魔神の日常
「つーわけでよろしくお願いしますよ父さん」
トンと彼の前に冷たい緑茶を置いて、声の主、男性の竜人、バルバロイ・ワードエンドは両手を合わせて頭を下げた。
「むぅ……しかしなぁ。幾ら主の願いでも、ホラ我、今九十八年目だし? 後二年は出ちゃだめっしょ」
置かれた緑茶を器用に持ち上げて口に持って行くと、彼は一飲みで全てを飲みほした。気難しそうに眉を潜める彼に、「そこを何とか」とさらにバルバロイは続ける。
そこまで頼まれると無碍にするわけにもいかない。基本的に善人である彼は、頼みごとをされると断れないたちなのだ。だからといって、自身で決めた誓約を破るわけにもいかない。
「俺からも頼むぜ親父。正直言って、優しく片付けられるほど弱くはねぇんだよなあのアホ」
悩む彼にさらに声をかけるのは、バルバロイの隣に立った女性の鬼人、マリア・アートヘブンだ。バルバロイの肩を軽く叩き、頭を下げる彼の隣で彼女も頭を下げた。
「……いやなぁしかし。マジで、マジかぁ……正直面倒だしなぁ。我、今回は格好よく決まってたし、追加で百年は籠りたいんだよなぁ」
そんな言葉にマリアは顔を上げると、眉間に皺を寄せて彼を睨み上げた。
「ほれやっぱし見たことかバルバロイ! 親父のことだから結局理由はそれじゃねぇかよ!」
「……いやなマリア、父さんだって今言った通り今回の頑張りを讃えて向こう百年追加でのんびりさせてやろうって──」
「んなことしてたら折角作ったこの国が吹っ飛ぶだろうがよ! んな余裕がねぇからわざわざ親父起こしに来たんだろうが!」
「やっぱし俺らでやる?」
「だぁかぁらぁ! それだと被害がやべぇから頼みに来たんだろうがよ!」
そうまくしたてるマリアの意見になんとも言えず黙りこみ、彼にすがるような視線を向けるバルバロイ。
事の始まりを遡ろう。それは今から三年前、異世界より現れた新しい勇者様がそもそもの原因である。
魔王のいなくなったその世界には不要な勇者、しかし彼らは人と人の争いという点でも重要な戦力としてみなされていた。
そして現れたのが幾つもの国に現れた幾人もの勇者。誰もが強き力を持つ中、一人だけぬきんでた力を持った勇者が現れた。
己を絶対者と名乗る男、異界の勇者、ハヤト・タチバナ。召喚直後から、聖剣の加護と類まれな才能によって近隣諸国を圧倒。その実力は戦いを通してどんどんと強くなり、遂には現在ランクA。諸国にも並び立つものがいない最強の座にへと上り詰めたのであった。
そんな彼はいつしか己の力に酔い知れ、己を召喚した国を掌握。暴君と化して一気に大陸の国々を制圧したのであった。
とまぁ、そこまではいい。正直、人間達が併合されるというのは、彼らの『ゲーム』からしても都合がいいことなのだから。
だが、問題なのは、何をとち狂ったのであろうか。ハヤトは軍を率いて、封印された魔王の眠る大陸、グランギニョルにまで攻めてきたのだ。
幾ら魔族たちが蔓延る大陸とは言え、Aランクに届いたハヤトを筆頭としたランクBを超える勇者軍団に国々の精鋭たちを前に成す術なく、上陸してから僅か半年で旧魔王領の半分が制圧されてしまったのであった。
そのことにバルバロイとマリアが気付いたのは今から一か月前のことである。のんびりと二人揃って別世界を満喫して、半世紀ぶりに里帰りしたらこの状況だ。当初は幾らここ数千年程度だったとはいえ、故郷だった国をあらされたので、どうにかしようとした二人だったが、ここで中途半端に強いハヤト達の強さが仇となった。
もし、全面戦争になった場合、グランギニョルの土地は、その半分以上が物理的に消滅するだろう。山は砕け、空は引き裂け、大地が沈む。そんなことになったら、折角の『ゲーム』が台無しである。
困っているのはそこだ。殲滅は容易いが、そこから生じる被害こそが問題だった。そして、客観的に見てそれがどれだけ恐ろしい考え方なのか、分かる者がこの場にいなかったのは幸いだっただろう。いたらまず発狂していたに違いない。
何を隠そう。この竜人と鬼人こそ、全世界全ての竜と鬼の始祖、究極生命体が一角、ランクA+の化け物なのだ。
白銀竜神、バルバロイ・ワードエンド。全ての竜の始祖にして最強の竜種。普段はさえない風貌の、頭から二本の角が生えている以外何処にでもいるような少年だが、その正体は、数キロにも及ぶ巨体の白銀の龍だ。尾の一振りで大陸が崩壊し、爪が翻れば空が引き裂かれる。吐く熱線はマグマすら蒸発させ、Aランクに届かない攻撃は全てその鱗で弾く、超越者が一角。
黒金鬼神、マリア・アートヘブン。足元まで届く黒髪と、その額から伸びる一角が特徴の、美しい長身の女性だ。バルバロイと違って変身するわけではないが、単純な腕力は変身後のバルバロイすら凌ぎ、強化の魔法と、劣化心鉄金剛が一振り『絶空』と呼ばれる長大な鬼切り包丁を合わせた近接での戦闘能力は筆舌し難い、超越者が一角。
誰がここまでの日常会話で、この二人がそれほど恐るべき存在だと気づくだろうか。その気になればAランク、正確にはA-になりたてのハヤトを含めた人類最強軍すら、二人の化け物の内一人が戦えば半日もたたずに壊滅出来る。
そんな彼らが親と呼ぶ。その存在こそ、彼ら二人の造物主、いや、彼らだけではない、ありとあらゆる魔と呼ばれる者の頂点にして始祖。
全長五メートル。大きいとはいえ、クイーンバウトとそう変わらないその大狼は、そんなものとは比べ物にならないほどの力を秘めていると、見ただけで誰もが納得するだろう。
それは黄金に輝く炎で構成された狼。あらゆる現象を食いつぶす炎すらその意志で従える極限の魔。生ける暴力、最強の魔神。
魔神皇帝、ヴォルグアイ・ヴェイラビル・ヴィルベルド・ヴァームクーヘン。本名、クトゥア・ベイこそ、彼の正体であった。
だがそんな化け物たちは、まるでそれに相応しい威圧感もへったくれもない畳の上で、丸いちゃぶ台を囲んでお茶を飲んでいた。
そしてこの場所こそ、約百年前、当代の勇者たちが死に物狂いでヴォルグアイを封印した空間だるというのだから、笑えない。
「いやまぁ我としても? ほら、折角頑張って作ったわけだから壊すのはちょっとヤダだしのぉ」
本来は五メートルはある体躯を、今はただの大型犬サイズにまで小さくしたヴォルグアイが、バルバロイが継ぎ足したお茶を飲みながらぼやく。その尻尾はやる気なく畳の上にペタンとたれていた。ちなみに、彼を構成する炎は彼の意志の元で、燃やすか燃やさないかをしっかり餞別できるので問題はない。
ともかくやる気がないヴォルグアイの態度に苛立ったのか、マリアがちゃぶ台を強く叩く。さりげなく、かつ全力でバルバロイがちゃぶ台に防護障壁を展開。もし防御しなければ、頑張って作ったこの封印が一瞬で崩壊するのはおろか、この魔王城も崩壊していたことだろう。
「あーもう親父はホント不抜けだよな! リーナの姉御にぼこされてからすっかり老けこんじまってよ!」
全くもうと頬を膨らませるマリアには、今まさに魔王城を吹き飛ばそうとした自覚はないのだろう。いっつも俺が損してるよ。お茶を飲みながら、バルバロイはこっそり溜息を吐きだした。
そんな彼の気苦労もしらずに、二人の口論は続く。というか、本来のこととは関係ない方向に口論は発展していた。
「いやいや違うからね! あれ我うっかりしてただけだから! あの腐れビッチが胸チラさせてこっちを油断させたのがそもそもの原因だから! 我油断しただけだし! 負けたわけじゃねーし!」
「むしろそっちの理由のほうが最悪じゃねーか! よりにもよって乳に見惚れて負けるとか! 情けねーよ! アンタが親父で俺超情けねーよ!」
「あれ、これ反抗期? マリア! 我は主をそういう風に育てた覚えはありません!」
「つーか親父に育ててもらった記憶がねぇよ! 生むだけ生んでさっさとアートの旦那んところに突っ込んで一万年と二千年ほっぽらかしたじゃねぇかよ! その間にすっかり俺の育ての親はバルバロイだっての! しかもようやくあえたと思ったらすぐにまた八千年消息絶ちやがった癖に……!」
「あ、あれはその……我、ちょっとどう接していいかわからなくて……」
「だからって二万年育児放棄する親父が何処にいるかぁ!」
バッキャロウと叫んでマリアがちゃぶ台をひっくり返す。そのままバルバロイによって障壁の展開されたちゃぶ台は、封印を突き破るだけではなく、余波で全長三百メートルある魔王城の上半分を消し飛ばし、そのまま大気圏を突き破って空の彼方に消えて行った。砕けた封印を見て「あぁ、我の引きこもり空間が」と呟き、きゅーんと小さく鳴くヴォルグアイ。そしてぬははと笑うマリアを見て疲れたように溜息を吐きだすバルバロイ。
世界の情勢など関係ない。有象無象を放置して、魔族の頂点である三体の日常は、まるでそれに見合ったカリスマとは無縁なしょうもないものであった。
翌日、ヴォルグアイの頼みで使わされた童貞によって、ハヤトの軍は一時間で壊滅したのはあくまで余談である。
簡単な人物紹介。
『白銀竜神』バルバロイ・ワードエンド
A+ランク、序列第二位。全百八体いるA+の上から二番目。最強に近い化け物。ローレライが一抜けしたために二位になった。Aランク以下の全攻撃は無条件で無効。それ以上の攻撃も魔法を使用することで最大八割減殺出来る。攻撃力も大概だが、その能力の恐るべきは防御にある。
『黒金鬼神』マリア・アートヘブン
A+ランク、序列第三位。バルバロイとは逆に攻撃に特化した化け物。同ランク帯でも、まともに直撃を受ければ致命傷は必死。その愛刀が本気で振りぬかれたら大陸が余裕で真っ二つ。
この二体がタッグを組むと手がつけられないレベル。A-程度では歯が立たない。というか、敵性存在、またはそれに近いレベルの者でない限りこのタッグは倒すことは難しい。