10 帰らない生徒たち(♦)
「生徒」は、年に1回だけ、寄宿舎を離れて家に帰ることが許されている。時期は、夏の中盤の「月が近い日」の前後数日間。親族が集まり、ご先祖様を供養する時期。
大抵の「生徒」はその日を心待ちにしている。特にその時は、みんな家を離れて1年目だったから、俺たちの学年のほとんどの「生徒」が、最初の夏休みに、自分の家に帰った。
帰らなかったのは、俺と、超読書家で、家に帰る時間が惜しいと言っていたソラと、怪しげな機械作りに没頭していたスパナ、理由はよく分からないが帰らずに剣術の鍛錬をすると言っていたドレイク、そしてキリンの5人だけだった。
ソラは、度の強いメガネを入念に磨いた上、大量の図書館の本を積んだ荷車を引いて、自分の部屋に引きこもり、スパナも同様に、他人にはがらくたにしか見えない謎の金属片や謎の液体を大量に部屋に持ち込み、引きこもっていた。
ドレイクは、よく分からないが、学校の庭で延々と剣の素振りをしていた。
俺は、素振りをしているドレイクを見下ろしながら、がらんとした寄宿舎の二階の広間で、貸与されたばかりの手錠の鍵穴のチェックや、金具の滑りをチェックしていた。
そこに、すたすたと、何か飲み物を入れた白いコップを片手に、キリンが歩いてきたのを覚えている。
普段、休日はいつもだぼっとしたズボンと無地のシャツを着ているキリンが、その日は、黄色のシンプルなワンピースを着ていた。髪型も、三つ編みをサイドに編み込んで耳にかけており、普段と印象がまったく違って、そう、気品があって、どこかの貴族の少女のようだった。
栗色の髪と赤交じりのオレンジの吊り目のセットで、噛みつかれた時の記憶がはっきり蘇り、キリンじゃないかとようやく気が付いた。
キリンは、広間の窓際の椅子に座り、俺と同じようにドレイクを見下ろした。
「あんたは、家に帰んないの?」
「そういうお前はどうなんだよ。」
1年生の最初の頃、この時までの俺は、キリンが苦手だった。
最初に会った時に、ピアスを拾ってやったにも関わらずいきなり噛まれ、殴られ蹴られ、ついでにララ先生に雷を落とされ、散々な印象だった上、その後も、クラスの誰とも積極的に馴染もうとせず、いつも一人で本を読んでいる。
入学試験が総合1位だった、という噂も流れていて、まぁ、お高く留まってる、という感じだった。
「私のことはいいでしょ。あんたのことを聞いてんの」
何て物言いだ、どことなく、高飛車なんだよな、こいつ。
育ちがいいのかもな。
「俺は、卒業して「警邏官」になるまで帰らない。母親に宣言してきたから、帰らん。どうせ、帰っても、街に出りゃ、兄貴の関係で石投げられるだけだし」
そう言って、さすがに何だか寂しい気持ちになった。
そんな俺とは対照的に、キリンは、吊り目をやや見開いて……何か嬉しそう?
「へー。そう。あんた、帰んないのね。この先、4年間ずっと。4年間」
「なんだよ。悪いかよ」
「とか言って、来年あたり寂しくなって帰るんでしょ?」
な、何なんだ、こいつ……。
「帰らねぇって言ってんだろ!」
若干強めに言ったにも関わらず、より一層嬉しそうに見える。
どうなってんだこいつ。
「そう、なるほどね。実は私も家が遠いから、ちょっと学校の規則上、帰れないのよね。ほら、移動日入れて10日間じゃない? それじゃ無理なのよ。だから、この先4年間帰らないつもりだったわけ。奇遇ね。この10日間、誰もいなくて静かだから……少しぐらい、話し相手になってあげてもいいわよ」
……なるほど。
こいつ、寂しかったんだな。
1年生達は、先月くらいから、この10日間の話を始めていて、久しぶりに家に帰ったら誰に会うだの、何をするだの、何を食べるだの、みな楽しそうにしていた。
いつも一人でいたキリンは、一層孤独だったんだろう。
しかも、この先4年間、毎年同じ時期に、同じ思いをするのか、と。
なるほど。
「話し相手が欲しいのか?」
「どういう意味よ! 私が寂しがり屋みたいじゃない!」
完全にそうだと思うが、面倒な奴だな。
まぁ、でも俺も寂しくなかったわけじゃないし、正直、気が紛れたのは嘘じゃなかった。
それくらい、がらんとした夏の寄宿舎は、どこまでも静かだった。
「お前に噛みつかれた右手の歯形、まだ残ってるぞ。」
「何よ、急に。それはあんたが、ものすごい勢いで私のイヤリングをかすめ取ったからでしょ。それから……お前ってやめてくれる? 私はキリン…ミドルネームはいいわ。キリンってちゃんと呼んでくれるかしら」
腕を組んで、若干偉そうに言う。
「それを言うなら、お前……キリン、そっちも俺の名前を覚えろよ。コテツ・インバクタスだ」
「そんなの知ってるわよ。それで呼べってことね。コテツ」
まぁ、そりゃ知ってるか。悪名だもんな。
何となく、窓の下を見ると、素振りをしていたはずのドレイクが……こっちをじっと見ている。
……なんだ?
怖いから見なかったことにしよう。
俺はキリンに視線を移すと、そもそもの疑問をぶつけた。
「そんな遠いって、お前の家、どこなんだよ? アレステリアじゃないってこと?」
確かに、アレステリア人じゃない「生徒」もいなくはない。親がアレステリア人で、他の国に移住したり、他の国の人と結婚したりで。とはいえ、なかなか珍しい。1年生の中では、いなかったような。
「……私は……」
急に、何か思い詰めたような、苦しそうな顔になって、キリンは言いよどんだ。
「なんだよ……言いたくないなら、別に言わなくてもいいぜ」
キリンは、そんな風に言った俺を、赤交じりのオレンジ色の吊り目で、じっと見つめてきた。
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