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「―――暑い…」
7月下旬。東京都市付属高校前、付属通りの交差点のど真ん中。
スクランブルの名のとおり、行き交う人間はグルグルと引っかきまわっていた。
手にしているあまり使うことのない携帯端末の液晶には、『四時に非常召集』と瞳孔を電源マークにデフォルメされた銀髪のキャラクターアイコンがフキダシで言っている。
ただいまの時刻は三時過ぎ。
件の時刻までかなり時間があるけど、することも特にはないので早々に家を出ることにした。
昨日より夏休みに入った付属高校。そのせいか、付属通り―――別名、学祭通りの名を冠している、様々な店が立ち並ぶこの通りには人がいつにも増して多い。
こんなに暑いのに良く居られるものだと、呆れてため息が出る。
熱持ったアスファルトに、俯く顔からポタポタと汗が落ちた。
太陽からの乱暴に過ぎる日差しから逃げようとかぶっていたフードは、ただただ暑いだけの布になってしまっている。
陽は逃れられても、その分蒸すのでは意味がないと今頃気づいて後ろに首を傾けて顔を出す。
物事に無頓着な彼女の唯一のこだわりである、先月より半袖タイプに切り替えた黒いパーカーの上着。その襟をバサバサとはためかせながら、夏色に揺らぐ高層校舎群を仰いだ。
横を通る学生は、凛々しく整った彼女の美しくも不満そうなその横顔を流しみては過ぎていく。
ポケットに腕を突っ込むと、チラチラ見ていた輩を睨み返して交差点を後にした。
遊歩道の日陰に入ると、あまりの暑さにループタイを緩めてギリギリまでカッターシャツを開襟する。ここまでしても一向に涼しくならない。
「何だって今日呼び出すかなぁ、開架のヤツ」
別に、今日―――と言うか私自身に用事があるわけでもない。そもそも私の当初の予定は今のところは果たせないのだ。
現状私はアイツに従うしかないけれど……まぁ、イヤではあるがやぶさかじゃない。
「あぁと…どっちだったかな」
最近この街に来た私は、まだこの辺の地理に詳しくない。移動する時は大抵地図を見ながらだ。開架や開花も学校までの道か、調査する際の道しか教えてくれなかった。
だからこうして寄り道をしてしまうと迷ってしまうのも仕方がない。
だからと言って、今時迷子になるということはないだろう。誰でも彼でもこの端末を持っているのだ。学生と端末の数はイコールだとニュースで言ってた気がする。
地図を見ようとポケットから携帯端末を取り出す。そこに映っているのは温度計を模したアプリケーション。赤々と40℃ジャストの数字にウンザリする。
「暑い、じゃなくて熱いよね、コレじゃ…」
洒落にもなっていない独り言を呟くと、もう見たくないと温度計のアプリと予定のないカレンダーをスワイプしてMAPアイコンに触れる。
画面の中でアイコンが弾けるように動いて周辺の地図が表示された。
「はぁ……ホント、楽なもんよね」
どこか自嘲するように彼女はため息をついた。
彼女―――猫目キリカはどうもこの手の機械類を好まない。
別段彼女が機械が苦手という訳でもないが、あまり使いたがらない。
使いたがらないというよりも、彼女からすれば使う必要が感じられないということらしい。便利なものは確かに便利だ。ただ、彼女からすればそれはただ便利なだけ。
便利ささえも面倒だ、と言った感じだろうか。彼女自身もよく理解してないことだ。
簡単に最短経路を暗記すると、「もう、用はないよ」と言う風にポケットに押し込んだ。
「…こっちか」
最短経路は学祭通りを外れた路地の裏。訳あってこっちの方が道には慣れていた。
五月以来だろうか。あの時はまだ肌寒かったのを思い出した。
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大通りよりかはマシかと思ったけど、別段変わらない暑さだ。
光のあまり届かない裏路地は、逆に建物で閉ざされていてジメジメと蒸し暑い。
さすがは付属高校といったところか。こんな路地でもきちんと整備されている。学校が街と変わらない広さでも、こういうところで学校の管理下にあるというのに気付かされる。
まぁ、いくら管理されていてもこんな路地を通るもの好きは少ないだろう。こんな道を歩くのはこんな道に慣れている奴だけでいい。
左右異なった足音を聴きながらコンクリの路地を歩いていると、しばらくして足音が増えているのに気づいた。
咄嗟に振り向いて後方に飛びのける。
「ッッ!?」
私が居たその場所は、その瞬間で風圧と共に潰れていた。
私一人を潰すには十分すぎるほど、辺は粉々に崩れている。
ビチャビチャと音を立てながら、割れた水道管から出る水はすぐに路地を湿らした。
ポッケのナイフを引き抜いて、砕けるコンクリの煙のなかで立ち尽くす女に私は声をかける。
「随分と手荒いわね、辻斬り。
デバイス専門じゃなかったの?」
私の声に女は近づく。
背格好は私くらい。右手には刀。
そのやや長いセミロングの黒髪を邪魔くさそうに耳にかけている。
「別に、専門って訳じゃないですよ。
ただの関連付け。ホラ、パソコンでフォルダを分ける時と同じで、デバイスっていうタグを付けて襲ったほうが私も見た人も分かりやすいでしょう?」
そう言って女は、手を口元に当ててクツクツと笑い出す。
気に食わないタイプだ―――と、直感的にそう思う。
この女、別にどこも共通点はないけれど、どこかアイツとダブって見えてしまってしょうがない。
そのせいか私の言葉に苛立ちがこもる。
「別に、そんなことなら私にはどうでもいい。
お前みたいな愉快犯のメッセージなら、ウチの食えないやつが引き受けてるでしょ」
銀の切っ先の先に女を睨む。
ほとんど臨戦態勢。あと一言喋ればこの女を襲うだろう。
犬なら待てと命じられた時のように、私ははしたなくいきり立つ。
「あぁ……あなたは猫目くんの知り合いなんだ。
だったら、アナタも普通じゃないんでしょう?だったら今は手を出すには危ないわね」
そう言うと、女は振り返って路地を去ろうとする。
「冗談、今やろう―――」
私は静かに地面を蹴ると、その華奢な背中に向かって白刃を振るった。
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彼女の振るったナイフは空を裂いて、続く追撃は届かない程に相手に間合いを取られた。
「チッ―――」
キリカの振るったナイフは実際、完全に相手の動きを止めるものだった。
それをこの女は、実際には不可能なほどの挙動で避けたのだ。
素早く彼女はナイフをなおすと、代わりに懐から銀のピックを引き抜いた。
「―――このッッ!!」
三本のピックは手のひらの中で整えられ、さながら投擲の選手の様な勢いで一斉にそれを放つ。
ビルの隙間から受ける日差しを反射して路地を飛んでいく。
……が、その三本が突き刺さる頃には、辻斬りの姿は消えていた。
「はぁ……逃げ足、速すぎ」
辻斬りの消え去った路地の向こうに虚しく突き刺さったピックを回収して、ポケットから端末を取り出す。
俯くと水たまりには先ほどよりも不満そうな、アイツに似た顔が映っている。
たった二件しか登録されていない電話帳を開いて、『猫目 開架』と記された番号を選ぶ。
2コールほどして、件の男が出た。
『はい、もしもし』
「報告だけ―――今さっき、辻斬りと遭った」
『そう……倒したの?』
「いや、逃げられた」
『へぇ……まぁ、無理ないさ。死んでないなら問題ない』
「あ、そう」
…思うのだが、相手の表情が分からない状態で話すと言うのはどうも慣れない。
慣れる必要もないのだが―――やっぱり、この手の機械は苦手だ。調子が狂う。
『報告終わり?』
「へ?…あぁ、今からそっちに行くわよ」
『分かった』
面白みのない簡素な事後報告を終えると、電源ごと切ってポケットに押し込む。
なんだか精神力を削りながら話しているような、そんな気分だった。
路地を抜けて、結局大通りに出る。
急に明るい場所に出たせいか視界がグラリと一度揺らいでくらむ。
こうして大通りに出たが、路地の地図しか覚えていない。
今更アレの電源を入れるのも億劫だし、まぁ…大丈夫だろう。
別に、アイツのことを意識している訳ではないが。
ただ、隙を見せているみたいで嫌なので、シャツのボタンを閉じていつもよりキツめにループタイを締めた。