37 光の右手
お母さんの、顔。
金色の、美しい、柔らかなウェーブのかかった。
お母さんお気に入りの、柔らかいハーブの香る、洗髪石鹸の香り。
「これを、無くしてはだめよ。このイヤリングが、私の家に伝わる守りの宝石。きっと、あなたを守ってくれる」
家の玄関の前の広間
ひどく緊張したお母さんの顔。
屋敷の外で、雷の落ちるような音がした。
お父さんがいる、屋敷の外。
「何? 何なの? 怖い……」
「キリン、地下室に逃げなさい。地下室の一番奥の扉。この鍵で開くわ。そこを開けて、階段を下りて、真っ直ぐ走りなさい」
「何で? 嫌! お母さんは? お父さんは?」
「後で、追いかける。どれだけ、時間がかかっても、必ず、迎えに行くから」
嘘だ。
屋敷の外で、また、雷の落ちるような音がした。
屋敷の玄関ドアを、何かが激しく叩きつける音。
「行きなさい! キリン!」
お母さんが、私のことを突き飛ばした。
その瞬間。
屋敷のドアがけたたましい音とともに開いて、真っ黒な影が入ってきた。
お母さんの足が、影に捕まれた。
「行きなさい!! キリン!!!!」
お母さんの叫び声に。
私は泣きながら背を向けて、地下室に向かって走った。
助けを、助けを呼ばないと。
誰か、誰か。
助けて……。
お母さん……お父さん……。
地下室の奥のドアの前で転んで、鍵を落とした。
鍵が、クルクルと床を滑って、壁際の物置の下の隙間に入り込んだ。
右足を、何かが掴んだ。
「駄目じゃないか、逃げちゃ」
黒い影の声が、響く。
「さぁ。今までのは、全部、嘘だよ」
黒い影が、蛇のような形に。
私の瞳をじっとのぞき込む。
「君は、お父さんと、お母さんの帰りを待っていたんだ。自分の部屋で、ね。まぁ、この屋敷が、君のものかどうかは、どうも怪しいみたいだが。さ、やり直そう。元の位置に戻って、お父さんと、お母さんを待つところから」
何を、言っているの。
「そして、続けよう。君が、全てを諦めて、自分の名前を捨てて、自分を嘘つきだと認めるまで」
***
頭の中にわき上がるイメージ。
黒い影の中に、はっきりと光る、核が見えた。
沸騰するほどの怒り。
この影は、キリンを、キリンの存在を、殺そうとしやがった。
***
「違う!」
コテツの声が、響きわたった。
「お前は、キリンだ! 嘘なんかじゃねぇ!」
***
そうだ、私は、キリン。
キリン・アリスティア・ノノ
嘘じゃない。
絶対に嘘じゃない。
お父さんとお母さんが。
私だけに付けてくれた、私の名前。
私だけの名前。
「嘘じゃない!」
「私は、キリン! キリン・アリスティア・ノノ!」
***
右手が、光を帯びた。
身体に、羽根が生えたように、軽い。
キリンが自分の名前を叫ぶのと、ほぼ同時。
再びキリンにまとわり付こうとしていた黒い影が、キリンの声に怯んだ隙に、影の中に飛び込んだ。
影が、俺の右手を怖がるように、震え出す。
「うおおおおおおおおおおおおおおお!」
そいつの真ん中の核に、全力で、光る右手をたたき込んだ。
ガラスが割れるような甲高い音が響いた。
人の叫び声のような音が響いて、黒い影が渦を巻いて、そして、消滅した。
キリンが、呆然と俺の方を見ていた。
「……キリン」
掴んだ、キリンの腕から、洪水のように流れ込んできた、映像。
あれが、キリンの身に起きた事実。
全てを奪われて。
たった一人で、耐えてきたのか。
「お前の話は、一から十まで何もかも全部本当だ」
キリンが、レディッシュオレンジの吊り目を、大きく見開いた。
「今まで、分かってやれなくて。ごめん」
「……コテツ……」
「そして、それを盗んだ奴がいる。お前の家も、両親も、人生も、全部」
許せねぇ。
許せねぇ奴だ。
「盗人は捕まえなきゃな」
俺のノードが……これが一体何なのかは、分からない。
キリンにまとわりついた化け物を追っ払ったのは確かだ。
「兄貴を捕まえるついでだ」
俺もお前も、こんなところで死ぬわけにはいかない。
そうだろ?
「生きて、捕まえに行こうぜ」
***
そう言って、ぼろぼろのコテツは笑った。
あの日、家族も、家も、名前も。
全部盗まれたあの日から。
優しくしてくれた人がいた。
住む場所も見つかった。
ここで、友達もできた。
美味しいものだって、食べた日もある。
でも。
私は、本当の意味では、ずっと孤独だった。不安だった。怯え続けていた。
もう、誰も自分のことを、自分だと分かってはくれないんだと。
私の記憶が嘘で、狂っているのは私なんじゃないかと。
必死で。
お父さんと、お母さんの顔を、何度も何度も思い浮かべて。
自分の名前を握りしめて。
消えてしまわないように。
嘘じゃない。
嘘なんかにさせないように。
「うん……う……」
私の記憶は嘘じゃない。
やっと、見つけてもらった。
ここに私がいることを。
「うぁわあああああん……」
どうしようもなく、嬉しくて、暖かくなって。
私は子どもみたいに泣きじゃくった。
「おい、馬鹿、何で泣くんだ……まだ何も解決してねーぞ! ……いや、どこか痛ぇのか?」
「……ってあげる……」
「?」
「コテツの……お兄さん、捕まえるの。……私も……手伝う」
コテツは、少し驚いたように、青い瞳で私を見て、それからもう一度笑った。
「兄貴は、やばいぜ」
「知ってる……だから手伝う」
「じゃ、それで貸し借り無しだな。約束だぜ」
私は、大きく頷いた。
そのとき、地面が大きく揺れた。
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