れいてんれい【あるいは終わりに】
「それで、その話をして先生は私に一体何が言いたかったんですか?」
某県某市某区にある某小学校の中に設置された児童相談室――つまりは職場で、受け持ちである生徒によき思い出を語り終えた余韻に浸る間もなく、そんな手厳しい言葉をもらってしまった。僕はごまかすようにはにかむ。
「何って……先生は先生の初恋の話をしただけさ。僕は相談にくる生徒には必ず、いの一番にこの話を聞いてもらうことにしている」
せめて精一杯大人としてかっこつけてみたけれど、生徒の目がありえないくらいに怪訝に細められていくのが分かった。
「……何のために?」
「先生は君たちの話を聞くことが仕事だからね。ほら、よく言うだろ? 人に名前を訊く時は自分から、って。だから自己紹介代わりだよ。本当は若いころの武勇伝なんかを聞かせてあげたいところなのだけれど、あいにく、先生はそういうのとは無縁な人生を送ってきたからねぇ……」
「先生って、変な人なんですね」
「ははは、よく言われるよ」
「むしろ変態ですね。八歳の女の子に初恋って……犯罪じゃないですか」
生徒の目つきが怪しいものを見るそれから、犯罪者を見る目に変わっった。僕は慌てて手を振る。
「いやいやいや、それは大きな誤解だよ。偏見と言ってもいいね。僕は変人ではあっても、決して変態なんかじゃあない」
「うろたえるところが余計に怪しいです」
「んっこほん、まあ、それはそれとして」
さて。
そろそろ生徒の緊張や猜疑心も薄れてきたころだし、ここからが本番だ。
「次は君の話を聞きたいな」
――――
あれから十年、僕はスクールカウンセラーとしてなんとか食いぶちを稼いで生き延びていた。夢も希望も何にもなかったけれど、こんな僕でもこうして生きていけるという見本になってくれればいいと思い、日々を過ごしている。どちらかと言えば反面教師な気がするけれど……。
「ん」
勤務時間が終了し、自分で淹れたコーヒーを飲みながら、そういえばと思いだす。
「今日は研修生が来るんだっけか」
最近は増えすぎる児童の悩みに聞き手の数が追いつかず、スクールカウンセラーの門も多様化してきている。その内の一つに、専門大学在学中の学生による研修制度の実施があるのだ。
「…………」
もの好きだねえ、とは思ったけれど大人として口に出すことはしなかった。
実際、褒められた仕事ではあるのかもしれないけれど、褒められることのない仕事だし。
子供の心理は底なく多様化して、未来とやらは無理矢理せき止められた川の水のように濁りきっている。
子供たちを管理しているつもりの大人がこぞって化学薬品を川に流しこむから。
不必要に頑丈な彼らは、水面に浮かびながら濁った眼で生き続けるしかない。
死んだ、魚のような眼で。
死んだ人間のように。
そんな彼らを救う仕事と言えば聞こえはいいが、現実には現実らしくそのほとんどが負け戦だ。
それでも僕たちは戦に臨み続けなければらない。言葉というひのきの棒を片手に。
そんな仕事だ。
「それに、切実な問題どんどん給料は下がってくしね……」
僕みたいな人間にはよくても、普通の人には決してわりに合わない気がする。
はたして、どんな学生さんがくるのだろう。
楽しみかどうかはさておき、興味はあった。
――――
「…………そろそろか」
時間が近づいてきたので、身だしなみを整えて(一応出迎える側の人間としては、ちゃんとしなければなるまい)、僕はその時を待った。
やがて教室のドアががらりと開き、規則正しく姿を現したのは一人の女の子だった。
整えられた黒髪、控え目な色の眼鏡、明らかに着せられている感満載の研修衣。
手を前に揃え、ぴんと背筋を伸ばし、どう見てもがちがちに緊張している様子でけれど彼女は一生懸命元気よく声を張る。
「こ、こんにちは! はじめまして! 私、『南良津友』と言います! 長所は、どんなに辛いことがあっても泣かないことです! えと、えと、後は……」
一生懸命な彼女を見ていると、自然微笑ましくなってしまうのは歳を食ったからか。
そう思うとなんだか感慨深いものがあるきがしたけれど、やっぱりそんなことはなかった。
まあ、それはそれとして。
僕は彼女に言ってやらねばなるまい。
あの時、言えなかったあの言葉を。
世界は、それでも終わってるかい?