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J.生き字引

「もう歩けないよ」

 美佐江は駄々をこねた。獣道を進んで、もう一時間近く経っている。小川を跨いだかと思えば足場の悪い登り坂があり、僕もきつかった。

「おぶってやれよ」

 部筑が顎で美佐江を指す。

「お願い」

 甘えた声、僕は高鳴る鼓動を意識しつつ、美佐江を背負った。

 黒岩の住居は、こじんまりした古屋敷風の建物だった。屋根には、二本の煙突が設えてある。登り坂を上がりきったところに木製の郵便ポストがあり、『黒岩』と彫刻刀らしきもので掘られていた。森林の奥地にこういった佇まいは、どこかの妖怪漫画を連想させた。すべてが歪んでいた。美佐江が背中から降り、息を整えていく内にそれらが正常に見えて来る。

 インターホンはなく、僕達は反応があるまで声を掛けつづけていた。

「二階へあがってこい」

 と、ひどく籠った声が聞こえてきた。加えて、ムード歌謡らしき音楽も聞こえる。

 開きっぱなしの玄関のドアを通り、通路の右手側にある階段を登っていく。美佐江は、なかは普通ねとつぶやき、慌てて黙るよう注意する。先頭を歩いていた部筑は二階に上がってすぐの、ガラス窓のところで止まった。彼の目線の方向には『㈱エコノミーテクノ』の裏側の眺めがあった。会社へと繋がっている斜面に、生えていたはずの森林が禿げあがっていているせいもあるだろう。正面の門から見た景色よりも、敷地が大きく思える。

「早く来るんじゃ」

 聞こえた先には障子があり、開けた。

 着物を着ている男は背中を向けていた。顎の左右から白いひげが垂れ下がっている。それに、耳に引っ掛けられている紐から、何かの面を被っていた。僕達は軽い自己紹介をした。すると、黒岩は手の届く範囲にあるオーディオセットのボタンを押し、音楽をとめた。

 黒岩は、自らを仙人だと自負していた。

「仙人様、聞きたいことがありまして」

 黒岩は小さな肩を痙攣させる。

「だは、ははははぁ!」癇癪でも起こしたかに思える笑い方だった。僕は心配になり、歩み寄った。

「どうしました?」

「明日、鬱になるかもしれない。だから今を楽しんでいるんだ、は、ははははぁ!」

 こういうときに限って部筑と美佐江は無口になる。こういうときとは、自分たちよりも扱い憎そうな人を相手にする場面だ。どさくさにまぎれて、僕の背中は二人に押されていた。

 仙人は振り返った。白粉を塗りたくっている般若の面だ。半分から上は怒っていて、半分から下が笑っている、奇妙な表情だ。

 般若の面からはみ出している白ひげが靡いた。

「……はあ。あの」

「冷めているなんてクソだ」

 クソを強調した。その演出に驚かなかったからか、僕らの態度を言っているのだろう。正確には冷めているのではなく引いているのだ。

「くそ――ですか?」

「つまらん。生きている死人じゃ」

「それは……」

「すまん。度が過ぎたな。話を戻そう」

 戻すもなにも、始まってもいない。まず図書館で調べたことを話した。

 仙人は煙草に火をつけ、紙が燃えている音が聞こえてくるまで吸った。吐かれた煙が輪っかを作って上昇し、通気口の前で逃げるように去っていった。炎の部分に目を持っていき、一日二箱に決めているんじゃと言う。この歳まで健康でいる秘訣だからと言わんばかりの自信であった。

「低雲丘に関するその資料は嘘じゃな」 

「えっ、なぜですか? 資料にあることは信じられると思うのですが」

「焚書は実際に行われていた。焚書の歴史、古くは一五二一年、フランソワ一世が高等法院に印刷所や書簡商の取締を命じたときに始まる。宗教をめぐる戦いが、ヨーロッパ全土に広がるに連れ、本は権力者達から敵視されるようになった。本に関わる職業はすべて取締の対象となった。特定の分野の本の出版・販売・輸入の禁止、日常語の本を読むことの禁止、著者や印刷業者や書簡商の告発、そして焚書じゃ」

 御経を読んでいる坊さんのような抑揚だった。

「あの~それと、資料の嘘の繋がりはあるんですか?」

「馬鹿もの!」

 灰皿に押し付けた煙草はLの字になった。

「す、すいません」

「最後まで聞け。最後まで!」

 どうやら、独特の間に慣れないと怒られるらしい。ただ、彼の発している覇気は、どちらが年を食っているのか分からなくさせるものがあった。

「資料を発行するのに、書きなおしがあったんじゃ。歴史を辿っていく作業をしていくうちに、低雲丘の、いやT村の歴史さえも改ざんされているじゃろう。閉鎖的だった村が、外に目を向けた際、我らの村が異質な儀式を行っていたことを知るようになったのも、あるじゃろうな。だが、あんな曖昧な表現をしているのだから、部外者だとしても、わかりそうなもんだが」

「信二、どうなの?」

 美佐江は上目使いだ。

「あ、怪しいとは思っていましたよ! でも……」

 咄嗟に出た言葉に、先はなかった。

「まあよい。ドフトエフスキーの『白痴』に出てくるような人間がいても、人畜無害じゃからな」

 仙人は般若の仮面をとった。皺だらけの皮膚に埋もれた瞳は閉じられていた彼の表情から、感情を読み取ることは不可能だ――ドフトエフスキーの『白痴』? そう形容されても、まったくわからないし。訊いたら、また怒られそうだし。

「歴史を完全に隠ぺいしなかったのはなぜですか? あんな曖昧な表現を使う意味でもあるのでしょうか?」

「いくら負の遺産と考える者がいたとしても、歴史を完全に抹消することは、この村を否定することになる。しごくまともな意見と思いがちだが、根底には焚書の儀式をとり行う村としての売名行為、私利私欲を全うする意識が混在している。両者が争った結果、あのような資料になってしまったんじゃ」

「負の遺産だとしても、七十年前までの過去話しだし、隠す必要があったのかな」

 部筑は腕を組んだ。いや、二十五前に発行されたものだから、正確には九十五年前になる。しかし、仙人は自らの経歴を話し始めたので、訂正するタイミングを逃してしまった。

「七十年前なら、生まれた年だな」

 意外だったのは、五十歳から数年間、会社員をしていたことだった。彼は出稼ぎといっているが、その前後は職歴が曖昧というか失業者だったので、どうやって生活していたのかだとか、どうやって会社員になったのかが疑問だった。

「豊作を願う儀式なんてものは建前じゃ。当時の思想は村民の弾圧だった。出る杭を打とうと、お偉方や関係者が村に入ってくる書物を監査し、悪影響を及ぼす書物は焚書の対象になった。そして、終戦を迎え、その風習も沈下していったんじゃ」

「終戦のおかげだったのか」

「戦争中にはもうひとつの策略があった。焚書に限らず、定期的に山の森林を燃やす行事もあり、戦争の被害にあっているよう見立てた。命を守る手段とはいえ、T村にあった森林の、大部分が燃やされていた。結果、村は焼け野原みないな姿になってしまった」

「そこら辺の森林は、植え直したというのですか?」

「そうじゃ。彼らの希望は、豊かな森林を蘇らせ、村を再建させることだったんじゃ」

「小園猛さんという人が、三ヶ月前、低雲丘で自殺しているのって、ご存じでしたか?」

 仙人は髭を摩った。

「知っている。だが、墓場を掘り返す真似をしたところで、何も生まれない。自害した者のお節介は誰も望まないぞ」

「どうしても知りたいんです」

 僕は仙人に掴みかかろうとしていた。

「ふん、やっと熱が宿ってきたようじゃな」

 口角を上げた仙人は、ゆっくり立ち上がり、傍らにある押入れの戸を開けた。押入れの内壁は鉄板で仕切られていて、何かしらの燃えカスと炭が散乱している。そこにゴミ箱の中身を放り込み、煙草に火を付け、ひと吸いしてから同じように放りこんだ。置いてあった扇子で仰ぎ、押入れの戸で隠れていた網戸を閉める。煙は上昇していき、僕達の部屋には入ってこない。恐らく外から見た煙突に繋がっているのだろう。仄かに部屋が暖まってくる。

「小園猛の父親とは知人でな。あいつはT村の再建計画を率先していた人間だった」

 彼が亡くなったのは二十七年前、小園猛が『ブビリオフィリア』を出版するずっと前だ。

「あいつと最後にあったとき、村を一望できる山頂で『私の夢はかなったんだ。この村での役割はすべて果たした』それは遺言になった。死を目前にして、あいつは幸せな顔をしていたよ」

 仙人は若くして妻も亡していたと補足する。となると、親子揃って同じ運命を辿っていたことになる。そういうのは、遺伝するものなのだろうか。

 小園猛は高校生まで、T村に住んでいた。彼が高校時代といえば二十六年前、父親が亡くなった次の年、鹿野紀子が知らなかったのも無理はなかった。

「小園さんがT村に愛着があったのは、父親の影響なんですかね?」

「ふふ、あのガキはいつも親といたからな」

 小園猛が村を出たのも、父親の死が影響していたんだろう、と仙人は語った。

「自殺と断定したのは、何故なんでしょうか?」

「あの日は、雪が降った後じゃった。降り積もった雪は凍ったまましばらく残る。発見者は低雲丘に向いていた、足あとを辿っていったのじゃ。帰りの足跡、他の人間の足跡はなかった。最初から自らの命を、そこで断つつもりだった。丘の上で油を被り、自らの身体を燃やしてしまっても、やがて雪が炎の力を奪い、周りにある森林まで飛び火することはない。そこまで計算づくだったはず。彼が自殺してから三日後に発見されたのじゃ」 

 死亡推定時刻から三日後になって発見されたらしい。詳しく知っているということは仙人が発見者だったのか。を問うてみた。

「違うな。発見者から聞いたんだ。丁度、君たちぐらいの歳の、女の子が尋ねてきた。何でも、T村に住む動物の生態を調べようとしていたみたいだったがな。聞き込みをしていて、誰かに黒岩なら詳しいだろうとでも、教えてもらったんじゃろ。ここら辺だと、熊が出る。やつらは冬眠しないから、気をつけろとは助言したな」

 いつ熊に襲われても文句言えないのか。唾を飲んだ。

「だが、真意は違っていた。実は焼死体を発見したとかで、警察に連絡した後、しばらくしてから尋ねてきたらしい」

「しばらくとは、どのぐらいですか?」

「発見してから一週間後ぐらいじゃないか。今思えば、不思議だ。焼死体は生前の面影が焼失している、ひどい状態だというのに、彼女は怯えとは違う、憤っている感じじゃった」

「どうしてでしょうか?」

「さあ、警察の対応が遅れていたからか。あるいは――発見したとき、焼死体が誰だか知っていたのかもしれんな」

「遺体の状況を詳しく、説明してきたんですね?」

「いろいろとな――」

 そう前置きした仙人は、自らの体で状況を再現した。しかし、僕らの反応が今一だったのか、舌打ちをしてから、元の体勢に戻った。

「うつ伏せに倒れていて、抱きかかえるように持っていた一冊の本が、燃え残っていたと聞いている」

 その本のタイトルまでは知らなかった。

「小園猛さんの子供と会ったことはありましたか?」

「ない。小園猛とも、彼がガキの頃に会ったきりだからな。子供がいたのも知らなかったぐらいじゃ」

「その女の子は、小園由美子という名前ではありませんでしたか?」

「いや、吉村加奈子と名乗っていた」

 偽名を使っていたとしか考えられない。美佐江は外見の様子を訊き出し、それが由美子と酷似していたからだ。燃え残っていた本は、恐らく『ブビリオフィリア』だろう。それなら、発見時に父親の遺体かもしれないと、特定できる。

 小園由美子が失踪する前から、あまり連絡が取れなくなったと、美佐江は言っていた。父親を捜しに、影のように行動していたんだとしても可笑しくはない。悩みの範疇を超えてしまうと、親友にも簡単に打ち明けられないことは、身をもって実感している。あの本を手に取って起こった現象、部筑や美佐江にいつ打ち明けられるようになるのか。

「そうか。あの子は小園の孫だったのか」

 決定付けるのは早いかもしれません。部筑はやんわり否定した。

「小園さんの実家は知りませんか? もし、小園由美子が発見者だったとすれば、そこに住んでいたかもしれませんし」

「とっくに取り壊されているよ。もう二十年以上前にな」

 だから彼は、T村に来て自殺する前日に『希林寿』へ宿泊していたのだろうか。ならば、小園由美子も泊っていたのかもしれない。 

「小園さんに、何かあったのでしょうか?」

「なぜ自殺なんぞしてしまったのかはわからん。だが、以前と比べて変わってしまったこの村に、失望していたに違いない」

 そして、失踪している小園由美子は天涯孤独の身になった。

 鼻を啜る音がする。振り返った。美佐江の瞳は潤んでいて、急に立ち上がったと思えば、その場を立ち去ってしまった。

 僕は追い掛ける。美佐江は玄関を出たところで立ち止った。

「こないで!」

「でも」追い掛けたものの、慰めの言葉が浮かばない。

「お願い……少し、一人にしてほしいの」

「わかった。落ち着いたら、戻ってきて」

 僕は二人に事情を説明した。  

「二階の窓から見える『㈱エコノミーテクノ』が建てられてから、村に何か変化はありましたか?」部筑は訊いた。

「ひどいものだ。T村は元々林業で成り立っていたからな。あの会社が設立してからというもの、楮、三椏、雁皮は次々と切り倒されて行った。あの禿げあがった斜面を見ただろう?」

 僕達を叱った時とは違う、恨みを含んだような感情が込められていた。

「ええ。楮、三椏、雁皮は何に使われているのですか?」

「紙の原料じゃよ。主に和紙で使われている。あの会社はここらへん一体の敷地を買い占めたんだ。数年前まであった旅館も、取り壊されて、あの会社の敷地になっている」

「それって、金子さんという館主がやっていた旅館ですか?」

 仙人は身体全体で息を吸った。

「そんな名前だった気がするがな。この住居も、立ち退きを迫られたんだが、断り続けた」

 エコノミーテクノと、潰れた旅館の関係? 僕にはまったく想像がつかなかった。  

 仙人は棺桶に入るまでずっと住み続ける、なんてさびしいことを言った。

「でも、あの会社の関係者は、自然破壊をしているわけではないと言っていますよ」僕はフォローを入れる。美佐江に聞こえているかもしれない。

「口ではなんとでも言えるんだ。だがな、やっている行為を見ていればわかる。あれは自然破壊と村民への侮辱だ」

 火に油を注いでしまった。僕は話を変えた。

「一度、T村のことを書こうとして倒産した出版社があると聞いているんです。その名前は知りませんか?」

「『藁久保社』だな。それを聞いてどうする?」

「いえ、知りたかっただけなので」

 仙人は深く追求してはこなかった。

 美佐江は戻ってきた。声をかけてやることも出来ず、沈黙が走る。すると仙人は音楽を掛け始めた。

「無音という音がする。あれが嫌いだ」

 どんなときであっても、音に囲まれていないと彼の生活には支障をきたすらしい。寝るときでさえ、誰かの寝息か音楽をかけっぱなし、もしくは二十四時間、誰かといなければならない体質だという。

 そんな調子で、話は脱線していき、延々つづいた。


『希林寿』に戻ったら、夕食の用意がされていた。鹿野紀子は僕達の顔を見て、一瞬、緊張を含んだ表情をする。そして、直ぐに旅館の女将の表情に戻った。近寄ると、泣いていたのだろうか、目が充血していて瞼が腫れぼったい。

 黒岩を尋ねて行ったことで疲労困憊になっていたせいもあり、せっかくの美味しい料理を食べていても、僕達の口数は少なかった。

 ふんわりした湯気を放つ浴場につかっていると、気分はましになった。鏡に映っている顔色も、だいぶ良くなっていた。

 一通りの作業を済ませ、食堂に姿を現した鹿野紀子も含めて、テーブルを囲んだ。

「何か飲み物は如何ですが。お酒もありますよ」

 飲みまくって、すべてを忘れてしまいたい衝動に駆られたが、

「いえ。アルコールは頭を鈍らせますので」部筑は断り、

「私は水を貰えますか?」美佐江はタオルを髪の毛に巻いた状態でそう答えたので、僕も水を貰った。

 小園由美子の宿泊記録はなかった。ならば、父親の自殺を発見した前後は、どこに宿泊していたのだろうか。いや、それよりも、T村で殺人事件を犯そうとしている今は、どこに身を潜めているのだろうか。

「今朝の話しのつづきをしましょう」

「わかりました」

「『希林寿』の酷評をした館主の名前も教えてくれませんか?」

「金子さんです」

 たいした驚きはなかった。もう、驚きの感覚が麻痺し始めているのかもしれない。

「金子さんの子供さんは、大学生ですか?」

「そうです。一年前にT村を出て、確か、神奈川の大学に通っています」

「名前は金子大輔?」

 鹿野紀子は頷いた。そして、目を見開く。

「えっと、お知り合いですか?」

「知り合いではないんですけど、横浜で殺されました」部筑は戸惑っている鹿野紀子に構わずつづけた。「連続殺人事件の被害者なんです」

「えっ? で、ですが、本名が同じだけの、べ、別人じゃ?」

「それはわかりません。顔写真は持っていませんから、ここで証明はできません。でも、今までの情報を聞いている限り、九十九パーセント別人ではないでしょう」

「そういえば、映るチャンネルの殆どが地方番組だったね。もしかして、こっちでは、その事件の報道されていなかったんじゃない」

 部屋で一人になった時、美佐江は確認していたらしい。そして、

「わたし達はその犯人を探しているんです」 

「しゃべって……いいのか?」

 僕は恐る恐る訊ねた。

「鹿野さんなら、いいの。もう、ここまで来たら、黙っていても仕方ないでしょ」

 美佐江は、横浜での事件を話し始めた。

「だから、わたし達はあの本のことを知っていたんです」

「なんと、いっていいか……あの本を万引きまでしていたなんて」

 僕達が数日間で味わった衝撃をものの数分で味わっているのだ。鹿野紀子が言葉を失うのも無理はない。

「実は、先ほど主人から連絡があったんです」

 それで、泣いていた痕跡があったのか。

「今しばらく神奈川にいると。たぶん、金子さんの子供を追っているんでしょう。金子さんの死の直後のことを、彼が知っているかもしれませんでしたから。私が戻ってきてちゃんと話してほしいって伝えたら、心配するなと――切られてしまいました」

 鹿野紀子は口を抑えた。必至で涙を抑えているに違いない。慰める術をとるべきだ。しかし、僕は、聞いていてある憶測を思いついてしまった。これは、殺害動機として筋が通る。躊躇している暇はないと、自分に言い聞かせた。

「彼は万引きの常習犯だと報じられていました。ただ、あの本に限っては、犯人に命令されて万引きしたんだと思っています」

 六つの目は、特に部筑と美佐江の目は泳いだ。

「どうして?」

 沢村から借りたあの本を手に取ったときの、死者の無念を訴えかけて来るみたいなあの感覚。


《俺ハ 殺サレタ――》

《――父ノ 知リ合イ 命令 サレテ》 

《恨ミヲ モッテイタ 出版社ノ 本ノ万引キハ モウ止メタノニ――》

《――過去ヲ 忘レ 本ノ万引キハ シタクナカッタノニ》

《二度ト 見タクモカッタ アル本ヲ盗ミ――》 

《――ソレヲ持ッテ アル場所二コイト 指定サレタ》

《母親二ハ ソノコトヲ言エナカッタ――》

《――友達ニモ 先生ニモ イヤ 友達ナンテイナカッタケド》

《誰カ二 言ッタラ 万引キシテイタコトヲ バラスッテ 脅サレタカラ――》

《――学校二バラサレタラ 省カレル 母親二ハ 迷惑ヲ 掛ケタクナカッタ》

《モウ ワスレタカッタ 父親ガ 悪イコトヲ シテイタコトモ スベテ――》

《――家ノ 近クデノ公園デ 着信ガアッタ》 

《指定サレタノハ 神社デ 本ヲ 持ッテ 行ッタ――》 

《――誰モ イナカッタ ト思ッテイタラ 後カラ 首筋ヲ切ラレタ》

《何ガ 起コッタノカモ 分カラズ 力ハ抜ケテイッタ――》

《――俺ハ 変ナ 機械デ 切刻マレ》


「金子大輔さんは万引きの常習犯であることを犯人に知られていた。それで犯人に脅されていた」

「脅されていた」

 と言った部筑は以前自分で提案してきた推理を思い起こしているのだろう。深く頷いた。

「金子大輔さんが万引きの常習犯だとわかるまで執着する人物がいるとするならば」僕は鹿野紀子を見つめた。

「鹿野さんの、ご主人ではありませんか?」

 僕は歯を食いしばった。これは憶測だ。推理だ。鹿野紀子の傷口を広げている。しかし、もうこれしか考えられなかった。


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