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O.万引きは誰かに見られている

 海沿いの道と駅の中間地点をあらわす場所、そこにT村唯一の書店がある。鮮度が命である週刊誌は、五十二週間以上も前の発行年月が印字されている。並んでいる本が中古ではなく新刊の値段で売られている事実を知った者は、かなりの確率で開いた口が塞がらなかった。

 無精ひげに充血した白目を隠したサングラス、頬がこけている風防は、我ながら不信だった。刑務所内で鍛えるずっと前から維持している肉体は、まだ衰えてはいない。と思った鹿野隆は返却期限を過ぎた『ブビリオフィリア』をポケットに忍ばせて、書店へ入店した。冷やかし以外にも、目的があったからだ。

『あなた持っているでしょ。図書館から盗んだ本。それと殺した犯人知っているの』

 九日前、神奈川のマンションの郵便受けに投函されていた葉書があった。それに書かれていた一行目の内容だ。自分が盗んだ事実を知っているのは、彼にも大体想像がついていた。 

 左近字図書館の職員の誰か。文面は女のようだ。

 あの本だけは、どうしても読んでおく必要があった。

 図書館で読んでしまう手もあったが、顔がばれてしまう。

 だから、万引きをして、手に入れた。

 ここで捕まるわけにはいかない。少なくとも、本当の犯人を捜し出すまでは。

 しかし、金子を殺した犯人を知っている人間となれば、たちまち特定は難航する。いや、結局は左近字図書館の職員なのかもしれない。

 鹿野隆は、気が済んだら、図書館へ本を返しに行くつもりだった。本の背にはラベルが残っているし、戻ってきた本を見て、万引き犯を探し出そうとはしないだろうと、高を括っている。問題は、なぜマンションの住所まで知っていたのかだ。こちらに知り合いはいない。見当もつかないことだ。消印がなく、直接投函した形跡があった。妻にはしばらく神奈川にいると伝えてある。それも、つい二日前だ。だとすれば、別の誰かが自分の行動までを把握している。ようやく情報が手に入り、探し求めていた金子大輔、城島博志は、相次いで殺されていた。それ以外の誰か。誰だ?

『犯人を知りたければ、T村にある、低雲丘まで来て』

 二行目の内容。 

 書店には、いつもの若い女性店員ではなく、腰の曲がったおばあちゃんが、読んでいた本から目を離した。

「いらっしゃいまし」

 控え目に頭を下げる。あまりにも健気だったので、決まり悪かった。

 雑誌を捲っているうちに身体の震えが収まった鹿野隆は、店を出た。

「ありがとうございます。またお越しくださいませ」

 おばあちゃんは足を滑らせないよう気を付けてと見送ってきた。 

『日時は二〇一〇年二月十日の水曜日、午前十時』

 三行目の内容。三十分後だ。

 バス亭には、しばらく運休しますの文字、この時期は良くあることだ。スリップしたバスと心中したい乗客だっていないはず。ただでさえ、荒っぽい運転手がいるぐらいだ。バスの冬眠ならわかるが、その間の運転手はいったい何をしているのだろうか。と考えを巡らせている内に、変な足跡が視界に入った。足跡は大きく、先端には五本の爪がある。熊のつけたものだったとしても、四足歩行というより、二足歩行で規則正しく歩いている感じだ。

 鹿野隆は首を捻った。

 山道をひたすら歩いていく。トンネルを抜けた。開けた丘に、帽子で顔の半分を隠している者がいた。色白で、長い髪の毛が顔の輪郭をぼやけさせている。毛皮のフード、その位置からは、胸から上のあたりまでしか確認できない。

――あの子なのか?

『ついたら、盗んだ本を手に持ち、高く上げて』

 四行目の内容。本人確認のためだろう。体に積もった雪を振り払い、冷え切った汗を吸い込んだ本を持ち上げる。

『そして、本以外の荷物は、その場に置いてきて』

 最後の行。財布と鍵を置く。その他の持ち物はない。鹿野隆に、相手をどうにかするつもりはなかった。ただ、真実を知りたかった。

 四歩進んだ。すると、雪に埋もれるように。

 倒れた。

 倒れる瞬間、白目をむいていた。

 鹿野隆は駆け寄った。丘の上にいたのは、女の子だ。

――この女の子は、なんでこんなスリッパをはいているのか? 背中にはリュック、そして右手には、 スリッパ、に似た……

 これは、まるで……

 肩に手を置いて、揺すった。目を見つめ、やがて抱き締めるように揺すった。彼女の意識を確認できたのは、敵意だった。


 どうしてだろう。

 低雲丘から見える景色が、今までと違うように思える。いや五年ぶりだ。錯覚なのかもしれない。

 意識が朦朧としているせいだ。

 視界から外れていた横腹を、五本の爪が襲ってきた。鹿野隆は、そのまま倒れて女の子にかぶさらないよう、白い地面に膝をついた。

 衣服の下に手を入れる。鮮血で染まった手のひら。いくら呼吸をしても、体全体が拒否している。

 女の子は歩きにくそうに、後ろへ下がり、大きく息を吐いた。鹿野隆の全身を舐めまわすように視線を動かし、手が離れて落ちた本で止まる。

「この本は読んだよね?」

 当然だ。返事をする前に、

「父はこの場所で死んだの。この本と一緒に」

 どこか他人事に思えた――父? 

「だ……だれだ?」 

 一言が命を削っていく感覚があった。だが、鹿野隆はその名前を聞いて愕然とした。あの事件の真実を突きとめるために、出所する前から協力してくれていた人だ。彼の著作、つまり落ちている本を読み、会ったときにでも、感想を述べようとしていた。彼がここで死んだ……どうして? 目の前にはその子供がいる。

「あなたのせいだった。あなたが起した事件のせいで、父は死んでしまったの」

――この子は何を言っているんだ? 事件とは、金子のことなのか。

 違う違う。あれは、私がやったことではない。犯人は……あなたが知っているのではなかったのか? 

 鹿野隆の出した声は、言葉になっていなかった。

「刑務所に入っている間、どんな思いで過ごしていたかは知らないけどさ。事件はやった本人が罪を償っていたとしても、それで罪の意識が薄らいていったとしても、周りの人達の傷は、永遠に癒えないの」

 膝を折った状態で、仰向けに倒れた。

「父が死んでも、発見は遅れた。三日間、ここで倒れていた。地元の警察はその日に自殺したんだって言っていたけど、信用できなかった。私が発見しなかったら、もっともっと遅れていたわ。あなたのように、この村にはいないことになっていたせいでしょうね」

 女の子は携帯をチェックしている。数秒間いじって仕舞った。

「金子を……犯人は……」

「はぁ、金子? 何を言っているの。死の直前でこわれちゃったわけ?」

――金子を知らないのか? どういうことだ……

「犯人は?」

「あなたでしょ――」

 女の子は、小園猛を殺した犯人が自分であり、誰にも知られたくないから、自分の言う通り、ここに着たんだのだと感情のない声だった。

「ち、ち」

 ゆっくりどもった鹿野隆を遮るように、いや、もたついているのが苛立ったのか、女の子は口調を強めた。

「わたしに連絡してきた警察は、父を自殺なんて言ってたけどさ。違った。あれは、捜査不十分だったの。だいたい、一ヶ月近く経ってから、わたしのところに連絡が来たのも可笑しいと思っていたんだよね。父に自殺する気配なんてなかったし、むしろ取材の仕事で家に帰れないぐらい忙しかったみたいだったから。で、別の警察所で調べている途中なんだけど、本当は殺人事件だった」

――私がここに来たのは……金子を殺した……犯人を知っている者にあうため……小園猛を殺した犯人なんて……知らない。

「父を殺した犯人はあなた。発見したのはわたし」

――この子は勘違いを……四二年間の人生は、こんな形で終わってしまうのか……

「このまま死んでもらうのは……」

 そこで声が途切れた。

 鹿野隆の瞳めがけて降ってくる白い結晶があった。反射的に目を閉じる必要はなかった。

 ……

 …


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