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M1.死者はさらに語る

偏頭痛が収まり、深呼吸してから本を開いた。僕が原因で、殺されたのではなかったと知り、安堵した。ただ、すべてを信じるまでに、時間がかかりそうだ。

 百十ページに『希林館』のことが書かれている。ひどい酷評だった。

「あの?」

「すいません。ありがとうございました」

 元のあった位置に戻す。

 階段を上がっているとき、沢村の視線を感じた。気がついていないふりをして、自室へ入った。

 旅館の元従業員である城島博志が金子を殺した。

 鹿野隆は、何かしらで情報を掴み、城島博志を脅し、殺したのだ。思考が固まり、いつまでも繰り返される。その他は何も考えてはならない脳になったかのようだ。

 僕はその呪縛から解き放たれたくて、テレビをつけた。地元のキャスターらしき人が、熊の被り者をしたマスコットキャラに襲われそうになり、笑いながら黄色い悲鳴をあげていた。


 夕方、仕事を終えた加藤は図書館の駐車所で待っていた。昼前に沢村が出ていったのを見計らって連絡し、『希林寿』にいるから来てくれないかとお願いしたところ、断られたのだ。美佐江を残して、僕は図書館に出向いた。傘が重い。道中、除雪車のおかげで、道に積もった雪は浅かったのが幸いだった。

 挨拶をしても、うつむき加減であまり目を合わせようとしない。彼女の車なのだろう。フロントガラスに積もった雪を手で掃うと、なかに入るよう誘われた。

「すいません、急な話で」

 加藤は首を横に振る。僕がその仕草を確認していないかもと不安になったのか、

「いえ」と、言葉で否定した。 

「黒岩さんと会いましたよ」

「そうですか。癖のある人だけど、あれでけっこう優しいところもあるんですよ」 

「何となくわかります。色々教えてもらいました」

 辺りは暗くなっているが、駐車場に積もった雪明かりで、車のライトを付ける必要がないぐらいだ。ヒーターによって、悴んでいた手が生きかえる。

 僕は前に話した時となるべく矛盾が生じないように、事情を説明した。友達の父親と作者が知り合いである。そんなところだ。

「万引きされた本の話をしましょう。誰が盗んだのですか?」

「万引きをした人の目星はついているんです。いつか、彼が返しにきてくれることを願って、大事にはしていなかったんです」

 彼、目星がついている、か。その前に訊きたいことがあった。

「小園猛さんという方は訪ねてきませんでしたか? 『ブビリオフィリア』の作者なんですよ。その人も左近字図書館から自分の本を盗まれたことを知っていたんです」

「ええ、来ました。三ヶ月前ぐらいだったでしょうか。必要になったから、戻してほしいとおっしゃっていました。ですが、事情があって、この図書館に置いてないことを説明したと思います」

 加藤が対応していなかったこともあり、変な様子だったかは知らないらしい。

「では、盗まれたのはもっと前ですね。いつですか?」

「小園さんが来る、えっと、一ヶ月前ぐらいです。丁度、私もいたんですけど、彼の姿を見て、驚いてしまいまして。本を持って出ていく彼を止められませんでした」

「彼とは誰なんですか?」

「万引きをしたのは、『希林寿』の女将の夫、鹿野隆さんです」

 予想通りだった。彼が出所してから『ブビリオフィリア』を盗み、その通りに殺人を実行している。ならば。

「鹿野隆さんと小園猛さんに繋がりはあったんですかね?」

「さあ、そこまでは、知りません」

 鹿野隆さんが、なぜ本を盗もうとしていたのか訊いても、今の反応と同じだった。ただ、

『ブビリオフィリア』を盗んでいる時点で、二人に何らかの関係があったと考えるべきだろう。

「だから、『希林寿』で話を出来なかったんですね」

「ええ。前にご連絡頂いたときも、勤務中で、聞かれては困る内容だったので」

「ついでで、申し訳ないんですけど、小園さんの実家に案内してもらえませんか。ここの近くにあったと黒岩さんが言っていたので」

「ですが、今は取り壊されていますよ?」

 車は、雪道の機嫌を損なわないよう、自転車をこぐぐらいのスピードで走った。海や『希林寿』のある方角から登ってきて、左近字図書館、そのさらに奥の道を進む。そして、加藤は路肩に停車させた。歩くのか、と思えば、車を降りた僕は、小園の実家があった敷地の目の前に立っていた。

 長方形の敷地があり、森林がそれを囲んでいる。ところどころに小さな枝が、雪から顔を出している。知っている人と一緒にこなければ、民家の跡地であることすら気がつかなかったかもしれない。

 僕は適当に敷地を歩いた。

「ねえ、小園さんって……」

 と声を掛けてきた。

「知っています。三ヶ月前に低雲丘で自殺しています」

 加藤は白い息を吐き出した。

「そう――左近字図書館に、あの人の本が置いてあれば、自殺しなかったかもしれない、なんて考えるんです」

 自殺の動機にしては、あまりにも軟弱な理由に思えると僕は反論した。加藤は小さな積み重ねが、当の本人を追い詰めていくのかもしれないのだと、眉を沈ませた。

「誰の責任かは、本人にしかわかりませんよ」

「万引きされそうになったら、勇気を振り絞って声をかけなくてはいけませんね。図書館の本は村民の方の本ですし、私達もその責任を果たすって強く思ったんです。ダメですか?」 

「これからでも遅くないですよ」

 照れ笑いした鹿野は、随分と若くみえた。

「そうそう。ちょっと前に刑事さんが来たんですよ」

 神奈川県警の沢村だった。加藤は見覚えのある顔だなと思っていたが、沢村の方は初対面ですよと否定していたらしい。

「気のせいだったみたいで――同年代だったし、誰か同級生に似ていたのかもしれません」

 年齢を聞かれて嫌な顔をしなかった加藤は沢村と同じく四一歳だった。言われてみるとそれ位に見えるから不思議だ。

「図書館の本の話しでもしたんですか?」

「いえ。鹿野隆さんの話は何もしていません。ある事件の捜査をしているらしくて、その聞き込みでした」

 加藤の目は、僕の顎の辺りに集中していた。

「顔に、なにかついていますか?」

「その刑事さんと、同じようなことしていると思っただけです」

「僕の場合、刑事もどきですから」

 僕は白い地面に正座して、下腹に手を当てて「なんじゃこりゃ!」と叫んだ。やってみて赤面したが意外に、加藤は笑ってくれた。


『希林寿』で待っていたのは、温かい夕食でも、二人の親友でもなく、沢村だった。

 黒岩に会ってきたらしく、疲弊した面持ちだった。

「初対面でとことん説教されてね。散々だったよ」

 適当に相槌を打っていると、考え込んだ様子で、

「警察か刑事に恨みでもあるのかな」と独り言だった。

 何となくその場面が想像できる。ただ、沢村は愚痴をこぼしに来たわけではなさそうだ。話を切り上げ、蛍光性のカバーの本を取り出した。

「この本も渡すつもりで忘れていたな。五郎さんから聞いてね」

 受け取ってみたが、偏頭痛は襲ってこなかった。ごく自然に、身体の中に言葉が染み込んでくる。


《――俺ハ 脅迫状ヲ 書イタ》 

《世ノ中二 捨テラレタ存在――》

《――ソレデ 女ノ子ト 付キ合エルノナラ》

《女ノ子ノ オ願イヲ 喜ンデ ヤッタ――》

《――シカシ ソノ女ノ子ハ 突然 消エタ》

《脅迫状ヲ ダス 前カラダッタ――》 

《――消エテイタノカモシレナイ 何処ニモイナカッタ》

《友達ノ 金髪ノ子二 訊キ出ソウト 商店街ヲ 訪ネタ――》

《――金髪ノ子ハ 不在ダッタ ヨウニ 見エタガ 少シ 違ッタ》

《明カリガ消エテイル 二階カラ 声ガ聞コエテキタ――》

《――外カラハ 何ヲ言ッテイルカ マデハ 分カラナイ》

《俺ハ 一階ノ戸ヲ 開ケタ 鍵ガ開イテイタ――》

《――身体ガ勝手ニ 二階ヘト 進ンデイタ》

《ソシテ アル 犯罪計画ヲ 知ッテシマッタ――》

《――俺ハ 驚キ 物音ヲタテテシマイ 明リガ ツイタ》

《中年ノオトコ ト 一緒ニイタノハ――》

《――金髪ノコ デハナク 俺ノ追イ掛ケテイル 女ノ子ダッタ――》

《俺ノ存在ハ 知ラレテシマッタ 動ケナカッタ――》

《――二人モ 俺ヲ見テ 言葉ヲ失ッテイタガ》

《女ノ子ノ方ガ 直ニ 落チ着キヲ 取リ戻シタ――》

《――携帯二 連絡シテキタトキ ウスウス 勘付イテイタノダロウ》

《俺ガ シャベレナイコトニ――》

《――失業シタ ショックデ 失語症ニ ナッテタ》

《急二 首ヲ絞メラレタ――》

 

 脅迫状は『どん底から億万長者の道』の著者に書かれたもので、中年の男とは、鹿野隆なのだろう。なぜ小園由美子と話をしていたのかは分からない。もしかすると、あの日、美佐江を襲う気だったのかもしれない。脅迫状を送った田中満高、彼に犯罪計画を盗み聞きされなかったとしても、いつかは殺そうとしていたはずだ。

 無念の量なのか、本から詳細まで読み取れるようになったことに驚いた。ただ、田中満高がなぜこの本に無念を込めたのだろうか。

 美佐江の書斎にあった本だし、死んでから持たされたのではないのか。いや、死の直前も、死後も関係なく、本を持っていたタイミングも関係なくて、本に込められた思いが一番強いもの、それがこうして訴えかけてくるのだろう。

「何でずっと見つめているんだい?」

 沢村の声で我に返った。

「いえ、ちょっと珍しい本だなと思いまして」

 苦し紛れのいいわけ。沢村に通用しているのかはわからなかった。彼は腕を組んだ。

「確かに、カバーが蛍光性のある本だからね」

「指紋とかついていなかったんですか?」

「あったよ。だけど、誰のものなのかはわかっていないんだ」

 部筑か美佐江の指紋だろうか。だったらわかる。過去に逮捕歴があった者と指紋照合する。どこかで聞いたことがあった。借りた本を返す際、犯人を特定出来ていなかった場合は、僕の指紋をすべて消し去る必要がある。ふと、そんな考えが浮かんだ。

「沢村さんって、一人でT村に来て、聞き込みしているのですか?」

「そうだよ。何で?」

「いえ、部下といか、その……」

「ああ。わかったぞ。自分ぐらいなら、本部のデスクで指示する側とか、部下が何人かいて、そいつらにやらせる立場じゃないかって思っているのだろ?」

「ええ、まあ」 

「聞き込みは簡単なようで難しいんだ。それに、現場が好きなんだよ」

「勉強になります」

「忠告しておくよ」

 耳元に近寄ってきた。

「君達が事件を捜査していて、自分が安全であると思っているのなら、改めるべきだ。捜査は命がけだ」

 さっきの質問がまずかったのかもしれない。捜査はそんなに甘くはないと、言わんばかりだ。確かに、どこか犯人を捕まえるという使命感で動いてきた。ただ、この刑事は『ブビリオフィリア』という小説のような殺人事件が起こっていることは知らないはず。僕達に残された、唯一の有利な点だ。

「あまり首を突っ込まない方がいい。君が犯人なら、話は別だがな」

 瞳に映った僕の顔が、光に包まれた。息を飲んだ。沢村はまだ聞き込みがあるからと、肩をいからせながら出かけてしまった。

 二階の部屋で、部筑と美佐江が話をしていた。二人でいる姿はいつみても、僕より親しいように思える。胸の中で点火した嫉妬の炎を咳払いで吹き消した。

「刑事にうろつかれたら、やりづらいよな」

 挨拶代わりに、そう言ってきた。

「まあな」

 曖昧に答える。死者の無念が込められた本を持ってきてくれた手前、彼の存在を完全否定できない。借りた本を見せた。美佐江の書斎にあったものと同じだった。

「城島博志さんが、金子さんの旅館の元従業員だったのか……」

 鹿野紀子と沢村の会話から聞いたことにしておいた。

「『ブビリオフィリア』を盗んだのが、鹿野隆だったとすれば、由美子は殺人を犯しているのではなくて、狙われている方なのかも」

 彼らは、僕の話でそう推理している。

 違う、違う、違う。

 本当は二人の共犯なんだ。

 でも、言えない。証拠がない。

 どうすればいいのか? 結局この日も、結論が出なかった。


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