男子新体操
第一章 探していたもの
四月の夕方、洋平はいつものランニングコースを走っていた。このコースはもう五年前から走っている。潮風が吹く海沿いに続くこのコースは、公園のそばにあって夕方にもなると、ジョガーや、カップル、家族連れなどで少しにぎやかになる。そんなコースをいろいろ考えながら、走るのが洋平は好きだ。特に嫌な事があった時は、体全体をすり抜ける潮風が、ぬぐい去ってくれる。夕陽が絶景というのも魅力だ。
今一番の考え事は、どの部活に入部するかだ。健太も輝樹も「陸上やれよっ」て簡単に言うけど、洋平にとって走る事は趣味だ。
中学の時、洋平は長距離走で凄いタイムを出した。この辺じゃこのタイムに勝てる奴はいない。そう思った体育の先生が、地区駅伝の選手として洋平を選抜で出したが、結果は散々だった。相手選手にペースを乱されたからだ。一人で走ると自己ベストを出す事は出来るが、競争となるとダメになるタイプ、いわゆる”闘争心のない選手”と言ったほうがいいだろう。だから中学の時も部活はやっていない。「こんなに身体能力は高いのに」と思っているのが、輝樹と健太だ。
洋平は晴れてH高校に進学した。別にここに進学したいと思ったのではなく、輝樹も健太も部活で進学するからついていっただけだ。
H高校は部活を推奨する文武両道の高校だ。帰宅部は事情がない限り、基本的許されない。
どの部活も相手との競争だ、戦いだ。相手を倒すか点を取るかだ。闘争心丸出しで相手を睨みつけて挑まないと勝負には勝てない。洋平にそんな事出来るわけがない。陸上長距離だって同じだ。一人ずつタイムを計るわけじゃない。タイムも重要だが基本は順位だ。選手同士のルールに沿った戦いだ。
「いくら考えても仕方ない、明日の部活紹介見てから決めるか!」
洋平は軽やかにUターンすると、家路に向かった。
次の日の昼休み、校庭中庭の木陰でいつもの輝樹、健太、洋平と三人で弁当を食べていた。
エビフライの尻尾を口元でピクピクさせながら食べてた健太が言ったきた。
「洋平、部活何すんのか決めたんか?」
「……まだ……」弁当のご飯を箸でつつきながら言った。
「やっぱ洋平には走る事が一番、陸上で決まりだな」
箸で刺したミートボールをポンと口に放り込みながら、輝樹が言ってきた。
輝樹は、中学時代から野球をやってきた。日に焼けた顔に白い歯がやたらと目立つ。肩幅もやたらデカく、甲子園を目指す奴だ。健太はバスケをやってきて、身長が一八六センチもあるやつで、一年からレギュラーを狙っているこちらはかなりのバスケ馬鹿だ。野球の話、バスケの話を洋平はいつも聞かされっぱなしだが、洋平にも話題がないわけではない。体のためになる話になるとかなり二人は真剣に洋平の話を聞く。この雑学みたいな話はかなり効果があって、二人は洋平からかなりのアドバイスを受けている。
持久力をつける練習方法や、集中力をつける方法などいろんなやり方で、二人も力をつけてきた。選手とコーチみたいなそんな関係だ。
「今日の午後部活紹介があるだろっ、それ見て決めるよ」
そう言うと洋平が野菜炒めをガツガツ食い始めた。
「よく野菜がそんな美味そうに食えるな、俺の野菜炒めあげるよ」
健太が、自分の弁当箱から野菜炒めを洋平の弁当箱に放り込んだ。
「ビタミン食わんと、スタミナすぐに切れるぜ」洋平は、ザク切りの野菜炒めを美味そうに食べた。
「俺はウサギじゃねーし」健太が言った。
「俺も馬じゃねーし」輝樹も言った。
「野菜の重要性知らんなお前達!」
「おっ、洋平の雑学講座が始まった。野菜の重要性教えてください!先生」二人は口を揃えて言った。
「肉は体と血を作るが、エネルギーは作らん。エネルギーは持っていても、エネルギーを使えるようにするのがビタミンだ。体力の回復にもビタミンが働く。だからお前らすぐバテんだ。根性と勝つ気だけでスポーツができるか! バーカ」
「お前のスタミナは確かにスゲーよ」輝樹がしょうが焼きの肉を食いながら言った。
「ちゅうーか、持久力だよ、持久力。弁当置いてみろ」
洋平が弁当を芝生に置きながら言ったので、二人も洗面器くらいの弁当箱を置いた。
「自分の脈がどれくらいか知ってるか?」
「脈?何それっ」健太が不思議そうに言った。
「手首のここに脈がトントン触れるだろ、その脈は心臓の鼓動を意味してるから、一分間数えれば心拍数が分かる。それで、自分の心拍数が低ければ低いほど、心臓が強いんだ。持久力があるって事。こんだけも知らんのか」
二人は口をぽかんと開けていた。
「お前、理科の先生なれるぜ」輝樹が尊敬のまなざしで洋平を見ていた。
健太が、自分の腕時計を見せた。
「じゃー一分数えるぜ、勝つ自信あるし」
「お前ら負けたらちゃんと野菜食えよ」
「分かった分かった、よぉーぃ、はい」
一分間の沈黙が流れた。陽射しは夏が近い事を教えるかのように、照りつけていたが、木陰はまだ春の風を少し残して、三人の間を心地良くすり抜けた。
「はいっやめ!俺は六五回」健太が言った。
「俺は六二回だっ」輝樹が言った。
「へっへっ、俺は五三回だ、野菜食えよ」洋平が得意げに言った。
「お前スゲーなやっぱし」
二人はそう言うと、弁当の野菜をしぶしぶ食べ出した。
「洋平、部活決まったらすぐ教えろよ、絶対」
健太が渋い顔しながらピーマンをチビチビ食べながら言った。
「うんっ、分かった」
午後体育館で部活紹介が始まった。中学校にはない雰囲気で最初に始まったのは一人しかいない剣道部。剣道とは全く関係ないダンスを防具着たまま一人で踊って笑いを誘っていた。マイクを取ると、
「えーっ、私たち剣道部は一人しかいませんがー……」
「お前一人だろっ~」
野次が笑いと共にあちこちから聞こえてきた。そんな風に部活紹介は楽しく盛り上がっていった。
その中で、一人真剣に部活紹介を見ている生徒がいた。洋平だ。
確かに、楽しく面白いが、所詮部活が始まればスポーツ。どれを見ても、相手との競争スポーツだ。バスケは対戦相手と点の取り合いだ。ケンカみたいな時もある。野球も同じだ。結局、点の取り合い競技だ。剣道だって戦いだ、相手を倒さないといけない。そんな部活、洋平には出来っこない。スポーツは『自分との戦い』みたいな事を言うが、やっぱり相手との戦いじゃないか。洋平にはそう見えてきた。
最後の部活紹介が終わり、生徒会長がマイクを持った。
「一年生のみなさん、楽しかったですか?H高校の部は盛んで、先輩達が地区大会、インターハイでもたくさんの成績を残しています」と話続けていると、舞台反対側がら声がした。
「ちょっと待ったー」
新任の体育の田嶋俊一先生の声だ。田嶋先生はいきなり舞台に上がり、生徒会長からマイクをぶん取ると挨拶を始めた。全身黒タイツみたいなキンキラ衣装に身をまとっている先生と、突然サプライズみたいな登場に、生徒も見ていた先生も変にざわつき、盛り上がった。
「今から男子新体操の部活紹介やります。舞台は狭いので体育館フロアーを空けてください」
生徒会があわててフロアーを空けさせた。
黒いタイツ姿に身をまとった田嶋先生は、小走りで行くとバスケリングの真下に立った。何をするのかみんな分からず、体育館が静まり返った中で生徒会長が言った。
「飛び入りですがただいまより、男子珍体操の部活紹介です」
生徒会長の珍体操の言葉に、静まりかえっていた体育館が大爆笑に変わったが、笑いを裂くかのように先生は動きだした。
ゆっくり大きく両腕を振ったかと思うと、いきなりバク転が始まった。スピードはどんどん速くなり、超高速バク転になっていた。あっという間に、反対側のバスケリング下まで来ていた。みんなが歓声を上げる間もなく、今度は逆戻りでまた、超高速バク転で戻りだした。間をあけていた大歓声が体育館にこだました。この部活紹介一番の大歓声だ。一瞬の出来事だった。
次はアクロバット、空中回転の連続技だ。前に宙返りしたりひねったり。オリンピックの体操競技を見ているようだった。その宙を舞う体は、軽く先生の背丈を越えていた。
今度は先生が、一枚のCDを生徒会へ渡すと、曲をかけるように指示した。先生は予め用意していた縄跳びみたいなロープをタイツに巻きつけると、ポーズをとっていた。
曲がかかり始まると、先生はフィギアアイススケートのダンスのように踊り出した。ロープを生きているかのように操り、その中で派手なアクロバットしながらダンスした。
曲の終わりと同時に、ピタッと決めのポーズでダンスも終わった。唖然としていた生徒も先生達も、思い出したように体育館が割れんばかりの拍手を送った。
田嶋先生は、息を荒立てながら生徒会長のマイクをまたぶん取ると、額の汗をぬぐいながら話した。
「今のがっーはっ、男子……新体操っの演技っの……はっほんのっ、一部ですっ。はっ、他の競技とは違いっ……戦うスポーツではなく、美しくっダイナミックにっ、審判にっ、見せるースポーツでっす。はっ、団体演技とっ、個人演技があって、他のチームよりっ、はっ、すばらしい演技が出来れば勝ちとなるスポーツでっす。自分自身にっ、はっ、勝てる奴が出来るスポーツっでっす。はっ、まだまだっ、目立たないっスポーツでっすが、はっ、この沖縄にないと聞いてやってっ来ました。今からっ、男子っ……新体操部を立ち上げっますが、やりたいっ生徒がいたらっ一緒に頑張りましょう」
田嶋先生の最後の飛び入り部活紹介で、大いに盛り上がって部活紹介が終わった。
「スゲーな、今の先生の宙返りとバク転」
こんな声があちこちから聞こえている、そのざわつく中でバク転の残像をまだ見ている洋平がいた。
体の中から頭に向かって電撃が走った。
「探したぞっ!俺の部活、やりたかったスポーツ!これしかない」