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前の続き。
しばらく自己嫌悪に陥ってかなりの時間が空いてしまいました。
駄文は相変わらず……どうか暖かい目で。
3
入店と同時に、店内にはそれを知らせるくぐもったベルが鳴り響く。
店内には客が五人と―――あれは店員だろうか。カウンターの横でマガジンラックのバックナンバーを読みふけっている黒いエプロンの女が座っていた。
「………」
この時間帯の喫茶店としてはかなり客足が少ないと思う。
その光景にここが真っ当な店なのかと、俺は立ち止まって考え込む。
そんな俺のことを気にもとめず、彼女は「こっちに来て」とグイグイと俺の腕を引っ張って、奥のボックス席に連れて行く。
お互いに向かい合う形で席に着くと、彼女は手馴れた様子で俺にメニュー表を渡してきた。
「やけに手馴れてるんだな。前にもここに来たのか?」
「前に一度、友達に誘われてね」
「へぇ…」
改めて店を見渡す。
和洋折衷というには苦しいほどに、店の内装にまとまりがなかった。
喫茶店然としたカウンターはあるくせに奥には座敷があり、今座っている椅子に関しても、クッション部分が畳敷きだったりする。
恐らく、ここを勧めたその友達とやらも、彼女と同じく変わり者なのだろう。
「―――注文はお決まりですか?」
「え……?」
いつの間に横に来ていたのだろう。
さきほどカウンター横に座っていた女が注文表を持って立っていた。
「私はコーヒー、カイトは?」
「あぁ…、俺もそれで」
「かしこまりました―――」
女は会釈した頭を戻すと俺と目を合わせた。
同じくらいの年なのだろうが、女の凛とした雰囲気のせいなのか、それよりも大人びた感じを印象させる。
慣れない手合いのせいか落ち着かない。
俺から目を離すと、女はそのまま彼女に向き直って、
「彼がアンタの彼氏?」
そんな質問を彼女にした。
彼女も彼女で嬉しそうにそれに答える。
「うん、約束どうり連れてきたよ」
「別に、約束なんかしていない。本当にいるのか確証が取れないから懐疑的になってただけ。いようがいまいが、私には関係ない」
女は眉間に皺を寄せて俯く。
「だからホントにいるって言ったじゃない」
ホラ、とまるで俺をモノか何かのように指差す。
「見れば分かる」
「いいでしょう」
益々なモノ扱いに自分の表情が曇るのが分かる。
女はそんな俺の顔を一瞥すると首をかしげた。
「さぁ、ね。
分からないわ、そういうのには疎いから」
そう言い残して女はカウンターに戻っていく。
「知り合いなのか」
俺は、彼女らの掴めない会話について質問する。
「さっき言ったでしょ、友達に誘われてここに来たって」
「あぁ」
「誘ったのがあの子、今話した子ね」
見るからにどうも彼女とは正反対なタイプだ。
なのに、この二人が友人関係であるというのには正直驚いた。
「仲がいいんだな」
「うん。
話したその日にはこの店を紹介してくれてね、私の思い出の店なんだ」
彼女のその物言いにどこか引っかかるものを感じた。
まぁ、考えることもないな。
「思い出の店の割に、これが二回目の来店なんだな」
「それはしょうがないわよ、この店には何度もいけないから」
彼女はメニュー表を指差して困り顔で笑う。
なるほど。
これでは大人も近づくまい。
俺たちが頼んだコーヒー、この店では一番安いが料金的にはまぁまぁキツイ。
ジャスト千円。
今回この店に来たのは俺からの埋め合わせなので、ここの払いは俺がしなければならない。
「だからこの店を選んだな」
「あ、分かった?」
そう言って笑ってこちらを見る。
全く、結局男女交際なんて損するだけじゃないか。
4
それっきり会話は途切れてしまい、お互いに端末を弄りながら注文を待つ。
こうして人前で別のことができるような世の中に、日本人の礼儀作法はどこに行ったのだと嘆かわしい気分にはなるが、俺一人が嘆いても仕方がない。
もうそんなもの、少なくともこの街で見る影もないのだから、このスタイルがこれからの世の常になっていくのだろう。
そんな益体のないことをグダグダと考えていると、カウンターの女が注文を持ってきた。
女は無駄のない慣れた手つきでカップを目の前に置くと、「ごゆっくり」と言って小脇にトレーを挟んで戻っていく。
「へぇ…何ていうか、クールって感じの人だな」
「そう?」
据え置きのシュガーポットから四つほど角砂糖をとってカップに溶かして彼女の方を見やる。
「お前と友達だっていうのがいまだに信じられない」
「ちょっとぉ、それどういう意味よ」
「別に、ただそう思ったってだけ」
「何よ、それ」
彼女は不機嫌そうにカップをかき混ぜる。
ミルクを入れようとテーブルに視線を落とすと、いつの間にか彼女に取られていたようで、空っぽになったミルクポッドが置かれている。
ブラックは飲めないのでもう二個角砂糖を落として口にする。
ここまで甘くしては、このコーヒーに千円の価値があるかなんてわからないだろう。
◇
互いに、というか、彼女から話しかけられなければ、俺から話題を切り出すことはない。
結局、コーヒーを飲み終わるまで話しかけられなかったので、早々に彼女への埋め合わせをすることができた。
彼女に絡まれれば絡まれたでそれは面倒なのだが、こうもあっさりと事が済んでしまうと、腑に落ちないモノがある。
彼女を外に待たせて、こちらは会計のためにレジの前に立つ。
「………」
カウンターのすぐ横に立っているのに、誰も来ない。
店の関係者らしき人物は黒エプロンの女のほかに見えないので、おそらく女が店の運営をしているのだろう。
横目に女を睨めば、何の為になるのか、バックナンバーに没頭している。
客であるこっちが申し訳なく感じるほどに。
職務怠慢もいいところだが、叱りつけるにも女がどんな人柄なのか分からない以上、それも気が引ける。
テーブルでも叩こうかと視線を落とすと呼び鈴があった。レストランなんかでよく見るアレだ。
呼び鈴をに軽く触れると、店内にはやけに高い金属音が鳴り響く。
「ん―――あぁ」
女はそれに薄く反応すると、バックナンバーをラックにねじ込んでレジに入る。
そこには少しの申し訳なさもなく、じっと俺を見据えていた。
客足的に切る必要が感じられない注文票を女に渡す。
手早く女はそれを打ち込むと、
「二千円になります」
そういってまたまっすぐに俺に向き直る。
バッグから財布を引き抜いて中身を開くと千円札が一枚と、小銭がいくらか。
小銭を足せばもう千円はあるだろうが、自分の懐の寒さに滅入る。
今月で四回目の彼女への埋め合わせにより、俺の経済環境はかなり圧迫されていた。
ちまちまと小銭を取り出していると、女に声をかけられた。
「なんで、あんな子と付き合ってるのさ」
唐突すぎるその質問に俺は固まってしまう。
顔を上げれば、女は退屈そうにトレーに乗せられた小銭を眺めている。ただの雑談か。
「さぁ、なんでだろ」
正直俺にもよく分からない。
ほとんど彼女の強引さに流されてこうなった気がする。
女は小銭を預かると古いレジスターで精算を始めた。
女は視線を落としたままに口を開く。
「あの子、私のことなんて言ってた?」
「…?妙なことを訊くんだな。まぁ、友達だとかは言ってたけど」
俺のその答えに女はため息を吐く。
「私はさ、別にあの子のことを友達だとは思ってない」
冷たさというより、辛辣だろうか。真顔でそんなことを言った。
変わらぬ口調で女は続ける。
「いつ頃だったか忘れたけど、あの子に妙になつかれてさ。この店を紹介したのも、私はバイトをしているからあなたに付き合う時間はないって遠ざける意味で紹介したのさ……ま、客足が少なくて暇そうにしてたのが裏目に出たのかな」
そう苦笑して俺に領収書を渡す。
俺を見据える女の目線は変わりなく、耐えられず床に目を逸らした。
「なんでそんなことを俺に言う」
吐き捨てるように、そう訊いた。
「あんな子と付き合う理由ある?……ないなら別れた方がいい」
女はきっぱりとそう言い切る。
「なんでアンタがそこまで言うんだよ」
俺だって別れたいのは山々である。しかし、それを他人にまで指図されるのはいささか気分が悪い。
そんな俺を憐れむように、女は言い放つ。
「……可哀想だから?」
◇
手渡されるレシートを受け取って外で待つ彼女を見やる。
今どきの若者らしく、退屈そうに端末を弄ってちょこんと座っている。
一方で、黒エプロンの女はいつの間にか定位置に座り込んで適当に雑誌を取っていた。
『可哀想だから』そう言われたことが胸に残る。感銘でも感動でもない不快感として。
確かに、彼女と付き合っている自分を悲観することはよくある。
しかしそれを他人にまで指摘されるというのはどうだろう。
可哀想だという言葉は同情の言葉だ。
俺は、自分が努力をしている自覚がある。それなのにそれを憐れに見られるというのはどうだ。冗談じゃない。
付き合う理由はなかったが、別れる理由ならできた。
嫌な思いまでして、それを評価されないなんてどんな不利益か。
店の扉を乱暴に開け、我慢できずに彼女に話しかける。
「なぁ」
「……なに?」
画面から顔を上げる彼女と目を合わせる。
「別れ話をしよう―――」
彼女とは初めてこうして真面目に目を合わせたのかもしれない。
できるだけ早い執筆ができるように頑張ります。