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いってんれい【滅びるよ、絶対に】

 無言だった。

 最初のやり取り以来、僕達は口を開くことなく並んで座っていた。

 当然だ。

 オリエンテーションと割り切るならまだしも、普段の僕は人見知りが激しい。出会ったばかりの、それも相手が子供とくれば喋れるわけがなかった。何を話していいのか分からないし、どんな態度で接していいのかが分からない。

 なのに、僕は立ち上がれないでいた。

 きっとそれは、場の束縛だと思う。三人の人間がいて、中々そこから抜け出すタイミングが掴め無いあの状況。決してそれは名残惜しいとかではなくて――空気を読むことに対する不確かさ、自身がいなくなった後に二人の間で交わされるかもしれない会話、言葉に出来ないような色々事が科学薬品のようにどろどろに混じり合い、僕を恐怖させる。

 だから、これは同情なんかじゃない。

 ――同情。

 気付いてしまえばそれは、ただそれだけのことだった。

 無くしたスカート。ぼろぼろのランドセル。よく見ると少女は雨でも無いのに濡れていた。そして、“不揃いな”黒髪。僕はそれを伸ばしかけなのだと解釈したけれど、事実は全くの逆だった。

 “切られた”んだ。

 おそらくは、ここにないスカートとぼろぼろのランドセルと同じ理由で――。

 ――幸い、僕はあまり“そういう事”に無縁な人生を送ってこれた。そりゃあ、中一の時に間違った中学デビューを果たし、クラスの全女子に蛇蝎(だかつ)の如く嫌われたりもしていたけれど、それでも反面同性の友達は多かった。進級しクラスが変わり、今度は嫌われないようにと大人しくなった後も、ちらほらと友達はいた。高校に入ってからも、無難な友人関係を築いた。二年生からはクラス替えの巡り合わせ上、友達はいなくなったけれど、それでも目立つことなく卒業できた。

 僕にはこの先、一生を掛けても少女の気持ちは分からない。かといって、可愛いそうなんて軽々しく思える程の勇気も持ち合わせてはいなかった。

 だからきっと、これは同情なんかじゃない。

 だったら――何故?

 何故そもそも、僕は今ここにいるのだろうか。立ち去れ無い理由は分かった。ならば、あの時少女の隣に座った理由は?

 会話が無いので、余計なことだけは考えられた。

 そろそろ人が通ってもおかしくない時間帯だ。その時、僕は一体どんな風に見られるのだろう。

 パンツ姿の幼い少女の横に座る、成人男子。あわよくば兄妹に見られるだろうか。いや、兄妹に見られたところで、だろう。

 パンツ姿。

 それが決定的にいけない。外とパンツがこんなにも合わないものだとは、思いもよらなかった。はっきり言って、異常だ。けれど何故だろう。モニター越しに見る外パンツは、あまり違和感が無いというのに。今はこんなにもパンツが歪んでいる。

 パンツが、パンツが。

 パンツ――


「パンツじゃなくて、ショーツだよ」


 びくりっ、となった。

 一瞬何が起きたのか分からず、心が右往左往する。けれどすぐに気付く。少女が、喋り掛けてきたことに。

「へ、へー。そうなんだ。し、ショーツね。ズボンをパンツって言うのと同じ感覚、なのかな……?」

 できるだけ平静を装って、答える。人前でびくりとしたことを必死に誤魔化そうとする僕が、そこにいた。

「――って、何でパンツをショーツに……?」

 結構な事態が、僕の人見知りに拍車を掛ける。会話思考がぐちゃぐちゃで、気付いた時には訳の分からないことを口走っていた。よくあるパターン。けれど少女はこちらの意図を汲んでくれたようで。

「お兄さん、パンツパンツ言ってた。ぶつぶつって。正直……気持ち悪かったの」

「あ……そうなんだ。ごめん……」

 反射的に謝る。ごめんで済めばいいけれど。一歩間違えれば通報ものだった。

「別に、いいよ。気持ち悪いのは私も同じだし」

「そっか……」

 少女の言葉には言い様のない倦怠感――端的に言ってしまえば『投げやり感』が満ち満ちていて(投げやりは満ちるとは中々どうしておかしな表現だけれども)、それがまた僕にどうしようもない違和感を覚えさせた。やはりどこか常識の中で、子どもとは希望や未来に充ち溢れるものだという認識があったのだろう。けれどそんなちっぽけなものを嘲笑うかのように、今、僕の隣にいる少女はどうしようもなく自分の世界のことが嫌いなただの人間だった。

 少女を見る。もちろんしっかりとではなく、ちらりちらりとうかがうように。

 少女は前を見ていた。思い返してみれば、僕がここに座る前も、そして後も、彼女はずっと前を見ていた気がした。自分がパンツ姿だというのに取り乱すことなく、いきなり見知らぬ人間が隣に座ってきたにも関わらずおびえることなく、ただずっと前を見ていた。中身の綿をくりぬいた人形のような眼だった。そんな少女の視線の先には何があるのか自然と気になり、僕も前へ目をやる。

 そこには何もなかった。

 いや、何もないわけじゃない。行列を作る蟻。まばらに生えた雑草。枯れかけた花壇。すすけたベンチ。葉の散った落葉樹。水の止まった噴水。錆びた遊具。捨てられた玩具のスコップ。風に吹かれるお菓子の袋。とても色々なものがそこにはあったけれど、そのどれもが少女の瞳には映っていないのだろうと思った。なんとなく、そう思った。

 僕は昔から物事を、ひいてはそこに生じる意味や意図をなんとなくで済ませてしまう癖があるのだけど、このときばかりは本当になんとなくとしか言いようがなかった。言葉にできない――し、言葉にする必要がないくらい直観的なものだった。

 再び少女を見る。何度もチャレンジしたおかけが、このときの僕はようやく少女の特徴をつかむことができていた。長いまつげ。鼻はやや低めだが、綺麗な顔のライン。色素の薄い唇。小さめの耳。そして――髪。それは男の僕でも目を覆いたくなるほどの惨状だった。遠目からはただ不揃いとしか認識できなかったものも、近くで見ると“引きちぎられるように”切られているのが分かる。当然だ。男の短く毛量の少ない髪ならまだしも、女の子の髪がそんじょそこらのハサミでまともに切れるわけがない(女の子の髪をこうも乱暴に切るような輩に、専用のハサミを使うなんて気遣いがあるはずもない)。少女の髪が濡れているのは、その為かとも理解する。

 ――憤りがなかった、と言えば嘘になる。

 最近よくニュースで取りざたされる“そういうこと”、そして実際に被害者を目の前にして、何も感じなかったわけではない。けれど、それを表に出すには僕は少女や“そういうこと”について何も知らなかったし、真摯に向き合うにはこの二十年間あらゆることから目を背け過ぎた。


「お兄さんは」


 ――と。ふいに、少女が言った。相変わらず彼女は前を向いたままで、一瞬そのお兄さんが誰のことを指すのかわからなかったけれど、この場にお兄さんと呼ばれる人間は僕しかいないので考えるまでもなかった。

「お兄さんは、マヤ文明って、知ってる?」

 脈絡のない質問に(少なくとも僕の常識の中では、ろくに会話も交わしたことのない人間にいきなりする質問ではなかった)、僕は言葉に詰まるが、それでも何か答えたくてしどろもどろながらも乾いた唇を引き剥がす。

「知ってる――よ。最近、よくテレビでやってるよね。2012年の12月23日……だっけ。人類が、滅亡するんだって」

 僕に限らずおそらく大半の人は、マヤ文明と聞けば『2012年人類滅亡説』を思い浮かべるだろうし、また言ってしまえばその程度の認識しかないだろう。だから、少女の言うマヤ文明とやらが人類滅亡のことだとは想像に難くなかった。もちろんこんなものは口に出してから後付けとして思ったことであり、前述した通り僕は人見知りで、人見知りであるからには口下手なので(偏見かもしれないが、少なくとも僕はそうだ)、とてもじゃないけれどこの先少女との間で会話が弾むとは予感はしなかった。今更だけど。

「うん、そうだよ」

 頷いた少女の声は相変わらず無機質で平べったいものだった。なのに僕は何故か少女が喜んでいるように思えて、彼女の横顔を凝視したい衝動に駆られるも、ぐっとそれを堪えた。少女が前を向いているのに僕だけが横を向くのがとても憚れたからだ。

 少女は続ける。

「来月……には、人間はみんな死んじゃうの。良い人も、悪い人も。お金を一杯持ってる人も、持ってない人も。健康な人も、病気の人も。子供も、大人も。お兄さんも、私も。みんな、死んじゃうんだよ」

 少女はやっぱり笑っている気がした。いや、それは笑っているというよりも、喜んでいるというよりもむしろ――。


 待ち焦がれている、かのような。


 恋に焦がれる普通の少女のように。

 正月を楽しみにする子供のように。

「だからね――」

 普段、決して勘がいいとは言えない僕だが、この時ばかりはまるでお話の中に登場する名探偵のような勘の良さをして全てを理解してしまっていた。はっきりとは言葉にはできないものの、確信を持って。だからこそ、僕は少女が次に言うであろう言葉も予想できていたし、その言葉に対する心構えは少なからずとも存在していたはずなのだ。

 それでも。

 それでも――だ。


「だから、もう少しの辛抱なの。私、ちゃんと我慢できるよ」


 僕は、振りかえらずにはいられなかった。

 少女はいつしかこちらを見ていて。

 その人形のような目で。

 僕をじっと見つめていて。

 そして。


 彼女は、泣いていた。

 

 とても静かに。

 けれど確かに。

 その涙は決して人形の綿なんかじゃなくて。

 真水のようにどこまでも綺麗で。

 不器用に。

 とても人間臭く。

 少女は、泣いていた。

 

 僕はどうすればいいのか分からず、ただただ彼女を見ていた。たぶん今の僕はとても悲痛な顔をしている。だって、言えるわけがない。

 無表情で、それでも一生懸命に泣いている少女に。

 不器用で、それでもひたむきに終わりを信じている少女に。

 生き地獄で、それでもかろうじて終りに支えられている少女に。

 言えるわけがなかった。

 本当は、世界は終わらない。

 来月にも、来年にも、十年後にも、百年後にも、ずっと、続いていく。

 世界は僕たちが思っているよりも頑丈で、救いがなくて。

 どん詰まりでも、どん詰まりのままに進んでいく。

 思い通りにならなくて、みんな必死で。

 ままならなくて、それなのにもがくから泥が舞い上がる。


 逃げても、世界はなくならなくて。

 逃げても、世界は詰まらなくて。

 逃げても、世界は繰り返して。



 だから、僕たちはここにいる。



 視界がぼやけていた。耳が熱い。頭がどろどろに溶けてしまったかのように掴みどころがなくて、気がつくと僕は少女の小さな頭に手を置いていた。

 じっとりとした感触。けれどそれを柔らかいと思ってしまうのは、暖かいと思ってしまうのは、愛おしいと思ってしまうのは、ただの勝手なイメージだろうか。

 撫でるたびに、ちくちくと小さな痛みが走る。僕はそれでも構わず撫で続けた。

 少女は何も言わなかった。じっと僕を見上げながら、身を任せてくれていた。

 少女はパンツ姿で。

 少女は散切り頭で。

 少女の髪は濡れていて。

 少女のランドセルはぼろぼろで。

 少女は泣いていて。

 それが現実だった。

 それが、今の僕の世界だった。


「――信じるよ」


 僕は言った。それは、生まれて初めて口にする言葉のような気がした。

「僕は、信じる。世界の終わりってやつを。君が信じる、終わりを」

 真っ直ぐに、少女の目を見る。ずっと目を逸らしながら生きてきた人の目は、とても綺麗だった。

「だから――」

 もう我慢なんてする必要、ないんだ。

 そう、言おうとした。

 けれど。

 僕が言い切る前に、少女の小さな左手がすっと僕たちの間に入ってきて。

 それは、誰しもが子供の頃に置き去りにする『指きり』の形をしていた。


「約束――すれば、また会える。だから、みっつ、私と約束して……ください」


 そして僕たちは指きりをする。

 すっかり陽は暮れて、ぼんやりとした街灯の下、パンツ姿とした約束。

 

 『ひとつ、あいさつをちゃんとすること』

 『ふたつ、つらいことがあってもなかないこと』

 『みっつ、せかいがほろびることをうたがわないこと』


  ただの幼女と交わす三つの決まりごと。

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