2 国一番の嫌われ者(♦︎)
甲高い音がして、窓ガラスが割れた。
投げ込まれた石を拾い上げる。
玄関を飛び出すと、家の前の野原に、同い年か少し上くらいの少年が5人立っていた。
「出て行けよコテツ・インバクタス! この罪人一家!」
どこからその名前、漏れたんだ。
3回目の引っ越し。
アレステリア国の北端に近い、ニベウス郡まで逃げてきた。引っ越して数ヶ月、学校でも静かにしていたのに。
どこからでも、情報は漏れる。
この国に逃げ場所はないのか。
俺は、さっき拾い上げた石を握りしめた。
いい加減にしろよ。
「人の家の窓、割ってんじゃねーぞ!!」
投げた石は、5人の誰にも当たらず、明後日の方向に飛んでいった。
一番でかい奴が殴りかかってくる。
どうせ、全員は倒せない。
こいつだけ、ぶっ倒して、後はもうどうでもいいや。
そうすることにした。
でかい奴の目に視線を合わせた。
振りかぶった拳の軌道が見える。
軌道の少し外に移動して。
空を切った拳に、でかい奴が不思議そうな顔をした、のが見えた。
がら空きの腹の真ん中辺り。鳩尾って言うんだっけ。
そこが光って見えたので。
怒りに任せて右の拳をたたき込んだ。
うめき声を上げて、でかい奴が崩れ落ちて。
その後、一斉に襲いかかってきた4人にあっという間に押さえ込まれ、ぶん殴られはじめたところで、母親の怒りに満ちた叫び声が聞こえた。
***
街中の警邏官の詰め所で、俺をぼこぼこにした5人組と一緒に、事情聴取を受けた。
そこそこ殴られ、蹴られたけど、もともと結構頑丈なのと、目を合わせた奴からの攻撃は、少しずつ急所を外すように体をよじらせたのと、母親が駆けつけたのが早かったので、案外軽傷だった。
それより、俺に殴られたでかい奴の方が少し吐き気があるということで、ここから少し南にある、北の大都市ニクスリアの治療師のところに運ばれた。
逆に、俺が捕まるかな、と思ったが、面接室で一通り事情を話した後、中年の警邏官は、少し悲しそうな、穏やかな笑顔を浮かべた。
「中央から、ここまで、何回も引っ越して来たんだろう?」
「……事情、知ってるんですか?」
「ある程度の役職以上の警邏官は、みんな知ってるさ。さすがに、中央でも君と君のお母さんの身を案じる声が高まってる。先日、俺は、君たち家族のことを中央から頼まれて、ここにやってきたんだ。見回りをして追い払ってたんだが……今日は間に合わなくてすまなかった」
大人が、9歳の俺に頭を下げていた。
しかも、立場のある警邏官が。
そんなことは、この1年間で初めてだった。
「俺を……責めないんですか?」
「君は、襲われた側だろう?」
「でも……アレステリア国の、国賊の弟です」
そう言った瞬間、張りつめていた気持ちの意図が切れて、涙が止まらなくなった。
この1年間、本当に地獄のようだった。
年の離れた兄であるハル・インバクタスは、警邏官だった。
それも、100年に一度生まれるかどうか、というほどの大天才だった。
6歳の時、14歳のハルが警邏官になって、いきなり大きな事件をいくつも解決し、他国で逃走中の大物犯罪者を捕縛し、一躍アレステリア国の英雄になった。
英雄の弟として、心底兄を誇らしく思っていた。
そして、俺が8歳の時、西端の国、スクトゥムティアで、最悪の罪、「警邏官殺し」を起こし、さらにスクトゥム国の国宝を盗んで逃走した。
英雄は、一気に国賊として、最高額の懸賞金が懸けられた犯罪者になり果てた。
その怒りの矛先は、残された家族である母親と俺に向けられた。住んでいた家への嫌がらせ、落書き、投石、学校では全員から避けられ、母親も職を失った。
名前を隠して、北へ、北へと引っ越しを繰り返した。
母親はずっと気丈だった。
どれほど無理をしてるか。それに、蓄えだってどんどん減ってきているのは、子どもの自分にも分かっていた。
「……もう、逃げる場所が……ないです」
弱音を吐いてもしょうがないと思っていた。
でも、もう限界だった。
「じゃあ、逃げるのを止めたらいい」
中年の警邏官の言葉の意味が分からず、顔を上げた。
「遠目だったが、あの体格差で、治療師送りにするとは、ね。さすがハルの弟だ」
「ハルのこと、知ってるんですか?」
その警邏官は、知っているともいないとも言わなかった。代わりに、一枚の紙を取り出した。
「2ヶ月後、警邏官学校の試験がある。受験するといい。推薦書は私が書いておく」
あまりのことに、頭が追いつかなかった。
「俺、国賊の弟ですよ」
「国賊の弟が、受験しちゃいけないとは、警邏官法のどこにも書いてないぜ、ま、受かるかどうかは君次第だが、受かれば、学校でいじめに逢う生活からは抜け出せるんじゃないかな。なんなら……」
ああ、そうか。
「ハルを探し出して、君が捕まえても良い。ま、それまでに私たちが捕まえるかも知れないが、ね」
そうだ、あのクソ兄貴。
いや。
本当に、あのハルが。
あの優しい、賢い、そして誰よりも強い、ハルが。
警邏官殺しなんて、したんだろうか。
どうして、今まで疑わなかったんだ、こんなこと。
不思議と、その瞬間、目の前が光った気がして、頭の中のもやが、綺麗に晴れていく感覚があった。
何でこんなことを思いつかなかったんだろう。
諦めて、逃げるしかないと思っていた。
逃げ続けるしかないと。
捕まえればいい。
兄貴が本当に国賊なら、俺の手で。
「……受験の仕方、教えてください」
中年の警邏官は、にっこりと笑った。
***
その人が、こんなに気楽に話していい相手じゃなかった、と知るのは、ずいぶん先の話。
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