表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/10

第1話 結論禁止


 私は天才だ。

 だが、今の私は——この重厚な扉の前で、胃を痛めている。


 金箔の招待状には、優雅な飾り文字でたった一行。


『結論を先に申し上げた者は、紅茶を飲む資格を失う』


 意味が分からない。

 結論とは議論の目的だ。目的を最後に出す会話など、迷子の散歩に等しい。非合理の極みだ。


 しかし、今の私には「後ろ盾」が必要だった。

 私の才能を、この国の政策に反映させるための、強力なコネクションが。


 私は胸ポケットから、愛用の『盤面帳』を取り出した。革表紙の薄い手帳だ。

 ここには、私の対人戦略の全てが記されている。


【現在の評価値:Unranked】

【目標評価値:Safe - 次回も招待される】


 視界の端に、私にだけ見える青白いパラメータが浮かぶ。

 <社交戦略眼>。

 人の感情や場の空気を数値化する、私だけのユニークスキルだ。これがなければ、私はとっくに社交界で「空気の読めない変人」として埋葬されていただろう。


 扉が開く。

 芳醇な紅茶の香りと、甘い焼き菓子の匂いが鼻孔をくすぐる。

 ふかふかの絨毯の先には、きらびやかな衣装を纏った貴族たちが、扇やカップを片手に優雅な笑みを交わしていた。


 ——戦場だ。


 私は呼吸を整える。

 このサロンでは、互いを「MBTI」と呼ばれる性格類型で呼ぶのが流儀だ。

 家柄や爵位といった鎧を脱ぎ、個人の性質だけで向き合うための、奇妙な遊び。


「INTJ・レオン・アルクライト様。ようこそ」


 鈴を転がすような声と共に、蜂蜜色の髪をした美女が歩み寄ってくる。

 ESFJ・セレスティア・ヴァレンヌ。

 緩く巻いた豪奢な縦ロールに、新緑のような翡翠エメラルドの瞳。手にしたレースの扇が、彼女の言葉の裏にある本音を隠している。

 このサロンの門番であり、実質的な支配者だ。


「初めまして、美しい方。私は——」


「本日は“結論禁止”でございます」


 私の挨拶を、鋼鉄のような冷たい声が遮った。

 ISTJ・マグヌス・グレイ。

 糸一本の乱れもない白髪交じりの髪。縁なし眼鏡の奥にある灰色の瞳は、私を人間ではなく「処理すべき書類」として見ている。

 礼法官。あるいは、この部屋の防波堤。


「……承知しました」


 承知していない。

 私は脳内で、盤面帳に太字で書き足した。


『禁句:つまり/要するに/結論』


「ふふ。面白いですね。『結論』が禁句だなんて」


 軽い声が左から刺さった。

 ENTP・ユリウス・スカーレット。

 燃えるような赤髪を無造作に遊ばせ、口元には常に皮肉めいた笑みを浮かべている。琥珀色の瞳は、まるで面白い玩具おもちゃを見つけた子供のようだ。


「面白いというより、非効率です」


 言ってから気づく。

 この場は非効率を愛する場所だということを。


 ESFJ・セレスティアが、扇をパン、と小さく鳴らして少しだけ開いた。


「効率は、時に人を傷つけますの」


 その言い方は慈愛に満ちている。

 しかし私の<社交戦略眼>は、彼女の周囲に警戒色アラートの赤色が灯ったのを感知した。

 ここでの「優しさ」とは、「逃げ道のない断罪」と同義らしい。


 私は咳払いで時間を買い、脳内の盤面帳のページをめくった。

 私の交渉フレームワークは5つ。


 ①相手の欲しいもの

 ②相手の守りたい面子

 ③相手の恐れ

 ④渡せる譲歩

 ⑤合意後の語り


 今、目の前の相手たちに必要なのは……。


(相手の欲しいもの:安全・秩序)

(相手の守りたいもの:主催の顔)

(相手の恐れ:サロンが荒れる評判)

(譲歩:——沈黙?)


 沈黙。

 私は得意ではない。


「INTJ・レオン様、こちらへ」


 マグヌスが席へ導く。その動きは機械のように正確で、無駄がない。

 だからこそ、私には一つの仮説が浮かんだ。


(この男は、規定で私を縛るのではなく——無知な私が地雷を踏まないよう、守っている?)


 ユリウスが、私の沈黙を面白がるようにニヤリと笑った。


「初参加で結論禁止? きっついな。……で、君は何者なんだい?」


「天才です」


 口が勝手に言った。

 ああ、悪い癖だ。事実を述べただけなのに。


 空気が、一瞬だけ止まる。給仕の銀器の音さえ消えた気がした。

 ユリウスの口角が吊り上がった。


「いいね。天才。……で、その天才の“結論”は?」


 誘導。

 今ここで答えれば、私は「結論を言った」ことになり、即座に退場だ。

 罠だ。


 セレスティアの微笑みが、ほんの少しだけ冷たくなる。扇の隙間から見える瞳が、私を値踏みしている。


 私は脳内の盤面帳を閉じた。


「……結論は、紅茶を飲んでからにします」


 我ながら、回りくどい言い方だ。

 だが、確かにこの場の通貨は“順番”らしい。


 マグヌスが、ごく小さく頷いたのが見えた。


 その瞬間、私は理解する。


 私は今、勝ったのではない。

 死ななかっただけだ。


 セレスティアが、礼儀正しく優雅に言い放つ。


「それでは、レオン様。最後の一口まで、どうぞ“結論”を大切になさって」


 ——微笑みのまま、警告。


 私の脳内で、危険信号が明滅する。

 まだ、油断は許されない。


 私は天才だ。

 だから次は、順番で勝つ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ