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悪意の只中へ

 聖敬がエリザベスを助けてからおよそ二時間。

 ガラス窓越しに空を見上げると、まもなく日が沈もうとしていた。夕日は鮮やかなオレンジの光を放っている。

 WG九頭龍支部のある九頭龍病院、そこの南棟。

 数々の検査用の機器が所狭しとひしめくその部屋――”難病調査室”とプレートが掲げられた部屋の中には寝台が一つだけ用意されていて、そこには病院服を着せられたエリザベスが寝かされている。

 電極での脳波モニタニングや血液の精密検査。更に、マイノリティの医師によるイレギュラーでのチェックと出来うる限りの徹底調査が彼女に行われている。


 聖敬と田島は難病調査室の前に備え付けられた待合用のベンチに腰掛けてじっと待っていた。

 偽装された南棟には多くのWG職員が働いている。ここにある様々な名称の検査室や診断室、手術室に至るまで、その全てはマイノリティ用の設備だ。

 聖敬自身もここの設備にはお世話になっている。

 だが今、難病調査室の扉がさっきからひっきりなしに開け閉めされ、その都度、何人かのマイノリティ専門の研究者や医師が出入りしている。こんなに慌ただしい光景を見るのは初めてだ。

 何だか落ち着かない、そう聖敬は思っていた。

 そして、支部長代理である家門恵美が調査室から出てきた。

「二人共、入って」

 それだけ言うと入室を促した。田島が先に入り、続いて聖敬が後に続く。



「結論から言うわ、彼女はマイノリティよ」

 手元にでタブレットを操作しながら、家門は淡々と結論から話す。田島はやはりか、といった様子で頷く。聖敬は納得いかない様子で聞き返す。

「でも、昨日の検査じゃ何とも無かったって……どうしてなんですか?」

「そうね、納得出来ないと思うわ。でも、聞いて。

 彼女……茂美エリザベスは、云うなれば【無自覚】なマイノリティとでも云うべき存在なのよ。

 マイノリティになった事を自覚する瞬間って覚えてるかしら?」

 家門からの問いかけに聖敬は考えた。自分がもう普通じゃないと気付いた瞬間……あの狂った蜘蛛のフリークとの命懸けの一連の出来事がその脳裏に浮かび、思わず苦虫を噛み潰した様な表情になる。

「そうね、殆どのマイノリティは、自分が【普通】じゃないと何かしらの認識を強める状況を体験するの。例えば……」

 家門はそう言うなり、左手にリボルバー拳銃を具現化させた。そしてその銃口を聖敬へと向けた。思わず後退りする聖敬だが、引き金を引くと、弾丸の代わりに玩具の花が飛び出た。

「私の場合、どういうきっかけで【イレギュラー】が発動したと思う? 今のは玩具の銃だったけれど、どういう事があれば【銃】を作れるって自分で認識出来ると思う?」

 家門の問いかけに聖敬は言葉を返せない。

 彼自身の場合は、木島秀助による”バス襲撃事件”で死に瀕した事が間違いなくマイノリティになり、イレギュラーを発現させるキッカケだった。

 だが、仮にもこの日本という国の中で、拳銃を必要とする様な事態が一体どれだけあるというのか? 少なくとも一般人にはおおよそ縁の無い話だ。

「すみません、分かりません」

 聖敬にはこう答えるのが精一杯だった。

「そうよね、田島君は分かるかしら?」

 家門は今度は同じ質問を田島にも投げ掛けた。

 すると――

「断言出来ないですけど、多分殺すか殺されるかの状況下で覚醒したんじゃ無いですか」

 そうあっさりと答えた。

 家門は、その回答には特に何も云わない。だが、改めて聖敬へと向き直ると口を開いた。

「そうね、田島君の答えは半分正解よ。これ以上は【機密事項

 】だから答えられないんだけれど、私は子供の頃から【裏社会】に深く関わってきたの。だから、銃は女の私にとって、自分の非力さを補える身近な道具だった」

 その言葉は、聖敬を驚かせるには充分だった。

 この目の前にいる、自分と数歳しか代わらない女性は一体どんな人生を積んできたのだろうか、どうしたら、銃が身近な道具だと断言し、認識出来るのだろう? それに、家門がそういう世界で生きてきた事を田島は何の躊躇もなく推測した。自分の親友もまた、程度の差こそあれ、そういう世界を身近に生きてきたという事なのだろうか。聖敬の視線に気付いた田島は眉を動かし、言葉をかけた。

「ま、キヨちゃんあんま気にすんない。俺とか家門さんの方がお前からみたら異常なんだからよ。

 ま、何が言いたいのかっつーと、イレギュラーってのは覚醒したマイノリティの生きてきた【環境】に影響されやすいんだってことなんだ」

「環境?」

 聖敬の言葉に田島は頷く。

「これもあくまで仮説ではありますが、マイノリティが覚醒するまでに生きてきた出来事、経験則から派生する【個性】。それがイレギュラーだという説があるのです。

 例えば、私は幼き頃から裏社会で生きてきました。そこで様々な経験を積む過程でマイノリティになったのです。

 そして発現したのは、常日頃から尤も身近にあった道具……つまり【リボルバー拳銃】を造り出す能力イレギュラーだった。そういう事です」

「家門さんとは違うけど、俺の場合も色々あったんだよ」

 田島は誤魔化す様に笑いながらそう言った。

 家門はこほん、と咳払いを入れると話を続ける。

「とにかく、イレギュラーは個々人により違いこそあれ、基本的には人生経験から生じる物が多いという事です。

 ですから、あの少女の場合も、無自覚とは言えどういうイレギュラーなのかは大方説明はつきます。

 恐らくは系統は超感覚スーパーセンスです。それで、何らかの因子、つまり条件に適合する対象を引き付ける」

「引き付ける」

「まぁ、【誘惑】しちまうってこったよ。んでもって、甘い匂いに釣られた獲物を……」

「待てよ、それはおかしいじゃないか? 仮にエリザベスのイレギュラーがそういう物だとしてもだ、彼女は自分自身の命を失いかねなかったんだ。それじゃ本末転倒だろ」

 浮かんだ疑念を口にし、食ってかかりそうな勢いの聖敬の様子に対し、ですから……と前置きする家門。

「そこが彼女が【無自覚】たる所以なのです。無自覚にイレギュラーを用いているからこそ、コントロール出来ない。……ですが、疑念もあります。

 彼女の過去のデータを調べてもらったのですが――」

「ん、こっからはこっちで説明するよーーー」

 言い淀んだ家門の言葉を繋ぐ様にタブレット端末に顔を見せたのは、林田由衣。WG九頭龍のネットワーク及びに情報解析班主任。昨日も会ったものの相変わらずその服装はゆるい。ボサボサ頭にシャツ。履いているのはサムエルパンツではなく、短パンらしい。それから相変わらずの便所スリッパ。正直いって怪しさ爆発だ。

 聖敬の訝しむ様な視線を完全にスルーしながら、林田は説明を始めた。

「んーーー、そのお嬢さんだけどね、この三年間で何回引っ越ししたか分かるーーー?」

「何回? それが何か……お父さんの仕事が貿易商なら……」

「正解は六十二回。年間二十回は転校しているのよ、これって普通かなーーー? サーカスでもこんなに移動したりしないよーーー」

 聖敬は、え、としか反応出来なかった。

 隣の部屋に寝かされている同い年の少女は言っていた。各地を転々としている、と。

 それは父親の仕事の都合上なのだと思っていた。

 でも、それはもし、父親が彼女の、娘の事に感づいていたのだとしたらどうなのだろうか?

 なら、引っ越しは、彼女の身の安全を思っての苦肉の策だったんじゃないか?

 そう思うと言葉も出ない。

 三年間、エリザベスは自分自身の無自覚なイレギュラーの発動に怯えていたのだ。

「でねーーー、そのエリザベスちゃんは、行く先々で色んな連中に絡まれたらしいわ。尤も、相手は一般人だったんだけどねーーー」

「じゃあ、何で九頭龍に来てからはフリークにばかり出会ったんですか?」

「それは、予想だけど九頭龍ここに来てからイレギュラーが強くなる何らかの因子があったんじゃないかなぁーーー。

 とにかく、その子は厳重態勢で保護しなくちゃいけない。

 そういうこ……とよぉ……」


 タブレットの画面が途切れた。その代わりに映し出されたのは、林田ではない。

 その男は明らかに、一般人では無い事が一目で判断出来た。

 その厳つい顔には無数の様々な傷痕が生々しく刻まれ、残されており、彼がどの様な世界に生きてきたのかを雄弁に語っている。

「ごきげんよう、WGの方々」

「あなたはどなた様でしょうか?」

 家門は刺す様な鋭い視線をその乱入者へと向ける。男はその視線にも動じる事なく寧ろ笑みすら浮かべた。

「私の名前等に大した意味などは無い。だが、敢えて名乗るのならば【悪意の沼――マリシャスマース】と名乗ればいいのかな?」

 男はその名に違わず悪意に満ち満ちた不敵な笑みを浮かべる。

 聖敬はその表情に、声に身体が震えるのを実感する。

(この男は怪物だ)

 そう思った瞬間に身体中を怖気が駆け抜ける。ここから……!

「キヨちゃん、落ち着け!! コイツは――」

 その声にハッ、とした。田島の声を聞かなければその場を逃げ出していたかも知れない。

「――超感覚スーパーセンス系のイレギュラーだ。気をしっかり保てばこの程度の精神攻撃マインドアタックは耐えられる」

「ふむ、思った以上に耐えるのだな。まぁ、仕方がない」

 マリシャスマースは顎を親指で擦りながら目を吊り上げる。

「つまらない挨拶は結構だ。用件を言って貰えますか? 時間が惜しいのです」

 家門の気配が変質するのが聖敬にも分かった。

 さっきとは違う、今の気配にはゾッとするような殺気が込められている。

 相手もその変化をタブレット越しでも見抜いたのか、興味深そうに彼女へ視線を向ける。

「ふむ、成る程。見た目以上に君はこちら側の住人らしいな、お嬢さん。いいだろう、こちらも色々と予定が立て込んでいるのだから。

 簡単な提案だよ、君達が保護した茂美エリザベスの身柄を引き渡せ。……あれにはまだ利用価値があるのだ、渡すのなら【攻撃】を考え直してもいい……」

「……ふざけるな! 彼女は物じゃないんだ……」

 マリシャスマースの言葉に聖敬は激昂した。男の言葉からはエリザベスを人として扱っていない事がありありと伝わり、怒りがこみ上げる。

「……彼女がどんな目に合ってきたのかアンタ知ってんのか? 彼女がどれだけ傷付いてきたのかアンタ分かんのか!!!」

「ふむ、君はこの支部のルーキーだったかな。成る程、成る程。

 WGらしい人材だな――――実につまらん男だよ」

 マリシャスマースは指をパチンと鳴らした。

 すると、タブレットの映像が切り替わる。

 そこは何処かの路地裏らしい。何人かの人影が映っている。

「これがどうしたっていうんだ」

「ふむ、まぁ見ていたまえ。すぐにショーが始まるのだから」

 路地裏にいた人影が突如、その場で倒れた。いずれも悶え苦しみながら、必死に何かに耐えようとしている様子が見てとれる。

 そんな彼らはその服装などから恐らくはドロップアウトらしい。

 彼らのすぐ傍には、怯える一人の少女の姿。マリシャスマースが愉快そうに言う。

「さ、始まる。ショータイムだ。ハハハハ」

 哄笑と共に始まったのは世にもおぞましき光景。

 悶え苦しんだドロップアウトの一人が唐突に立ち上がる。

 そして、ぐああああああああっっっっ、という絶叫をあげながらその身体を変異させていく。

 その全身から大量の血を吹き出しながら、恐怖に凍りついている少女へとにじり寄り……そのままかぶりついた。

 少女はその場で手足をバタバタさせていたものの、やがてその手足からは力が失われ、目から光が損なわれ……人形の様に倒れた。

「ふむ、【吸血】衝動に身を焦がしたか。面白いな」

 マリシャスマースは感心した様な声をあげる。

 その後、血に飢えたフリークは仲間だった者達にも同様に襲いかかっていき、やがてその場に残されたのは彼だけになった。

「ハハハハ、なかなか愉快だった……そうだろ?」

 その言葉に、聖敬はこれ迄になく怒りを覚えていた。あの木島秀助にも怒りを覚えたのは事実だ。だが、このマリシャスマースという男には木島秀助とは異質の何かを感じる。それは彼の目。その瞳は自分以外の他者の全てを見下していた。

「くだらない見世物ね。で、これがどうしたの?」

「ふむ、流石に責任者は動じないようだね。

 茂美エリザベスを寄越せ、さもなくばさっき同様のショーが九頭龍中で巻き起こる事になるだろう。一時間だけ待つ、いい返事を待ってるよ」

 その言葉を最後にタブレットの映像は途切れた。

 すかさず聖敬が動こうとした。

「何処に行くんだキヨちゃん?」

「止めるな、あのフリークを何とかしないと!!」

「必要ないぜ、問題ない」

「ふざけんな、さっきのあれを見ただろ? あんな奴が街中に出たら大惨事だ」

「だからもっかい言うぞ。問題ないんだ。あいつが街に出る事は絶対無い」

 田島の表情には確信めいたものがあった。



 ◆◆◆



「ぐああああああああっっっっ」

 吸血衝動にその身を焦がしたそのフリークは絶叫していた。

 彼の頭にあるのは、ただただ”血”を吸いたいという欲求。

 渇く。さっきから何人もの血を吸い出した。

 まるでミイラみたいになった人間を初めて目の当たりにした。

 それを見た彼が感じたのは”快感”だった。

 つい、今さっきまで生きていたそれから”命”を吸い尽くす瞬間。瑞々しかったその身体から命の源たる赤い水――血を奪う。

 干からびていくその身を見て、無性に興奮する。

 もっと、血を吸いたい。もっと奪い尽くしたい。そうしてあの快感をもっとじっくり味わってみたい。

「うへえへへへへ」

 自然と笑い声が出る。一体どうしたと云うのだろうか。

 もっともっともっともっと!!!

 だが、同時に彼の脳裏に別の声が聞こえる。

 ――オマエハワタシニシタガウ。

 さっきからこの声が消えない。あとほんのちょっとでこんなカビ臭い路地裏とはおさらば、だ。

 にも関わらず、この声は収まる所か寧ろ強くなるばかり。

 耐え難い、耐え難い。収まることを知らない欲求が溢れ出しそうだ、気が狂いそうだ。なのに、足が進まない。あの声が邪魔をしている。

(だれでもいい、だれかここにこい。血を、血を寄越せっっっ)

 悶々としている時間はどれくらい経ったのだろうか。

 カツン、カツン。

 革靴の甲高い音が響いた。

 気のせいかとも思った。だが、間違いない。

 しかも仄かに薫るのは血の臭い。

 我慢など出来る訳がなかった。あの”声”は路地裏から出ようとすると聞こえる。だが、この獲物はこちらに向かってきている。これなら問題ない。わざわざこちらに向かっているのなら、血を吸っても何の問題も無いはずだ。


「はぁ、ハァ、ハァ………………」


 壁に張り付いて様子を伺う。相手の姿はまだ見えない。

 カツン、カツン。革靴の音はまだこちらに向かってくる。

 もう少し、もう少しで相手の姿が見える。

 微かな匂い。シャンプーの香り。

 さっきの少女の血は旨かった。甘美な味わいが忘れられない。

 きっと今度も旨いに違いない。そう確信出来る。


 そうしてこの路地裏に無防備に足を踏み入れたのはやはり少女だった。ブレザーを見る限りでは、九頭龍学園の生徒らしい。

 背は高い。恐らくは一七〇センチ位。腰まで届く様な黒髪が美しい。そして、眼鏡が彼女を理知的に見えるのに一役買っている。

 その顔立ちは整っている。ただ、一般的な美人という類ではない。愛嬌のある個性的な顔立ちはまさにファニーフェイス。

 まるで往年の映画スターのような雰囲気を醸し出していた。

 間違いなく、極上の味わいだろう、涎が止まらない。

 そう確信した瞬間、フリークは上から飛びかかった。

 彼女は言った。

「――バレてんのよ」

 瞬時に炎が巻き起こり、まるで壁の様になった。

 その壁に触れた途端、フリークの手が炎に包み込まれる。

「あぐぎゃあああああああ」

 地面を転がりながら、炎を消そうと試みるが一向に消えず、手からドンドン上に、腕へと燃焼範囲を拡げていこうとしていた。

「ったく、つまんないヤツ。今のは単なる挨拶代わり。さっさとその手でも何でも切落とせっつーのよ」

 指先に絆創膏を貼ると彼女は平然と言い放ち、フリークの燃える手を踏み潰し、そのまま焼き切る。さらに顔面を膝で蹴りあげた。スカート捲れ、黒のスパッツが見えた。

「あががががああああ」

 フリークは叫びながら、手を”リカバー”で再生させていく。血の塊がそのまま手となる様は不気味さを演出するのに一役買っている。

「そうそう、それでいいのよ。わざわざアタシがここに来たんだからさ」

 眼鏡を外しながら、少女――怒羅美影は不敵に笑う。学園で見せる時とは違い、好戦的な表情を。


「グギャグルルルル、シネッ」

 フリークはそう叫ぶと、何を思ったのか自分の腹を転がっていた酒瓶の破片で突き刺し、そのまま裂いた。まるで噴水の様な勢いで血が飛び散り、足元に赤い池が出来上がる。普通の人間であるなら間違いなく致命傷であろう出血をしながらも、フリークは笑った。生臭いその臭いに鼻をつまみつつ美影が呟く。

「気味悪いわね」

 まるで赤い池の様だった血がモコモコと盛り上がっていく。

 その血はまるで生きているかのように形を整えていく。

 やがて出来上がったのは、フリークと瓜二つの人形。違いと言えば、その色が真っ赤である事と、どうしようもない程に漂う、酸化した血の臭い。フリークが叫ぶ。

「シネッ!」

 人形が動き出した。声こそ出さないが、美影の腹部を殴ろうとしている。美影は後ろに飛び退く。そこにフリーク自身が蹴りを放ってきた。肘を前に構え、何とか受け止める。しかし、フリークはそのまま足を振り切った。美影の身体が吹き飛ばされ、派手に地面を転がった。

「あいたたた。やっぱ油断しちゃダメね」

 何事もなかった様にあっさり起き上がり、ブレザーに付いた埃を取り払う。

 そして、表情を引き締めると、こう言った。

「ON」

 その言葉を聞いた瞬間、フリークは本体、人形共々襲いかかってきた。本能的に相手の危険さを感じ取ったからだ。

「遅い」

 美影は左手に炎の矢をを作り出し、それを放った。

 炎の矢は人形の腹に突き刺さる。

 それは瞬時に凄まじい炎となり、人形を蒸発させていく。

「まだです」

 美影は本体に肉薄した。本体は、ぐああああああああっっっっ、と咆哮しつつ美影の首筋へと伸びた犬歯を突き立てるべく。

 だが、その牙が届く事は無かった。

 フリークの顔に槍が突き刺さっていた。真っ赤に燃える火で出来た槍が顎から上を下から串刺しにしていた。

「すみませんが、これ以上あなたと関わる時間はありませんので」

 槍はそのまま発火――オレンジの紅炎が瞬時にフリークを塵へと変えていく。

「こちら【ファニーフェイス】。フリークの消去完了しました。

 これより、任務に戻ります」

 美影は伝言を残すとその場を立ち去る。

「あーあ、どうすんのよこの汚れ、ハァ」

 嘆息しながらも、小走りで路地裏から離れた。



「…………素晴らしい」

 その一連の映像は見られていた。

 望遠レンズを仕込まれた無人偵察機によって監視されていた。

 マリシャスマースは満足そうに口元を歪める。

 彼が今回、九頭龍に仕掛けた目的の一つは、WG九頭龍支部の戦力確認だった。

 フリークをあちこちで同時多発的に発生させたのも、自身の実験もあったが、分散させる事でWGが戦力の温存を出来ない様にする事が目的だった。

 その甲斐はあったと云える。以前からその存在は分かっていたものの、確認出来ていなかったマイノリティ、”ファニーフェイス”を確認出来たのだから。

 何らかの特殊任務を帯びているらしく、一説では、”炎熱系のマイノリティでは最強”とも云われながらも、九頭龍に来てからは通常時に戦闘に参加しない彼女についての調査。

「上首尾だな……ハハハハハ!!」

 思わぬ所で、思っていた以上の成果を引き出せた事に悪意の沼は哄笑をあげた。

「これで、あとは【実験動物】の回収だけだな」

「では、仕上げに入りましょう」

 傍に控えていた痩せぎすの研究者が不気味に笑い、パソコンを操作する。

「奴らが反撃する前に仕掛けるぞ、ハハハハハ」

 通り名の如く悪意に満ちた笑い声が場を包み込んだ。



 ◆◆◆



「ンで、わざわざオレを呼び出すたぁ、重要なお話なンだよなぁ? ピースメーカーさんよぉ」

 如何にも不満ありげな様子でソファーに寝転がるのは武藤零二。

 零二はひどくふきげんだった。

 折角、朝方は久方振りに楽しんでいたというのに、その気分の高揚がぶち壊しになったからだ。

「貴様、自分の上司に向かってその態度は何だ? 殺すぞ」

「ンだと、てめぇ……やるってぇのか?」

 シャドウはその無礼極まりない少年が嫌いだった。

 何でも、WDと提携するとある集団からの預かりものとして、この少年をピースメーカーこと、九条羽鳥が拾ったのは三年前の事。

 そのままWDのメンバーになったはいいが、彼はとにかく働かない。WDの”上位層”からの指令すら無視を決め込む態度はいくら”自由”を規範とするWDの中でも本来ならあってはならない事だ。

 シャドウの中では自由とは、無制限の物ではない。

 あくまでも、決められた枠組みからはみ出さない範囲で与えられる物である。最低限の枠組みを遵守し、その中で出来うる範囲で最大限の自由を謳歌するのなら別にいい。

 だが、目の前にいるあの小生意気なガキは違う。

 そいつは彼が敬愛するべき指導者である九条に於いてすら同様で、九条が命じさえすれば喜んで殺すだろう。

 だが、現実は九条はこのガキを気に入ってるのかこうした命令違反もお咎め無しだった。


 睨み合う二人を尻目に九条はお気に入りの紅茶を口にする。

 その香りを味わいつつ、思索に耽る。それが彼女にとっては至福の時間だった。

 しかし、今はそうゆっくりもしていられない。

「そこまでです」

 九条の一言。たったそれだけで諍いは収まった。

 シャドウにしろ、零二にしろその経緯こそ違えど、二人にとってはこの妙齢の美女は恩人だった。

 それだけに彼女の言葉は大きな意味を持っている。

「シャドウ、あなたの忠誠は本当に素晴らしい。ですが、落ち着きなさい。あなたのイレギュラーは強力なのです、みだりに用いてはなりません。……いいですか?」

 シャドウは膝を屈し、頷く。九条が今度は零二に視線を向ける。

「クリムゾンゼロ、あなたも同様です。あなたのイレギュラーもまた極めて強力です。自分を律しなさい――フリークになりたくなければ」

「わーったよ。ここじゃ喧嘩はしない、ンでいいだろ?」

「よろしい。では、本題に入りましょう。

 貴方も既に察しているとは思いますが、今、九頭龍ではフリークの発生が頻発しています」

「ああ、昨日オレが一匹ブッ飛ばしたっけか。

 ……頻発ってことは、ソイツは偶然じゃ無いのか?」

「マリシャスマース。彼がこの件を仕切っています。彼は【上位層ハイランカー】からの指示を受けています」

 そのキーワードに零二が思わずチッ、と舌打ちする。


 上位層とは、WDの実質的な”意思決定機関”。

 普段は、それぞれに自由を謳歌することを推奨するWDだが、彼らについては別だ。そこで決められた意思は実行されなければならない。歯向かうものには制裁を加える事もあり、零二は一度一悶着あった。

 上位層に何人のマイノリティが所属しているのかは分からない。

 九条もまたその一人だそうだが、さっきの言い方からすると、今回の件には関わっていないらしい。


「お偉い様が決めたから手を出すな、関わるなってことか?」

「そうです。我々はこの件には手出し無用です、いいですね?」

「オーケーオーケー。分かったよ」

「話は以上です。帰っていいです」

 零二は肩を大袈裟に竦めると、ソファーから立ち上がり部屋を後にする。シャドウからの殺気の籠った視線に対しては、中指を突き出して返答する。去り際になって、

「今度はお土産でも持ってくンよ、ねェさん」

 それだけ云うとドアを閉めた。

「ピースメーカー、貴女は奴に甘すぎます。何故、あの様な野蛮な輩を放置されるのですか? 一言命じてくれさえすれば二度とあのような口を聞けない様にして……」

「……シャドウ、そこまでですよ」

 九条はそう言って話を遮った。

「これでいいのですから」

 呟くと、紅茶を口にした。



 それから数分後。

 WDの九条のいた塔から出た、零二が誰かと話している。

 だが、奇妙な事に、その場には誰もいない、零二以外は。

 しかし、それでも会話は成立していた。声が聞こえる。

 ――んで、あんたは大人しく引っ込むつもりな訳?

 その声の主は、波風早なみかぜさき。WDにおける零二の相棒だった。極度の面倒くさがりで、滅多に姿を見せない。

 最初こそ、零二も怒ってはいたものの、今では慣れたもので気にもしていない。

「ン、まぁそうだな。……お前はどうすんだ?」

 ――決まってる。こっちはめんどくさいのは嫌。

「だよなぁ、お前はそういうヤツだよ。へっ」

 ――あんた……こっちはめんどいのは嫌だから。

「わーってるよ、こっちからはなンもしねェよ」

 零二はそう言いつつも不敵な笑みを浮かべていた。












































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