3 血筋(♣︎)
慌ただしく荷物をまとめた。と言っても、そんな大した量はなかった。私服として支給されていた2着のワンピースと一足の革靴、ヘアピンを含めた身の回りの小物、それから……家を追われた日にポケットに入れていた、お母さんのルビーのイヤリング。ずっと隠し持って、この館でも見つからないようにしていた。
確かに私が、あの家にいた、唯一の証拠。
本当は、私はあそこに盗みに入った子どもかも知れない。
でも、ぼんやりとだけど、お母さんがこれを付けていて、それが素敵で、あの日も、こっそり持ち出して、耳に付けていて。
「さぁ、行きましょう」
銀髪の老女は、ミリアムと名乗った。
館を出て行く私に、婦人も、他の給仕人達も、冷ややかな視線を送っていた。
明日からは、誰が婦人の不機嫌を引き受けるんだろう。
ばかばかしい。
***
西端のスクトゥムティアから、東端のアレステリアは、遠い。もし陸路で向かったら、いくつもの山や森を越え、スコラスティア、エクエスティア、マルカンティアの3つの国を通って行かないといけない。その道は、大人の脚でも数ヶ月かかると聞いたことがある。
その道のりを、私は空から眺めていた。
遙か地上に見えるのは、スコラスティアの北端のあたりだろうか。
「素敵でしょう? 若い内に、こうして一度空から世界を見ておくのは、大事なことだと思うの」
ミリアムが、背後から話しかける声に、まだ警戒心が抜けきっていない私は「……お金持ちなんですね」と、かわいくない言葉を返した。
スクトゥムティアから、マゲイアティア、スコラスティア、それから中立地帯のジュディシアリスには、飛行艇の往復便が少数ながら運行していた。
ただ、それはスコラスティアの科学技術とマゲイアティアの魔術を融合させた特殊な機体で、貴族や大商人を除けば、どうしても急ぎの用が無い限り一般市民が気軽に利用できる運賃ではなかった。
「あなたの話を聞いて、奮発したのよ。これを使わないと、アレステリアからは何ヶ月もかかってしまうもの。でも、空を飛べば、2日でジュディシアリスまで着くし、アレステリアまではそこから船で2日ってところだから」
「どうして、そこまでして私に?」
夕日が、甲板を照らし始めた。
「あなたは、スクトゥムティアの王族だって、言っていたそうね」
「……」
「でも、そんな証拠はどこにもない。あなたが信じてるだけ」
「それが何だって言うんですか」
「残念だけど、この世界の状況では、あなたが嘘をついてるとしか思えない。でもあなたみたいな子どもが、時々いるの。身よりも何もなく、譫言のように自分の元の身分の話をする。それが本当に嘘なのかどうか。私は、自分の側に置いて確かめたい。私は、そういう事業をしてるの、パンを焼きながら、ね」
「……悪趣味ですね」
ひどい言葉だと思った。
でも、パンに釣られた先は、結局、金持ちの道楽、研究、興味関心を満たす材料にされるのか、と暗い気持ちになった。
そっと、私の頬を後ろからなでる手の感触があった。
皺でがさがさの手は、でも、風が吹く甲板でも、ひどく暖かかった。
「そうね、確かに悪い趣味かも知れないわ。でも、何故だか、大事なことのような気がしているの」
その言葉の響きの優しさに、私はミリアムの方を振り向いた。
風が強く吹いて、腰のあたりまである私の金色の髪を乱した。
「パンの焼き方は、教えてくれるんですか?」
髪の毛を抑えながらつぶやくように尋ねた私に、ミリアムは微笑んだ。
「ええ、何よりも大事なことだから」
ふと、ミリアムが私の目をのぞき込んだ。
「……あなたの瞳の色、赤みがかったオレンジ色なのね」
「母親譲り……だった気がします」
お母さん、らしき人の顔が、薄ぼんやりと浮かんだ。
それを聞いたミリアムは、何か考え込むような表情をした後、「冷えるから、中に入りましょう」と私の手を引いた。
***
アレステリア国の北西端の山沿いの町外れにある、ミリアムの施設での暮らしは、館とは雲泥の差だった。早起きして、掃除、パンの生地をこねる、焼く、注文のあった街の家に配達する、午後はミリアムや他の施設職員の授業を、自分と同じように、施設に集められた子供達と受ける。
夕食前は自由な時間だった。町まで散歩に行っても良いし、本を読んでいても良いし、他の子と遊んでいても良い。
ただ、山の方には近づかないようきつく言われていた。特に、秋から冬にかけては、冬眠に入る猛獣のほか、普段は山頂から降りてこないワイバーンも餌になる小動物を狙って降りてくることがある。猛獣が施設の近くまで来たこともあるらしい。
暮らし初めて、1ヶ月。私は、他の子達にまったく馴染めなかった。
子ども達は、みんな、死んだような目をしていた。
ここの施設の人たちは、皆優しくて明るかった。
最初は、隠れた虐待や、人攫いや、人身売買のような裏があるのでは、とも思ったが、それも違う。
私より幼い子から、10代後半くらいの子まで。20人くらい。
誰も彼も、生きる気力や、精気が感じられなかった。
何かを失って、あきらめている。
施設長のミリアムが、毎日励まし、心の糸が切れてしまわないように、働きかけているようだった。
その様子が、ただただ、単純に怖かった。
この子ども達と一緒にいれば、そのまま、あちら側に引き込まれて、戻ってこれないのではないか。
甲高い音を立てて、私の脚で徒歩25歩先の木製テーブルに置いたトマトの缶詰の空き缶が弾かれて倒れた。
続けざまに、横に並べた空き缶二つも弾き飛ばす。
今日は特に調子が良い。
遊戯室にあった玩具のスリングショット。施設の中で見つけた強度のあるゴムに張り替えて、小石を飛ばす的当て。
暇つぶしに庭で遊んでみたら、狙った場所に、良く当たる。先週までは、20歩先までを正確に打ち抜けるようになった。今週は、さらに5歩先まで的を遠ざけて、それでも外さなくなった。
風、その日の空気の湿度、ゴムの調子、自分の手の感覚。何の役に立つかは分からないが、ちょっとした才能じゃないか、と思った。
そう、私には、できることがまだある。
怖かった。何かをしていないと、いずれ自分もあちら側に引きずり込まれる。そんな予感があった。
「キリン、あなた、そんな才能があったのね」
振り向くと、ミリアムが手を叩いて笑顔を見せていた。
「自分でも知りませんでした」
ミリアムが、何かを迷ったような顔をして、それから私の瞳をすっと見つめた。
「あなたの血筋……人種を調べたいと思うの」
「私の?」
「ええ、もしかしたらあなたは……」
どこかで、ガラスの割れる音がした。
誰かの叫び声と、非常事態を告げる笛の音が響き渡った。
読んでいただいてありがとうございます!
もしよければ評価・ブクマいただけたらとっても嬉しいです!




