第1話 結論禁止
私は天才だ。
だが、今の私は——この重厚な扉の前で、胃を痛めている。
金箔の招待状には、優雅な飾り文字でたった一行。
『結論を先に申し上げた者は、紅茶を飲む資格を失う』
意味が分からない。
結論とは議論の目的だ。目的を最後に出す会話など、迷子の散歩に等しい。非合理の極みだ。
しかし、今の私には「後ろ盾」が必要だった。
私の才能を、この国の政策に反映させるための、強力なコネクションが。
私は胸ポケットから、愛用の『盤面帳』を取り出した。革表紙の薄い手帳だ。
ここには、私の対人戦略の全てが記されている。
【現在の評価値:Unranked】
【目標評価値:Safe - 次回も招待される】
視界の端に、私にだけ見える青白いパラメータが浮かぶ。
<社交戦略眼>。
人の感情や場の空気を数値化する、私だけのユニークスキルだ。これがなければ、私はとっくに社交界で「空気の読めない変人」として埋葬されていただろう。
扉が開く。
芳醇な紅茶の香りと、甘い焼き菓子の匂いが鼻孔をくすぐる。
ふかふかの絨毯の先には、きらびやかな衣装を纏った貴族たちが、扇やカップを片手に優雅な笑みを交わしていた。
——戦場だ。
私は呼吸を整える。
このサロンでは、互いを「MBTI」と呼ばれる性格類型で呼ぶのが流儀だ。
家柄や爵位といった鎧を脱ぎ、個人の性質だけで向き合うための、奇妙な遊び。
「INTJ・レオン・アルクライト様。ようこそ」
鈴を転がすような声と共に、蜂蜜色の髪をした美女が歩み寄ってくる。
ESFJ・セレスティア・ヴァレンヌ。
緩く巻いた豪奢な縦ロールに、新緑のような翡翠の瞳。手にしたレースの扇が、彼女の言葉の裏にある本音を隠している。
このサロンの門番であり、実質的な支配者だ。
「初めまして、美しい方。私は——」
「本日は“結論禁止”でございます」
私の挨拶を、鋼鉄のような冷たい声が遮った。
ISTJ・マグヌス・グレイ。
糸一本の乱れもない白髪交じりの髪。縁なし眼鏡の奥にある灰色の瞳は、私を人間ではなく「処理すべき書類」として見ている。
礼法官。あるいは、この部屋の防波堤。
「……承知しました」
承知していない。
私は脳内で、盤面帳に太字で書き足した。
『禁句:つまり/要するに/結論』
「ふふ。面白いですね。『結論』が禁句だなんて」
軽い声が左から刺さった。
ENTP・ユリウス・スカーレット。
燃えるような赤髪を無造作に遊ばせ、口元には常に皮肉めいた笑みを浮かべている。琥珀色の瞳は、まるで面白い玩具を見つけた子供のようだ。
「面白いというより、非効率です」
言ってから気づく。
この場は非効率を愛する場所だということを。
ESFJ・セレスティアが、扇をパン、と小さく鳴らして少しだけ開いた。
「効率は、時に人を傷つけますの」
その言い方は慈愛に満ちている。
しかし私の<社交戦略眼>は、彼女の周囲に警戒色の赤色が灯ったのを感知した。
ここでの「優しさ」とは、「逃げ道のない断罪」と同義らしい。
私は咳払いで時間を買い、脳内の盤面帳のページをめくった。
私の交渉フレームワークは5つ。
①相手の欲しいもの
②相手の守りたい面子
③相手の恐れ
④渡せる譲歩
⑤合意後の語り
今、目の前の相手たちに必要なのは……。
(相手の欲しいもの:安全・秩序)
(相手の守りたいもの:主催の顔)
(相手の恐れ:サロンが荒れる評判)
(譲歩:——沈黙?)
沈黙。
私は得意ではない。
「INTJ・レオン様、こちらへ」
マグヌスが席へ導く。その動きは機械のように正確で、無駄がない。
だからこそ、私には一つの仮説が浮かんだ。
(この男は、規定で私を縛るのではなく——無知な私が地雷を踏まないよう、守っている?)
ユリウスが、私の沈黙を面白がるようにニヤリと笑った。
「初参加で結論禁止? きっついな。……で、君は何者なんだい?」
「天才です」
口が勝手に言った。
ああ、悪い癖だ。事実を述べただけなのに。
空気が、一瞬だけ止まる。給仕の銀器の音さえ消えた気がした。
ユリウスの口角が吊り上がった。
「いいね。天才。……で、その天才の“結論”は?」
誘導。
今ここで答えれば、私は「結論を言った」ことになり、即座に退場だ。
罠だ。
セレスティアの微笑みが、ほんの少しだけ冷たくなる。扇の隙間から見える瞳が、私を値踏みしている。
私は脳内の盤面帳を閉じた。
「……結論は、紅茶を飲んでからにします」
我ながら、回りくどい言い方だ。
だが、確かにこの場の通貨は“順番”らしい。
マグヌスが、ごく小さく頷いたのが見えた。
その瞬間、私は理解する。
私は今、勝ったのではない。
死ななかっただけだ。
セレスティアが、礼儀正しく優雅に言い放つ。
「それでは、レオン様。最後の一口まで、どうぞ“結論”を大切になさって」
——微笑みのまま、警告。
私の脳内で、危険信号が明滅する。
まだ、油断は許されない。
私は天才だ。
だから次は、順番で勝つ。




