N.会社訪問
水曜日、僕達は『㈱エコノミーテクノ』にいた。義男が出社し、脅迫状が届いたとの連絡があり飛んでいったのだ。
会社に到着すると、入口で立っていた守衛さんに連絡して、義男を呼び出してもらった。駅の改札口の構造と似ている。社員証を通さないと、会社内へは入れなくなっていた。僕達は顧客がつける仮社員証を胸に下げた。
入口を右手側に曲がり、長い廊下が続いている。いくつかのドアの上には○○課や、○○研究室などと書かれた札が設えてあった。通りかかった社員が義男に挨拶し、廊下を進んでいたら、打ち合わせスペースがあった。中央には重厚なガラスケースが腰を据えていて、三段ある棚になったガラスケースの中には何かしらの機械が並んでいた。
「あれは弊社の開発した製品なんです」
会社という空間がそうさせているのか、義男は事務的な口調で言った。
上段には小型のチェンソー三台ある。中段には作物を刈る装置なのだろうか、上部が幅広で支柱があり、螺旋形で先端が極薄の刃が支柱を取り巻いている、巨大なネジのようなものが四つ。巨大なネジは、中心より上に円形の突起があり、さらに上部は持つ部分だろうか、スポンジで囲まれた支柱があった。下段には楕円形のランプが七つ。それぞれ大きさやモデルが違うようで、等間隔で置いてあるように思えたが、中段の製品の二つ目と三つ目の間に、空間があった。
「あまり大きな声で言えませんが、中段に飾ってあったもののひとつが、盗難があったんです」
一ヶ月前に盗まれていたらしい。盗難された分が空間になっているのか。と、部筑がつぶやいた。
義男は足早に通り過ぎ、エレベーターのボタンを押した。四階まである階層の二階で、扉が開いた。半分の面積を社員食堂で絞めていた。ほのかにめん汁の匂いがする。
案内されたのはエレベーターを降りて、右手側にあった十畳ほどの個室だった。入口の手前にカーボン製のテーブルと両脇にあるソファ、観葉植物の隣にデスク、脇に本やファイルが格納された棚、その奥にはドアがある。常に掃除されているのではないかと思えるぐらいの、綺麗に整った部屋だ。
僕達は義男と対面する位置で座った。
「どこで投函されたのかは、わかりません。会社の郵便受けに直接入れたのでしょう。差出人はアルファベットOとだけ」
来るとき、門を入ったところで見た郵便受けに入っていたらしい。守衛さんに確認をとったところ、誰が投函したかもわからないそうだ。
デスクの引き出しから取り出された茶色の封書、その中にA4サイズの白い紙、鉛筆で書かれた文字があった。
――Oは『㈱エコノミーテクノ』の不正を知っている。ばらされたくなかったら、二〇一〇年二月十日午後六時、低雲丘まで一人で来い。警察には連絡をするな。もし連絡をすればどうなるか、わかっているな――
文面は男っぽい。最後の文字が引っ掛かる。犯人と義男の間で暗黙の了解でもあるのだろうか。それとも、曖昧にさせることで、恐怖を増幅させる意図があるのかもしれない。
今日日付の午後六時だ。つまり八時間後、犯人は低雲丘に現れる。ついに、ここまで来てしまったのかと思っていたら、部筑は脅迫状から目を離した。
「不正に、心あたりがあるんですか?」
「以前お話した環境破壊のことを指しているのでしょう。不正などありません」
黒岩の話を聞いた手前、完全に義男を信じていいものなのか。やっている側は、案外盲目になっていることがある。その主観の違いで、犯人と義男に摩擦が起こっているのだとしたら……
「なら、この脅迫に応じる必要はありませんよ」
「ええ、ですが、犯人が納得するようになるまで、説明したい気もあるんです」
取締役の責任感がそうさせているのだろうか、義男は犯人の脅迫に応じるつもりもあるようだ。デスクの片隅に、懐中電灯が置かれている。午後六時に合わせて、低雲丘の散策用だと、義男が言う。
「一昨日と昨日、低雲丘に足を運んだのですが、誰かが来た形跡はありませんでした」
「どうして、言い切れるの?」
美佐江は、手で髪の毛をすいてから言った。
「足跡だよ。雪に残っているものは俺の足跡だけだった」
「犯人はブックの足跡から外れないように歩いていたとか?」
「だとしてもだ。変わった様子はなかった。例えば殺人のため、事前に何かを用意している感じではない」
低雲丘周辺をくまなく探し、怪しいものはなかったと言う。降りつづいている雪が、僕達の捜査を手伝ってくれていたのだ。
「ぶっつけ本番で殺人をやるような犯人じゃなさそうだしね。ある程度、土地勘がないと、出来ない犯行か」
「この村は、猟師はいるんですかね?」
「私の知っている限りでは、猟師さんとか、何かの猟をしているという話しは聞きませんね――銃を懸念されていますか?」
「ええ、熊が出るって聞いたものですから」
銃を使われたら、どうしようもないだろう。周りには身を隠すには打って付けの森林が聳えている。
「傾向からするに、現場には必ず本が置いてあります。義男さんに何かしらの本を持ってこいとは命令していないから、たぶん、犯人が持ってくるんでしょうね」僕は言う。
「はい、まあ、そうでしょうね」
「会社にまつわる本とか、出版されていませんか?」
「ないですよ」
「とすると――」
言葉を切る。殺人が起こったとして、遺体に添えられるのは鹿野隆が盗んだ『ブビリオフィリア』としか、考えられなかった。
「話し、微妙にずれてないか?」
「あ、ごめん」
「ねえ、おとり作戦はどう?」
美佐江の表情は本気のようだ。
「おとり?」
「うん。警察には連絡するなって書かれているけど、なにも事情を知らない人を装って、父さん以外の誰かが午後六時に低雲丘へ行くのよ。もちろん、止める役をする人は、森とか雪の中で身を隠しているの。おとり役は――例えばわたしとか」
「ダメだ!」
声が室内を駆け巡る。その主は僕だ。
「信二?」
「美佐江は犯人に仕立てられようとしているんだ。女の子が午後六時に低雲丘を歩いていたら不自然すぎる。行くなら小園由美子に存在を知られていない僕か部筑だ」
視線が注がれた。頬の内側から、熱が出てきた。
「悪いが、その作戦はなしにする」
部筑は、場をクールダウンさせるように冷静だった。
「石崎さんは『㈱エコノミーテクノ』の不正がないって主張している。不利なのは、脅迫状を送った犯人だぞ。放置しておこう。ばらされたとしても、事実無根であると主張すればいい」
「いや――」
義男はひと言で遮った。席を立ち、デスクにある会社名の入ったプレートを触る。
「事実無根であったとしても、人々の反応は我々の思う通りには行きません。疑惑のない場所に噂が立たないように、いくら潔白を証明しようとしても、犯人の主張を信じてしまう方もいます。信用を失ったら、会社としての経営が危ぶまれる」
信用を失うのは簡単だが、失った信用を回復させるのは相当難しい。と、朝礼で何度も社員に吹き込んでいそうな言葉を放った。
「全社員の生活にだって影響してしまいます」
それが、僕達を説得する決め手となった。
「立場を知っていて、警察に連絡出来ないことも知っているのね」
もし、警察に捕まれば、犯人は『㈱エコノミーテクノ』の不正を話してしまう。脅迫状の最後にあった、『わかっているな』は、それを意味しているのだと、義男は推測していた。
しかし、犯人は殺人罪や脅迫罪をしたことに変わりはない。ならば、警察より早く対面して、説得した後に自首させる考えなのか。ただ、
「そう、上手くいきますかね?」
振り向いた義男の頬は引きつっている。
「何人も殺している殺人鬼ですよ。義男さんがいくら説得したところで、素直に受け止めてくれるとは思えません」
「無論だ」
敬語を解除した。僕に対する怒りではなく、そのタイミングで携帯が鳴ったからだ。義男はディスプレーを見つめ、
「出なくていいんですか?」
「ああ、後でかけなおしますよ」
と電源を切った。仕事や知り合いではないのだろうか。相手の着信を確認し、最初から出ないと決めていたような様子だ。大きく深呼吸をする。なぜか安堵しているようにも見えた。
「とりあえず、今日は俺達と帰りましょう。出来れば今日一日だけでもこの会社に居させてください」
「ですが」
「その方がいいよ。お父さんを一人にしたら、いつ狙われるかわからないし」
十二時を示すチャイムが鳴る。そして、多くの足音が聞こえてきた。