4 ワイバーン/能力(♣︎)
「施設長! ワイバーンです!」
ワイバーン。
巨大な、翼を持った蛇。
その爪で、牙で襲われたら、人間なんてひとたまりもない。
背筋に冷たい汗が流れ、膝が震えた。
怖い。
「警邏官の詰め所に非常伝令を! キリン、あなたはここにいなさい」
ミリアムが笛の音の方に駆け出す。
待って。
一人にしないで。
私はミリアムの後ろをおぼつかない足取りで追った。
「キリン! 来てはだめ!」
振り返ったミリアムに、私は、涙をにじませて首を振った。嫌だった。怖かった。一人にされるのも、残されるのも、ミリアムがいなくなるのも。
ため息が聞こえた。
ミリアムが私の手を掴んで走り始めた。
私は懸命に歩調を合わせた。
えっ?
身体が、軽い。
まるで、羽根でも生えたように。
ミリアムの脚は、年齢や外見と違和感があるほど、速い。
でも私の脚も、その速度に追いついてる。
私、こんなに、速く……。
ミリアムが、少しだけ振り返った。
「別の形で確かめるつもりだったけど、そう、やっぱり、間違いなかった」
ミリアムが、笑った、気がした。
「施設長!」
堅牢な赤煉瓦で造られた施設の玄関口の前。石畳と大きな栗の木が立ち並ぶあたり。
割れた窓ガラスが散乱している。樫の木で造られた重厚な玄関ドアの上、二階に上る階段の踊り場にある、外向けの大きなガラス窓が割れている。
背の高い男性の職員と、若い女性の職員が、ミリアムに駆け寄ってきた。
「あそこに……」
二人が振り返って見上げた先。
施設の二階の屋根の左端、煙突に長い尻尾を巻き付けて、屋根から身を乗り出すようにして、そいつは私たちを睨みつけていた。
つり上がった、は虫類の様な、茶色く濁った獰猛な瞳。
びりびりと空気が震えた。
それがワイバーンの咆哮だと気づいて、胃が、心臓が、締め付けられるような恐怖にすくみ上がった。
手を引かれた、と思った瞬間には、ミリアムに抱き抱えられて、私の瞳は夕方の空を映していた。
衝撃音、何かが激突した音と、地面の揺れ。
身体をよじって振り向くと、夕闇にぬらぬらと光、深緑色の硬質な肌。
ワイバーンが、スリングショットではじき出された石の様な速度で、飛びかかって来たのだ。
えぐり取られた地面。
さっきまでそこに居た、私とミリアム。
殺される。
何で付いてきたんだ。
バカだ。
足手まといだ。
ふわりと、身体が放り投げられた。
そう思ったら、私は背の高い職員に抱き抱えられていた。
え?
ミリアムが投げた?
「山に……帰りなさい!」
ミリアムが、信じられないような速度で、ワイバーンの背中の後ろを駆け抜ける。
再び、ワイバーンの咆哮で空気が揺れる。
鞭のようにしならせた尻尾がミリアムを弾き飛ばした、様に見えた。
それを飛んでかわしたミリアムが、両手をワイバーンの首筋に添えた。
激しい破裂音。
雷でも落ちたような。
ワイバーンが悲鳴を上げてのけぞり、地面に崩れ落ちた。
何?
なんなの?
あれが、人間の動き? 人間の力?
それも、初老という年齢などとうに過ぎた、女性の?
「うっ……!」
脚をついたミリアムが、バランスを崩して、地面に膝と手を突いた。
荒い息をしている。
胸を押さえている。
遠目で見ても、尋常じゃない汗をかいているのが見える。
さっきまでの動きが、嘘のように、しぼんで見える。
「ミリアム!」
倒れていたはずのワイバーンが、身を縮めるようにした状態から、鎌首をもたげた。
視線の先には、ミリアム。
だめ、やめて。
「だめ!」
無我夢中だった。
私は、ポケットのスリングショットに足下の大粒のとがった石をセットして、全力で引いた。
距離、30歩弱。
濁った瞳の中心。
四つん這いのミリアムの背中に噛みつこうとするワイバーン。
研ぎ澄まされた感覚。
時間が、止まったように感じた。
光の線が、確かに見えた。
私は、その線に沿って、とがった石を全力で打ち出した。
ミリアムに噛みつこうとしていたワイバーンが、悲鳴を上げて再びのけぞった。
私の打った石は、正確に、ワイバーンの左目に突き刺さった。
激しく咆哮しながら、のたうち回るワイバーンは、しかし、青い血を左目から流しながら、憤怒の表情で、あたりを睨みつけ……そして、再び、ミリアムに向けて突進した。
やめてやめてやめて!
何か! 何か撃つもの、武器……だめ……
嫌、殺さないで!
「ミリアム!」
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