E.著者の行方
意外なことは重なった。
美佐江の口から父親である石崎義男は、横浜にある支店に勤務していた。駅周辺の住所から見積もって、第一の犠牲者が出た場所と目と鼻の先の場所だ。彼は仕事中であっても、美佐江の電話に応じ、就業時間が終わる午後五時半、会う約束をしてくれた。
横浜行きの電車は地下へ潜った。電波が届かなくなったのだろう、隣に座っている美佐江は携帯電話をパカンと閉じた。
「就職先近くで第二の犠牲者が出たから、美佐江の父さんは他人事と思えないな」
昨晩、連絡があった。面接を受けた企業の人事部から内定をもらってうれしいはずなのに、どことなく気分は冴えなかった。部筑は取っ手に背を預け、横開きのドアに自分の顔を映し出している。
「内定出たんだ。おめでとう」ちょっとわざとらしい。
「祝ってくれる?」
「うん。事件が解決したらね」
「言うと思った」
地上へと登っていき、後ろを歩いている部筑を確認する。人口の多さが日本一の市だけあって、平日の夕方なのに人があふれんばかりだ。
南口を歩いて五分程度でオフィス街が開けている。若者をターゲットにした店と混在した感じでもあり、サラリーマンはどことなく窮屈そうだ。
「あのビルね」
八階建ての広々とした建物を指さした。美佐江と比較しても見劣りしない受付嬢に話をし、入口の脇にある外来客用の打ち合わせブースで、並んで座った。
ブースに入ってきたのは、狭い額で血色の良い中年男性だ。細い顎の輪郭や筋の通った鼻が、どことなく美佐江に似ている。中年男性は会釈をしてきた。
「どうも、はじめまして」
彼は胸ポケットから、名刺を取り出した。株式会社Dタント、技術部の部長、石崎義男とある。僕達は名前の自己紹介で応じた。
「あなたが部筑さんでしたか。娘から話は聞いておりました」
丁寧な義男に対してぶっきら棒な部筑だった。
「お忙しいところ、すいません」
気まずい雰囲気にならないよう、僕は下手に出た。
「気にしないでください。美佐江の友達とあれば、いつでもウェルカムです」
半笑いで応じる。義男の瞳の横に添えられている笑い皺がなびいた。時間に追われていても、決して顔には出さないのだろう。偉そうな態度を取られてしまったらどう対処しようか迷っていたので、彼の人柄を見て安堵した。
部筑は辺りを見渡してから、単刀直入に尋ねた。
「実は『ブビリオフィリア』について聞きたいんです」
義男は声を出して笑った。
「参りましたよ。私がその話をしたら、美佐江が興味を持つものだから。言い出したら聞かない性格なもので」
部筑は深く頷き、美佐江は頬を膨らました。
「部筑さん達も巻き込まれたのでは?」
「捜査協力してもらっているの」
「同意してもらっているのか?」
「もちろん。乗り気なんだから。ね?」
と、僕達の顔色を伺ってきた。「はい。微力だとは思いますが」
義男は姿勢を正した。
『ブビリオフィリア』に書かれていた殺人事件が現実として行われている。初めに目をつけたのは義男であり、美佐江の話と比べてみても、差異はなかった。
「殺害方法については、本の中には書かれていないんです。ですが日時と場所は書かれている内容とまったく同じです」
「第一がここ横浜、第二が新横浜ですね?」
「ええ。例の事件は、会社内でもちょっとした話題になっています。日中人の流れがあるこの辺りで、未だに目撃証言がないのですから、犯人はかなりの用意周到であると考えられます」
「承知しております」
「娘を危険な目にあわすのは、父親としてどうかと思われるでしょう?」
素直に肯定しづらい。それを察したのか、美佐江が面倒くさそうにぼやいた。
「わたしだって何度も反対はされたけどね」
当然だ。と注意した。僕もそう思う。
「ですが、お二人がついていれば、安心できます」
なんだか、過大評価されているようで、足元が落ち着かなかった。義男はつづける。
「『ブビリオフィリア』では、殺される人間が決まっています。既に起こってしまった第一の事件が大学生の男性、第二の事件が五十代の会社員の男性。そしてこれから起こるであろう、T村では四十代の会社員の男性です。あなた達はそれに該当しない。だから、美佐江が捜査するのも承諾したのですよ」
さらりと言ってのけたが、良く考えればすごい理由だ。
「出来るだけ、協力するつもりです」部筑は断言した。
ただ、物語上の内容と実際に起こった事件が酷似しているとはいえ、義男はなぜ『ブビリオフィリア』をそこまで信じ切っているのだろうか? 僕はゆっくり聞き出していこうと思った。
「わかりました。では、お話しましょう」
ガラス戸の向こうに通行人が歩いている。仕事から解放された清々しい表情をしている。ところが、こちら側が非現実な側面に立っているのに、向こう側が非現実を歩いているようだ。
「私の古い友人が『ブビリオフィリア』を発行したのは、十九年前になります。全部で十冊。作者以外の人の手に渡ったのが二部のみでした。一冊はT村の左近字図書館です。もう一冊は私の手元にありました」
『ブビリオフィリア』が手元にないから、義男は過去形で語っていた。すかさず部筑は、行方を訊いた。
「四ヶ月ぐらい前、友人がかえしてほしいと申し出てきましてね。そのとき、今の話しも聞いたんですよ」
「それで手元にはないんですね?」
「ええ」
「では、カバーだけ持っていたのは、どうしてでしょうか?」
部筑が訊いた――カバー?
『ブビリオフィリア』の本カバーは手元にあるらしく、丁度返そうとしたときに置き場を失念していたらしい。義男の古い友人は、カバーはいらないから直ぐにでも返してほしいと懇願してきというのだ。
「その人には、中身が大事だったんでしょうね?」
「そうでしょうね。とても慌てている様子でしたから」
「慌てていたのは、なぜだと思いますか?」
「あまり現実的ではないと思いますが……友人は何らかの形でこうなることを予知していたのかもしれません。殺人事件の道具となる前に、自ら回収しようと焦っていたのではないかと」
小説、『ブビリオフィリア』は近未来を舞台にした内容であり、本が人を殺せるようになるには、テクノロジーが発展した十九年後が現実的であると作者の意図があった。それが今年の年月になっているというのだ。「半自伝的小説になるだろう」という後書きが蘇ってくる。
本が人を殺したのであれば完全犯罪になる。
生命を持たない物体が、罪に問われたなんで聞いたことがない。せいぜい、品質改良して、注意を促すぐらいだ。
それを再現しようとした場合、犯人が直接手を下さずとも、本が人を殺したと見せかけるテクノロジーが必要だ。殺害方法の詳細が書かれていないのは言うまでもないが、実際は難しいと義男は補足した。本の中に爆弾が仕掛けられていて、開いた瞬間に爆発するなら別だが、当然、人工的な細工が必要になってくる。
犯人は殺害方法に拘りはなく、殺害自体に意味があったのだと結論つけていた。
ならば、『ブビリオフィリア』を知り尽くしている作者本人が犯人で決定じゃないかと考えられる。
「どうやって見つけたんですか?」
その話を広げてどうするんだよ。部筑の質問に突っ込みを入れたくなった。
「後になってわかったのですが、出張で留守にしていた時に、家内が私の書斎を掃除していて、本棚の裏にあったのを見つけたらしいんです。それを美佐江がこっそり持ち出していて、用が済んだら書斎の机の上に置いていたのですけどね」
「なるほど」
「やあ、驚きましたよ」
作者が不明だった『ブビリオフィリア』、部筑は書籍ソムリエの能力を駆使して、カバーのみで小園猛を言い当てた。それはつい先日、美佐江が部筑に相談したきっかけでもある。だから義男は部筑のことを知っていたのだ。
まあ、『ブビリオフィリア』のカバーを、部筑が舐めたことは話していないのだろう。義男がつづけた。
「カバーにはその名前の記載はありませんでしたし、娘にも教えていなかったんですから。どこかの探偵に調査依頼したのかと思っていました」
「それで、カバーだけはまだかえしていないのですね?」
「ええ、見つけたときは遅かったのです」
「遅かった――と言いますと?」
義男は、テーブルに両手を置き、前のめりになった。
「実際、かえそうとは思っていたので、連絡したんです。しかし、電話に出たのは神奈川県警の方でした。友人の携帯電話じゃないのかと訊いたら、相手は否定しませんでした」
平塚に住所がある小園猛は、義男の実家からもそう離れてはいない。最初、神奈川県警が電話に出たのは、何らかの形で逮捕されてのだと考えていたらしい。
「ただ、罪を犯す人間ではないので、直ぐに考えを改めました。友人の両親は他界していますし」
その先が言いづらそうだった。美佐江が先を急かす。
「……若くして奥さんを亡くされて、子供は家を出ている。そう思い、嫌な予感がしてきました。それで状況を突き詰めようとして、古くからの付き合いがあったことを話し、詳しい話を聞かせてくれとおっしゃいました」
「それは、どうしてですか?」
「三ヶ月前、私の友人、小園猛は自殺しました」
義男の眼は、僕達だけの秘密であり、それを約束してくれと言わんばかりの、強い光が灯っていた。そして閉じられる。二〇〇九年の十月二十三日に、小園猛は死んでいた。
「非情に残念です」
僕の予測は外れた。『ブビリオフィリア』の作者本人が犯人ではない。