一人になったその研究者はポツリと言った。

「せいぜい健闘してください」



 ◆◆◆



「かあああああっっっ」

 聖敬が叫びながら右手を突き出す。変異させた右手が目の前にいたフリークを殴り飛ばす。強烈な一撃をマトモに受けた蟷螂のフリークは壁に叩き付けられ、その場で昏倒。人の姿に戻っていく。

「次だっ」

 聖敬は絞り出す様に叫ぶと、は~~、と大きく息を吐く。

 とにかく、時間が惜しい。

 腕時計を見ると、残り時間は間も無く十分になろうとしていた。

 相手はわざわざ襲撃時間を予告していた。

 なら、相手がこういう形で反撃に出る事も当然、想起していたはずだ。イレギュラー反応は順調に消えている事から、WGが優勢の様だ。


「ハイハイご苦労さん、あとは俺が拘束しとくよ」

 そこにバイクに跨がった田島が馴れた様子で手錠をかけていく。その様子は、差し迫った状況を感じさせず、気楽に遊んでいる様にすら見えた。

「あとはこいつでっ、と」

 そうしておいて、首筋に注射をする。マイノリティを数時間は眠らせる強力な麻酔だ。

「田島、次に行くよ。急がなきゃ!」

 聖敬は呼吸が整ったのを実感し、再び疾風の様な速さで走り出す。探知機に残った反応はあと三つ。

 だが、その内の一つが動いている。他の反応とは違い、明らかに移動しているそれが目指す先にはWG九頭龍支部。つまり九頭龍病院がある。

「くそ、急がなきゃ」

 聖敬は、急転回すると来た道を戻り始めた。

 その様子を上空から無人偵察機が確認しているとは思ってもいなかった。


 痩せぎすの研究者がその状況を報告する。

「マリシャスマース、ルーキーがあなたの動きに気付きました。あの速度だと、一分もしない内にそちらに追い付くかと」

 少し考えるような間が開く。

「――ふむ、分かった。なら、こちらで手を打とう。監視を頼む」

「かしこまりました」

 通信が切れると同時にマリシャスマースは周囲を見回す。そして何かを見つけるとにわかに口元を歪め、「さて、もてなしをしなくてはな」と悪意に満ちた笑みを浮かべた。


「はぁ、はぁ。はっ」

 聖敬の視界に九頭龍病院を取り囲む公園が見えてきた。

 さっきからマリシャスマースの動きが止まっている。

 ――新人君、たぶん相手は待ち伏せしてるよーーー、気をつけてねーーー。

 林田に云われるまでも無く、聖敬も気付いていた。

 さっきから感じるどす黒い何かを。まるで、その場の空気すら歪むような何かを。

 そして、それを放つ元凶がすぐ近くにいる、と。

 そうして、彼はいた。

 公園の中央広場に悠然と。

「あんたは……」

 思わず身構える聖敬をその男は待ち構えていた。自信満々のその様と傷が刻まれた顔はさっきも目にはしたものの、こうして真正面から見ると、改めて只者では無い事が見てとれる。

「流石に【ボディ】のイレギュラーを持ってるだけの事はある。

 私とは違い、大した身体能力だ 」

 マリシャスマースは、そうは言いながらもその表情には余裕を漂わせていた。

「で、わざわざ出迎えに来てくれたのは、【実験動物】を引き渡して貰える、という解釈で良いのかな?」

 わざとらしく鷹揚な態度を見せながら、クイクイと手招きした。

 その全身からは、ウゾウゾとした靄の様な物が湧き出す。

 聖敬は本能的にその場を飛び退く。その直後にその場所を靄が呑み込んだ。すぐに靄は主の元に戻ったが、呑み込まれた場所は大きく抉られていた。

「流石にいい反応だね」

 感心した様な声をあげる。だが、肝心の聖敬の姿はすでにそこにいなかった。ハッとマリシャスマースが気付くと、側面に回り込んだ半狼となった相手の拳が迫っていた。

(捉えた)

 相手は聖敬の動きにまだ対応出来ていない。仮に今からでは間に合うとは思えない。

 だが、その拳は相手に命中しなかった。黒い靄がまるで拳を包み込み、受け止めていた。

 そしてそれと同時に聖敬の身体に衝撃が走る。まるでハンマーで殴られた様なその衝撃を与えたのは、拳のような形状に変化した靄。

「ぐっっ」

 呻きながら後ろに飛ばされ、そのまま街路樹をへし折りつつ止まった。

「ふむ、少しは驚いてくれたかな? これが私のイレギュラー、マリシャスマースだよ。

 精神感応能力テレキネシス空間操作能力エリアコントロールを用いたものだよ。見ての通り、この靄は私を守る盾であり、相手を砕く拳にもなり得る。便利だと思わんか?

 だが、君の様にタフな奴が相手だと、少々こちらの分が悪いかな」

 そう言うと、指をぱちん、と鳴らした。

 すると、即座に聖敬の目の前に一人の青年がフラフラと歩み寄ってきた。その目は虚ろでおよそ感情を感じられない。

「彼は、単なる一般人だよ」

「それなら何で……」

「【フィールド】を展開したのに、彼がここにいるのか、かな?

 簡単だよ、彼は私のイレギュラーで少しばかり心を細工させて貰った。だから、フィールドで彼をこの場から退かせるのは、なかなかに難儀だよ……」

 だから、と前置きした瞬間、聖敬は背筋がびくりとするのを認識した。何かが聞こえてくる。誰かの声が聞こえてくる。

 それは声にならない声となり、全身に怖気が走った。

 とても不愉快なノイズ音の様な声がまとわり付き、身体から力が抜けていく様だった。

「こうした手を使わせて貰うよ」

「はー、はー」

 その場に膝を屈した聖敬が前を振り向くと、青年にもさっきの靄がまとわりついていく。ウゾウゾとそれ自体が生き物の様な靄は青年を包み込むと、口に目に耳等のあらゆる場所に入り込んでいく。

「何を……!」

 言いかけた聖敬を手をかざして、制する靄の主は、「ふむ、少し待てば分かる。……ほら見るがいい」そう言いながらかざした手をクルリと回して指を差す。

「たすけ……て」

 声をあげたのはあの青年。その求めに応じて聖敬は近付く。

 手を差し出して、青年がその手を掴んだ瞬間だった。

 にわかに怖気を覚えた聖敬は、掴まれた手を咄嗟に離す。すると、腕に激痛が走った。思わず、後退りしながら何が起きたのかを確認した。腕からシュウウ、と煙があがっている。

 そして。

 靄が晴れて、そこにいたのは、もう人では無かった。

 その姿は人のままだ。だが、決定的に違うものがあった。

 それは目。彼の目には生気がまるで無い。瞳孔は開いたままで、口元は開いたまま。

 そこから垂れているのは、涎ではなく黒い靄。

 その液体が地面に落ちると、ジュワワーーと音を立ててアスファルトが抉れていく。

「ふむ、まぁまぁといった所かな。新しい【同類(マイノリティ

 )】の誕生だ」

 心底愉快そうに悪意の主は笑った。

「何て事をするんだ!」

 激昂した聖敬はマリシャスマースへと突進をかけた。

 その前にフリークと化した青年がまたも立ち塞がると、その手を伸ばす。ゆっくりとしたその動きは余裕で躱せる。そう判断した聖敬は、ギリギリまで引き付けようと試みた……しかし。

 青年の全身からあの靄がまるで飛び出す。それはまるで、巨大な掌のような形状に変化し、敵を挟み込むように向かってくる。

 聖敬は止まらずにそのまま青年へと肉薄。左拳を相手の鳩尾へと繰り出す。

(一撃で無力化させれば)

 そう考えながら。

 左拳は受け止められている。黒い靄が盾の様に拡がって。

「読んでいるよ、その位の事は、ね」

 悪意の元凶たる男は口元を吊り上げる。

 グシャリ。

 青年から飛び出した巨大な掌が蠅を潰すかの如く挟み込んだ。

 聖敬は前に飛び出し、直撃を免れる。

 しかし、その全身の骨が軋む。完全には避けれなかった。

 そこに今度はさっきの盾のようだった靄が瞬時にハンマーのような形状となり、襲いかかる。避けようにも身体が動かない。

 辛うじて両腕でガードしたものの、全身を強い衝撃が走って、そのまま吹き飛ばされ、公園の柵を突き破る。

「うぐぐっ」

「まだだよっっ」

 青年がフラフラとおぼつかない足取りで走ってくる。再度その全身からは、靄が出ていて、同じく掌状に変化していく。

(同じ手は喰わない)

 聖敬は起き上がると、今度はさっきよりも鋭く素早く踏み込む。

 その身を弾丸の様な勢いで肉薄。さっきの様にマリシャスマースは盾を造るだろう。でも、今度は両手が残っている。防御しつつ、反撃に転じる。そのつもりだった。

 ドス。

 腹部が温かかった。妙に熱い。それに何だか痛い。

 何かが流れる様な感覚を覚え、その箇所に聖敬は視線を向けた。

 腹部を何かが貫いている。槍状に変化した黒い靄が、突き刺さっている。青年は体当たりで大きく後ろに傾いていた。掌状に変化した靄はそのままの形状を保っている。

(何が起きた?)

 そう考えた刹那、聖敬の脳裏に何かが入り込んでいく。

 それは形容しようの無い、悪意に満ちた何か。

(このままじゃマズイ)

 そう認識した聖敬は、即座に後ろに飛び退く。

 あの靄が身体から抜けた瞬間、脳裏に入り込んだ何かは消え、代わりに、腹部からは血が吹き出る。激しい痛みがその全身を襲い、倦怠感により、着地にも失敗する。

 だが、聖敬の目は見ていた。靄が何処から来たのか、を。

 それは一見すると、青年から発せられた様に見えた。

 だが、だとしたら何故、青年の腹部が真っ赤に染まっているのか?

 理由は簡単だった。あの靄は、同類である青年の身体を貫き、そのまま突き刺さったのだ。青年はそのまま後ろへと倒れこんでいく。どくどくと夥しい量の血を吹き出しながら。

「ふむ、残念だったな。なかなか惜しいじゃないか」

「仲間じゃないのか? この人は?」

 聖敬は痛む腹を押さえながら立ち上がる。

 その言葉を聞き、悪意の元凶は哄笑し、その反応に聖敬は怒りを覚える。

「仲間だと? おめでたい人生を送ってきたようだな、君は。

 あんな出来損ないは単なる駒だ、私という主に力を与えられただけの木偶人形に過ぎない。分かるか? それはフリークとすら言いきれない半端者の人形、それがそいつの存在意義だ」

 そう断言する男に浮かんだ感情は”侮蔑”だった。聖敬の事を見下し、嘲笑していた。

「ふざけんなッッッ」

 聖敬の怒りが高まり、それに呼応する様に身体の変異が進んでいく。微かに黒く体毛が変化しようとしている。

 半狼の少年の変異を見たマリシャスマースは笑いを止めた。

 漂う殺気をひしひしと感じ取る。

 身体に周囲に黒い靄を展開させ、攻撃に備えようとした時。黒い狼が動いた。さっきまでよりも鋭い踏み込みで間合いを詰める狼に対して、マリシャスマースは靄を無数の針状に変化させ、迎撃態勢を整える。そして、無数の靄の針を射出。局地的な雨を降らせる。

(全て躱すのは無理だ)

 即座に決断した聖敬は両腕を交差させ、急所を守るように突撃。

 あと、ほんの三歩。針が腕に刺さっていく。

 二歩。全身を激しい倦怠感が襲う。少し気を抜けばそのままた倒れ込みそうな錯覚を覚えた。

(あと、一歩――)

 だがそこまでだった。不意に足が前に動かない。

 まるで何かに足を押さえつけられたかの様に重い。

 だが、それも違った。聖敬の足首を掴む手があった。

 それは、あの青年だった。あれだけの怪我と、出血量にも関わらず、彼は生きて…………いなかった。

 それは最早、人であった物。息をする事もなく、見開かれた目にも光は宿ってはいない。

(何で動ける?)

 その答えはすぐに理解出来た。青年の身体から黒い靄が溢れ出し、それが動かしていたのだから。

(遅い、こんなので僕は足止め出来ない)

 だから構わずにあっさりとその動く壁を避け、通過しようとした。敵、マリシャスマースから、靄が飛び出してくるのが見える。

 だがその動きは遅く、今の聖敬なら簡単に躱せる、そう思った。

 ドドド……ッッ。

 次の瞬間、聖敬の全身に激痛が走る。何かが突き刺さる様なその激痛は、前にいる相手からでは無い。背後からの……青年の身体から伸びた靄による物だった。

 身体が宙に浮かされ、そこを更に追い撃ちとばかりに全身を靄の槍が刺し貫き――聖敬の脳裏にあの不快な何かが入り込んでいき、意識を失わせた。

「そのまま果てるといい」

 そして、マリシャスマースは勝利を確信した。

「出てくるのだな、友達が殺されたくないならな」

 背後に潜む相手に警告した。



「がはっっ」

 聖敬が、目を覚ます。すると、いよいよ夕日が沈もうとしていた。

(一体何が?)

 確か、自分はあのマリシャスマースという男と戦っていた。

 そして、負けた。

 なら何で生きている?

 殺されたんじゃないのか?

 困惑しながらも、自分の置かれた状況把握に努め、理解した。

 聖敬は磔にされていた。

 黒い靄がまるで十字架の様になっていて、そこに磔にされていた。

 そこに全身を無数の靄が釘状に刺さり、縫い付けていた。

 血が滴り落ち、地面を赤く染めていた。

「ふむ、気が付いたか? 二分で意識を取り戻すとはな」

 悪意の元凶が見上げていた。

「何で僕にこんな事をするんだ? 殺せばいい」

「殺す? 何故だね? 君がWGの関係者だからか? だとしたら哀れだな」

「何だと?」

「私はお前を仲間にしたいのだ。このままただ殺すには惜しい、身も心もササゲロ」

 聖敬は困惑の表情を浮かべた。何を言っているのか? そう思った。

「僕が仲間になるとでも思っているのか?」

「素直には無理だと分かっている。だからこそお前はこれからの出来事を全て見るといい、そうして絶望しろ。

 壊れた心を取り込み、仲間になるのだ。ハハハハ」

 悪意の元凶は哄笑した。

「WGを、なめるな」

 聖敬は屈しない、仲間がいる。彼らがこんな外道に負ける訳がない。そう思った。

「ひょっとして仲間が助けてくれるとか思ってはいないか? だとしたら……」

 残念だったね、悪意の元凶は言い、指差した先には田島が同じく磔にされていた。意識を失っているのか首が落ちている。

「見ての通りだ、こそこそと動いたお前の友達は既に拘束した。これ以上歯向かうなら、分かるな?」

 それに、そう言いながらマリシャスマースは言葉を続けた。

「まずは目の前にそびえるWGする拠点を襲撃させて貰う。君達を盾にしながら、ね。彼らは人道的だから、迷う事を期待するといい」

「勝てるものか、お前一人で勝てるものか!」

「ハハハハハ」

「何が可笑しい!」

「考えてもみろ。もう日暮れとは言え、私がこの公園でたった一人だけを【同類】にしたのだと思うか? 手駒なら……」

 男の言葉に聖敬は気付いた。物音が聞こえる。病院から何かが壊れる音がハッキリと。目を凝らすと見えたのは、無数の男女が病院へと殺到しようとする様だった。

 彼らは一応に黒い靄を全身から溢れ出している。

「ここはここいらでも有名なデートスポットらしいじゃないか。実にいいとは思わないか? 使い捨てとは言え、二人仲良く同類になれるのだから、な」

 悪意に満ちた言葉が聖敬を震わせた。

 あの木島秀助は猟奇殺人者だった。自分の身勝手な欲望に身を委ね、人殺しを楽しむ怪物。だから、聖敬は倒した。

 だが、この目の前にいる男はそれとはまた別の怪物だった。

 他者を勝手な都合で怪物にし、人としての尊厳を奪う。

 許せない、そう感じた。

「何でエリザベスに拘る?」

「あれは実験動物だ、貴重な貴重なね。

 私のイレギュラーではあの程度の手駒しか作れん。どうせならもっと強い奴を手駒にしたい。それだけの事だよ。

 その為に半年前にある研究施設から新型の【増幅装置アンプリフィケイションデバイス】を盗み出したのだ。それを事前に調査していた【テレキネシス】のイレギュラーを持つマイノリティに埋め込み、実験データを取った。実験動物からは【記憶】を奪い、無駄な抵抗を出来ない様に処置した。抵抗されても面倒だ、所詮は実験動物、予備ならまた探せばいい」

 マリシャスマースは平然と言い切った。

 許せない、そう聖敬は心から思った。だが、同時に今の話に整合性のつかない部分も感じた。

 それは、全てエリザベスに対しての事だった。

「まぁ、見ているといい。私のマリシャスマースは【悪意】を伝播させる。伝播され、汚染された者は手駒となる。WG関係者なら、さぞや優秀な手駒となる事だろうな、ハハハハ」


 パシュン。

 風を切る音が聞こえた。それは小さな音で、遠距離からの狙撃。

「くあがっっ」

 呻いたのは、マリシャスマース。眉間を撃ち抜かれ、大きくのけぞる。同時に聖敬を縫い付けていた十字架も破壊。聖敬は拘束から解放された。


「――後は貴方がケリを付けなさい」

 病院の屋上で、スナイパーライフルを構えた家門恵美は呟き、ライフルを投げ捨て、そのまま飛び降りた。その左手にはリボルバーを発現させていた。


「くか、はっっ」

 マリシャスマースは痛みを堪えつつ、前を見た。

 そこにいたのは、白い体毛に身を包んだ白狼。

 グルルルル、と喉を鳴らし、獰猛に牙を剥き――一気に飛びかかった。

「おのれっ」

 忌々しげに呟くとマリシャスマースは靄を盾状に変異。何とか受け止める事に成功。だが、衝撃でその身体が後ずさった。

 白狼はなおも襲いかかってくる。鋭い爪で切り裂こうと。

 だが、今度はマリシャスマースの方が早かった。

 手をかざし、その先から靄が飛び出す。狙いは寸分違わず狼を貫いたはずだった。

「なっっ、幻だとっっ」

 その狼の姿はぼやけた。

「キヨちゃん、やっちまえ」

 ”不可視の実体”で援護した田島が微かに笑う。

「グガルルルっっっ」

 白狼――聖敬はそのまま一気に悪意の元凶の喉笛を切り裂いた。



















 










 

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