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K.雪

 カーテン越しに白い光が漏れていた。バルコニーにこんもり積もった雪の塊があり、降ってくる結晶が積み重なっていく。太陽は遮断されているのに、目が眩むほどで、それは見えていた景色を妨げると同時に、見えなかった景色の輪郭をはっきりとさせていた。

「雪だ!」

 僕の声で部筑が起きた。腫れぼったくなっていた目を、白い光から背ける。

「寝ている場合じゃないぞ。起きろ、雪だ雪」

 雪を見たのは二年ぶり。しかも、これだけの積雪は生まれて初めてだった。部筑はゆっくり起き上がると、服を脱ぎ始め、ボクサーパンツ一枚の姿になる。窓を開け、エビ反った体制で積もった雪にダイブした。

「くぉー」

 彼なりの目を覚まさせる方法らしい。寝起きとは思えないテンションを感心していたのだが、彼は股間を抑えてうずくまった。僕も背中から飛び込んでみる。身体に冷たい粉が染み込んでくるようだ。そのままの姿勢でいると、眼球に雪の結晶が入ってきた。

 どれも気持ちよかった。

 少しの間、事件を忘れた。雪と友達になれるかもしれない。

 事件がなければ、現実を忘れさせてくれるぐらいの、楽しい楽しい三人で行く旅行だ。

 僕という人間が存在しなくても、地球が回るように、まったく関係ないところで事件が起こっていて、勝手に解決してくれれば、どれ程、気が楽なんだろう。

 そんな、あらぬ想像をしていた。 

 部筑は低雲丘の偵察に行った。義男が狙われている場所がそこだとすれば、犯人は必ず現れると考えているのだろう。鹿野紀子は仕入れに出かけている。『希林寿』のロビーには僕と美佐江の二人きりだった。

「話、聞こえちゃったんだ」

「えっ?」

「昨日の黒岩さんがしていた話。あの人、そうとう憎んでいたみたいだった」

「気にするなって。美佐江が悪いわけじゃないし」

「けど、あの会社を建てようと提案したのは父さんよ。それに……」

 美佐江の言いたいことはわかっていた。僕は黙って頷いた。

「余り考えない方がいいね。ありがとう信二」

「ねえ、美佐江の父さんって、『エコノミーテクノ』でも偉いの? 横浜では部長でしょ?」

「取締役員だったかな」

「偉すぎる……」

「殆ど顔を出さない役員だからね。大学だと幽霊部員みたいな存在かな」

 両手を振った。

「全然違うって」

「そうかな。父さんは父さんとしか思えないし。偉すぎるなんて考えたこともなかった」

「じゃあ、父さんが大統領だったらどうなる?」

「やだよ。そんなの」

 金髪が揺らめいた。美佐江の笑い声は、耳を癒してくれた。


 午前が終わる頃、五郎さんからの連絡があった。正直、盛り上がっていた僕達の会話を邪魔されたので、苛立つものがあった。美佐江が持っている受話器に顔を近づけた。

『田中満高のことなんだけどな』

「何かわかったの?」

『彼とは面識なかったの?』

「初めて聞いた名前だよ」

 彼は声を潜めるように言ってきた。田中満高は半年前に、働いていた工場をリストラされ、会社の寮からも追い出されていた。顔写真も見せてもらったらしく、どこかで見た顔なんだよな、なんて五郎さんは呟いていたが、結局、思い出せない、と肩すかしを食らった。

 そして、頭髪の話をした。

『美佐江ちゃんの書斎にあったものと一致したらしいぞ』

 あの長い髪は小園由美子じゃなかった。被害者の持っていた本が、美佐江の書斎にあったものだと知っていたのもあり、どこかで五郎さんの言うことが真実であっても不思議ではないと思っていたのだけれど。

『不法侵入してから殺されてしまったんだな。でもよ、なんで美佐江ちゃんの書斎だったのかね?』

「わたしに訊かれてもわからないよ」

 美佐江は視線を投げてきた。僕は頭を横に揺らした。

『彼らと一緒にいるのか?』

「うん。一人は出かけているけどね」

『なら伝えておいてくれよ』

 もし、僕が死者の持っていた本から魂を読みこむ力があったとするならば、阿武隈川へ合流する川で拾った本は彼の魂が宿っていかなった本ということになる。魂が宿っているとするならば、あの蛍光性のカバーの本しか考えられなかった。

 五郎さんが電話を切ろうとし、美佐江の携帯を奪った。

「すいません。ちょっと話が」

『あ~君か。えっと』

「信二です。それより、今の情報は誰に教えてもらったんですか?」

『刑事の沢村だよ。前に話しただろ? 君達二人で来た後、商店街の人間に聞き込みをしていて、俺のとこにも寄ったんだって』

 携帯を握る力が強まった。

「僕達のことは何か訊かれましたか?」

『ああ、訊かれたよ。君達と知り合いだったらしいじゃないか。まあ、君達とは最近あったばかりでたいして知らないし、しゃべったら後が面倒だろ……適当に答えておいたよ』

 彼が間を開けたのは、美佐江か部筑の機嫌を損ねないようにしていたからだろう。

「沢村さんと連絡は取れますか?」

『連絡先は知っているからな。どうしてだい?』 

「ええ、ちょっと。では、伝えておいてください。今度、阿武隈川での被害者が持っていた蛍光色の本を、貸してくださいと」

 五郎さんに連絡先を聞いてもよかったのだが、逆探知されて居場所を特定されるのを懸念していた。

『ダメだ。蛍光色の本は誰にも教えていないことになっているんだからよ』

「ねえ信二。どうして、そんなものが必要なの?」

――死者の魂を読みこむため。

 とは言えない。

「美佐江の本だったかもしれないんだろ。本人の手に戻るのが普通じゃないか?」 

「そうね。貸して」美佐江に手渡す瞬間に接触があり、手のぬくもりを感じ、身体の内部からも熱を感じた。

「五郎さん。さっきの話、ちゃんと伝えておいてね」

 唸っている。

『わかったよ。で、美佐江ちゃん達は今どこにいるんだ?』

「教えてほしい? ひ・み・つ」

『えっ、ちょっと』

 美佐江は一方的に切ってしまった。下手をすると、自分の孫ぐらいの人間に翻弄されている五郎さん、少し憐れみがあった。

「前から考えていたんだけどね。田中満高って、ストーカーしていた人かもしれない」 

 それは部筑も考えていたことだ。五郎さんがどこかで見た顔だと呟いたのは、美佐江を辿って商店街に足を運んでいたからなのかもしれない。僕は敢て知らなかったふりをする。

「マジで。心あたりがあったの?」

「うん。被害者の聞いている様子と、わたしが見た限りの姿が似ているの」

「そもそも、なんでストーカーにあっていたんだ?」

 ボディーガードに僕ではなく、部筑を選んだ。僕はそんなに頼りないのか。なんてことは、言えない。

「由美子が失踪する前にね、公園で蹲っている人がいたの」

 それが五カ月ぐらい前、美佐江は由美子と二人で遊び、その帰りだった。ストーカーになる前の彼は、心配して声をかけた二人に、首を横に降り、無言で立ち去っていた。

「それから由美子は、彼の姿を頻繁に見るようになったの」

 彼は声をかけてくる様子もなく、ただ由美子の後をつけてくるようになっていた。住んでいる部屋のドアに、携帯番号だけ書かれた紙が挟まれていたこともあった。

「誰かなんて、直ぐにわかるでしょ? そんなことするの、ストーカーしかいないし」

「被害は?」

「実際、被害にあった話は聞かなかったけど、あるときから急に連絡が取れなくなったから、不安だったの」

 彼は最初、小園由美子のストーカーだったが、彼女の失踪を境に、美佐江のストーカーに代わった。

「部筑はそのストーカーを見た記憶がないって言っていたよ?」

「影でコソコソ観察でもしていたんでしょ。わたしが部筑を連れて歩くようになってから、姿を見なくなったし、彼氏がいるのを確認してあきらめたんじゃない。けど、そのストーカーは、わたしに執着していたんじゃなくて、由美子の消息を聞きたかったんじゃないかって思っている」

「美佐江は、声掛けられなかったの?」

「一度もないよ。何か話そうとしている感じもあったけど、避けちゃったから」

 僕の中でひとつのストーリーが浮かんだ。

「こうも、考えられないかな――」

 美佐江にストーカーをしている最中に、小園由美子の消息がわかった。再びストーカーをしていくうちに、彼女がやろうとしている殺人も、盗聴とかで知った。それで、美佐江を追うのをやめた時期と、部筑を連れて歩くようになった時期が重なった。止めようとしても、何らかの理由があってできなくて、しかし、小園由美子の行動を止めさせるため、彼は美佐江の住んでいる書斎に向かった。美佐江に相談をするために。でも、美佐江は海外旅行中だった。僕と部筑はこのT村にいた。ストーカーは自棄を起こして侵入し美佐江の書斎を荒らしてしまう。自分の計画が知られたかもしれないと思った彼女は、ストーカーを追って、連絡し、阿武隈川で殺した。

「あまり信じたくない話だね」

 確かに、彼の状態からすると、美佐江が殺したように見せかけている。彼女が義男さんを狙っているのならば、美佐江に罪をなすりつけようとしていても、何ら不思議ではない。

「他の事件と殺害方法の手口が違うでしょ」

 僕の考えでは、横浜、新横浜で発生した事件は違う人が行っていて、小園由美子はT村での事件だけをするつもりだった。

 沢村が疑っていたように、横浜、新横浜の事件は女の子一人で行える事件ではない。死体を他の場所から運んで、しかも人通りが多い場所だ。考えたくはないが、鹿野隆の単独犯か、他の人間と協力してやった犯行だと思う。誤逮捕だったのなら、出所してから金子の子供である金子大輔と会い、いざこざがあったかもしれない。殺す直前に、事件のきっかけとなった本『ホテル、旅館ソムリエ』を盗ませて、当時のことを思い出させようとした。

 そして、全身に百十箇所の傷を負わせた状態で殺害した。被害者の状態は、第一、第二の事件と酷似している。城島博志にも何らかの恨みがあって、同じ方法で殺害した。

「そこで、田中満高という、思いもよらない人間に殺人計画を知られてしまい、仕方なく、殺した。美佐江がいくら親友であれ、殺害計画なんて知られたくないだろ?」

「うん、わかっていたら、止めようとしたし」

 美佐江は時計を見た。午後二時、義男が返ってくるまで時間があった。


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