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B.本をパクって旅に出る

 美佐江からメール返信はなく、二日間耐え抜いたが、出向くことにした。とにかく訊きたい話が沢山あり、気になって仕方なかった。

 彼女の住まいは、僕のアパートから歩いて行ける距離にあり、大学への通学路でもある。レトロな店が立ち並び、中央に軽自動車ぐらいの道幅をもつ歩行者天国、その上をトタン板の屋根が覆っている商店街である。今日みたいに、いくら陽がさしている午前中であっても、薄明かりなのだ。

 その一角が、美佐江の住まいだ。二十歳を過ぎたばかりの女の子が、近くにある大学に通うって理由で借りたものだから、商店街の住人は困惑していたらしい。

 立地条件だけからすると、たいていは終電を逃した大学生の溜まり場になるのが定説なのだけれども、溜まり場たる空間条件を満たしていないのだろう。彼らは陰気な雰囲気に敏感で、商店街を避ける。ひとつの番地を隔てた隣にある学生通りを、学生の群が歩いているからだ。その通りにはファーストフード店から始まり、新しく参入してきた店が立ち並んでいる。

 美佐江の住まいを、通りすがりの人は時折覗きこんでくる。右から読んで『密造書展』、いかにも怪しい名前の看板を残しているせいもあるだろう。元々は古本屋のテナントになっていて、住み込みだった店主が立ち退いたのは二年前だった。

『密造書展』は左右の壁を一面本棚が占領し、さらに空間を二分する中央で起立した本棚は、前後に収納スペースがあるため、厚みがある。美佐江は二年間でこれらの本を集めたのだ。

 二階は住居になっていた。開いていた入口のガラス戸を横へと開き、並んでいる本を眺めた。深呼吸すると、軽度の立ちくらみがした。貧血とは違い、殺伐とした神経をなで廻され、怒りを知らない草食系動物になった気分だった。

「お客さん、売り物じゃありませんよ」

 奥から聞こえてきた。ただ、その声は僕がたずねようとしてきた美佐江ではなかった。裏声で女の声を演出した男の声である。モノマネをしているのであれば、全然似ていない。

「勝手に入ってもらっては困ります」

 それは書店だと思って入ってきた客に注意する、美佐江の口癖だった。

「知っているから」

「なんだ、信二か」

 奥から現われたのは部筑栄太郎ぶつくえいたろうだった。大量の本をクリーム色の縄で束ねていたものを手に、僕の居る前で解き、中央にある本棚の空きスペースへと納めていった。どうやら美佐江の指示があって古書店で購入した本だったらしく、持ち帰る際に買い物袋が破けてしまい、近くにあったホームセンターで購入した縄を使って束ねたらしい。

「紹介するよ」勿体ぶった。

 僕は呼吸を忘れた。もしや付き合っているのか…… 動揺を感じ取られないよう、無関心を装った。

「ここは書斎だ。売り物はどこにもないからな」

 知っている話だったので、さりげなく聞き流した。

「美佐江は?」僕は天井を見上げた。「昨日、新横浜駅であってさ。話があるからって呼ばれていたんだけど」

 別段、不思議ではないといった表情をしてきた。

「海外旅行中。今頃はスリランカにいるんじゃないかな」

「海外旅行! 呼びだしておいて……」が、勝手に盛り上がっていた自分が悲しくなる。彼女にとっては単なる気まぐれだったのか。

 部筑は欠伸をした。目を覚まさせてやろうと思い、

「お前達、付き合っているの?」安直に聞いた。

「付き合っていたら、海外旅行に同席するだろう。普通」

 胸をなで下ろした。しかし、余計に新横浜で呼びとめられた理由が気になりだした。彼も僕と同じで呼ばれたんだとしたら、海外旅行に行っている意味がまったくわからない。

「いや、待てよ――そう思っているのは俺だけかもしれないな」

 と考え直す。美佐江はストーカーにあっているらしくて、部筑に相談を持ちかけていた。そのせいもあり、最近はずっと一緒に行動していた。

「ストーカー?」

「ああ。二、三ヶ月前ぐらいから、汚い格好をした男につけられているらしいんだよね。ストーカーされる憶えがないらしいのに」

「被害にはあっていないのかな。下着を盗まれたとか?」

「単純につけられているだけ。でな、美佐江は自分がモテているって勘違いする女じゃないし、俺が一緒にいるときはストーカーの影もなかったから、もしかすると、俺と一緒にいようとする口実なんじゃないかって思い始めた」

 ありえなくはない。二重の黒目がちな目に凛々しい眉毛、背は僕より五センチ以上高くて、服のセンスも悪くない部筑だ。容姿端麗の二人が街を歩いている姿は絵になる。僕のここ最近は、就職活動に忙しく部筑や美佐江と顔を合わせていなかった。知らない間に、二人がそういう関係になっていることだってある。ならば、新横浜で呼びとめられた理由、それはストーカー被害から守ってほしいのではなく、部筑と付き合うための恋愛相談だった!

 頭を振った。

「ふーん。で、部筑がどうしてここに?」

「留守番だよ。本には触れないって条件でさ」

「なるほど。流石、書籍ソムリエだな」部筑は満更でもない笑みをしてきた。

 書籍ソムリエの言葉が一般化されるまで、自分を天然記念物であると満足しているのだと思う。その手の資格もなければ、職業として認められている話しも聞かない。広いネットの世界では、ニックネームとして使用しているかもしれないが、あくまで彼のスキルとは程遠い、まともな書評家だと予測できる。

 なので、正確な表現を用いるならば自称書籍ソムリエである。

「読んでいる分にはいいからって」

 部筑は芥川賞全集の第八巻を手に取り、ページを開いた。二百九十九ページ目の『プレオー8の夜明け』で顔を寄せている。あろうことか、いきなり条件を破ろうとしているのだ。僕は慌ててそれを止めさせた。

 書籍ソムリエは能力の一種だ。目隠しをした状態で本を与え、手触りを確認してから舐める。そして題名と作者を言い当てる。だから、読んでいる分にはいいとしても、本には触れほしくないイコール本を舐めるな、という意図があるのは当たり前なのだ。

「やらせてくれよ。アンソロジー本は難易度が高い。日々、訓練していないと、腕が鈍るんだ」と言い、舌を上下させてきた。

「留守番、出来なくなるぞ」

 複雑な顔をした部筑に、面接した企業から内定をもらえそうな話をした。確かな手応えがあった。労ってほしい気持ちもあったが、彼には興味がなかったようだ。

「まだ住む場所を転々としているのか?」心配そうに聞いた。

 部筑は本を棚に戻した。

「悪い?」

「どこも」本心じゃないのを、表情から読み取ったらしい。

「転がりこめる場所を沢山作っておくのが、サバイバル時代を生き抜く秘訣だ。貧乏人には特にな」

「確かに」

 金は一銭もたかっていない、そう自分を正当化しつつ、いつもの無料で泊めてもらう方法論の長い講釈が始まりそうだったので、気になっていた話を切り出した。

「俺もそのニュースは気になっていたんだ。美佐江が出発した二日前はずっと部屋に籠ってテレビ見ていたぐらいだったな」

 生放送のワイドショーやら、ドラマの再放送を見た後に、十七時のニュースで万引き犯殺人事件の報道がやっていたらしい。

「局アナウンサーが、かなり動揺した顔で『ただ今入ってきた情報です』だぜ。かみまくりだし、あれはまだ新人だな」

 元々は別の特集をするはずだったのが、事件報道に変わったらしいのだ。とすると、僕が定食屋で見たものは、かなりタイムリーだったことになる。

 部筑は詰め寄ってきた。

「どうやって殺されたと思う?」

「急に聞かれても……」  

 捜査をしているわけでもないし、殺人方法にはあまり興味がなかった。僕が話をしたかったのは、あのニュースを見ての反応であり、ちゃんと説明だってしていた。

「まずは簡単に考えてみようぜ。他の場所で殺されたとしてだ」

 かなり乗り気らしい。仕方がなく便乗した。

「あの場所で争ったら、誰かしら気がつきそうだしな。白昼堂々って、不可能に近いかも」

「どうやって他の場所に導いたと思う?」

「そうだな。例えば犯人の知り合いだったとしてさ。携帯かなにかで呼び出して――」

 万引きした本目当てで殺した、と言おうとして、言葉を切った。ある考えが浮かんだからだ。

 被害者が本を手にしていた事実から、犯人が万引きされた本目当てではなかったという証拠にもなる。しかも、高額でせいぜい五千円ぐらいの本のために人殺しをするとは考えづらい。

「知り合いが全員、万引き犯かよ。偶然にも程があるぞ」

「だな」 

「一人目は金子大輔かねこだいすけ、十九歳の大学生、最近やっていた二人目の城島博志、五十歳の会社員」

「会社員なら、お金に困っているとは思えないんだけどな」

「万引き理由は後まわし。今は殺人方法だ」

 腕を組んだ。殺人方法と言われても、ちっともアイデアは浮かんではこなかった。

「うーん」

 間を埋めるように、考えている態度を取った。

「あまり深刻に考えるなって。老成するぞ」

 この程度の思考で老成するのであれば、僕はもうおじいちゃんクラスだ。部筑は

「柔軟に考えようぜ」と言う。そうしているつもりなのだが。

「部筑はどうなの?」

「万引きしても、警察には捕まりたくないのが心情だろ。それを利用するんだよ。例えば、犯人がその現行を観察していて、『俺はパクっているの、見たんだぞ。言うとおりにしないと、通報するぞ』って脅したら、声を潜めて誰かに聞こえないようにするし、大概は言うとおりにするだろ?」

 素直に従う方が珍しいに決まっている。

「どうかな。自分は万引きなんてやっていないって、反論するんじゃないの?」

「だから良いんだよ。認めちゃったら、通報でもなんでもしろってなるだろ? 計画が台無しになる」

「わからないな……」彼の言う計画が不明慮なのだから、理解できない。

「わかれよ!」

 そう叫び、手のひらが飛んできた。その動きは遅く、僕は背中を反ってかわす。無言の圧力をかけてみた。

「今のは冗談としてもだ」

 やっぱり。頭の回転を速くさせるデモンストレーションだからな、とまで言ってきた。実際、頭に血がのぼったのだけは確かだ。

「殺人犯が『一緒に万引きをやらないか?』と勧誘する」

 わざわざ声を変えた。部筑の中では、犯人像が浮かんでいるのかもしれない。

「同族だからと安心させる手だな」

「勧誘した殺人犯は、相手に拒まれても、同伴してもらって書店の人に聞いてみるという切り札をもっている。レジの売上計算と相手の所有品を整合すれば、犯罪確定だからな。監視カメラに映っているかもしれないし。万引きした事実を拒む力が強ければ強い程、切り札の威力も増していく」

「やっと、殺人方法になるわけか」

 今朝のニュースで、いくつか明らかになった事実がある。話にあった二人の身元と、本の題名だった。

「全身にあった二百七十箇所の傷は意外な意味があったんだ」

 と断言した。僕は先を急かした。

「第二の被害者が持っていた本は、『どん底から億万長者への道』ビジネス書だ。ハードカバーで発行されてから七年、今では別の出版社から文庫本も出ている」

「それが、意味あるのか?」

「大ありだ。ハードカバーか文庫本、どっちを持っていたかで、意味が変わってくるんだ。その本は文庫化にあたり、加筆修正と末尾の解説、同出版社の広告も入っている」

「ページ数と内容が若干違うんだね?」

「そうだ。ハードカバーなら総ページ数がきっかり二百七十。もうわかるよな?」

 心臓の鼓動が肋骨を叩いた。

「被害者の傷と同じ数……」

「だな。偶然とは思えない数だ」

「……何のために」

「休憩しよう。喉が渇いた」

 咳き込んだ部筑は二階への階段を登っていく。

「缶コーヒー買ってきてくれ」が聞こえた。

 『密造書展』を出て左手側に十字路があり、そこを右手側に曲がったら、自動販売機が三機並んでいて、鳥居みたいな商店街の看板が出口になっている。アルミ缶を持つ手のひらに広がっていく熱を感じた。被害者の傷と万引きされた本の総ページ数の関連性についてぼんやり考えていると、

「おつり、取り忘れているよ」

 帽子を被ったおじさんに注意された。伏し目がちでお礼し、駆け足で戻った。

「ふぅ~。カフェインは気管支拡張作用があるからな」

 プルリングまで僕に開けさせた部筑は、カフェインの興奮作用、利尿作用までを説明した。

「気管支拡張作用はコーヒーに含まれるテオフィリンだよ」

 訂正をする。デティールに拘って、飲みに誘った女の子を引かせてしまった経験を思い出し、苦笑いした。

「第一の事件は何ヵ所の傷があったんだっけ?」

「百十箇所だ」

「それも、被害者の持っていた本のページ数と同じなのかな」

 百十ページと言えば、けっこう薄い本だ。

「わからない。そっちの方は公表されていないからな」

 となると、話を広げようがなかった。

「犯人は、『どん底から億万長者への道』の本に何かしらの愛着があったのかな?」

「億万長者の著者に恋をしていたってか」

 部筑はふざけているわけではなかった。内容の半分はサクセスストーリーらしく、お金を手に入れて、女性と遊びまくった経験談が書かれている。

「数が多ければ、あっても可笑しくはない話だ」

 僕は首を横に振った。「可笑しいだろう」

 著者に恋をしていたから、万引きした被害者を殺した。なんてありえない。

「お前の尺度で決めるなよ」

「じゃなくてさ。加筆修正された内容に手掛かりがあるとか?」

「著作権の問題だ。著名人の文章を引用して、けっこう売れたものだから、無断引用だったのがバレたんだ。誰々の作品から引用したって記載があったのに訴えられたんだから、こわい気もするが、和解してまで文庫化したのはすごい根性だな」

 そして売れた。事件があったから、爆発的ヒットになるのも時間の問題だ。また、著者の経歴には、少ない資金で起業したことも書かれている。『どん底から億万長者への道』のほかに、もう一冊の本を出していたが、版元の会社が倒産したとかで絶版になっているらしい。

 部筑は缶コーヒーを直角に傾け、最後の一滴まで飲みほした。

「読んで、実行しようとしたけどさ、どん底のまま。真似する気も起きなかった」

 自虐する。しかし、優位に立っている素振りだ。

「捨ててあるものを、中古で売り出そうなんて書いてあるんだぜ。物品は質屋に売れだとか本は新古書店に売るなんて勿体ない。企業して売りだすノウハウまで書かれている。俺はそうして成功しただって」

 古本用語を基にしている、流行りの『せどり』だ。誰がやっても成功するという、自信に満ちた導入分から気に食わなかったらしい。部筑のような考え方の人でも、釣って、読ませてしまった著者は成功したといえる。

「こういった本はウンザリだ。こんな本を書くより、ノウハウを金儲けの手段にしている奴が、本物なのか偽物かを見分ける本を書いてほしい」

「それなら、著者に恨みを持つだろう」

 部筑は手を叩いた。「的を射ている」

 来週末の夕方、『どん底から億万長者への道』の著者である社長が生放送に出演予定となっていた。本の内容を解剖し、事件を検証する緊急特番、ネットの番組表に載っていたらしい。

「デリカシーがない連中ばかりだ」

「訴えられたの、そのせいじゃねえ?」

「だな」

 僕ら一般市民が推理できるのは、そこまでだった。


 時計の針は十二時を指していた。部筑は涙を溜めているような、輝いた目で僕を凝視してくる。

「旅に出よう」

「旅かよ?」

「荷物はいらない。体があれば充分」手筈は整っているという口ぶりである。

「ついでにこれもな」

『美景体系』と題された写真集、そこに掲載されていた一枚の写真が、彼の言う旅の目的地だった。

 T村、低雲丘。

 褐色の綺麗な花が平地を敷き詰めていて、真っ青な空をバックに、元々あった大地が削られて、草が自然と生えてきた感じの丘だった。かなり小ぶりな丘である。上手く加工されたコンピューターグラフィックにも見えたが、その景色を取った写真家は、『美景体系』が発行される前に亡くなっていたのを読み、正直な感想を控えた。

 書斎の端っ子に、天井と外壁の間の四方には鏡が備わっていた。『密造書展』が経営されていたときの名残であり、部筑はそのひとつに自分の顔を写した。

「なんでここなの?」 

「俺達を呼んでいるから」 

「呼んでいる? ……聞こえてこないけどな。何も」と彼の冗談に半分のっかってみる。周辺のパンフレットも用意されていた。山と海を同時に満喫できる観光地、その歌い文句は、東京外にある繁華街の名称を○○銀座としているようで胡散臭くさかった。

「待てよ」

 スペアキーを取り出し、外へ出ようとしている部筑に声をかけた。

「早くしないと日が暮れる。早く来いって」

 と言っても外はどんよりした曇り空で、この時間でも日が暮れているように思えた。

「時間は待ってくれない――か」

「その通り」

 大人びた口調の部筑は、予め用意していた、

『何かあったら連絡ください090―××××―××××』の張り紙をし、美佐江の書斎に鍵をかけた。

 電車の走行音がする方へと向かうには、橋を渡る。学生通りに立ち並んだ店と商店街を区切った狭い河川が流れていて、『密造書籍』の裏手側とも隣り合っていた。


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