裏幕
「ええ、俺も協力しなきゃダメかなぁ……?」
春日歩は露骨に嫌そうな表情を隠す事なく相手へと不満を表明してみせる。
「──ええ、当然です」
対する家門恵美はそんな問いかけに即答。
「ですよねぇーー」
分かっていた事であるからか、春日歩もまた実にアッサリとした言葉を返す。
家門恵美は油断なく周囲の状況確認をする。
「大丈夫だよ、ここにゃもう誰もいないからさ」
「いえ、……ここは敵地。気を緩める訳にはいきませんので」
そう、ここは間違いなく敵地である。
何故ならWD九頭龍支部。それがオフィスとして入っている超高層ビル、それが家門恵美と春日歩、二人のWGエージェントがいる場所であるのだから。
「そんなに心配しなくても大丈夫だって、君と俺の二人を前にしてマトモにやり合おうなんつうバカはここにゃもう誰もいないさ」
「貴方は馬鹿ですか?」
「ば、馬鹿呼ばわり!」
「ええ、そもそも一つ問い質しても宜しいですか?」
「ええモチロン。何でしょうか?」
「この距離感は何のつもりでしょうか?」
家門恵美と春日歩の距離は僅かに二十センチであった。最初こそそれなりの距離を取っていたはずなのだが、軽薄な優男は事ある毎にその間を詰めて来て、気が付けば今の至近距離である。
「何のつもりでしょうか? うん、残念だなぁ。このわたくしめの愛を知っていただけぬとは」
「正直鬱陶しいので離れてください」
「う、ぐえっ」
ドス、と家門の拳が腹部にめり込み、思わずヨロヨロと後ろへと下がる歩。
はぁ、と全く相手に隠す気のない家門恵美のため息。
正直な所、春日歩に彼女は呆れていた。
色々と謎の多いエージェントだと聞いていたのだがこうも不真面目だとは思いもよらなかった。
(しかし何でこうも不真面目なのですか?)
数時間前に顔を合わせてからというもの、春日歩はずっとああいう感じでやたらと馴れ馴れしかった。
まるで十年来の友人か何かかのようにこちらへとズカズカと入り込むような話しぶりは、人懐っこいとかそういう次元ではない。
「とにかくも、私は貴方の要請に助力しました。目的通りにWD九頭龍支部は制圧」
「ですね、感謝感激雨あられ、です」
「──ですから、今度は私の要請に助力を願います」
「ふうん、いいけど」
「けど、何ですか?」
何となく相手が何を言うのかを察しながらも続きを促す。
「今度一緒に──」
「──いいでしょう、一度だけならば」
「え、マジで!」
「ええ、借りを作ったままというのは性に合いませんので」
やっほい、とばかりにガッツポーズを取るその男を一瞥しつつ、間違いだったかと思い、かぶりを振る。
「ではでは早速今夜にでもディナーをば……」
「由衣、聞こえる?」
「え、無視? 俺の事、完全無視?」
歩の言葉には一切耳を貸す事もなく、家門は部屋に備え付けられている電源の落ちているパソコンへと声をかける。
すると、
《はいはーい、エミエミ聞こえてまっすよーーー》
突如としてそのパソコンは起動し、ほぼ一瞬で完全に立ち上がる。
「うへぇー、ビックリだな。君が噂に聞く【ネットダイバー】こと林田由衣」
さっきまでの家門恵美への興味は何処へやら、春日歩の関心は部屋中にあるパソコンを一度に、一斉に操作する味方へと向けられていた。
カタカタカタ。
誰もいないのに、キーボードが叩かれていく。
そのタイピング速度は尋常ではなくとてつもない速度で無数のプログラミングを進めていく。
「由衣、ここにある記録の把握まであとどの位かかりそうですか?」
《うーん。ここのパソコンかなりのハイスペックなんさけどそれでもファイアウォールを突破するのは簡単じゃないなーーー》
WD九頭龍支部長たる九条羽鳥の不在により生じた混乱から引き起こされた混乱の収拾。
つまりは現在、九頭龍支部を占拠しているであろう謎の勢力の排除。それが春日歩が家門恵美に提案した話であった。
そうして目的は達成、結果的に言えば懸念していた敵の抵抗は驚く程に大した事なく、たったの二人でこうしてものの数分で支部の制圧を完了させた。
そこで春日歩からの依頼、その一は達成。次いで今まさに林田由衣が実行しているのが依頼その二である、九頭龍支部にある様々な情報の収集。
当初は春日歩がじかに情報を回収する予定であったのだが、果たして何処まで出来るものか、とその点が懸念材料であったのだが、それは林田由衣という思わぬ援軍によりこうして杞憂に終わった。
先日の段階で、拘束された林田由衣は捕らえられる直前に己が意識の大半を電子化。ネット上に逃走していたのだ。そしてその後、西島迅による記憶誘導を″事実″を伝える事に加え、家門の持つスマホ経由で特殊な電気信号を送る事で解除。それが家門恵美が今こうして自由に動ける理由である。
《おっとぉ、みっけたよーーー》
歓声をあげる林田由衣。そうしてディスプレイ上に表示され始めたのは、無数の機密情報と思われるデータ。
「うお、マジでやっちゃったか。すげぇなぁ本当」
「当然です、ネットダイバーの異名は伊達ではありません。デジタル世界の情報収集及びに解析に関してならば彼女は間違いなく世界でも有数の人材。ましてや今、彼女がいるのは相手のネットワーク。この程度は実に容易き事です」
《へっへっへー、わーいエミエミに褒められちったよーーー。あ、そんでデータを入れるのはそのメモリーでいいのかなーーー?》
「あ、ああそうそうよろしく頼むよ」
《オッケーーー》
そうして情報収集はそれから二分足らずで終了。
その数分後にWDの部隊がこの場に踏み込んだ時にはもう既に誰も場にはおらず、
「コマンダー、大変です」
「何がだ?」
「支部のサーバーにあった全情報が消されています」
「何だと? 冗談では済まされんぞ」
そこにあったのはデータ全てが空っぽになった無数のパソコンだけが残されていたのである。
そしてその様子を別のビルから双眼鏡で確認しながら春日歩は呟きながら、「ふぃぃ、あっぶないあっぶない。全く冷や汗ものだぜ」と大袈裟に汗を拭う仕草をする。
その上で改めて、相手の様子を確認する。
「やっぱりよそからのお客さんみたいだな」
「そうでしょうね。九頭龍支部の部隊であればもっと動き出しは早いはずですし、そもそも…………」
そこまで言うと家門は何やら考え込む。
拭いようのない違和感を覚えたからである。
だがそれを口にする事はしない。
(あくまでも推測、可能性の話です。それに今大事な事は、WGで起きているであろう問題の解決です)
こほん、と咳払いを入れる。
そうして襟を正すと、「貴方を【ウォーカー】だと見込んだ上でこちらから協力を要請します。どうかWGでの問題解決にその力をお貸し下さい」
そうして深々とその頭を下げる。
《あー、エミエミに頭を下げさせたなぁ春日歩ーーー》
「ま、待ってくれよ。下げさせた、とか言うな。俺は別にそういうつもりじゃ……」
「──ではどのようなつもりなのでしょうか?」
「う゛…………、」
思わず言葉を詰まらせる歩を、顔を上へ向けてジッ、と見上げる家門恵美。頭を下げたままではあるのだが、その醸し出す雰囲気は嘆願、というより半ば恫喝のようである。
「分かった分かった、俺も手伝ってもらった訳だし、そっちの事情にも協力するよ」
はぁ、とため息をつくとお手上げとばかりに両手を上に掲げてみせる。
(ま、そもそも協力する予定ではあったんだけどな)
もっとも今更それを口にする事は格好悪いと思えるので口にはしない。
ともかくもかくして春日歩は家門恵美と共に走り出す。
目指すはWG九頭龍支部。
◆◆◆
現在。
ブッチャーこと背外一政の前に誰かが立ちはだかる。
「あ、あんたは」
息も絶え絶えに田島はその助っ人の姿を認め、思わずおおきく目を見開く。
「よ、何時間振りだろな田島一君」
そこにいたのはシュナイダーからの遺言で昨晩顔を合わせた相手、″ウォーカー″こと春日歩であったのだから。