2 雨
一気に場面が飛びますが、続いてます…!
キリンは長い間、ただただ、待ち続けていたらしい。
待ち合わせの時間に、栗毛色の二頭の馬が引く馬車に乗ってやってくるはずだった、優しい母親と、威厳のある父親を。
何もかも、盗まれ、奪われてしまったことも知らずに。
1時間、2時間と過ぎても、キリンは待ち続けた。
やがて、空が暗くなりはじめ、夏の夕暮れに、急に降り始めた大雨が、屋敷の軒先にたたずむキリンの白いワンピースの裾を濡らしても。
キリンはただ、待ち続けた。
その時の自分は、それ以外の方法を知らなかったから、と言っていた。
両親が戻らないことを聞かされた頃には、日がすっかり暮れて、大雨が去った夏の夜空に光る星が、キリンの足下の水たまりに、きらきらと揺れていた。
きらきらと揺れていたのを、ぼうっと眺めていたのを覚えている、とキリンは言っていた。
***
トラックが、視界の中で極限までスローモーションになっていく。
さざ波のように、コテツの中に記憶が流れ込んでいった。
***
「それで、コテツ。あんたはその装備で、本当に試験に挑むつもりなの?」
両手を腰に当てたキリンがあきれたような顔で見下ろしてくる。
明るい栗色のショートヘアを耳にかけ、少し吊り目気味のくっきりとした二重瞼の下に輝く赤交じりのオレンジの瞳が、静まり返った夏休みの、教室の窓から差し込む日差しを照り返していた。
「装備の選択は、生徒に任されてる。俺は、とにかく身軽さを優先する。キリンは装備を持ちすぎだろ。 旅行にでも行く気か?」
キリンは、「商人と船の国」トリスタン製の強化繊維で作られた大型のリュックサックに、小型ランプ、乾パン、水筒、けがの応急処置セット、二日分位の着替え、その他諸々を、大型リュックの容量限界まで詰め込んでいた。
「それ、途中で襲われたら、邪魔にしかなんねーだろ」
「1の試験は良いの。やることが告知されてるからね。でも、それ以降の試験は何をするか、どのくらいの期間なのか、まったく明かされてない。「あらゆる可能性を想定したか?」警官の審理第3条!」
「飛ぶときは潔く。警官の心、第3条」
「考えてないバカほど、それをすぐ持ち出すのよ! それは準備をし尽くした者に対して、最後に背中を押す心構え!」
「まったく、本当、お前とは気が合わないよ」
昔から、そう、初めて会った5年前から。
お前が落としたイヤリングを拾ったら、いきなり噛みつかれたあの日から。
コテツは、右手にうっすらと残る、キリンの歯形に目を落とした
そんなことより自分の準備だ。
コテツは、合金製のくすんだ銅色の手錠の鍵の具合や、捕縄に解れがないかの点検を始めた。
明け放った教室の窓から、強い風が吹いて、学校の庭の楠の木のよく生い茂った葉と向日葵の匂いを運んできた。
コテツとキリンは、一転して黙々と、自分の作業に集中し、蝉の鳴く声だけが、二人だけの教室に静かに響いていた。
もうすぐ、試験が始まる。
警官になるための試験。
俺たちの全部をかけた試験が。
***
キリンは、一瞬、コテツの顔と、それから自分の歯型がうっすらと残る右手の甲を盗み見た。
初めて会った時のコテツの印象は、「落ち着きのないがさつな奴」だった。
悪い奴じゃないんだろう、と思うまでは、しばらくかかった。
5年前、警官学校の寄宿舎にひとりぼっちで入った時、玄関の段差でつまずき、左手で掴んでいたお母さんのイヤリングを落っことした瞬間。
私より少し先に寄宿舎に入り、その日は玄関の掃除をしていたコテツが、玄関の石畳の上に落ちる前に、イヤリングをつかんだ。
今思えば、とにかく、あの動物的な反射神経で、本能的に、キラキラした落っこちる物を掴んだだけなんだろうけど。
8歳で、いきなり両親が居なくなり、ひとりぼっちだった少女から見たら……。
なんかもう泥棒にしか見えなかったのよね。
お母さんの物だって信じてる、赤いルビーのイヤリング。
それだけは無くしたくなかったから。
「返してよ!」と叫ぶやいなや、コテツの右手をつかんで、噛みついた。
かなりがぶっといった。
そっから先はよく覚えてないけど、「何すんだ! この野郎!」と叫んだコテツと、散々殴り合ってるうちに、ララ先生が止めに来て、先生の「痺れさせる力」で、バッチバチに電撃を流され、二人して玄関に突っ伏した。
とにかく、最悪な出会いだった。
今でも、あのときどっちが何発蹴りを入れたかで、言い合いになるけど、私は6発で、コテツは8発で間違いない、と私は思っている。
コテツは逆だって言うけどね。
なんだかおかしくなってきた。
急に思い出し笑いをしたキリンを、コテツは不審な目で見つめた。
「……不気味な奴だな……」
「あんたが原因よ」
「どういう意味だよ」
「五年経ったわ。この学校に入ってから」
「今更なんだよ。」
「私たち、強くなったわよね。能力を授かるくらい」
コテツの少し灰色がかった青い瞳が、私をじっと見つめ返した。
「お前から自信満々な態度を取ったら、何にも残んねーよ」
「どういう意味よ!」
「そういう意味だよ。不安なんて似合わねーよ。いざとなったら、急に思い切るじゃねーか。俺よりずっと大胆だ。お前は大丈夫だろ」
む。
お前は。
「お前はララ先生経由で「痺れさせる力」が使えたろ? 俺は、6人の先生の力、どれも使えなかった。
1 縛る力
2 速く動く力
3 硬くする力
4 調合する力
5 痺れさせる力
6 重くする力
全部使えなかった。 使えなかった「生徒」が、試験本番で能力を発現させた例は、学校の歴史上数人しかいなかったはず」
コテツの、青いくらい真っ黒な黒髪が、教室の窓から差し込む光を照り返す。
「「重くする力」は、レアだけど、兄貴の能力だから期待してたんだけどな」
コテツの兄。
ハル・インバクタス
同時期に、アレステリア国中の警官のうち、5人にしか与えられない、「近衛兵」の称号を、16歳で得た天才中の天才。
アレステリア人の血を引く者の一部にだけ発現する、特殊能力、その中でも僅かな者だけが使える、「重くする力」を極限まで引き出し、数々の高額賞金首を逮捕し、世界7政府連合直下の「作戦」をいくつもこなした。
そして、最後の「キング・オラトリオの雨」作戦で、世界7政府連合を裏切って、警護中の超巨大ダイヤモンド「キング・オラトリオの雫」を強奪した上、「警官」の最悪の禁忌、「警官殺し」を犯して逃走。
現在、世界7政府連合最高額の賞金首。
コテツの7歳上の兄。
兄の犯した罪で、コテツとコテツのお母さんは世界7政府連合から直接取り調べを受け、逮捕され、ハルの起こした事件との関連は無し、として釈放された後も、住んでいた街で散々嫌がらせを受け、母親と一緒にアレステリアの端っこの港町まで夜逃げした。
それが、コテツに聞いた話。
警官学校の1年生の時の、コテツの自己紹介は、今でも良く覚えている
私が、当たり障りのない自己紹介をした、次の順番がコテツだった。
教室にいた、50人の新一年生の間には、この中に最悪の賞金首の弟がいる、と噂する声があった。
教壇に立ったコテツは、教室を見渡すようにして、息を吸った後。
「俺は、重罪人のハル・インバクタスの弟、コテツ・インバクタスです! 兄は俺が逮捕します!!」
と、教室中に響きわたる声で、叫ぶように言った。
鳥肌が立った。
それから、ハルとコテツのことを噂する声はなくなった。
それどころか、次の授業の合間に、コテツを励ます生徒もいた。
うまく言えないけど、そう、うらやましいと思ったのを覚えている。
自分は、こういう人間だって、胸を張ってはっきりと叫べるのが。
誰になんと言われようと。
「どうせ大丈夫よ」
「なんだよ、それ」
「あんたこそ似合わないわ。飛べるか飛べないか、迷うタイプじゃないでしょ」
そう、いつも、こうと決めたらくよくよしない。
でもその思い切りは、結局、良い方に転んでると思う。
私は常に不安で、自分なりに万全の準備をして、成功する確率を上げてるだけ。
それが、自信があるように見えるだけ。
「どうなるか、じゃない。なんとかする、でしょ? 私には信じらんないけどね。無計画過ぎ」
「計画ばっかしてたら、チャンスを逃すからな。 確かに、俺たちは散々訓練した。後はなんとかするだけだ。 例え才能がなくたって」
コテツは笑ってそう言った。
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