9 不確かな記憶(♣︎)(♦︎)
ララ先生とスザク先生の話を聞きながら、ちらりと、二つ隣の席のコテツを見た。
4年前、初めて会った頃と比べて、少し男の子っぽくなった。声変わりもして、背中もがっしりしてきた。でも、灰色がかった青い瞳は変わらない。
その瞳に、どれほど救われたかは、はっきり言ったことはない。
コテツが私の話を疑わずに聞いてくれた日、確かに私はコテツに救われた。
そして、この記憶が嘘ではないと、もう一度信じることができた。
私はあの、全てを失った日、ただただ、両親の帰りを待っていた。
待ち合わせの時間に、栗毛色の二頭の馬が引く馬車に乗ってやってくるはずだった、優しい母親と、威厳のある父親を。
1時間、2時間と過ぎても、私は待ち続けた。
やがて、空が暗くなりはじめ、夏の夕暮れに、急に降り始めた大雨が、屋敷の軒先を水浸しにしても。
私はただただ、待ち続けた。
それ以外の方法を知らなかったから。
私の生まれた国だと信じている、スクトゥムティアの市街巡回衛兵達がやってきて、両親が戻らないことを聞かされた頃には、日がすっかり暮れて、大雨が去った夏の夜空に光る星が、足下の水たまりに、きらきらと揺れていた。
きらきらと揺れていたのを、ぼうっと眺めていたのを覚えている。
そして、次の瞬間、私の世界は全て崩れ去った。
お嬢さん、ここで何をしてる?
何を言っているのか、全く分からなかった。
その後のこと。
私は、コテツと話をしていて、もう少しはっきりと思い出した。
まだ、少しだけ、何故か、黒い、もやがかかっている部分があるけれど。
それまで、何故か、私は、孤児院に保護されたんだと思っていた。
でも、少し、違う。
あの後、茫然としながら屋敷のドアにしがみつく私を、巡回警護官が引っ張り、馬車に乗せて詰め所に連れて行った。
私は、スクトゥムティアの第三皇女、キリン・アリストリア・ノノよ。
調べればすぐ分るでしょう、早く調べて!
何度も叫ぶ私に、巡回警護官の一人が書類を持ってきて言った。
アリストリア家に、ご子息はいません。
憐れむような眼で、その場にいた数人の巡回警護官達が私を見た。
何が起きているのか、全く分からなかった。
その次の日、巡回警護官の詰め所に、中年の女性がやってきて「キリン、探したわよ。」と言った。会ったことも見たこともない女性。
うちの使用人です。孤児を引き取った子で、時々、おかしなことを言うんですよ。ごめんなさいね。
その女性が私の目の前でそう言ったことを、コテツと話をしていた時、まざまざと思い出した。
嘘よ! 嘘よ! 全部、全部嘘!
半狂乱で叫ぶ私を、巡回警護官が押さえつけて、何か鎮静剤のようなものを打たれた。
そして、ミリアムが屋敷に来た。
ミリアムに会ってからのことは、記憶の通りで間違いない。
何か……もやがかかっているのは、それ以前のこと。
ミリアムと警邏官の話をしてからは、狂ったように、筆記試験の勉強と実技試験の練習をした。
スリングショットも、弓矢の練習も、毎日欠かさなかった。
後で、ララ先生から、「ちなみに、3位だったわよ。入学試験の筆記も実技も。総合は1位だけど」と教えてもらった。
あれだけやっても、筆記と実技、それぞれ上がいるんだな、と思ったのを覚えている。
***
「私は、スクトゥムティアの第三皇女、キリン・アリストリア・ノノよ!」
それは、入学して最初の夏休みの後のことだった。
真昼の教室に、キリンの凛とした声が響きわたった。
その日は、スザク先生が王都に呼ばれ、「速く動く力」の実習が中止になり、ララ先生は休暇で、他の先生達もそれぞれ別の学年の授業があり、結局「文献研究」という名の実習時間となった。
スザク先生は、自分が所有している大量の本を教室に荷台で運び「好きなのを読んで」と言い残すと、窓から飛び降り、ほんの数秒で学校の周囲の森の中に消えていった。
自習中は黙々と本を読むキリンなど、数名の生徒を除けば、1年生の段階で、その難解なアレステリアの歴史や技術、警邏官の能力に関する本に没頭できる生徒はおらず、珍しく、どの先生も配置に付かない自習時間に、次第に私語が広がっていった。
キリンの席の近くで、誰かが、夏休みの間に帰っていた出身地の話を始めた。
それが、騒動の発端だった。
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