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U.凶器

 僕達は、一階からの声で目が覚めた。 

 金曜日の朝から、沢山の来客が『希林寿』を訪れていたのだ。もちろん宿泊客ではなく、噂を聞きつけた村民が、鹿野紀子を心配しに来たのだ。話を聞いて愕然としている人もいる。鹿野紀子は葬式の日程とかの説明で、休まる暇がなかった。

 村民が鹿野紀子を囲んでいた輪が崩れた。黒岩の姿が現れたからだ。皆それぞれ驚きの仕草をしているものの、話しかけようとする者はいない。彼の頼りない足取りは、僕達のいる方へと向かってきて、ゆっくり通り過ぎる。

「こっちへ来い」

 と指図してきて、食堂の椅子に腰かけた。

「まったく、上っ面だけで悲壮感漂わせているのがみえみえじゃ」

「黒岩さんは違うんですか?」

 ちょっとからかってみる。黒岩は煙草を取り出し、火を付けた。そして、紫煙を僕へと目掛けて吐いた。

「まったく、最近の若者は教育がなっておらん」

 年寄りなら、若者よりも自由奔放でいられるのかと突っ込みたくなったがやめた。

「申し訳ありません。失礼なことを聞いてしまいました」悲壮感漂わせて謝る。

「黒岩ではない。仙人と呼べ」

――そっちかよ!

「仙人、訊きたいことがありまして」

 と言った部筑は、仙人の前に灰皿をさし出した。

「その前にお茶をくれ。ずっと歩きで喉がカラッカラ」

 素っ頓狂な抑揚で指示され、あり合わせの茶を入れた。ふんわりした湯気が立っている茶碗を仙人が啜る。

 僕達がT村について引き続き調べていることを、部筑が切り出した。その話しになると機嫌が良くなることを、前回会ってから知っていた。

 四年前まで、T村の阿武隈川は存在していた。しかし、今はないと言う。

「子供が遊んでいて、溺れることが多々あったからな。水源は残し地下水にして、川を埋め立てたんじゃ」

「本当の理由はそれだけでしょうか?」

「本当の理由はそれだけでしょうか?」

 部筑の問いに、仙人はおうむ返しで眉を潜めた。

「ええ。危険だから川を埋め立てたって話は、聞いたことないんですが」

「それは、お前の偏見じゃろ?」

「いや。普通なら、川の周りを立ち入り禁止にするとか、遊泳禁止を呼び掛ける看板を立てるとかをするでしょう」

 灰皿に煙草を押し付けると、腕を組んだ。

「下流で人が死んだんだ」

「死んだ? どんな理由で?」 

「もう、二十年以上前の話になる――T村を訪れていた観光客が、何者かによって殺された。阿武隈川の下流でな」

 やはりだ。

「犯人は見つかっていないのですね?」

「そうだ。阿武隈川はもう存在しない川じゃ」

「無くなったのですか?」

「五年前だった。縁起が悪いからと、村長は埋め立てる決断をした」

 つまり、小園猛が妻を殺した犯人の時効直前になって、金子とコンタクトを取っていた後になる。

「村長が決めたことなのでしょうか?」

 僕は身を乗り出すように訪ねる。村長と仲が良かった社長の関係が成立していたから、『㈱エコノミーテクノ』が創立されていると、鹿野紀子から聞いていたからだ。もしかしたら、義男の意見だったのかもしれない。だが、

「知るか」で、一掃された。

「阿武隈川は、低雲丘の頂上から見える位置にあった。訪れる者が減ったのも、埋め立ててしまったからだと思っている。川の流れが、周りの景色を引きたてていたからな――あれは風流じゃった」口髭を摘まんだ。

 となると、小園猛が殺されたとき、失望していたのはそのせいに違いない。

「悲しい、ですね」

「図書館の資料が嘘だと言われていたのは覚えているな?」

 僕は頷いた。 

「あれは阿武隈川のことが書かれていなかったのも含まれていた」

「それを言いに来たんですか?」

「まさか。年寄りの言い忘れは日常茶飯事。いちいち気にしていたら、寿命がいくらあっても足りん」

 だろうね。言われてみれば、僕らが観光客なのは知っているから、『希林寿』に泊っていることぐらいは分りそうだが、学生が月曜から金曜まで連泊しているとは思わないだろう。

「じゃあ、どうしてですか?」

「沢村という刑事が、ここにいるんじゃないかと思って来たんだ」

「え?」二人揃って素っ頓狂だった。

 沢村が金曜日にはT村を出ると聞いていたらしい。「沢村さんは、来ていませんよ」

「見りゃわかる」

「どうして沢村さんに?」

「大人の事情だ」

 どんな事情なんだよ。余計知りたくなる。

「僕らももう、大人ですよ。教えてください」

「馬鹿もの!」

 全身がピクリと動く。建物じゅうに響いた仙人の怒声で、残っていた人の全員がこちらを向いた。

「二十歳そこそこのガキが、大人なんて名乗るな」

 気まずい空気が流れたところで、村民たちは『希林寿』を出ていった。仙人はそれらに目もくれない――この人の地雷はどこにあるのだろう。

 ある意味、僕達が捜査している事件なみにミステリーだ。

 部筑は話を変えた。

「小園猛さんが発見されたとき、まず、雪が降った後だと、おっしゃっていましたよね?」

「それがどうした?」

「いつ頃から、降っていたのでしょうか? それと、遺体には雪が積もっていましたか?」

「一気に質問するな。まったく」

 仙人は煙草をくわえる。すると、部筑はライターを持って立ち上がり、煙草の先端に着火させた。

「雪は、だいたい二日前ぐらいから降っていただろうな。発見された日の朝方には、もうやんでいた」

「遺体には?」

「雪は、殆ど積もっていなかったらしいぞ」

「積もっていない? おかしくありませんか?」

「なぜじゃ?」

「死亡推定時刻は三日前だったんですよ。発見者が低雲丘に行った日の朝方には、もうやんでいた。のなら、その前の二日前は雪が降っていて、遺体にも雪が積もっていたはずなのに、積もっていなかった」 

「んん」

 先生に怒られている生徒のように、仙人は頭を垂れた。

「雪が降る前、小園猛さんは死んだ。誰かに殺されたんです。発見される日、低雲丘に誰かが足を踏み入れたはずです。そうでないと足跡の説明も付かない。そして、その誰かは小園猛さんの遺体に積もった雪を、取り払った」

「何のために?」

「辺りに雪が積もっている状態で、片道だけの足跡を残し、自殺と見せかけるためです。帰りの足跡がなかったのは、たぶん、来たときの足跡を外れないようにして帰ったからでしょう。でも、それがあだとなってしまった」

「お前さんは、自殺じゃないと思っていたのか?」

「ええ。小園猛さんは殺されたんです。小園猛さんの履いていた靴のサイズも、知っていた人間によって」

 当然、警察の誰かはそのトリックに気が付いているのだろうか。小園由美子も知っているかもしれない。仙人が持ってきた煎餅をパクつきながら、時間が過ぎるのを待った。


 昼時になって、渋い顔をした沢村が姿を現した。

 顔を見るなり、仙人は舌打ちをする。どうやら、相当嫌われているらしい。

「おい、刑事よ」沢村を手招きした。

「ああ、黒岩さ、いや仙人。どうしてここに?」

 流石の沢村も怯んでいるようだ。

「T村で何件の事件が起こっていると思っているんだ。いいかげん、犯人をつかまえろ」

「ですが。何度も言ったように、自分は神奈川県警なんですよ。捜査するのは地元の……」 

「いいわけはするな」

 言い終わる前に遮った。

「彼らにも聞いたぞ。小園猛は殺されたんだってな」

――し、しまった!

 目の前の老人は僕達が話していた内容を、グイグイとしゃべっている。

「君達は、なぜそこまで知っていたんだ?」沢村は僕達の目を見てきた。

「いや、その、小園猛さんは知り合いでして。いろいろ調べていたんです」

 部筑は諦め混じりに言った。

「甘い気持ちで捜査するなって忠告したのに」

「大人の事情を話したい。近いうちに、自宅へ寄れ」

 仙人は捨て台詞を吐いて、『希林寿』を出ていった。なんだか、嵐が去っていった感覚だ。

「やれやれだ」

 沢村の体が幾分小さくなったように思える。

「何で黒岩さんは、沢村さんにつらくあたるんですかね?」

「それは、こっちが聞きたいよ。T村に来ても死体が見つかるんだからな。発見者も見つからないようだしさ」

 発見者と聞いて、僕は身震いした。悟られないよう、大変ですねと眉を潜める。だろうと言った彼なりの予定が大幅に狂ってしまったらしい。

「黒岩さんに、いろいろ聞いたんだね?」

「はい」

「神奈川県警も、小園さんのことは水面下で調べていたんだ。自殺にしては、いくつかの矛盾点があってね」

 部筑が聞いた状況から判断した他殺説以外にも、何かあるのだろうか。

「矛盾点?」

 沢村は、皮の手袋をしている手を横に振った。

「いや、何でもない。とりあえず、今回の事件は担当から外れそうだから、ほっとしているよ」

 はぐらかされたのは気になったが、僕もほっとした。

「女将さんはいないの?」

「いると思いますけど、その前にお時間貰えますか?」

 第一、第二の事件で、被害者の状態を聞いた。無数の傷がどうなっていたか、知りたかったからだ。

「あの傷は、ナイフのような刃物では不可能だろうな」

「どうしてですか?」

「切り口があまりにも均等だったからだよ。いくら犯人が殺しの達人だったとしても、百か所以上の切り傷を、同じようにつけることは出来ない」

「なるほど」

「それに――」と言葉を切り、沢村は顎に手を当てた。

「皮下脂肪が薄い、額の部分にも傷はあったんだけど、骨が削られていた形跡があったから、特殊なものを使ったんだろうな。例えば業務用の電動のこぎりとか。でも、切り口が薄いから違うか。うーん、わからないな」

 放置しておけば、いつまでもマッチポンプを繰り返しそうだった。

「均等ってことは、等間隔で切り傷があったんですか?」

「鋭いね」

 十箇所単位で等間隔だった。傷と傷の感覚は約二センチになっていた。十個の刃を持った機械でつけたような、と沢村は形容する。刑事さんの方が鋭い、と感心している場合ではなかった。

「そんな機械に心あたりはないかい?」

「ありません」部筑は即答で、僕も便乗して否定した。ただ、部屋を家宅捜索されたら、完全にアウトだ。

「だよね」

「鹿野さん、呼んできますよ」

 気をきかせているように演技するので精いっぱいだった。

「あ、そうだ。貸していた本、返してくれないかな?」

 借りていた三冊の本を渡そうとすると、沢村は食い入るような視線を送ってきた。蛍光カバーの本をサンドイッチ状態にしているのが、気になっているのか。

「確かに。受け取ったよ」

 階段付近で見張りをしていた。部筑はいざとなったとき、リュックを持ってバルコニーから逃げられるようスタンバイしていた。が、沢村は鹿野紀子と立ち話をして、忙しなくその場を後にした。そのタイミングを見計らって、鹿野紀子に声をかけた。

「沢村さんとは、何を話していたんですか?」

「……夫婦のことをいろいろです」 

「あれ?」

 疑問がふつふつと沸いてくる。

「どうしました?」

「いや、今回の事件は担当から外れそうって、おっしゃっていたので」まず、神奈川県警の刑事がT村の低雲丘であった事件を調べる方が不自然だ。

「夫と小園さんに何かしらの関係がなかったかを調べているみたいですよ」

 沢村は、どのぐらい小園猛のことを調べているのだろうか。

「それと、沢村さんは一時期、T村を管轄している警察所に勤めてきたことがあるんです」

「本当ですか?」

「はい。古い仲間と再会ができるとかで、喜んでいたみたいですよ」

 沢村がT村にいたのは、約七年前から二年間だった。元々神奈川に住んでいた沢村に異動の話があったわけではなく、彼自身が率先していたらしい。

「だからか……」

 自ら納得している僕の顔色を伺ってきた。

「左近字図書館員の加藤さんが、沢村さんの顔に見覚えがあるっておっしゃっていたんです」

 沢村がT村に滞在していたのなら、一度や二度は顔を合わせていても不思議ではない。

「縁があるみたいですね」

 僕達は神奈川とT村で何度も顔を合わせている。少し、仲良くなりつつもあった。

「あまり嬉しくはありません」

 苦笑いした。どこかで疑いを掛けられているはずだから。

「ところで、鹿野さんは、何故沢村さんの事情にくわしいんですか?」

 事件捜査の一環なら、不思議ではないのだが。

「くわしいというほどでもないですよ」

 謙遜しているのか、探られたくないのかは判断できなかった。用事がありますからと立ち去ろうとした鹿野紀子を引きとめた。僕は邪な考えを持ち始めていた。

「この事件がある前から、沢村さんに関わりがあったとか?」

 不倫とか……

「ありません」即答だった。あったとしても言えないだろう。気まずくなってしまい、僕はお礼をして、その場を離れた。


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