【第一幕】 月夜の始まりは満月と共に
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空には真円を描いた月が浮かんでいる。
世界は夜という名の闇に覆われ、眼下には光々と明かりが満ち溢れていた。
それは、満月や星々の輝きによるものではなく、人が造り出した人工の輝き・・・
ビルの屋上からその光の中、忙しく歩き行く人々を眺めるのは美しい少女だった。
腰まで届く銀色に輝く艶やかな髪は月の光を彷彿させ、紫赤の瞳はアメジストやルビーに似た輝きを秘めていた。
誰が見ても美しいと答えるであろう容姿をした少女だが、眼下を見下ろすその瞳は非常に冷たく、感情を一切感じさせない。
その様子は差詰め研ぎ澄まされた抜き身の刀と言ったところか・・・
「・・・づき・・・銀月! 聞こえているのですか!? 銀月! 」
「うるさい、桜・・・大きな声を出さなくても聞こえてる」
耳に着けたピアス型の通信機から聞こえる女性の切羽詰まった声に、少女は煩わしそうに髪をかき上げながら応答した。
「聞こえているなら返事をして下さい。また一人で先走ったのかとヒヤヒヤしました」
「今回のターゲット程度なら私一人で充分・・・そもそも、私にサポートなんて必要ない。足手まといになるだけ」
「・・・確かにそうかも知れませんが、そんな言い方しなくても・・・それに今回、裏で貴族が手を引いているという情報もありますし、用心するに越したことはありま・・・」
その時、銀月の非常に良い視力が何かを捉えた。
「・・・見つけた」
少女は悦しそうな笑みを微かに浮かべ駆け出した。
「あ、銀月!? 今言ったばかり・・・私が行くまで待ちなさ・・・」
女性の言葉など聴く気もないのか、その姿は既に屋上から消えていた。
「もう! 」
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暗い路地を一人歩く少女がいた。
制服を着ていることから、学生であることが分かる。
まだ幼さを残しているが、決して発育が悪いという訳ではなく、出るべきところ出て、へこむべきところはへっこんでいる。
しかしながら、顔立ちが幼いためか、些かアンバランスである。
だが、それも一つのチャームポイントなのだろう・・・
「うぅ~、本当はこの道通りたくないんだけどなぁ・・・でも、次の電車乗り過ごしたら門限に間に合わないし・・・」
少女は大きなため息を吐く。
少女が歩くのは所謂裏道というものだ。
駅へ急ぐあまり人気の少ない路地裏を選んでしまった。
その事を少女は少し後悔していた。
都心とは言え、灯りの全くない路地は存在する。
メインストリートから一つ逸れただけでも思いの外違うものだし、そう言った違いは得てして都心の方が目立つ。
今、少女が歩くのは、そう言った道の一つだった。
「それもこれも、塾の先生が抜き打ちテストなんてするからだよ! 模試の日が近づいてるからって、 な~にが『もしかしたら模試に出るかもしれないから、もしものために模試をして模試に備えよう! 』だーー! オヤジギャグにも程があるよ!! 」
端から見ていれば、一人大きな声で愚痴を言いながら歩く傍迷惑少女だが、周囲には人っ子一人いないので咎める者はいない。
否、誰もいないと言うには語弊があった。
少女の少し後ろをゆらゆらと、まるで影のようについてくる者がいた。
しかし、彼女がその存在に気付いた様子はなく、その距離は徐々に縮まっていた。
「・・・ウマソウナ、ニオイ・・・ヤハリ、ゴクジョウノ、チノニオイダ」
少女は突然聞こえた、しかもすぐ背後から聞こえた声に驚いて振り返る。
そして、恐怖した。
目の前には血走った目をした男性がいた。
その瞳は血のように赤く、開かれた口からは鋭く尖った大きな犬歯が覗いていた。
だが、そんなことよりも何より、不明瞭な言葉と、今にも襲い掛からんとする様が少女を恐怖させた。
「・・・いやっ・・・」
少しでも距離を置こうとするが、足が動かない・・・
足が竦んでしまったのだ。
「オマエノチ、ハヤクノミタイ・・・ノマセロォォオオオ!! 」
「いやぁぁあああ!!! 」
少女が動けないのをいいことに、謎の男は少女に襲い掛かった・・・
力任せに引っ張られ、押し倒されたために、少女の制服は乱れた上にブラウスのボタンが弾けとび、下着の一部が露出するといったあられもない姿になっていた。
また、彼女の肩口は大きく露出し、そこから覗く白くきめ細やかな肌が何とも艶かしい。
男はそこに吸い寄せられるように顔を近づけていった。
そして、口を大きく開く。
そこには、先ほど垣間見えた鋭く尖った常人よりも発達した犬歯があった。
少女には男が何をしようとしているのか見当もつかなかったが、このままでは危険だということだけはわかった。
しかし、身体が恐怖で動かないためにどうすることもできない。
できることと言えば・・・
「・・・誰か・・・たすけて・・・・・・」
そう、誰かが助けてくれることを祈るだけだった。
だが、無情にも男の牙は少女の首筋へ吸い寄せられるように、みるみる近づいていった。
「(もう・・・だめ・・・・・・)」
少女が諦めかけたその時・・・・・・
救いの手は差し伸べられた。
「諦めるのはまだ早い・・・」
それは、一瞬のできごとだった・・・
少女の身体は後ろへと引っ張られ、その刹那何かが閃いたかと思えば男の片腕が消失し、鈍い音と共に男は後方へと吹き飛ばされていった。
そして、少女は少しの浮遊感を味わったあと、おしりに衝撃が走ったのを感じ、顔を上げた。
すると、そこには月明かりに煌めく銀の髪と、自分を襲った男とは似ても似つかない紫赤の瞳をした美しい女性が、その姿とは不釣り合いな日本刀を構えて立っていた。
彼女を照らように降り注ぐ満月の光が、彼女をより幻想的に輝かせていた。
自分の身が危険な状態だったというのに、少女はこのとき彼女のそんな姿を美しいと“心の底から”思った・・・