5 夏休み
「私は、キング・オラトリオの第三皇女、キリン・アリストリア・ノノよ!」
それは、入学して最初の夏休みの後のことだった。
真昼の教室に、キリンの凛とした声が響きわたった。
その日は、スザク先生が王都に呼ばれ、「速く動く力」の実習が中止になり、ララ先生は休暇で、他の先生達もそれぞれ別の学年の授業があり、結局「文献研究」という名の実習時間となった。
スザク先生は、自分が所有している大量の本を教室に荷台で運び「好きなのを読んで」と言い残すと、窓から飛び降り、ほんの数秒で学校の周囲の森の中に消えていった。
自習中は黙々と本を読むキリンなど、数名の生徒を除けば、その難解なアレステリアの歴史や技術に関する本に没頭できる生徒はおらず、珍しく、どの先生も配置に付かない自習時間に、次第に私語が広がっていった。
キリンの席の近くで、誰かが、夏休みの間に帰っていた出身地の話を始めた。
それが、その騒動の発端だった。
***
「生徒」は、年に1回だけ、寄宿舎を離れて家に帰ることが許されている。時期は、夏の中盤の「月が近い日」の前後数日間。親族が集まり、ご先祖様を供養する時期。
大抵の「生徒」はその日を心待ちにしている。特にその時は、みんな家を離れて1年目だったから、俺たちの学年のほとんどの「生徒」が、最初の夏休みに、自分の家に帰った。
帰らなかったのは、俺と、超読書家で、家に帰る時間が惜しいと言っていたソラと、怪しげな機械作りに没頭していたスパナ、理由はよく分からないが帰らなかったドレイク、そしてキリンの5人だけだった。
ソラは、度の強いメガネを入念に磨いた上、大量の図書館の本を積んだ荷車を引いて、自分の部屋に引きこもり、スパナも同様に、他人にはがらくたにしか見えない謎の金属片や謎の液体を大量に部屋に持ち込み、引きこもっていた。
ドレイクは、よく分からないが、学校の庭で延々と剣の素振りや筋トレをしていた。
俺は、素振りをしているドレイクを見下ろしながら、がらんとした寄宿舎の二階の広間で、貸与されたばかりの手錠の鍵穴のチェックや、金具の滑りをチェックしていた。
そこに、すたすたと、何か飲み物を入れた白いコップを片手に、見慣れない女子が歩いてきたのを覚えている。
普段、休日はいつもだぼっとしたズボンと無地のシャツを着ているキリンが、その日は、黄色のシンプルなワンピースを着ていた。
見慣れないので、一瞬誰だか分からなかったが、栗色の髪と赤交じりのオレンジの吊り目のセットで、噛みつかれた時の記憶がはっきり蘇り、キリンじゃん、と思った。
キリンは、広間の窓際の椅子に座り、俺と同じようにドレイクを見下ろした。
「あんたは、家に帰んないの?」
「そういうお前はどうなんだよ」
1年生の時の俺は、キリンが苦手だった。
最初に会った時に、ピアスを拾ってやったにも関わらずいきなり噛まれ、殴られ蹴られ、散々な印象だった上、その後も、クラスの誰とも積極的に馴染もうとせず、いつも一人で本を読んでいる。
「私のことはいいでしょ。あんたのことを聞いてんの」
何て物言いだ、どことなく、高飛車なんだよな、こいつ。
育ちがいいのかもな。
「俺は、卒業して「警官」になるまで帰らない。母親に宣言してきたから、帰らん。どうせ地元に帰っても、街に出りゃ、石投げられるだけだし」
そう言って、さすがに何だか寂しい気持ちになった。
そんな俺とは対照的に、キリンは、吊り目をやや見開いて……何か嬉しそう?
「へー。そう。あんた、帰んないのね。この先、5年間ずっと。5年間」
「なんだよ。悪いかよ」
「とか言って、来年あたり寂しくなって帰るんでしょ?」
な、何なんだ、こいつ……。
「帰らねぇって言ってんだろ!」
若干強めに言ったにも関わらず、より一層嬉しそうに見える。
どうなってんだこいつ。
「そう、なるほどね。実は私も家が遠いから、ちょっと学校の規則上、帰れないのよね。ほら、移動日入れて5日間じゃない? それじゃ無理なのよ。だから、この先5年間帰らないつもりだったわけ。奇遇ね。この5日間、誰もいなくて静かだから、あー……、そうね、少しぐらい、話し相手になってあげてもいいわよ。」
……なるほど。
こいつ、寂しかったんだな。
1年生達は、先月くらいから、この5日間の話を始めていて、久しぶりに家に帰ったら誰に会うだの、何をするだの、何を食べるだの、みな楽しそうにしていた。
いつも一人でいたキリンは、一層孤独だったんだろう。
しかも、この先5年間、毎年同じ時期に、同じ思いをするのか、と。
なるほど。
「話し相手が欲しいのか?」
「どういう意味よ! 私が寂しがり屋みたいじゃない!」
完全にそうだと思うが、面倒な奴だな。
ま、でも俺も寂しくなかったわけじゃないし、正直、気が紛れたのは嘘じゃなかった。
それくらい、がらんとした夏の寄宿舎は、どこまでも静かだった。
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