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S.侵入(1)

 一度、連続殺人事件の犯人だと疑ってしまえば、普段通りに接するのがいかに難しいか、食事中に思い知らされた。なるべく自然に接するんだぞ、と部筑に忠告されていたが、あえて事件のことから外れた会話をしていても、片時も頭を離れることはなかった。義男も美佐江も、まさか僕達が疑っているとは考えていないのだろう。義男は美佐江に注がれた日本酒を、照れながら飲んでいた。

 降りつづいた雪はやんでいた。

 T村は積雪の多い地域と聞いていたが、後数日ふり続いていれば、映画『シャイニング』の設定に似た、缶詰め状態だ。窓の外を眺めながらそう思っていると、美佐江は浴衣姿で現れた。金髪を後ろに束ねていて、上気した顔の輪郭がくっきりしている。そして、チラリと覗いたうなじがたおやかだった。

「もうすぐ、旅行も終わりね」

 美佐江は肩を並べてきた。

「ああ」

「ほんと楽しかった」

「まだ終わってない」

「ううん、もう充分。いろいろ有り過ぎたし」

 まだ終わっていない。犯人を特定するまでは。

「今度は、事件捜査とか関係なく旅行したいよな?」

「そうね。やっぱり普通の旅行が一番だね」

 どこか、悲しそうな面持ちだった。ここで、本当はわたし達が犯人なのと言ってくれれば、僕は警察に通報しなかったと思う。

「初めて僕達があったときのこと、覚えてる?」 

「うん。どうしたの急に?」

「わたし達、同じ匂いがするって言ったんだよね?」

「そうだっけ」

「あと、『ジプシーの日常』って本を、僕達が読んでいたのも知っていた。どうしてわかったのか、知りたくてさ」

「匂いフェチだから」

「それだけで」

「何となく、匂いで信二とブックが本好きな気がしたの」

「答えになってないし」

「『ジプシーの日常』も、何となく二人が読んでいたような気がしたの。これじゃ、納得しない?」

「納得しない」

「……ん、もう面倒くさいな」美佐江は必死になって、記憶を遡っているようだ。しばらくしてから「忘れて」と素っ気なく言う。

 窓ガラスには、部筑が階段を下りてくる姿が映った。

「丁度良かった」

 美佐江はそう言うと、昨日、会社で盗難があったことを話した。最初、懐中電灯だと思い、僕は青ざめたが違ったらしく、盗まれたものの正体は鍵だった。美佐江と義男の帰りが遅くなったのは、鍵を管理していた人にいろいろと聞かれたせいもあったらしい。盗んでないかを質問され、僕達は盗んでない。と断言した。

「盗難事件、多いね」

「もう、わたしは関係ないのに、疑われるし」

 美佐江の口から、疑われるの言葉が出て、鼓動が高鳴った。

「ねえ、由美子は殺人をやっていなかったって、信じていいんだよね?」

 聞かれても困る。

「友達なんだから、信じてあげろよ」

 僕の返事が詰まらなかったのか、部筑は欠伸をしてから、今日は早く寝ると言い、部屋に戻っていった。彼は何のために階段を下りて来たのだろう。僕が計画をしゃべるという、墓穴を掘ならないよう監視する意図でもあったのか。

「由美子、今頃どうしているんだろう」

「捜索願は、まだ考えていないの?」

「うん、けど迷ってる」

「犯人じゃないって、信じられるようになったから?」

「それもあるけど、なんか、一人で過ごしているって思うと可愛そうになってきて。わたしが疑っていたことも、ちゃんと話して、前よりもっと一緒にいたい」

「ねえ、由美子さんの母親って、亡くなったの?」

「そう。もの心つく前に、急死しちゃったみたい」

「急死?」

「小園猛さんは、あまり話してくれないんだって。どんな人だったかは教えてくれるんだけど、何で死んだかはいつも誤魔化されていたらしくて」

 わたしだったら、あんなに強く生きられない。と、美佐江は遠くを見た。


 深夜、旅館のバルコニーからこっそり抜け出した。飛び降りても、白い砂達がクッションになる。衝撃だけでなく、音も緩和してくれる。

 向かったのは、『㈱エコノミーテクノ』だ。相変わらずの曇り空であり、空気を舞う雪が消えたせいで、夜の闇は一層濃くなっている。前を歩いている部筑が背負っている、ペシャンコのリュックサックが、背後霊のようだ。

「さっきの美佐江の話だけどな。盗んだの、俺なんだ」 

「そんな気がした」

 まさか、窓ガラスを割って入るわけにもいかないだろうし。

 門を巡回し、頃合いを見計らって敷地内へと侵入した。黒岩の自宅からの景色、あの緑の面影はない。建物の裏口は除雪されていないのか、高らかに積もっている雪は一階の半分ぐらいに達している。足を踏み入れても、ちょっとめり込む程度で、あとは凍っていた。

 二階の隅にあたる非常口から侵入する。わずかな天井灯がリノリウムの床に染み込んでいた。鈍い足音でも、フロア全体に響き渡ってしまうのではないかという不安のなか、これでは、美佐江の書斎に侵入したやつと同じ発想だなと思い、頬が引きつった。

 僕達は商店街に設置された監視カメラに気が付いていない素人なので、正直、一か八かの賭けだった。いつ、防犯アラームがなっても可笑しくはない。ただ、こうして内部の廊下をこっそり歩いているということは、とりあえず賭けに勝ったことになる。

 部筑は一階に行こうと言ってきた。打ち合わせスペースの盗まれた機器と、金子大輔の持っていた本で読みとった変な機械を照らし合わせ、殺人に使われた凶器ではないかと疑っていたらしい。横浜と新横浜で発見された遺体にある無数の傷は、巨大なネジのような機器で使われている。この機器をよく見ると、刃となる部分が十箇所あった。遺体にあった傷も十の倍数、それが部筑の推理だ。

 ガラスケースの前で中腰になる。スライド式の戸になっていて、盗難事件があったというのに、鍵さえ設置されていない。たぶん、顧客との打ち合わせで直に取り出せるようにしているのかもしれない。部筑は躊躇いなく、巨大なネジのような機器を手に持った。手で持つ上部の部分の先端に、差し込み口があった。差し込み口は携帯電話のバッテリー充電用のような形で、隅に置かれていたコネクタを装着したコードが、すっぽりはまる。

 型式だろうか『U130』と小さくプリントされていた。

「どうするんだよ?」

「決まっているだろ」

 リュックの中へと忍ばせた。

 義男が使っていた個室の鍵を、持っていた鍵で開ける。当然、スペアキーもあるだろうから、施錠させられていても不思議ではない。ドアが閉まる直前に、遠くから足跡が聞こえてきた。

「やばい……」

 咄嗟に内鍵を閉め、部屋を見渡してから、奥の個室へと向かった。懐中電灯の明かりを消し、ゆっくりドアを開け、最小限の力で絞める。完全なる闇が訪れ、そこで声を潜めた。

 十分程度、待っていた。足音は消えている。正確には、この個室に入ってから、外からの音も、光も確認できなくなっていた。少なくとも、あの足音が義男の個室に侵入してきた形跡はない。すると、部筑は懐中電灯の明かりを付けた。

 部屋は縦長のロッカーが五個並んでいて、その他は沢山の段ボールが積み上げられている物置になっていた。ロッカーを一つ一つ開けていく。

 僕が聞いていた会話。

《最近入ったあの子、今日もいないじゃないか》

《ああ。今日も地質調査とかで、どこかに出かけているらしいぞ》

《そんなに調べることあんのかね。やってもらいたい仕事は山ほどあるのに》

《さあ、お偉いがたのお気に入りだからな。ちょっかい出すなよ》

 会社への侵入計画を企てたとき、部筑にそっくりそのまま伝えていた。それが今、点と線で結ばれる。 

 女性ものの制服がハンガーに吊るされていた。女性社員が着ている制服とおなじやつだ。上着に吉村加奈子の名札が付いている。黒岩と会ったときに使っていた名前だ。帽子もあり、その下に本が二冊置いてある。カバーのない本とカバーのある本。カバーは見覚えがある『ブビリオフィリア』だ。

「小園由美子のものだな」

 別のロッカーには熊の脚を象った、スリッパのようなものがあった。剥製だろうか。中央にチャックが走っていて、どちらからでも閉められる構造になっている。底の部分は湿っていて、置き台は濡れていた。すべてのロッカーを開け終わっても、熊のつめらしきものはなかった。

 部筑は二冊の本と熊の脚をリュックにしまった。女性ものの制服は迷った挙げ句に、置いておくことにした。

「この段ボールも、貰って行こう」

 十五インチのモニタ大の段ボールを広げている。「どうするんだ?」

「さっきから、刃の部分が当たってたまらないんだ」

 段ボールの中に、『U130』を詰め込んだ。「よし、持っていてくれ」

 次第に、捜索の勢いが罪悪感を勝り始めている。ついでに義男のデスクの引き出しまで調べ、『社外秘』の印鑑が押してある書類やら、束になっていた名刺やらを調べていった。それについては、たいした発見はなかった。

 部筑の盗んだ鍵は、義男のデスクに放置し、僕達は来た道を辿った。

 会社を出たところで大きなため息をつき、無事生還したことを喜んだ。

『希林寿』の部屋に戻り、部筑は二冊の本を取り出した。

「読みとれるかどうか、試してくれ」

 僕はまず、カバーのない本を手に取った。反応はなく、次にカバーのある本を手に取った。


《――T村ヲ 訪ルト イツモ辛イ過去ヲ 思イ出シテシマウ》

《シカシ ソウモ 言ッテイラレナクナッタ――》 

《――私ハ T村デ 起コッタ事件ヲ 調ベテイタ》

《勤メテイタ 出版社ハ 倒産シテシマッタガ 特集ヲ組モウト――》

《――立案シタノガ 殺人事件ヲ起コシタ キッカケデハナイカ》 

《ソウ思イ 責任ヲ 感ジテイタ――》

《――調ベテ行ク内二 逮捕サレタ 鹿野隆サンハ 無罪デアルト 知ッタ》

《彼ハ 犯人二 サセラレテイタノダ――》 

《――真実ハ 旅館ノ 元従業員ガ ヤッタコト》

《彼ガ 出所シタラ 会ウツモリデイタ――》

《――手紙ヲ送リ 出所シタラ 左近字図書館ノ 自著ヲ借リテクレト 頼ンダ》

《悲シイコトニ 数年間 借リ手ガ イナイノヲ 知ッテイタノデ――》

《――図書館デ 常備サレテイル状態二 等シカッタ》

《ソノ前ニモ 連絡先ヲ 記載シタ 手紙ハ送ッテイル――》

《――シカシ ソノ手紙ハ 返却サレタ 理由ハ ワカラナイ》

《左近字図書館ヲ 訪ネルト 本ハ無クナッテイタ――》

《――図書館員ハ オ茶ヲ濁シテイタガ 恐ラク 盗マレタノダト 直感シタ》

《ソシテ 置カレテイタ棚二 私ノ名前ト 連絡先ヲ記載シタ 紙ガアッタラシイ――》

《――私ガ 本ノ中二 忍バセテ イタ紙切レ ダッタ》

《同時期 私ハ 『ブビリオフィリア』ヲ 回収シテイタ――》

《――実際二 アッタ事件ヲ加エ 書キ直シテ 出版スル 予定ダッタカラダ》

《私ガ 提案シタ規格二 出版担当ノ 編集者ハ――》 

《――念ノ為 『ブビリオフィリア』ヲ回収シテクレト オ願イシテキタ》

《タダ 鹿野隆サン二ハ 『ブビリオフィリア』ヲ 読ンデ貰イ――》

《――実際 合ッテ 私ノ企画ノ 許諾ヲ 貰イタカッタ――――》


 一旦停止し間延びしていた。

 しかし、僕の思考をノックするように、新たなメッセージが入りこんできた。


《アル者ハ 私利私欲デ 動イテイルノダト知リ 失望シタ――》

《――出世ノ為 不正ヲ働キ》

《人間ハ醜イ 将来ノ為ナラ 他人ヲ 犠牲二スル――》

《――良心ガ欠ケタ行為 暴イテヤロウト 考エタ》


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