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Y.釈放の意味

 重厚な門は開かれようとしていた。

 その傍らは、乱立した鉄条網が敷かれている。その下は人々の怨恨が溶け込み、深い汚れとしてあらわれたかのような塀が取り囲んでいる。踵を返すと色を失った建物が聳え立っている。

どれも見慣れた光景だけれど、門の外は別世界だった。

 視界がかすんでいる。

 かすんでいるのは涙のせいではない。涙は枯れていた。陽のあたる境界線を越えたからだろう。空は広くて、どこまでもつづいているように思えた。

 どれだけ、この瞬間を待ちわびていただろうか。苦しくなるまで息を吸い込んだ。

 塀の中にいた面々とは、誰一人として話が合わなかった。影として存在しようとしていたのに、僕の素状は無料情報として知れ渡った。連続殺人犯はどこか英雄扱いをされ、やがて異端の者になった。

 与えられた書籍をただただ読みふけっては、時間が過ぎていくのを待った。遺留品の本もいくつか借用して、死者の訴えを読み取ったこともある。しかし、一語一句が夢を見ている時にようにぼやけていて、直ぐに忘れてしまった。自らの心身が充実していないと、この能力は発揮されないのかもしれない。若しくは、読みとろうとする意思がないと駄目そうだ。結局、その答えは出ず、今こうして五十日ぶりに出られたのだ。

 部筑とは、刑務所内の運動場で何回か会った。抜け殻同然となっていた彼は、前よりも痩せて、短期間でひどく老けた印象になっていた。僕の問いかけには大概、生返事で答え、日課となっている労働には、無理やり参加していた。部筑も僕と同様、美佐江達を疑っていた事実を、取り調べで話している様子はなかった。ただ、このまま刑務所に拘束されていれば、完全に壊れてしまうのではないかという心配が過るほどになっていた。最も嫌っていた精神的な奴隷に、彼はなりつつあったからだ。

ある日の早朝、休憩中の彼に声を掛けると、カサついた唇が開かれた。

――住む場所ぐらいは選びたい――

 切実なる願いだった。飛び交っているカラスの鳴き声に負けそうな声でそう言ったのだ。僕達の傍には一生を塀の中で暮らす連中もいれば死刑囚だっている。彼らの精神は酷く不安定で、皆、ガラス細工を扱うように接していた。

――いつか、絶対に出れるから。それまでの辛抱だよ――

 当てなんて、存在しない。しかし、彼を励ましていないと、自分まで可笑しくなりそうだった。

その数日前、美佐江達は親子揃って面会に来た。釈放されたのは、美佐江達の働きかけのお陰だった。彼らを完全に信じていたわけではなかったけれど、取り調べ中に余計なことまではしゃべらなかったのが、功を奏した。

 僕達が逮捕されて合わせる顔がなかったのか、初めは挨拶もままならなくて、悲愴な面持ちをしていた。彼らは部筑とも面会を済ませていた。

――ごめんね――

 開口一番だった。それに習って、義男が謝罪してきた。

 彼らは僕らを売ったりはしていない。事件発生で調べてきたことを正直にはなし、僕達はそれに協力してもらっていたことも話していた。そう釈明した二人は、僕達が塀の中にいることが驚きだったらしい。となれば、警察内部の人間が、事実を改ざんしていたのか。と問うたら、二人は返答に困っていた。

――ここでは、言いづらいのかな?――

 探りを入れた。すると、美佐江は口を開いた。

――わたしが『ブビリオフィリア』の匂いを嗅いだのって覚えてる?――

 僕は曖昧に頷いた。覚えていなかったわけではなく、何故その話をするのかがわからなかったからだ。

『希林寿』を出払う前、僕達が石崎親子を疑っていたときだ。T村の阿武隈川で起こった事件が書かれた本の匂いから、美佐江は何かを思い出そうとして思い出せなかった素振りをみせていた。神奈川に帰り、ここ最近に会った人間の中から、同じ匂いを感じたのだと言う。

――美佐江が最近にあった人と言うと――

 鹿野紀子、黒岩、沢村だった。この三人から、『ブビリオフィリア』の匂いを感じ取っていたという。

――意味がわかったの――

 僕達が捕まってから、調査をつづけていた。くわしい話しは後日話すといった素振りで言葉を切り、美佐江は目を配らせた。僕の背後には看守がいる。

――真犯人がわかったから――

 囁いた。看守の耳に届いていたか、定かではない。

――誰?―― 

 早く教えてくれ。早く、早く、早く。

――誤逮捕した人―― 

――もしかして……―― 

 頭をよぎってきたものが一点に集中する。そんなことがあっていいのか?

 いや、違う。何故、今まで気が付かなかったのか。

――信二と部筑と、鹿野隆さんを誤逮捕した人――

 美佐江ははっきりとした声で言った。看守は咳払いをした。


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