【開幕】 月夜の出逢い
速く・・・
もっと速く・・・
私はひたすら闇に覆われた路を走る。
真っ暗闇の中を走っていると自身と闇との境界線が曖昧になる。
今どこを走っているのか、ちゃんと路の上を走っているのか、この先も路は続いているのか・・・
疲労と恐怖で思考に霞のかかった今の私には分からない。
そのことが、私の恐怖心をより一層駆り立てる。
息の続く限り・・・例え息が続かなくなったとしても、身体が走りたくないと悲鳴を上げたとしても、私は這いずってでも前に進むだろう。少しでも前へ、少しでも先へ、一刻でも早くこの場から離れようともがくだろう・・・
何故なら、私は人が人を殺す瞬間を目撃してしまったのだから・・・
〇
もっと速く逃げたい、もっと遠くへ逃げたい・・・
そう心が思っていても、脳が考えていても、それを許さないのが身体である。
逃げないと危険だということは解っているのに、体力がとうに限界を迎えていた。
とうとう、走るどころか立っていることさえできなくなり、地面に突っ伏してしまう。
限界を迎えた身体が一度運動を止めてしまえば、もう一度運動を再開することはすぐには難しい。
地面に伏した身体に、強烈な疲労と倦怠感に加えて息切れと動悸が襲い掛かる。
疲れた身体に鞭を打って辺りを見渡してみれば、そこは公園の様だった。
広がった空間に遊具が点在している。公園の規模としては広い方だろうか、小学校のグラウンド程の広さがある。
頭上には真円の月が昇っており、雲間から仄かな明かりが地上を照らす・・・
その光景は神秘的であり、夢幻的であった。
また、仄かな月の光は妖艶さを醸し出し、それが私の恐怖心を煽る。
「・・・こ、ここ、まで・・・来れば・・・・・・」
そう言って、もう一度地面に倒れこんだのは男性だろうか・・・男性にしては美し過ぎる外見に、性別の判断がつかない。
年は高校生くらいだろう・・・まだ若く、若干の幼さを残した様は二十歳を超えているようには見えない。
若く、美しく、健康的なその肢体は地面に投げだされ、長く艶やかであっただろう黒髪は乱れ、今はその面影も残さない。
よっぽど恐怖を感じたのだろう。その顔は、もう追ってきていないだろうという期待と、もしかしたらまだ近くにいるかもしれないという恐怖が入り交じった表情をしていた。
「ざ~んねん♪ 私ならここだよ」
耳元で囁かれる楽しげな声・・・幼さを感じさせるなかにも憎悪と悲哀を秘めたその声に、安堵しかけた心が再び恐怖に染まる。
慌てて振り向けば、そこには少女がいた。
月の光が雲に遮られ、少女の姿容貌はよく分からないが、背丈から中学生くらいではないかと思われる。
「ひっ・・・!!!」
「そんなに怖がらなくてもいいじゃない・・・」
あまりの怖がりように、声の主は頬を膨らましむくれている。
そのようすは幼い少女のようだが、その下の本性を知ってしまった身としては、違う生き物を見ている気になる。
「よ、よらないで!! 人殺し!」
「いきなり人殺しは傷つくよー・・・」
傷ついたと言わんばかりにしなを作り顔を覆うが、その下からクスクスと笑い声が聞こえてくる。
コロコロと表情の変わる少女に辟易しながらも、少しずつ距離を開けていく。
「もうー、そんなに怯えなくてもいいじゃない」
少し寂しそうな少女の様子に罪悪感を感じるが、やはり恐怖の方が先にたつ。
「人を殺しておいて何を言うんですか! ・・・私も殺す気ですか!? 口封じのために!」
「そうしてもいいけど・・・それじゃつまらないよね♪」
「えっ!??」
気が付けば目の前に少女の顔があった。
開いていたはずの距離が一瞬で縮まっていた。
「君はね・・・今から私のものになるんだよ・・・」
何をする気か分からない・・・でも、ここにいたら危険だということは分かる。
なのに、身体が言うことを聞いてくれない。
まるで、金縛りにあったかのように手足どころか指一本動かすことができない。
「私のことは恨んでくれていいよ、憎んでくれていいよ・・・でもね、できれば・・・」
そう言う彼女の声は寂しさに満ち溢れていた。
「私の友達になってほしいな」
その時、ようやく雲間から顔を出した月が少女に光を注ぐ。
眩く輝く腰まで届く銀色の髪にルビーを彷彿させる深紅の瞳・・・間近で見た少女は美しく、月光と相まってその様子は非常に神秘的であり、彼女から目を離すことができなかった・・・